#143:完成報告とお披露目
楽器が完成したことで、その報告と約束を果たすためにルーシーさんと連絡を取った。
私は伝書鳥を持っていないから直接家まで行って使用人に手紙を預けたのだけれど、これが貴族のしきたりらしくて正直面倒だ。それでも、アポがなければ会わないというのは身を守るために当然のことだし、礼儀としても何ら不思議はない。
しかし、そのためだけに一万エキューはする魔道具を買う気にはなれない。一方通行な上に途中で行方不明――紛失する恐れすらあるみたいだからね。早くお金を稼いで、電話のような通信手段を作りたいものだ。……それだけのお金があれば伝書鳥でレースができそうだけれど。
そういえば、先日シャノンの祖父と通信手段について話した時に、往復可能な伝書鳥が一部では既に運用されていると言っていた。近々量産体制に入るという噂もあるようだ。
他に魔道具工房もないのに、どうやって最新情報を入手しているのか気になったから尋ねてみると、近くの町に住んでいる知人たちと伝書鳥の連絡網を組んでやり取りしているらしいよ。これも伝書鳥には有効範囲があるそうなので、他に手立てがないのだとか。
こんな状況ということもあり、私が話した携帯電話の構想は非常に興味深く聞いてくれた。同時に戦争にも転用できると指摘されたけれど、いつか誰かが販売するのなら私の利益にしてしまいたい。
あいにくと昨日はルーシーさんが外出中だったので、翌日になって返事が届いた。
今すぐにでも会いたいとのことなので物産展はまたミランダに頼み、朝三つの鐘が鳴るより早くに出発し、改めて豪華なお屋敷にお邪魔する。そして、挨拶もそこそこにヴァイオリンを取り出したら、ルーシーさんは表情を潜めて見入っていた。
「これがお話しいただいていたヴァイオリン……ですか」
「はい。とても良い音を聞かせてくれました」
「……もう少し近くで見ても?」
「ええ、お手に取ってくださっても構いません。弦とネックに気を付けてくださいね」
そうやって、実物を隅々まで観察していたルーシーさんが溜息を一つ吐き、私に顔を向けて『何か一曲お願いできるかしら?』と言われたので、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第五番の第一楽章を披露した。春のせせらぎが頭に浮かぶ名曲だ。スプリング・ソナタだね。
これは是非ともピアノが欲しい楽曲なので、その開発協力を裏で匂わせるための選曲だよ。
「ご静聴、ありがとうございました。いかがでしたでしょうか?」
「……弓で弾く。これほどまでに印象が変わるとは」
「そうですね。私も吟遊詩人のリュートを何度か耳にしていますが、ヴァイオリンはまったくの別物だと思います。……ところで、何か物足りない感覚はございませんでしたか?」
「物足りなさ……ですか? いえ、特には。まるで春に包まれたような錯覚ならございました」
そうだった。初めて聴いた曲なのだから、ピアノが不足していることには気付けない。
私はピアノからこの曲を知ったので、それがなくては成り立たないと言えることがわかるけれど、こうなってしまえば開発協力をどうやって取り付けるか難題だ。音楽ほどに説明されるよりも現物を聴け――というものは存在しないと思う。それこそ、商人なのにセールストークが下手な私では、稚拙な表現しかできそうにない。
何も浮かばなくてもやらなければダメなとき、直球勝負しかないよね?
「ルーシーさん」
「はい、何でしょう?」
「ヴァイオリンはとても華々しいものですけど、他の楽器もあればより良い曲に仕上がります」
「ええ、以前からおっしゃっていましたね。先ほどの演奏を拝聴してから胸が高鳴ります」
「そこで、開発に際してまたご協力をお願いしたいと思っています」
「もちろん、そのつもりですよ。サラさまのご推察どおり、これは売れます。確実に」
この言い方からして、ピアノだけに限らず楽器の開発協力は期待してもよさそうだね。
まだ来ない管楽器工房への連絡や、後回しにしていた打楽器工房の選抜。この他にも金属弦を作れる職人さんの発掘もお願いして、硬貨に彩られる輝かしい未来を想像しながらニッコリ笑顔で談笑する。
未来と言えば、私にとって極めて重大なあの件があったよね。年頃の娘に大人気だという話だったし、貴族令嬢のルーシーさんなら何か伝手を持っているかもしれない。
そこで、事のついでとばかりにチョコレートの話題を出してみた。
「サラさまは、そのようなご趣味をお持ちでしたのですね」
「定期的に入手したいのですが、何かよい手立てはございませんか?」
「でしたら、エドガーさまにご相談されては?」
「えっと、借金はちょっと……」
お金を借りて、その力で人を集めるか、船を購入しろってことだろうか。
しかし、まだ工事費用の返済が全然できていないのだ。そこに上乗せは勘弁してもらいたい。ゆっくりで構わないと言ってもらえていても、その厚意に甘え続けるわけにもいかないよ。
コロッケとピザが黒字ではあるものの、ぼったくり行商と比べたら利益率は圧倒的に低い。いつかはそれも再開する予定だけれど、今は楽器とリンコちゃんに注力する方向で動いている。なにせ、この二つが成功すれば借金なんてすぐ返せるはずだからね。失敗するとは思えないし。そこにチョコレートの仕入れルートも確立できればさらに安泰でしょう。
「いえ、そうではなく、エドガーさまのご職業をご存じありませんか?」
「はい。金利業でしたよね」
「ええ。以前、輸入貿易で成功した者がその顧客におります」
「おお! それは心強いですね。是非ともご紹介をお願いします」
「当家ですわ」
「…………あ、そうなんですか」
あんたかよ。回りくどいわ。あの厳ついお爺ちゃんに恩義があるのだろうけれど、今は普通に教えてよね。おかげで素直に喜べないじゃないですか。
それに、私がチョコレートの話題を出した時に『そのようなご趣味』とルーシーさんが言っていた。何か含みがありそうだし、そこに気付かないままで利益を逃したら堪らない。
「先ほどの、チョコレートが趣味というのは、どういった意味でしょうか?」
「……サラさまったら。もうお年頃ですものね。お楽しみなさるのでしょう?」
「え、ええ。楽しく食べるつもりですが……」
「まあ! た、食べるだなんて! ……いえ、わたくし、これでも理解がありますのよ?」
頬を赤らめてもじもじし始めたこの人は、いったい何を言いたいのか伝わってこない。
私は板チョコを前提に話していたから少し食い違ったのかもしれない。ドロドロのドリンクしか知らなければ、あれを食べるという表現はおかしく映るのでしょう。しかし、なぜそこで恥じらう必要があるのかわからないけれど。……ちょいと引っかけてみようかな?
「もしかして、ルーシーさんはお嫌いですか?」
「いえ、その、あまりに直接的な言い方でしたので。もちろん、わたくしも存じておりますよ」
「そうですよね。よかったら、おすすめの方法などをご伝授いただければ」
「と、おっしゃいましても、わたくしはまだ未経験で……聞いた話でよろしければ――」
うん、途中から何となく察してはいたけれど、続いたのは媚薬の話だった。チョコレートをいっぱい飲むとドキドキするそうだ。……でも、それってただカフェインが作用しただけなのでは。あれだけお砂糖が入っていたら胸焼けも併発しそうだよ。
それはさておき、交易は今でも行っているそうなので、貿易船の一画を使わせてくれる約束をいただいた。もちろん口約束だけではなく、落ち着きを取り戻したルーシーさんに紹介状も書いてもらったよ。その際に『できればお急ぎくださいね』とも言われたのだけれど、出航が近いのかしら。
その船にしても、何度も行き来している上に最近は新調したらしく、安全基準は軽くクリアしていそうだよ。あとは買い付けてくれる誰かを見繕うだけだね。いや、場所さえわかれば私が転移でいけるかも。
せっかく買った物が外れだと笑えないし、自分の目で確かめたい思いは確かにある。腕輪の魔道具を使ってその反応を追えば見失うこともないだろう。……と思っていたら、航海日数は『おおよそ、季節が二つ巡るころに戻るでしょうか』とのことだった。
海原をそれだけ進むなら、一〇〇キロメートルなんて余裕で超えて範囲外だ。伝書鳥の後を追おうにも同じく範囲を超えてしまうだろう。あれが行方不明になるのはこの辺りが関係しているのかもしれないね。飛ばした後に相手側が範囲の外に移動しちゃったとかで。
仮に、腕輪か伝書鳥がうまく届いたとしても、行き先がわからなければ私の短距離転移は使えない。そのためには探知が欠かせないので、海上で加速の魔術を解除する必要がある。
毎回小舟を持ち出してそれを使えば可能かもしれないけれど、海の上に目印があるわけないだろう。脳内メモなら景色を覚えられるとしても、私がそれを活用できそうにないし、もしも海のド真ん中で魔力切れを起こしたら遭難待ったなし。やはり、誰かに頼むしかなさそうだ。
今回はその伝手ができたので、いつものようにすべてお任せが無難だろうね。
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