#119:窯製作に着工
これから売り子をする前に、奥の部屋で町娘風の恰好に着替えて戻ってみれば、並べておいたコロッケをお母さんがつまみ食いしていた。
販売員たるもの、商品の説明を求められた際に長所と短所を答えられなければ情けないので、お母さんには一通り試食をしてもらったことが原因なのかも。
「それ、数量限定だから」
「――んぐっ」
「少しならいいけど、ほどほどにね」
「……うん」
どうやら蜘蛛クリームコロッケが大層お気に入りのようです。
あれは確かにおいしい。ホワイトソースと中濃ソースの交わり具合が絶妙この上ない趣だ。
しかし、まだ近場に迷宮が見つかっていないから、つまみ食いは控えてほしい。
己の失態を娘に窘められて恥じ入るお母さんと共に外通り――外門付近まで足を伸ばす。
ここなら昼下がりの今でも人出があるのでお客さんには困らないでしょう。どんな反応を見せてくれるのか楽しみな反面、不安を消しきれないけれども。
「それじゃあ、始めようか」
「どれでも一枚一エキューで、今ならもう一枚おまけね」
この王都でも、一つあれば一日過ごせるくらいの具なしパンが一エキューで売られているので、二口・三口で食べ切れてしまう大きさのコロッケにこのお値段は少々高いとは思う。一枚おまけして実質的に半値だったとしても、まだ首を傾げるかもしれない。
それでもこの価格で売るのはお試しという意味もあるけれど、露店で売る時にもう少し安くしておけば売り上げが伸びるのではないかと考えた結果だよ。
購入時よりも値下がりしていると、この商品には何か問題があるのでは――と深読みされる危険があっても、一度口にして気に入った人が買いに来てくれるのだ。それなら、あらお安いわ――という嬉しい誤算でお財布の紐をゆるめる作戦なのだよ。
そんな企みを薄い胸に秘めて、母娘で売り子を始めたらポツポツとお客さんがやってきた。
ずんぐりとした茶色い見た目の割りには意外とおいしいことに驚いて、そこにソースマヨの絶大な力が発揮されて追加で買っていくお客さんも多い。時には『もっとおまけちょうだいよ』と言う厚かましいおばさん集団が襲来して頭を抱えたものの、一口食べたら頬に手を当てて大声で話してくれたこともあって、日が沈むよりも先に完売と相成った。
ただのお試しだったのに、王都でのコロッケ販売は予想以上の売れ行きを見せてくれたよ。今後に開く露店の場所もしっかりと宣伝しておいたので期待が持てそうだ。この調子が続くのなら、早くから人を雇って販路を伸ばしていくのもアリかもしれない。その人員募集や選出などの細かいことは共に働くお母さんに任せるとして、私は商品の補充に専念しておこう。
私が王都支店の手伝いに奔走しているその間も、エミリーとシャノンは着々と言語を吸収し、グロリア王国の言葉を少しだけ話せたヴァレリアもその扱いにだいぶ慣れてきた。最初のうちは貴族の令嬢と平民のせいでぎこちなかったけれど、私の話題で打ち解けてきているのか、今では少ないながらも会話が見られる。
ところが、私の本性を知っている友人二人に対し、盲信しているとしか思えないヴァレリアとは意見が食い違うこともあった。
「だから、サラはヴァレリアの思ってるような人じゃないんだって」
「そんな事はありません」
「サっちゃんは、ちょっとお金が好き過ぎるだけで普通の女の子だよ」
「いいえ、女神の化身に違いありません」
今日も飽きずに私を女神に見立てて何やら言い合っていた。……もうポンコツでいいです。
ここでエミリーがヴァレリアを呼び捨てにしているのは、貴族令嬢の彼女自身が『薄いとはいえ、お姉さまと血の繋がりがあるのなら』とのことで、ひとり仲間外れにされる形となったシャノンに対しても許可が出ているよ。
それでも、シャノンなら適当なあだ名で呼んでいたけれどね。ヴァルルって。鳴き声かな?
そんな日々がゆるやかに過ぎていき、陽射しの温かさを肌身に感じるようになってきたころ、前々から準備をしていた窯の工事が着手されることになった。これに伴い、騒音で迷惑をかけるかもしれないと事前に村の住人たちへ告知を出しておいたのだけれど、聞いているのかいないのか不明だったよ。
取り決めてあった約束の日、お昼過ぎには出迎えのために町の出入り口で待機する。
他の三人はまだ言葉のお勉強中なので傍にいるのはエクレアだけだ。来て早々は今後の予定を確認したり、脳内メモに刻まれている面白話を振り返ったりしていたけれど、暇すぎたのでエクレアと一緒に遊んで時間を潰した。
そうやって体感では三〇分ほど過ぎたころに、ブロック状の煉瓦を山積した荷車を引く職人さん達が姿を見せる。
「こんにちは。お待ちしてました」
「待たせたようですまんな」
「いえ、領都から歩きだと遠いですからね。朝早くに出てこられたのでしょう?」
「ん、まぁ、そうだな。……で、本当に作るのか? 今ならまだ取り返しが付くぞ」
廃墟と化したこの町にはもうお貴族様なんていないのに、未だに恐れられているようだね。そうでなくとも、住人がいないのにお店を出す意味がわからないのだろう。
しかし、安心してほしい。立地だけは抜群によいのだから。
確かにここは僻地ではあるものの、多少修繕するだけで使える港はあるし、街道さえ整備してしまえば過去の栄光を取り戻せるはずだ。町の中心部となる廃墟だけでも水路があるので、重たい荷物を運ぶにしても楽なのだよ。お貴族様に乗っ取られさえしなければ、きっとこの町こそが領都と呼ばれていたに違いない。
これをわざわざ口には出さず、代表となる親方さんには領主からも許可を得ていると改めて伝えておき、すぐ近くにある私の二号店へと案内する。
そこへ行くには丸太橋を渡らなければならず、ただでさえ不安定なのにあれだけの煉瓦を載せたままでは危険だと思う。荷車の渡橋中に束ねた丸太が転がってしまい、それによって橋から落ちて海に沈んだら笑えないので、私のスタッシュを経由して町に入った。
「すげえな、さっきのやつ。まだ子供なのにどんだけ入るんだ?」
「さすがにあれが限界だろ。それでも十分すぎるけどな」
「……連れて帰るか?」
「やめとけ。とっくにどこぞのデカい商会に入ってるだろ。服見ればわかる」
「お、おう、そうだな。……にしても、こんな所にこんな町があるって知ってたか?」
「いや、知らんかった。もう誰も住んで……あぁ、あっちにガキがいるな。石拾っとる」
私と親方さんが先を歩いて設置場所の相談をしていると、後に続いていた職人さん達が小声とは言えない音量で囁き合っている。
安全を重視してスタッシュを使ったのだけれど、荷物が山積する荷車を丸ごと――というのはいささかやり過ぎたかも。……いや、今後は人前で使うことも多くなると思うし、あまり隠していても作業が遅れるだけだろうと割り切って、ここは当然の体で受け止めておくべきか。
「すまねえな、若い奴らが。後できつく言っとくから勘弁してやってくれないか?」
「いえ、お気になさらず」
「そう言ってくれると助かる。だが……あいつらが言うこともわからんでもないからな。下手に一人で出歩かないほうがいいぞ?」
「大丈夫ですよ。ちゃんと護衛もいますから。この子って結構強いんですよ?」
「ぷも!」
そろそろ出会って一年になるエクレアはスクスクと育っていて、今では私が歩いている状態でもその背中を撫でることができるほどだ。迷宮に行くまでは相応の成長速度だったのに帰るころには一回り大きくなっていたのよね。常に一緒だったから気付くのが遅れたけれど、知らないところで何か食べていたのかしら。
思い当たるとしたら迷宮トレントの甘い樹液かな。夢中で舐めていたし。
遠距離出張でも請け負ってくれた彼らは魔獣を見慣れているのか、エクレアを気にもしない親方さんと話を詰めていく。
「――……でも、そこだと邪魔になりませんか?」
「こっちのほうがいいだろう。そっちだと形が変わって火の通りに支障が出る」
「そうなんですか。では、この辺りにお願いします」
「あいよ。作っちまうとどうにもならんからな」
しつこいけれど、お貴族様に唆された哀れな商人の娘にでも見えているのでしょう。強くは引き留めないものの、それとなく問題提起してくれているし、優しい人なのだと思う。
あとは、すぐに終わる作業でもないので大事なことも伝えておかなければ。
「寝起きや休憩は上の階を使ってください。掃除はさせてありますので」
「そりゃすまねえな」
「まだ宿もありませんからね。それと、食事は上流側の奥に一軒だけお店があります」
「ほう、そうなんか。途中の村まで戻らなきゃならんと思ってたから安心した」
「安くておいしいですから是非どうぞ」
「そりゃ楽しみだな」
早速作業に取り掛かるとのことなので、親方さんと職人さん達に改めて窯の設置をお願いして二号店を後にした。
あとはもう、すべてお任せして完成を待つだけだ。
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