#151:楽器の練習小屋

 嵐が過ぎた翌朝。結局は徹夜に近い私が仮眠を取ってから外に出てみると、増水した水路の水が押し出された影響で入江が大変なことになっていた。風で飛ばされ巻き上げられて、水に流された資材が漂っているのだ。

 流れの向きからして沖合の小島にも漂着しているかもしれないね。海原へ消えた物は仕方がないとしても、見えている範囲は回収しておきたいかも。


 家から徒歩一分の港へ向かうと職人さんが何名か集まって話し合っており、嵐による被害の点検でも行われているのだろう。

 それも気になるところなので様子を尋ねてみるべく、人集りに近付いていく。


「おはようございます。どんな状況ですか?」

「おう、ヱビス屋の。多少欠けてる所はあるが、思ったよりはましだな」

「それはよかったです。私はあの浮かんでる木材とかの回収に行ってきますね」

「あれならこれから拾いに行くぞ? ほれ――」


 職人さんが指差す方を振り返ってみれば、自宅が港に近すぎたせいで気付かなかったけれど、余所に退避させていたらしき小舟を運んでいる集団がいた。

 言われずとも職人さん達が総出で回収に向かうようだね。その中にはリンコちゃんの製作でお世話になっている木工工房の人もいたよ。何か被害があったのかもしれないし、挨拶ついでに状況を確認しておこう。


「おはようございます。木工工房も何か流されたんですか?」

「おはようさん。いや、うちは無事だぞ。こいつらの手伝いでな」

「大工やってると資材が嵩張ってな。同じ木こり繋がりのよしみってやつだよ、お嬢ちゃん」


 共に小舟を運んでいる大工職人さんは、海辺の木材とは違って浮かない顔をしている。歩きながら話を聞くと、流された資材の使い道で困っているそうだ。捨てるくらいなら回収するけれど、場合によっては廃材として処分せねばならず、結構痛い出費になるのだとか。


 確かに汚れた木材を使われたら嫌がる人もいるだろう。表面を削れば気にならないとしても、嵐で飛ばされたのだから内部にひびが入っているかもしれない。そこを懸念して使いにくいというわけだろうね。

 であれば、それを利用して私の別荘――楽器の練習時に使う小屋を小島に建ててもらいたい。そこに住むつもりはなく、魔術を使わない練習中に雨が降ってきたら嫌だという理由なので、安く上がればそのほうが嬉しいからね。


 というわけで、早速その話をしてみたら『資材の搬送だけで骨が折れる』と渋られたけれど、嵐で流された木材を利用してもいい――と私が返答したことで快諾された。しかも、あちらにとっても渡りに船だったらしく、相場よりも安く請け負ってくれるみたいだ。

 愚痴を吐き出しているのなら、まだ取引先が決まっていないと踏んで提案したのだよ。


 これから忙しくなるとのことで小屋についての詳しい話は後日にして、回収した資材は小島に運んでおくことだけを決めて私は自宅に帰った。

 そこから改めて港一帯を見渡してみると、かなり形になってきているよ。すぐに完成すると思っていたのに貿易港として使うならもっと拡張しなければならなくて、それで埋め立てなどの大きな工事になっていたわけだね。大量の荷運びや嵐が来ることもあって木製の桟橋は使用できず、大きな石をいくつも沈めて丈夫な物を作っていたよ。


 ちなみに、あの小島は天然の防波堤になっているらしい。こうした天然物が存在しなければ、わざわざこんな場所に町が栄えるわけがないよね。最近までは捨てられていたけれど、それはお貴族様のワガママが原因なだけだし別の話だ。




 そうやって、少なからず傷跡を残した嵐が過ぎれば、秋のお祭りがやってくる。

 これからは住人を誘致するために、最後の追い込みとして物産展が最も盛り上がる予定だけれど、今回はエミリーが成人するので私は休みを取った。……というか、そろそろ引き上げる時期だから一足先に閉店かな。


 そういえば、せっかくの立地なので物産展を誰かが引き継ぐという話が持ち上がってはいる。しかし、各店舗から一級品ばかり集めたものが物産展である。自前の品揃えだけだと立ち行かないだろうと予測した人が多いようで、名乗りを上げたのは規模の小さな商会主くらいだった。私は既にピザ屋さんを準備しているし、楽器やリンコちゃんもあるから立候補しなかったよ。

 食指が伸びない理由はそれだけではない。立地が良い分、だからこそ求められる家賃が半端ないのだ。それを皆で払っていたから半年近くも続けられただけだね。


 王都の外通り――しかも、外門からもほど近い場所だ。言ってみれば新幹線が止まる大きな駅付近のようなもので、そこの地価はどれほど高いか簡単に想像が付くでしょう。体力もない小さな商会がそこにお店を構えても、周囲に劣らない売り上げを見せ続けなければ店舗の維持すらままならず、瞬く間に閉店へ追い込まれるのは言を俟たないことだろう。


 それでも、やりたい人がいるなら止めるつもりはない。どれだけ失敗が目に見えていても、やるというのなら応援したい。そして、もしもお店を畳んだら、是非ともヱビス商会の門戸を叩いてほしい。まだまだ規模を広げていく予定だから、人脈や人手はあればあるほど助かるよ。




 お休みにしたその時間を使ってお祝いの準備を進めて待っているのだけれど、エミリー達がなかなか帰ってこない。腕輪の反応を追えば圏内にいるみたいなのに、何かあったのだろうか。進捗状況を確認する満月の日には、残りの日数もしっかりと伝えておいたし、お祭りに合わせて戻ってくるとも言っていた。私の腕輪は震えていないから、もう一晩くらい待ってみよう。


 翌朝になれば腕輪の反応がさらに近付いているものの、お祭りの日も迫っている。あの二人が走れば余裕で間に合う距離だとしても、私たちにとっての主役が遅刻しては締まらない。


「ちょっとエミリーとシャノンを迎えにいってきますね」

「畏まりました。嵐の爪痕にお気を付け下さい」


 方向はわかっているので距離だけを確認しつつ、いつもの移動魔術セットで飛んでいく。

 雨と風でグチャグチャになったままの地面を眺めていたら、水害で押し流されたり、魔物に襲われたりしたような廃村がポツポツと存在している。そこも確認しながら加速の魔術と空中転移の連発で進んでいると、川沿いを歩いている最中と思しき二人の姿を見つけた。


 対策もないままに通過した嵐の爪痕って酷いものだね。あの廃墟はこれに耐え続けたということなので、そのすごさに感嘆してしまうよ。

 そんなことを考えながら色褪せた世界から抜け出して、服に泥が跳ね飛んで歪な水玉模様を描かれていた二人に声を掛ける。


「迎えにきたよ。どうしたの? 何かあった?」

「あれ、どうしたのって、どうしたの?」

「あ、もうお祭り始まっちゃった?」

「まだだよ。……明日からだけど」


 そろそろ休憩するそうなので、私もそこに加わってお菓子やジュースを配っていく。そして、話を聞いてみたら、どうやら嵐で足止めを食っていたようだ。

 そこまでは予想の範疇なのだけれど、いささか遅かったような気がしなくもない。


「道もないし、歩きにくいのよね。……サラも歩いてみればわかるわよ」

「サっちゃんって、最近歩いてる? ずっと飛んでる気がする」

「汚れたくないから歩きたくないなぁ……。あと、物産展では基本的に立ちっぱなしだよ?」


 廃村があったのだから昔は道も通っていたのかもしれない。しかし、今は何の痕跡もない。標識すら見当たらないので、川沿いを歩くしか方法がなかったのか。

 そんな二人は特に疲れた様子ではないけれど、せっかくここまで来たのだからスタッシュに入ってもらって町へ帰ったよ。




 翌日は、エミリーの両親や兄弟に、私のお母さんも転移装置で呼び寄せて、一号店でお祝いパーティを開いた。エミリーの実家からは大量のパンや料理が持ち寄られ、お婆ちゃんもこの日のためにご馳走を拵えている。途中からはグレイスさんとクロエちゃんも参加してくれて、とても賑やかな一日になったよ。

 冒険者が使う道具か趣味の裁縫用品で迷った末に、エミリーへのプレゼントは首飾りにした。私の護衛をしなくなってからは両手で扱う大剣を振るっているので、念のために予備武装として持っていてほしくてね。


 一見すると十字架のようなペンダントでも、スイッチ一つで魔刃と呼ばれる魔術が発生する。迷宮でエミリーが剣の刀身に、シャノンはワンドの先に発生させていた魔術だね。中に充電池のような蓄魔石を仕込んであるので、魔力切れでも使える魔道具なのだ。

 これはグレイスさんとクロエちゃんが身に付けていた装飾品からヒントを得たよ。お金持ちのお嬢様だけあって、ある程度の武装や心得はあるみたいだ。そこで、嵐の対策会議で会ったシャノンの祖父に作ってもらったものを、私のヘンテコ魔術で強化してある。


 それと、本来ならエミリーは成人と同時に冒険者を廃業する約束だったけれど、私が正式に雇っているので継続されることになった。ミンナさんからは『よかったら結婚相手も見つけてきておくれよ』ともお願いされたよ。……それは自分の力でどうにかしてください。

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