#145:昼の小さな演奏会

 他店舗を合わせても樽一つという少量ではあるものの、カカオ豆が手に入ったぞ! これでチョコレートを食べられる。あのクソまずドロドロドリンクではなく、まともなチョコレートを作るのだ。このためなら私個人の資金は惜しまない。お砂糖の精製もしようではないか。

 それが売れようが売れまいがどうでもいい。私が全部食べてやる。商人らしくない考えかもしれないけれど、これでも一応は年頃の乙女なので。


 そんなことを考えながら王都に帰り着くと、ついつい情報収集、及びお買い物に熱が入ってしまったので夕二つの鐘も過ぎる頃合いだった。あまり遅れるとミランダがイケメンの毒牙に掛かってしまうだろう。主にヘッドハンティング的な意味合いで。


 まずは仮宿で着替えを済ませ、急いで物産展に参戦した。案の定ミランダの隣にはイケメンが侍っていたけれど、私と店番を交代してから彼らは近寄りもせず、平和に仕事をこなせたよ。そして、また仮宿に帰ってくると、田舎領主のご令嬢から返事が来たと知らされた。

 どうやら、ベアトリスとフィロメナさまは伝書鳥でやり取りをする仲になっているようだ。


「チョコ作りたいんだけど」

「チョコレートは逃げませんが、フィロメナさまのお加減は移ろいます」

「ちょっとだけ! ちょこっとくらいならいいよね?」

「他の方ならまだしも、お相手はサリンジャー男爵家のフィロメナさまでございますよ?」


 確かに、貴族の――それも領主の娘を怒らせるわけにはいかない。発端はあちらだけれど、私から約束を求めたとも言えるのだ。チョコレートは後回しにせざるを得ないようだね。

 それを何とか呑み込んでいると、どこかそわそわした様子のベアトリスが声を掛けてくる。


「その件でご相談があるのですが……」

「やっぱりチョコを優先してもいいって?」

「いえ。わたくしも、サリンジャー男爵邸への同行をご許可願いたいのです」

「別にいいんじゃない? フィロメナさまと仲良いんだよね?」


 それもあるけれど、ヴァイオリンを見て聴いて可能であれば触れてみたいそうだ。グロリア王国だと貴族の道楽でしかなかった音楽が、エマ王国では教養として貴族の嗜みへと変化しているのが理由だろうね。


 もちろん、断る理由は見当たらない。それと、その場で商談となった際に友人からのお薦めという断りにくい状況を作り出すためにも、ベアトリスが同伴することに承諾した。……なぜかヴァレリアが仲間に入りたそうな目で見つめているので、静かにするならという条件付きで彼女も連れて行こう。




 翌日はヴァイオリンを持ち、私の専属護衛騎士と専属側役を連れて領都へ向かった。

 物産展のヱビス商会ブースは臨時休業だ。またミランダが逆ハーレムを築くと困るからね。さすがに領主の娘からの呼び出しだと伝えたら、誰も文句を言わなかったよ。


 もはや私のおやつというよりも、贈呈用としての地位を確立しつつあるお菓子――新鮮卵と濃厚ミルクの高級マドレーヌをお土産に、山の麓に建つこぢんまりとした邸宅にお邪魔する。

 そこで簡単に挨拶を交わすと、私以外の同行者も快く受け入れてもらえた。


「先日のお約束どおり、新たな楽器の完成報告をいたしに参りました」

「まあまあまあ!」

「ほう……もちろん、聴かせてくれるのだな?」

「ご要望とあらば。では、早速――」


 なぜかこの場に同席する領主の求めに応じ、同情を誘う苦労話よりも先に一曲を披露する。

 楽曲はモーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークの第一楽章。セレナード第一三番とも呼ばれるね。それ以外の説明は不要だろう。あえて言うなら、今はおタークです。


 こんな冗談が浮かぶほど演奏にも慣れてきて、ちょっと見栄えのいい角度とか意識しちゃったよ。それに、自分で言うのも何だけれど、腕前は確実に上達していると思う。

 色褪せた世界の中で、指捌きや弓運びを磨くという実態のないシャドウトレーニングだから、普通にやるより時間はかかるものの、一歩一歩着実に進んでいるはず。何よりも、私にとっての時間とは、ただの目安でしかなくなっているからね。


「なかなか面白い音が鳴るではないか」

「ええ。やわらかながらも深みがありますわね」

「小さなリュートに見えたのだが」

「ねぇ、他の曲も聴かせてくださらない?」


 広間で演奏していたのでそれが家中に響き渡ったのか、途中からはフィロメナさまの兄君や、領主夫人も姿を見せていた。領主本人なんて最初からいるし、実は暇人一家なのか?

 王城に勤める騎士は魔物を討伐する武官で、文官にしても各地から寄せられる書類や苦情の対応等が主な業務だろう。しかし、土地を治める貴族の仕事はサッパリ想像できない。見ている限りでは、ただ家で寛いでいるだけだもの。


 そういえば、文官のダグラス男爵も昼間に仕事を抜けていたっけ。ほとんど遊んで暮らせるなんて、もしやこれこそが私の求める生活だったり……いや、ないか。上下関係がやたら厳しいのはヴァレリアとベアトリスを見ていたらわかる。お金に不自由しないのは魅力的だけれど、窮屈に過ごすのは疲れそうだからお断りかも。


 ひとまず、穏やかな微笑を浮かべて私に迫ってくる領主夫人からのリクエストに応えよう。

 今度はヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲、四季より、春の第一楽章を選曲した。これは協奏曲だからどうしても物足りなさがあるけれど、皆はそれを知らないので問題ないはず。

 実際に、一つのヴァイオリンだけで奏でられるように独自のアレンジを加えていても、何も感付かれることなく演奏が終わったよ。


 そうしたら、次はフィロメナさまからも一曲お願いされたので、マスネという作曲家の歌劇作品タイスから、第二幕中の間奏曲として演奏されるタイスの瞑想曲を披露した。おそらく、タイスというオペラは知らなくても、この楽曲に聞き覚えのある方は多いと思う。

 ちなみに、これを選んだ理由は素敵な歌声を持つフィロメナさまに向けてのメッセージだ。あの美声は非常に大きな集客を見込めるので、オペラの一端を知ってもらいつつ、私の覚えをめでたくするという狙いがある。


 さすがに立て続けの三曲は疲れてきた。しかし、兄君がリュート・リュートとうるさいので、レスピーギのリュートのための古風な舞踏とアリアから、第三組曲シチリアーナも演奏した。これはリュートの曲をヴァイオリンなどに合わせて編集されたものだ。今がリュートの最盛期と思われるこの世界なら、どことなく気に入る部分があると思う。


 この演奏を終えてもまだ聴きたそうにしているけれど、切りがないので要望は打ち切った。

 もう私の肩と手首は限界です。これ絶対に普通のヴァイオリンより疲れるよ。わざわざ楽器を魔道具に仕立てなくても出来は十分だと思う。弦楽器でこれなら、ただでさえ大変なホルンなんて冗談抜きで死人が出そうだし、ほどほどにするよう頼んでおこう。特に、管楽器の音量が必要以上に増幅されたら編成で困る。


「拙い手並みで恐縮ですが、いかがでしたでしょうか」

「とても素敵な音色でしたわ。ありがとう存じます」

「あぁ、見事であった。こちらからも礼を言おう」

「たしか、サラさまのお話では、この楽器を何十も集めて音を重ねた演奏になるのですよね」

「はい。私が想定している最低限の編成でも、ヴァイオリンだけで一八名は必要です」

「まあ、一八も。あぁ……想像するだけで胸が躍りますわ!」

「待ってください。その場合、楽器はヴァイオリンだけではありません」

「そういえば、他にもいくつかあると申しておったな」

「はい。現在、鋭意制作中でございます」


 ビオラやチェロは特に大きな問題もなく進んでいるそうだけれど、ピアノが難航している。八八もある鍵盤の数だけ弦と槌が必要なのだ。今までに存在しなかった構造だけに職人さんも手を焼いているらしい。設計図があるといっても私の記憶でしかなく、詳細に記された作り方の手順ではないのよね。


「それらが完成した暁には、是非ともフィロメナさまに歌っていただきたく存じます」

「まあ。楽しみですわ。いったいどのような曲なのでしょう。先ほどのものでしょうか」

「……おや? 其方は曲も作るのか。その楽器を考えただけだと思っておった」

「い、いえ、違います。この楽器もそうですが、る筋より情報のご提供がございまして……」


 危ない危ない。これらの楽器や楽曲は私が生み出したものではないのだ。手柄の横取りなんてできないよ。かといって、作曲を求められても困るので、今日演奏した楽曲は架空の超有能作曲家、及び編集者から教わったという体でいこう。


「ほう……。このような楽器を考案した上で、となれば……思い付かんな」

「よろしければ、紹介してくださいません?」

「それが、もう旅立たれているのです」


 嘘は一切吐いていない。私が演奏した曲の作曲家たちや、楽器を考案した名も知らぬ彼らが他界しているのは事実だ。この世界であれば、言葉どおりの意味で旅に出ただけでも簡単には連絡を取れなくなる。

 それに、この言い方なら食い下がらないだろうし、現に引き下がってくれたよ。

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