#142:楽器の試作品

 チョコレートのルートは判明したものの、すぐに手出しできるものではなく前途多難だった。

 とりあえず、港町まで行ってみるしかないだろう。そこで購入できたら嬉しいし、門前払いを食らっても何らかの情報が手に入るはず。もはやこのお貴族様に用はないのだから、さっさと家に帰りましょう。

 まさかそのまま伝えるわけにもいかないので、取り繕った別れの挨拶を告げる。


「本日は、たいへん為になるお話をありがとうございました」

「いや、なに、遅れてすまなかった。先も言ったが、本当に欲しがっているとは思わなかったのだ。もちろん、用途までは問わぬ」


 用途と言われてもおいしく食べるのだけれど、他に何かあるのかしら。たしか、前世では薬として広まっていたから、こちらでも同じなのかもしれないね。何だか聞ける雰囲気でもないので、そのうち誰かに尋ねてみよう。……お母さんとかかな?

 彼への感謝に変わりはないし、もう少しお礼の言葉を重ねてからダグラス男爵邸を後にした。




 存在自体が不確かだったのに、突如として姿を現し、手が届くかもしれないチョコレート。

 何かよい方法はないものかと思案に暮れながら帰宅し、時間的にもいつもの搬入で一号店へ戻ると、エクレアのお土産と共にヴァイオリンの試作品ができたという知らせを受けた。


 まだいくらか時間がかかると思っていたら、私の設計図が完璧すぎたからか苦労せずに仕上がったらしい。さすがは私だ。いやさ、脳内メモ様だ。

 ヴァイオリンだけに限らず、あの手の物は木材を乾燥させる期間で出来が大きく左右されるものだけれど、これが秘伝の技術というわけか。きっと、火属性と風属性の魔術なのだろう。ここまでは想像が付いても、それがどう用いられるのか、そしてどう影響を及ぼすのかまではわからない。あまりにも生活や産業に馴染みすぎていて、一目見ただけでは魔術だと判断できないことも多々あるのだ。前世で染みついた固定観念が捨てきれない。


 こんな愚痴は後回し……というか、もうどうでもいいね。ヴァイオリンが完成したのだから。

 オーケストラにおいて花形の一つとも言えるし、単体でも魅力を撒き散らしてくれる。それに、あの弓で弾いて演奏するスタイルはとても映えるでしょう。それこそ前世からの固定観念かもしれないけれど、この世界でも既に音楽が存在し、確立しているのだ。あの音色が受け入れられないわけがない。高く売れて……じゃなかった、評価されて当然だと私は考えているよ。


 早速、翌日は物産展を早くから抜けて楽器工房へ向かい、試作品を受け取った。

 物産展の商品は時限解除式にして、ミランダまで連れてきて後を任せたから大丈夫なはず。


「これこれ。これだよ。これですよ!」

「俺らに掛かればこんなもんよ。とりあえず、音を聞かせてくれ」

「ええ、もちろんですとも。お任せあれ!」

「俺らもやってはみたが、変な音しか鳴らんかった」


 実を言うと憧れていたのよね、ヴァイオリン。真っ赤なドレスでカルメン幻想曲を演奏する姿は本当に格好良くて美しい。前世では欲しいからと気軽に買える代物ではなかったけれど、それが今では私の手にあるなんてね。

 試しに基本となるラの音を出してみると、まったくと言っていいほどしっくりこない。ラ~ではなく、もの凄く小さな音でアッーと鳴った。……小人さんでもいるのかしら。


「あれ……」

「何やってんだ。魔力を流せ。魔木だぞ?」


 そうか、マジックアイテムか。ある意味で魔道具なのか、この楽器は。

 言われたとおり魔力を流すと、魔物の素材で作られたせいなのか音がとても派手だ。反響の度合いが強く、音量も大きいみたいだね。そして、音が反響するということは本体が振動するわけで。つまり、顎と肩、それと指先から手首までがめっちゃ痛い。

 それでも、まるで熟練のソプラノ歌手が歌うような幻想を見せ、これはかなりヤバいのでは。音色自体が艶々しているし、カンタービレ――歌うような表現をするときは楽しそうだ。




 まずは挨拶ということで、その言葉から連想されるエルガーの愛の挨拶を選曲した。

 ヴァイオリンを構え、よくカナリアに逃げられる心優しいお下げの女の子が楽しそうに弾くさまを思い浮かべて、私も彼女ばりの演奏でご満悦だ。


「やめろやめろ! 初めて聞いても酷いとわかる。どこが失敗しているんだ!?」

「いや、何かの手違いです。ちょっと待ってください」

「待つのはお前だ! それをよこせ! すぐに分解精査する!」

「練習を、ですね……あ、そうだ。労いにピザ奢りますよ。買ってきますね!」


 下手とはいえ、ピアノが弾けるならと思ったのだけれど、当たり前のことだったね。

 憧れのヴァイオリンを持てて気分が高まった結果、ギコギコ鳴らしてしまい恥ずかしい限り。そこに緊張感も相まって弦に弓を押し付けすぎてしまい、その弓が横に流れていかないように弓のブレを防ごうと力みすぎてもいたようだ。

 音の鳴らし方くらいは知っていたからラの音を出せたものの、演奏となればまず指が付いてこなかった。それに、この弓っていつ折り返すの? 音の途中だとそこで途切れちゃわない? 私が聞いた限りではそんな奏者は一人もいなかった。もしかして、皆は魔術師なのかしら。


 このままでは、ヴァイオリンから始まる私の豪遊計画に暗雲が立ちこめてしまう。

 ひとまずは持ち帰って、いつもの加速を使って練習してこよう。その間はピザでも摘まんでいてくれたらそれでいいです。本当に奢りますから!


 そんなわけで、一号店に飛んで帰り、迎えてくれたスチュワートには特上のピザを楽器工房へ届けるよう手配してもらう。そして、自室に篭もって練習しようといざ加速をしたら、音が出ないではありませんか。


 魔力が伝わっていないのか、私が音速を超えたからなのか知らないけれど、これでは練習ができない上に、ありえない速度で弓を引けば弦が焼き切れてしまうだろう。そうなれば笑うに笑えない。弓や本体の弦が切れないようにヴァイオリンの時間を停止させ、指捌きと弓運びを必死で身体に叩き込み、時折すべての魔術を解除して音の確認を取る。

 そうして続けていると、何度目かでスチュワートがやってきたので簡単に事情を伝えておき、もう邪魔をされないように竜神山の奥地へ場所を移してひたすら練習に没頭した。


 結局は年単位の期間を要したけれど、お昼には不満なく弾けるようになった。

 加速学習は本当に優秀だ。今回のような空気を振動させる音楽にはまったく向いていなくても、時間さえかければ私でも弾けるようになったのだから。

 とはいっても、あくまで弾けるだけだ。上手な演奏とは口が裂けても言えそうにない。今はある程度の知識があったからやれているだけで、この練習は絶えず続ける必要がありそうだよ。


 これは誰かに任せられるものでもないし、私としても楽しいので続けることに否やはない。

 問題があるとすれば場所だろう。なぜ竜神山を選んだのやら。音を出すと魔物が寄ってくるから面倒くさすぎたよ。どうせなら、未だに手つかずな沖合の小島にでも行けばよかったね。そのうち練習用に小屋でも建ててもらおうかな。




 満を持して楽器工房へ舞い戻り、ピザを肴にして昼間からお酒を飲んでいるモジャモジャ頭の頑固オヤジたちを呼び集め、主観的には長年の集大成である練習の成果を披露する。

 まずは先ほどと同じく、エルガーの愛の挨拶。ヴァイオリンで出来ることを知ってもらうためにパガニーニの第二四番。そして、前世ではこれらよりも知名度が高く人気も折り紙付きなものとして、バッハの管弦楽組曲第三番からG線上のアリアを選曲した。


「ふぅ……。これに管弦、特にゆっくりと下りてくるコントラバスのベースラインが加わるとそれはもう――」

「想像以上に良い音が鳴るじゃないか。……まったく、今朝のあれは何だったんだ」

「いえ、その、完成したからいいじゃないですか」

「あまりふざけた演奏をするな。下手な音を鳴らすと楽器が壊れるだろうが!」


 モジャモジャからめちゃくちゃ怒られた。最近は事業が好調だから調子に乗っていたかも。

 下手くそな演奏を続けていると、その音による振動や、扱いの悪さで楽器が痛むという話を聞いたことがある。超高級ヴァイオリンがその価格たらしめるのは、出来が良いということも大きいけれど、一流奏者のみが長年扱ってきたからだ。


 ともかく、ヴァイオリンはこれで問題ない。さすがは完成状態で歴史に登場しただけはある。

 次はビオラとチェロの製作を頼み、ピアノも計画しておいた。

 チェロは金属弦のほうが好まれるけれど、金工細工工房には自転車のウェインくんしか知り合いがいない。彼は軸受けのボール造りで忙しくしているし、増援を求めなければならないようだね。王都の新店舗――ピザ屋さんのこともあるし、近いうちに相談しにいこう。


 それと、管楽器の製作を担当してくれるモジャモジャオヤジの親戚がまだ来ていない。

 トランペットやホルンなら既に原型があるのでそれを改良すればいいとしても、オーボエやクラリネットはそろそろ取り掛かってほしい。こちらも併せて相談だろうね。ヴァイオリンが完成したと教えたら対抗意識を燃やしてくれないかなぁ。

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