#162:選考オーディション
これから楽器工房へ向かうその前に、チョコレート作りに取り掛かっておきたい。カカオ豆は時間を止めて倉庫に放置したままなので、もはや生き地獄の生殺しに等しいのだ。それに、沖合の小島に建ててもらった小屋の傍らには種なしバナナ農園を作っている。
種有りバナナはあまりにも不快だったから、口当たりのよいチョコバナナを食べたいがためだけに、私のヘンテコ魔術で品種改良を繰り返したのだ。
しかし、私にはチョコレートの開発から製造までを行えるほどの心的余裕はない。そこで、お隣の空飛ぶひよこ亭にお邪魔して美人姉妹を呼んでもらった。
「また何か始められるのですか?」
「はい。先日お話ししたチョコです」
「おぉ~、いっぱい買ったって言ってたよね!」
「完成したら持ってくるね」
最初にカカオ豆を買って以降、ピザの料理人などを都合してもらう際に話は通してあるので、製菓ギルド所属の菓子工房を紹介してくれた。
その工房まで赴いて、我こそはという菓子職人にカカオ豆などの材料とレシピ、そして大切な開発資金を預けておく。レシピといっても、油分を排除して微細に挽き潰したら精製砂糖とアルカリを加えて固めるだけだけれど。
よくすり潰す等の諸事項を伝えたら『お任せください!』と自信満々だったよ。
その後は、前日の予定どおり楽器工房に向かってモジャモジャ達と販売方針を話し合う。
各種楽器の在庫は増えているものの、知らない商品が売れるわけもない。プロモーションは必要不可欠でしょう。そこで、新たな楽器がどのような音を奏でるのか知ってもらうために、主な顧客となる貴族や商人を招いての無料演奏会を立案した。
しかし、この町にコンサートホールはない。王都のそれを借りるという案も出たのだけれど、どうせなら町おこしを兼ねたほうが全体的な収益に繋がることは間違いないと思う。そちらのほうが周りからの反感を防げるという意味もあるからね。
「商人もめんどくせえな。んじゃ、よろしくやってくれ」
「はい。わかりました」
楽器工房の彼らはあまり商売に興味がないらしく、以後は私に任せてくれるとの方向で意見が一致し、景色のよい山の麓に野外音楽堂を作ってもらうことに落ち着いた。
楽器がよく見えるような舞台を用意して、音を反響させやすい石を組み合わせて扇状の壁を作るだけの簡素なものだ。こちらはモジャモジャ達が石工職人さんと話し合ってくれるみたいなので、奏者の配置――ストコフスキー・シフトを伝えておいたよ。
向かって左側にヴァイオリンで中央にビオラ。右側にチェロとコントラバスを置き、それらの背後に管楽器と打楽器を配する最も無難とされる陣形だね。
なお、リンコちゃんは好調な売れ行きでも、私は借金の返済中なので資金的な余裕がない。この演奏会はルーシーさんとの共同出資だよ。
そして、諸々の話が片付いた私は、奏者の確保とそのレッスンに取り掛かる。
これほど楽器に囲まれていると忘れがちだけれど、平民が音楽に触れる機会は極めて少ない。その影響もあって貴族を中心に集めるしかないので、この近辺で最も権力を有する人物に協力を求めることにした。
「――と、いうわけなんです。サリンジャー男爵家にお力添えいただけませんか?」
「皆で集まり、新たな楽器での演奏会……素敵ですわ!」
「もちろん、協力しよう。他にもあれば申してくれたまえ」
そのついでに、もしもを考えて騎士団の出動もお願いしてみると快諾してくれた。暗に自分たちも招待しろと目で語っていたよ。元よりそのつもりだし、美声を持つフィロメナさまには歌姫として舞台に立ってもらう算段でもある。
その話をするのはもう少し先の予定かな。楽器のレッスンを見学に来てもらって、できれば自分から参加の言を口にしてほしいので。
さらに、グレイスさんとクロエちゃん、ヴァレリアやベアトリスからも演奏会の話を拡げてもらい、腕に自信のある暇人たちからの返答が続々と届いた。
その多くは演奏会があるのなら聞きに行くというものばかりだけれど、参加を希望する者も少なくない。しかし、私が催したいのは新たな楽器での演奏会だ。その中からレッスンを受け続けられるという条件で再度募集すると、残念ながら返事は少ないものだった。
その爵位はさまざまで、伯爵以上の上級貴族子女や、平民からは売れない吟遊詩人が多い。
お金持ちかその逆ばかりとは、なかなか面白い組み合わせだ。単に時間が余っているというだけなのかも。それと、比率ではこうなっているだけで、下級貴族の子女も少しは居るよ。
そんな方々を町に招待して、まずはオーディションを受けてもらう。
「わたくしの華麗なる演奏を聴かせて差し上げますわ。さあ、楽器をよこしなさい」
「……どうぞ」
あの派手なクレーマー集団もやってきた。ピザで服が汚れたと文句を言ってきた人たちだ。
その代表格らしき一際目立つお嬢様は楽器の指定がなかったので、前の人が使ったまま手近にあったヴァイオリンを渡した。すると、説明を聞いていなかったのか、楽器ではなく自身に身体強化を施して、弓をギコギコとノコギリにして弦を切った。
「なんですの。おかしな音しか鳴りませんわね」
「楽器が悪いのですわ。はじめから壊れていましたもの」
「ええ。キャンディスさまの腕前は存じております」
一定水準を満たしていない者は容赦なく足切りだ。大事な演奏会を台無しにされては困る。
この人は当然ながら没にして、丁寧にお断りしてお帰りいただいた。その際に、しっかりと捨て台詞をもらったよ。この町に二度と来てやるものか――ってさ。
そうやって人的な嵐が過ぎ、物理的な嵐も過ぎる頃にはオーディションの結果が出揃った。試作品だったピアノも調整が終わり、今では量産体制に入っている。
秋祭りも終わったこれからは、演奏会を行う春のお祭りまで毎日レッスン漬けの予定だ。
奏者にはこの町で暮らしてもらうので、もしもを考えて嵐が過ぎるまで待ってもらったよ。今回も水流調整の魔道具が正常に動いてくれて、資材が流れはしても僅かな量で抑えられ、誰ひとり怪我もなく皆は無事に乗り越えられた。
今日からは楽器のレッスンを開始する。練習場所は礼拝堂の裏手に立つ修道院を間借りした。以前はお婆ちゃんの語学教室が開かれていた建物だよ。平民の私から物事を教わることに忌避感がある人はとっくに消えてもらっているので、ビシバシしごいていく所存です。
そんな人たちの寝泊まりは空飛ぶひよこ亭が提供してくれた。しかも、事業拡大のために今とは違う場所を用意した上で、演奏会まで貸し切りらしい。この話を聞いた時はありがたいと思ったけれど、しっかりとお金を貰っているようだ。……商売、うまいなぁ。やはりあちらは何枚も上手だね。
演奏の練習を始めて早々に、厳しめなレッスンの成果か、それとも元々の才能が由縁なのか、上級貴族の子女たちは早くも楽器の扱いに慣れていき、すくすく上達していった。私とは比べものにならない速度だ。演奏でご飯を食べている吟遊詩人すら上回る勢いで驚いた。もちろん、やや遅れはしたものの、普段からリュートに親しんでいる彼らも次第に腕を上げているよ。
ちなみに、歌い手は既に決めているので一人も募集していない。
歌の巧さは非常に重要な点ではあるけれど、演者には見目麗しさも必要だ。さらに言うなら、有力者との繋がりも求められ、本人の立ち位置にも左右される。
その誰かが舞台に立てば、どれくらいの人数を動員できるかが肝要だからだ。私は新商品の販売促進活動をするのであって、ただのコンクールではないのだよ。
というわけで、領主令嬢のフィロメナさまを見学にお招きして、その口から『よろしければ、わたくしも参加させてくださいませんか?』との言質を取った。私は強制も要請もしていない。彼女自らが言い出したワガママなので、領主に対して一つの貸しを作れたと思う。
そのフィロメナさまもレッスン期間中は宿暮らしだけれど、貴族令嬢らしく男女二名の護衛を連れてきた。その片方が曲者で、エマ王国の近衛騎士団長であるヴァレリアの父親の元部下だと言う。ここまではいい。何ら問題ない。ただ、その上司は既に近衛騎士団を去っており、今ではサリンジャー男爵家の騎士団長に就任しているそうだ。
この話を聞いた時は心臓が止まるかと思った。……あのおじさん、クビになったんですか。
私のしでかした一件が原因かと思って責任を感じていたら、自分から地方へ飛んだのだとか。それも、この町に兵士を配備する前後のゴタゴタしていた頃に来ていたらしい。
なお、娘のヴァレリアがここにいることは知っていて、連れ帰るつもりはないみたい。
こんなビックリ話があったものの、お店のことをミランダ達に任せた私がレッスンに励んでいると、あのクレーマーお嬢様と懇意な商会がこの町に住み着いていた。二度と来ないとは何だったのか。本人ではないから構わないという論法かしら。……どうでもいいね。
その商会が取り扱っている商品はエロいお姉ちゃんで、所謂キャバクラのような酒場らしく、それと併せて娼館もあるそうだ。
この町にも元から娼館があるにはある。田舎領都からの出張店が一軒のみだけれど。
いつだったかの高級宿屋で一悶着起こしたあのお姉さん達も来ていて、町で見かけると手を振ってくれるよ。
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