#161:初動を見張る

 銀行についての話し合いを切り上げたエドガーさんが辞去するとのことで、私もそれに合わせてルーシーさんのお屋敷をお暇した。

 そして、空間歪曲の魔術を展開して私の姿を見えなくさせ、足早に歩く彼の跡をつけていく。さらに、足音から尾行がバレることを懸念して、重力操作も用いて宙に浮かんで後を追う。

 勝手に事業を興して利益を横取りされたら嫌だからね。少しだけ監視するのだよ。


 そうやって進んでいると、エドガーさんは貴族街から外に出た。貴族ならそれを名乗るはずなので彼が平民であることはわかっている。きっと、王都でも大金持ちのみが暮らせるような高級住宅地に居を構えているのだろうね。エドガーの金貸し屋さんはかなりドギツイ取り立てで有名だもの。


 私も王都にお店があるし、半年近く物産展に参加していたから知っているのだけれど、返済期日とその金額を守り、ごく普通に利用している人には至って紳士的なお店らしい。

 ところが、硬貨一枚すら足りていなければ般若のごとく怒り狂い、負債者の伴侶や子供だけでなく親戚からも手段を問わずに徴集するのだとか。その際に、払うものがなければ若い男は奴隷に落としたり、あるいは若い女を娼館に売り飛ばすこともあるそうで、負い目のある人にとっては恐怖の対象であり、常日頃から黒い噂も絶えないみたい。


 そんな噂が立っていても利益を出せるエドガーさんだからこそ、私はとても信頼している。それでも尾行しているのは、私が語った内容はそんなものを軽く上回る儲け話だからだ。欲というものは人をあっさりと変えてしまう。これはどれだけ出来た人物であろうと該当することで、もしも彼が先走りでもしたら……と、ね。

 時間が経ったことで頭の中を整理でき、落ち着く自宅であれば何か動きを見せてもおかしくない。それがいつになるかは不明だけれど、初動を見ておけばある程度の予測は可能でしょう。


 私としても頭の中を整理しながらエドガーさんの後を追っていくと、どうやら寄り道せずに帰宅するようだ。ここは確かに高級住宅地に含まれるものの、その中心地からは離れており、意外にも質素な――しかし、とても堅牢そうな総石造りの邸宅に住んでいた。


「お帰りなさいませ、旦那様」

「ああ。息子たちを集めてくれ。至急の案件だ」

「畏まりました」


 おや……これはどういうことかな、エドガーさん。帰宅早々に息子さん達を集めるだなんて、嫌な想像しかできないのだけれど。やはり、ナイフを突きつける程度では脅しにすらなっていないのか。これは私の読みが甘すぎたね。立派なお髭の先を少し燃やせばよかったかも。

 こんな考え事がいけなかったのか、私が入る前に重く頑丈そうな扉は閉ざされた。




 そのまま待っていても当然ながら扉は開かない。魔術を維持したまま急いでエドガーさんの私室を探していると、中庭に面した資料室みたいな部屋で書類をあさっている彼の姿があった。

 そこの窓から中の様子を窺ってみても、何かを読んでいることしかわからない。くるくると丸まった羊皮紙を開いては閉じの繰り返しで何かを探し出し、目当てを見つけたら一心に読み耽っているだけだ。


 それから暫くすると、邸宅の玄関がある方向から複数人の話し声が聞こえてきた。おそらく、息子さん達が到着したのだろう。すぐに執事の人が資料室まで知らせに来て、エドガーさんは閲覧中だった資料もそのままに別の部屋へと移動していく。


 私も外側から並行して進むと食堂に入り、ここで夕食を摂るようだ。その席には三〇代半ばから後半くらいに見える三人の男性がおり、顔つきも似ていることからこの人たちが息子さんなのだろう。経過時間を考えたら割と近くに住んでいるみたいだね。


「呼び出してすまないな」

「いえ、何かありましたか?」

「まずは夕食に付き合え」

「は、はあ……」


 見た目は貴族のそれと変わらぬほど豪勢な食事で、この国では値が張るお野菜もふんだんに使われていて健康にも気遣っているらしい。きっと、味も一級品なのだろうと想像していたら、非常に見覚えのある小瓶が机の上に置かれていた。……あれは、うちのケチャップですね。


 予想外の衝撃を受けてまた思考が逸れそうになったけれど、夕食の様子を観察する。しかし、窓は開いているものの机までの距離があることと、彼らの使うカトラリーが立てる音のせいで途切れ途切れの他愛ないトークしか聞こえてこない。


 その見た目に違わず豪快に食を進めるエドガーさんは、話の中へ紛れ込ませるように調味用のソースやマンマ・ピッツァ、そしてリンコちゃんの話題を振っていた。先ほど急いで読んでいたのは私の……というか、ヱビス商会の資料だったのかもしれない。

 それらに対する息子さん達の返答では、リンコちゃんとリアカーのあおりを受けた荷車業者が行く末を案じて嘆いているのだとか。思わぬ情報が手に入ってしまったよ。


 それにしても、あんなに豪勢な食事風景を見せられ続けていたらお腹が空いてきた。

 ここでお腹の虫が鳴いてバレると笑えないし、空腹感は身体の時間を巻き戻して誤魔化そう。




 端から見れば久々に会った親子での団欒に思える夕食が終わり、食後には酒盛りでも始めるのかと思いきや、彼らは邸宅の奥にある応接間へと場所を移した。そして、お酒とおつまみを運んできた執事が部屋を立ち去ると、向かい合ってソファに掛けた彼らの口が開かれていく。


「随分ともったいぶっていますが、何があったんですか?」

「何かどころではない。ドデカい仕事が入った」

「……王族から借り入れの申し出でも?」

「詳しくは話せん。おそらく、今もどこからか監視されているだろう」


 バレてるし。警報装置を警戒して強引に乗り込まず、ずっと外から覗いているというのに。

 いったい何がダメだったのか。これはエドガーさんのブラフだと思いたい。


「お前たち、別の仕事に就く気はないか?」

「ご用命とあらば吝かではありませんが……」

「断言する。この話に乗れば必ず勝てるぞ」

「……父上らしくないですね」


 三人兄弟の息子さん達から説明を求められたエドガーさんは、ルーシーさんを経由して私に呼び出されてからの出来事を手短に語っていく。

 信用のおける人員として、三人兄弟の息子さん達を選んだようだね。今の段階では先走りかどうかの判断はできないし、もう少し様子を窺ってみよう。


「あの小娘、俺の店も伝手も何もかもを丸ごと寄越せと言ってきた」

「頭がおかしいようですね。始末しますか?」

「やめておけ。あれだけ大口を叩くなら裏に何かある」

「しかし……」

「少なくとも、あの小娘の力量はそこらの騎士よりも確実に上だ。なんせ、俺が一発かましてやろうとしたら、牽制どころか先手を打たれたからな。かなりの使い手に違いない」

「ご冗談を。そのような者が市井に眠っているとは思えません」

「実際にいるんだよ。それに、あいつは信用できる」

「と、おっしゃいますと?」

「ルーシーが間にいる。あやつの鼻は確かだ。半端な商人では到底かなわん」

「父上が懇意にされているコーディ男爵家のルクレティアさまで?」

「ああ。ウィンダムの領主が楽器店を紹介したらしい」

「では、背後というのは――」

「あんな僻地の道楽領主にそんな力なんぞあるものか。もっと別の何かだろう。……まったく、ルーシーめ。とんだじゃじゃ馬を連れてきたな」


 何だか私の愚痴を吐き出しているだけでハッキリしない話ではあるものの、儲からなかったら家督を即座に譲るという言葉が決め手となり、息子さん達三人兄弟の転職が決まったようだ。

 というか、誰かに聞かれているのが前提なのに私の情報を喋りすぎでは。もう誰が見ているかまで察しがついているとしか思えない。そうでなければ、その人を引き込む算段なのかもね。

 私はじゃじゃ馬かもしれないけれど、エドガーさんも大概だと思うよ。


 とりあえず、私を警戒しているみたいだから放置しても大丈夫でしょう。今後は私の身辺を探ってくる程度だと思う。もういい時間だし、そろそろ帰りましょうかね。

 念のためにルーシーさんの様子も確認しておくと、物憂げな面持ちで自室の机に向かっているだけで、時折笑顔が咲いたり萎んだりして皮算用中なのかも。私もよくやるからわかる。




 勝手にルーシーさんのお屋敷にお邪魔した時点で貴族街の門は閉まっており、私が帰宅する頃にはケルシーの町も寝静まっていた。

 そのため、皆は既に眠っていると思っていたらスチュワートに迎えられ、同じく姿を見せたベアトリスに手伝ってもらいながら着替えを済ませる。


「随分と遅かったようですけれど、今までどちらに?」

「ほら、金貸しのエドガーさん。新事業の相談が長引いちゃって」

「では、色よいお返事を?」

「う~ん、今の時点では何とも言えないかな。でも、好感触なのは確かだよ」


 連絡も入れずに帰りが遅すぎて心配させちゃったかな。晩ご飯の時間はとっくに過ぎているし、普段なら消灯して夢の世界へ飛び立つ頃合いだものね。その事にはしっかりと謝罪して、私の秘書みたいな側役と共に明日の予定を組んでいく。


 荷車業者に泣きを見せたリンコちゃんはとても順調だし、今はひたすら在庫を増やしている楽器の売り出しも大々的に行いたい。近々ピアノの試作品が完成するはずなので、明日からは銀行と通信事業を進めながらも、楽器に力を注いでいくことになるのかな。

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