#159:こころぴょんぴょん
思わぬ誤算というか、誰かさんが流した噂のおかげで価値ある品物を非常に安く買えそうだ。まさか、コーヒー豆がゴミ扱いされているとは予想だにしなかったよ。現時点でもそこそこの量があるし、早速売り物にしたいと思う。そのつもりで入手したのは言うまでもないでしょう。
しかし、そのためには試飲が必要だ。本当に僅かな確率だけれど、この国では口に合わない人が多いという可能瀬はある。私にはコーヒーだと思えても買い手がいなければ意味がない。まずは周囲の人に試してもらって、その反応を見て売り方を決めていこう。
「ヴァレリア、ベアトリス。いつもお疲れさま。これ、お茶みたいなものだから飲んでみて」
「お、お姉さま。まだ昼間からそのような……!」
「……お気遣いありがとう存じます。わたくしは後ほどいただきます」
「まぁまぁ、そう言わずに。色的にはチョコドリンクっぽいけど別物だよ」
香りがまったく違うのだけれど、二人とも勘違いしていたので訂正しておく。今まで飲んだことがないのなら、見知った中で最も近い何かと紐づけるのは仕方がないからね。
その点を理解してもらった上でカップを手渡すと、熱さからチビりとすすったヴァレリアは途端に眉根を寄せて目をつぶり、同じく口に含んだベアトリスは驚いたような面持ちでその口を真一文字に結んでいる。
「あの、お姉さま。これはいったい何の薬ですか?」
「なんと申しますか、その、非常に形容しがたく……」
「……お砂糖をどうぞ」
どうやら無糖では苦すぎるようだね。別物だと伝えておいたのに、劇薬のような甘さを誇るチョコレートドリンクの味を想像していたのかもしれない。丁度よい塩梅になるまでお砂糖を入れさせてみたら、かなりの分量だったのでこの予想は大きく外れていないはず。
そうやって甘くなったコーヒーはおいしく飲めるみたいなので、若い女性にも受け入れられそうだね。このまま苦みに慣れていって、コーヒーは無糖のブラックに限る――とか気取ってくれると嬉しいかも。あわよくば、お砂糖をケチれるという思惑が無きにしも非ずだけれど。
若い女性の次は、さらに低年齢な子供からの意見を求めたい。一号店ではミランダをはじめとした孤児たちが販売員となって働いているので、差し入れがてらに試してもらうのだ。
物産展が終わって以降、この町の中で歩き売りを再開しているけれど、内勤を希望する子がいるので今では役割分担させている。さすがに最初から無糖は嫌がられそうだから苦いということは伝えておこう。……あくまで伝えるだけだよ。一度甘くすると元に戻せないからね。
「ミランダ、これ飲んでみない? ちょっと苦くて大人の味だけど」
「……変なにおいする。なんかすっぱそう」
「店長、それは何ですか?」
「大丈夫だよ、安心して。ちゃんとみんなの分もあるから」
皆にカップを手渡していき、まずは一口すすってもらう。すると、大人びているから大丈夫だと思っていたミランダが無言で泣き出してしまった。他の子たちも似たような有様で、即座にお砂糖を取り出した私がカップにドバドバ注いで回る。
しかし、いくらお砂糖を入れても苦さは残る。もう飲みたくないと言い出したので切り札を出すことにした。そう、子供にコーヒーを飲ませるならミルクを入れるのだ。コーヒー牛乳として生まれ変わらせるのだよ。
そうすると、涙目ではあるけれどミランダから『……おいしいかも』という言葉を引き出すことに成功し、未成人でも飲めるものであることが証明された。
やはり強いね、コーヒー牛乳。先にお砂糖も入れてあるから、その甘さはかなりのものだと思う。さすがに商品として売るには高すぎる代物に変貌しているので、コーヒーの対象年齢は成人以上と想定しておけばよさそうだ。
若い女性と幼子たちが終わったら、今度は一気に年齢層を上げてみよう。次のターゲットは、日々忙しくしているのにいつも余裕の顔つきで事に当たる敏腕執事だ。
どちらかと言えばコーヒーを入れるほうが似合うけれど、ソーサーを片手にホッと一息吐いている姿は様になるでしょう。ただでさえ出来る男なのに、休憩している時ですらその印象が崩れないとか、ある意味チートだと思うよ。
「スチュワート。そろそろ休憩でもいかがかしら」
「これはお嬢様。丁度一息いれようかと思っていたところに御座います」
「じゃあ、これをどうぞ。ちょっと苦いですけど、とても落ち着きますよ」
「お心配り痛み入ります。では、早速――」
カップに入った黒い液体を真剣な目つきでのぞき込み、軽く香りを確かめてから一口含んだ。それが喉を通ると深い溜息を吐いてまた一口。そして、溜息を吐いてさらに一口と、カップが空になるまで続けていた。
「とても美味しゅう御座いました。これは新商品でしょうか」
「ええ。近々取り扱う予定なんですよ。気に入っていただけました?」
「それはもう……。個人的に買い込みたい衝動に駆られますな」
「いつでも飲めるように手配しておいてください。このとおり、まだまだありますから」
多少のお世辞はあるだろうけれど気に入ってくれたみたいなので、ほんの少しお砂糖を入れるとさらにおいしさが引き立つと教えておいたよ。それと同時に挽いたコーヒー豆の大半と、布で作った即席フィルターも渡しておいたので、メイドさん達も試飲すると思う。
若い女性、未成人の子供、経験豊かな老人ときたら、次は働き盛りの男たちで試したい。
それなら一号店を出た途端に溢れかえっているけれど、一応は商店街の会長である私に慣れている知り合いから当たっていこう。緊張から下手なことを口にできず、思ってもいない感想を言われても困るしね。
そんなわけで、自転車工房にやってきた。今はまだ完成品を保管しておく倉庫でしかないけれど、自転車製作に適した機材が揃い次第ここで作業が始まる予定だよ。意外と早く専門工房が作られたのには理由があって、利益を増やすために準備を進めていたら木工工房から苦情を寄せられたのだ。自転車が場所を取り過ぎて他の仕事に支障が出ているって。
ちなみに、場所は町の上流側にある。前に孤児たちが暮らしていた方向だね。材料の魔木は途中まで陸路を通り、そこからは川を下ってくるので都合がよかったのだ。現在は上流端にも小さな荷揚げ港を作っている最中だよ。
「こんにちは。精が出ますね」
「会長のお嬢ちゃんか。今日はどうした?」
「皆さんに差し入れでもと思いまして、飲み物を持ってきました」
「おぉ、ありがてえ。冷たい麦茶か?」
残念ながら正反対ともいえるホットコーヒーだ。夏も近付く近頃は日ごとに暑くなってきたので、昼間から肉体労働をしていたら麦茶が欲しくなるのも頷ける。しかし、今はコーヒーの味を試してもらいたい。
まるで子供のようにわらわらと寄ってきた厳つい顔つきのおじさん達に、コーヒーを注いだカップを渡して回る。それを口にした彼らは最初こそ驚いていたものの、次第に肩から力が抜けてリラックスしているような雰囲気を醸し出していた。
ただし、おじさん達は少々甘めのものが好みなようだ。もしかしたらスチュワートも無理をしていたのかもしれないし、お砂糖を併売することも考えておこう。……無料は嫌です。
なお、ここには作業の特性上、軸受け作りのウェインくんはいない。一人で集中したいそうなので自分の工房で働いているよ。
さて、十分に情報が集まってきたことだし、そろそろラスボス戦といきますか。次なる標的となるのは、この町屈指の大人気店マンマ・ピッツァを仕切るおばさん料理人。通称、マンマ。
彼女を頷かせたら怖い物なしだと思う。なぜならば、ピザの人気ぶりからそれを作るマンマの影響力が甚大なものとなっているのだ。おばさんネットワークにも参加しているようだし、そこで感想を語ってくれるだけで宣伝が済んでしまう。
それに、個人的な思いだけれど、働くおばさんほど強い存在はいないと思う。私があのお母さんを見て育ったからかもしれない。
「お疲れさまです。気分転換に差し入れを持ってきました」
「おや、気が利くじゃないか。それで、何を持ってきたんだい?」
「南方から取り寄せた珍しい飲み物ですよ」
「へぇ……。でも、あんたのことだから、どうせそれも売り込むつもりなんだろう?」
もうバレてるし。確かにそのとおりなので、隠し事は抜きにして試飲をお願いしてみた。
作業を切りのよいところまで済ませたマンマがカップを傾けて一口飲むと、じっくりと吟味するように深く目を閉じて黙考している。そして、私が確かめてきたこと――疲れたおじさん向きということを一瞬で見抜き、彼女自身からも『結構おいしいわね』との評価をいただいた。
さらに、これをサイドメニューに組み込むことにも興味を示している。
しかし、まだ余裕はないから味の薄いアメリカンのみを扱うしかないかな。お砂糖も一応は用意するけれど、その値段からして誰も買わないと思う。コーヒー牛乳は好評だったのだし、いつかはカプチーノやラテなんかも売り出したいね。
マンマから太鼓判を捺されたコーヒーは王都店でも扱いたいので、抜き打ち検査のついでに話を通しておいた。あちらを任せてある料理人夫妻や経理担当者も気に入ってくれて、これは大流行間違いなしとまで言われたよ。ピザやバーガー類よりもコーヒーが売れるってさ。
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