#147:怪奇譚が生まれそう

 届きそうで届かないチョコレートを嘆きながら物産展へ赴き、お昼時のラッシュを終えると少しだけ休憩して、店番の交代を頼んでからケルシーの町に舞い戻る。

 リンコちゃんを一時的に預かってくれているウェインくんの工房は、二号店から行ったほうが近道なので、ついでにピザを差し入れようかな。なんだかんだで嬉しいものは嬉しいのだ。


「いらっしゃいま~せ~。あ、会長さんだ」

「こんにちは。ピザくださいな。えっと、何がいいかなぁ。こんな時はハーフの――」

「ああっ、あんた。もう手が回らないよ! 給金上げなくていいから人を増やしておくれ!」

「増員ですか? 一応、考えては――」

「焼いても焼いても終わらないんだよ!」

「……夢のようですね」


 それに続いて『あたしゃ悪夢だよ!』と、料理人のおばさんから切実な願いを聞かされた。

 辞められると本気で困るから、グレイスさんかクロエちゃんと早めに相談しておこう。そろそろ王都の新店舗も改装が終わるだろうし、そこの担当者も本格的に見繕わないといけない。

 とりあえず、ピザは買った。ここで働いているカーラさんの分もね。


 去り際に『本当に早くしておくれよ!』とは言いつつも、チーズ少し増量というサービスをしてくれた料理人のおばさんには頭が下がる思いだ。きっと、他のお客さんにもいろいろと口うるさくしながらも、優しさの何かを振りまいているのだと思う。それでいてしっかりと黒字を叩きだしているので、これといった不満もない。


 ちなみに、ここの店名はまだ付けていなかったのだけれど、いつの間にやら皆からマンマ・ピッツァと呼ばれているよ。どう見ても肝っ玉母ちゃんって感じのおばさんだから、ある意味とても似合っているかもね。




 窯が付き出している以外は厨房に余裕もあるし、増員後はこちらの店舗でもフレンチフライやコロッケなんかも取り扱おうかな。食品を一纏めにして、空いた一号店は別の何かを出せばよいでしょう。たとえば、リンコちゃんとかを。

 そのためにも、熱々ピザをお届け……じゃなくて、試作品を受け取りに急ごう。


「こんにちは~。リンコちゃんができたんだって?」

「リンコ……あ、自転車ですか? はい、奥にあります」

「じゃあ、見せてもらえるかな? あ、これ、差し入れね。カーラさんと食べて」

「ありがとうございます。……おぉ、マンマのピザ」


 ほっこりと笑顔を浮かべたウェインくんがピザを机に置き、工房の奥から懐かしのフォルムを持ってきてくれた。リンコちゃんの復活だ。今日は記念日として復活祭を催したい。


 ブルックの町にいる木工工房の親方さんが独断で行った修正点をさらに煮詰め、以前よりも丈夫かつ僅かに軽量なものとなっている……らしい。実際にこの手で動かしてみても特に違いは感じられないけれど、たぶん重りで計ればわかるのだろう。あと、ママチャリスタイルだ。早速跨がってみた。


「いいねぇ~。スカートでも乗り降りが楽になってるし、車輪も軽々動くよ」

「よかったです」

「じゃ、ひとっ走りしてくるね。ビザでも食べてて!」

「えっ、あ――」


 記念すべき第一……なんだろう。一歩? 一ペダル? とりあえず、何か言いたそうだったウェインくんに背を向けて、最近えらく物が増えてきた工房から走りだした。

 この町は水路だらけとはいっても、もちろん人が歩ける通路もある。その一画をギコギコと漕いで軽く一周し、ピザを食べているウェインくんの工房に戻ってきた。


「うん、お尻が痛いけどこれでよし! 量産はできそう?」

「あ、はい。今のところ、一ダース分の余裕があります」

「仕事が速いね! 今後もその調子でお願い」

「わかりました。これでいいのなら」


 いいも何も、バッチリすぎる。今なら特製チョコレートをあげたいくらいだ。もしかしたら、時計ではなくてこちらを優先すべきだったかも……いやいや、今でも割と国中飛び回っているのだ。方位磁石付き懐中時計はめちゃくちゃ重宝している。少ないけれど、時差があるのよね。


 現地の鐘に合わせていつもの移動魔術で戻ったのに、最初のうちは周りの感覚とズレていることが頻発していた。すぐに時差だと思い当たったからよかったものの、下手をすれば大事な定例会議に遅刻という失態を演じていたかもしれない。

 商人だけに限らず、どこの世界でも時間を守らない奴はまったく信用されなくなるからね。


 学生時代までならまだ大目に見てくれるだろうけれど、社会に出たら通用しないと散々聞かされていた。実際に、とっくに終業時刻を過ぎているのに帰らせてくれない会社なんて、一切の信用がおけないでしょう? 我がヱビス商会はその辺しっかりしているので、まだ誰からも苦情が出ていないのだ。ただ、予想外に当たりを引いた時の対処が遅れているだけなのです。……ごめんよ、マンマ。




 さて、試作品のリンコちゃんは一旦一号店へ持ち帰ることにした。宣伝のためメイドさんにでも乗らせるのだ。あまり目立つような人たちではないものの、綺麗な女性が町中を自転車で駆け抜けたら絵になると思う。

 しかも、長めの夏用スカートを着用中だ。男たちの目線は釘付けに違いない。


「ただいま~」

「おかえりなさいませ、お嬢様。そのご様子なら手応えがお有りのようですな」

「うん。あ、乗ってみます?」

「よろしいのですか? では……」


 押して帰ってきたリンコちゃんのハンドルを譲ると、スチュワートは躊躇なく受け取った。

 案外活動的な人だね。もっと保守的だと思っていた。それに、もうセバスチャン事件で損ねた機嫌は直っているようで安心したよ。


 せっかくなので、宣伝を兼ねて前籠と後ろの荷台には適当な積み荷を載せておこう。まさか荷物運び用荷物が欲しくなるなんて思わなかった。この手の緊急事態には本当に弱いね、私。

 しかし、残念ながら一号店はメイドさん達が片っ端から綺麗にしてくれているのでゴミすら見つからず、二号店まで走って不要になった木箱と小麦粉入りの袋などを借りてきた。それらを二人で協力してリンコちゃんに結びつけ、簡単に乗車法を教えたスチュワートは一号店から勇ましくも滑り出した。


 はじめのうちは足で地面を蹴って進んでいたスチュワートが、早くもリンコちゃんに慣れたようで順調に乗りこなし、なんと私が手を振れば振り返す余裕まであるみたい。それならば、もっとスピードを出すように指示してみたら、紳士然とした落ち着いた見た目に反して港通りを爆走しだした。


 ママチャリに跨がるガッチリスーツの老執事。時が時なら、ケルシーの町怪奇譚として語り継がれそうな事案だ。心なしか笑みを隠そうと口元を引きしめるお爺ちゃんが自転車に乗って背後から迫り来るなんて、恐怖心よりも不気味さが際立つよ。

 もしくは、お手洗いに急いでいる表情に見えなくもないだろう。まだ各所で工事が行われている港通りを歩く人たちは、そんなスチュワートを見て無言で道を譲っていた。


 おそらく、初めての自転車で緊張し、それと共に風を切って進む高揚感に浮かされているのだと思うけれど、あれでは好意的に受け取ってくれる人は少ないだろう。目立つという点なら文句はないのに、快速おトイレ丸の異名を与えられそうだ。宣伝する時は、やはり若くて綺麗な人に頼むしかないようだね。


 それを踏まえ、一号店の上階から様子を窺っていたメイドさん達や、お隣から顔を出してきた美人姉妹を呼び寄せて、あれに乗ってもらうかもしれない事情を伝えておく。スチュワートの表情はさておき、今は手本のように乗ってくれているのだ。それをよく観察しておくようにお願いしておいた。


 その間にもスチュワートは港通りでも端の方にまで進んでおり、今は立ち止まって何やら話をしている。ここからでは港で工事をする職人さんの誰かとしかわからないけれど、心優しいその人は『漏れそうなら貸してやる』とでも声を掛けてくれているのでしょう。


 もうこの際なら、インパクトを最重視してさらに速度を上げてもらおうではないか。そこで、もっと漕ぐように私が腕を回して指示を出すと、それを理解したらしいスチュワートが魔力を迸らせてペダルに足を掛ける。

 ところが、漕ぎ出したその瞬間、つんのめるようにして転倒した。


 見た目ほどではないにしても、彼は歳を食っている。それに、魔力を使った状態で転んだのなら負傷したかもしれないので、私は身体に流れる時間を加速させて駆け寄った。


「大丈夫ですか!?」

「お、お嬢様。申し訳御座いません……」


 直近まで言葉を交わしており一部始終を目にした職人さんが言うには、足を踏み外して階段から落ちたように見えたらしい。実際にリンコちゃんを確認すると、輪っかの革紐チェーンが切れて足をガクンと空回りさせて転んだようだった。

 当のスチュワートは服が少し汚れただけで何の怪我もなく、私の大事なリンコちゃんに傷を入れてしまったと恐縮しきりだ。


 私のような身軽な少女ならまだしも、前後に荷物を積載した上に成人男性の脚力――しかも、身体強化を使ったと思しき強い力には耐えきれなかったみたい。

 転んだ執事には悪いことをしたけれど、発売前に発覚してよかったかもしれない。これではまともに運用できそうにないので、金属製のチェーンも製作依頼を出しておこう。そうなれば、耐久性を考えてギアも金属製にしておかないと……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る