#160:キャッシュレス

 急いで作り上げた自転車工房も軌道に乗り、夏祭りを過ぎる頃には生産がかなり追い付いてきた。セット商品のリアカーも順調な売れ行きを見せ、荷馬車の代わりとして活躍するようになり物資の輸送などで街道が賑わっている。


 しかし、そうなると湧き出てくるのは盗賊だ。やつらは物資よりも金銭を狙う。荷物を担いで逃げていられないからだと思う。襲われるほうも逃げはするだろうけれど、お金さえ渡せば命が助かるのだから追い付かれたら抵抗を諦める。商人は殺さず攫わず生かして返したほうが儲かることを盗賊はよく知っているらしい。


 中には誘拐して身代金を求める大馬鹿者もいるそうだけれど、受け渡し場所には兵士が待ち構えている。そうやって話が通れば兵士は動くものの、彼らは基本的に町の中しか守らない。これはもはや常識と化しており、嘆願しても無駄でしかないことは歴史が証明していた。そのせいで街道警備は冒険者を雇うしかないのに、隈無く配備なんて資金的に不可能だ。

 では、どうするか。餌となる硬貨をなくしてしまえばいいのだよ。


 定例会議で持ち上がったこの議題は早急に対処しておくべき案件なので、ルーシーさんからエドガーさんに連絡を取ってもらい、彼女の同席を許す代わりにお屋敷の一部屋も借り受けた。

 今回は彼に協力を要請したいと思っている。他の誰でもなく、お金を貸して生計を立てているあの人こそ最も都合が良いのだ。


「急ぎと呼ばれて来たが、いくら必要なんだ?」

「いえ、違います」

「……どういうことだ?」

「新たな事業を考えています。まずは話をお聞きください」


 お金をなくせば盗賊を避けられると思うけれど、お金がなければ買い物はできない。そこで、銀行を設立しようと考えた。

 現状では、金貨が一枚あればそれに使われている以上の金塊を購入できる。保護魔術のおかげで物質以上の価値を持ちはしても、基本は信用での取引だ。さらに言ってしまえば、ただの数値でしかない。

 それなら、各地に貨幣をタンクする施設を作り、その数値分を引き出せるようにすればいい。ある程度の手数料はいただくけれど、全額をぶん捕られるよりはましでしょう。


 ところがどっこい、似たようなことは既に各地の商人ギルドが行っている。

 行商人が事前に持ち金を預け、少しでも安全な旅に出るわけだ。


 ただし、それは毎回ギルドに足を運ぶ必要があり、引出手数料もバカ高く、別の支部からは預金を引き出せない。さらに、預金分は自分以外の者が自由に扱えないので、商店での支払い――引き落としも行えない。商人ギルドに所属する商会だとしても漏れなく未対応だ。

 おそらく、それを許せばお金あるある詐欺が横行するからだろう。危険性があれば元を絶つ方法だね。しかし、それだと面倒でしかないのだよ。


 結局はいくらかの現金を持ち歩かねばならず、そこを襲われるのが今回の議題だった。

 私はこの隙間への参入、及び開拓を行い、銀行口座から直接的に支払える仕組みを作りたい。ギルドという垣根を跳び越え、さらに商人しか使えないという制限も撤廃したい。

 それに用いる器具も、入力した数値をやり取りするだけなら『簡単に量産できるぞい』と、シャノンの祖父が請け負ってくれたし、実際に試作品もすぐに拵えてくれたよ。


 手のひらに載るカードサイズで、〇と一から九までの数字を使え、送信や取り消しのボタンがついた魔道具だ。加算と減算しかできないものの、いつか私が作った計算機や、人間が頭で行う暗算よりも遥かに速い。その入力した数値や残高確認のために、視認性の高い字体が表示される小窓も付けた。パスワードを用いて盗難や紛失などの安全面も考慮してある。これより堅牢な規格である生体魔力認証は理論だけが存在し、実現はまだまだ先らしいから仕方ない。

 量産品は資金と技術の都合で八桁までしか対応できないけれど、かなり便利な一品だろう。ゆくゆくは店舗にも導入してこれで決済も可能にする予定。


 私がここまで自信を持っているのは、エマ王国には大小二種類の硬貨しかないからだ。日々の取引で最も困ることは硬貨の扱いだろう。言ってみれば、百円玉と一万円玉だけが存在するようなもので、何か買い物をしようにもズッシリと重たいお財布を持ち歩かねばならない。


 その都度ジャラジャラと素敵な音を奏でながら一枚ずつ硬貨で支払うのは、買い手も売り手も非常に面倒くさいでしょう。店舗側はさらに悲惨で、硬貨を保管する場所というものが必要になる。私はスタッシュがあるから気にならないけれど、何かと疲れるものがあるみたいだよ。


 その点、すべてを数値化させるこのやり方なら見間違いや数え間違いもなくなって、意外と場所を取る硬貨の寝床も不要となり、重たい財布を持ち歩かずに済んで皆ハッピーだ。


 ただし、この決済機能が実用化されたとしても、端末を付け狙われたらどうしようもない。その対策にパスワードを導入しているけれど、さすがにそれ以上の面倒は見切れないから自力で何とかしてください。私がどうにかしたいのは商売が円滑に進むことだけだ。そこに利益を見出したから解決するという名目でこの話を請け負ったに過ぎない。


 それと、銀行であるからには預金だけではなく、資金の貸し出しも行いたい。だからこそ、既に金銭の貸し付けで利益を生み出しているエドガーさんを呼んだのだ。

 それに、私だけではどうしようもない問題もあり、彼に頼る方法しか浮かばなかったよ。


「ほう……面白そうではあるな」

「はい。潤沢な資金がなければ始められません」

「なるほどな。俺はそれを貸せばいいのか」

「いえ、エドガーさんには私の元に来てほしいんです。そこの頭取――代表取締役として」


 どうしようもない問題とは、私では銀行を運営できないという致命的なものだった。

 ここまで話を聞いたエドガーさんは、それだけのお金を貸せと言われたら断るつもりだったらしい。ところが、私に雇われろと言われてその考えを改めたのか、今まで見下すようだった視線が真っ直ぐなものとなり、腕組みをして僅かな沈黙の後に懸念事項を見抜いてきた。


「支部間の伝達はどうするつもりだ?」

「もちろん、案はあります。ですが、完成はかなり先のことでしょう」

「それまでは?」

「この支払い方法を普及させなければなりません。まずは町の中だけで広めようかと」


 常々考えていた通信事業。数値の送受信だけなら会話に要するそれよりも少ない資金で始められる。現段階でも、試作機を用意してもらった際に短距離の通信なら成功している。今から設置を進めてもかなりの時間が必要だろうけれど、一度作りさえすればこちらのものだ。以後はその設備を増強するだけでよいのだから。


「遠距離通信がなくても、本格的に広まれば誰かが買い物をするたびに儲かりますよ」

「ふん、言われずともわかる。この事はじっくり考えてから答えを返そう。まずは物騒なそれをしまってくれ」

「……エドガーさま?」

「そうですね、お互いに矛を収めましょう。賢明なご判断を期待しています」

「……ああ。互いに、な」


 おそらく、角度か位置の関係でルーシーさんには見えなかったのだろう。私が加速の魔術と重力操作を併用して、宙に浮かせたナイフをエドガーさんに突きつけていた姿を。

 ここまで内容を明かしたのだ。何かあれば備えがある。つまり、私は本気である姿勢を見せたかった。ただナイフを見せるだけなら小物感が拭えないけれど、目にも留まらぬ速さであれば事情が一変する。そのナイフはすぐにスタッシュへ吸い込んだよ。

 それと、エドガーさんも何らかの魔術を構築中だった――と、魔力支配が教えてくれていた。その牽制も兼ねていたのだけれど……侮れないワイルド爺さんだこと。


「俺個人の本音を言えば、今すぐにでも飛びつきたいが……」

「何かご都合でも?」

「今の仕事を放り出せるわけなかろうが。それに、お前の話では俺が人員を出すんだろ?」

「ええ。私も用意しますけど、主戦力はそちらのほうがよろしいのでは?」


 資金や設備の準備も大切だけれど、信用のおける人員を集めることは非常に重要だ。初対面に近い私が用意した人材よりも、普段から関わりのある人を使ってくれたほうが助かる。特に、借金を返さないようなクズを相手にできる人が必要だ。冒険者は魔物を相手にすることが多いので対人戦は苦手だろうから雇えない。それを補ってもらいたくてそんな話もしておいた。


 それと、通信設備を用意しなければならないので、時間がもらえるのは私としても大歓迎。

 最低でもケルシーの町と領都、さらに王都までは繋ぎたい。私にとって主な取引相手はそこだからね。以前の物産展で扱っていたマヨネーズやケチャップに中濃ソース。これを王都から買い付けにくる行商人がいるのだよ。


 わざわざケルシーの町にまで来るなんて想定外だったので話を聞いてみたら、一部の飲食店が好んで使っているようで結構な利益を出しているみたい。私は家庭向けを想定していたから予想が外れてしっくりこないけれど、売れているのは間違いないのだ。今後は行商人が増えることも考えて、専用の工房を作っておこう。

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