#117:アレの化身

 思わぬ出費を強いられて宿屋に泊まった翌日も、私の素敵なお店を掃除する。

 そこで、昨夜言ったとおりに一文無しだったヴァレリアにも作業を割り振ってみたのだけれど、これがまた目も当てられないほどに下手すぎた。


「ヴァレリアは掃除とかしたことないの?」

「はい、使用人がしていましたから。わたくしは剣の手入れくらいでしょうか」

「だったらそれを思い出して、道具も壁も、もう少し大切に扱ってくれない?」

「壊れたらまた買えばよいのでは?」


 同室のエミリーとシャノンから怒られるほどやったのに、一晩では教育が足りなかったのか。

 不測の事態で壊れたのなら仕方がないとしても、明らかにおかしな使い方でそうなってしまえば弁償させなければならないのに、貴族の令嬢相手にはそれも難しい。どんな事情であれど平民と共に過ごすのであれば、少しは歩み寄りを求めたい。


「買うにはお金が必要なの。大事に使えば道具も長持ちするし、手に馴染んでくると使いやすくもなるから」

「そうですか? どんどん買い換えるべきだと思いますけれど」

「それも一理あるけど、今は予算がないの!」

「お姉さまがそうおっしゃるなら……」


 お金に不安のない生活を送っていたせいなのか、まだ納得していないような口ぶりだね。

 経済を活性化させるにはお金を回すべきだという信念には同意する。しかし、今は心許ない資金しかないのだ。以前のように豪快な使い方はできないよ。

 もう少し伝わりやすそうな例を出してみようかな。


「ヴァレリアは自分を私の物だと言ってたね。あっさりと使い捨てられてもいいの?」

「それがお姉さまのご意志であれば従います!」


 ありゃ、こいつは手強いぞぅ。貴族と平民の違いよりも、本人の資質によるところが大きい。

 これを今すぐに覆せるような格言なんて思い浮かばないし、彼女の考え方自体も間違っているわけでもないので、うまくわかり合えるポイントを探っていくしかなさそうだね。


 その後も作業を続けるものの、相変わらずタワシの悲鳴が聞こえてくるような気がする。

 またもや予定外にお金が飛んでいくことを考えていたらそれが顔に出てしまい、そんな私を目にしたエミリーとシャノンが話し掛けてくる。


「どうかした?」

「いやね、掃除したことがないみたいで」

「サっちゃん。騎士なら身体強化がうまいはずだから、何か物を運ばせてみるとか?」

「あ……それもそうだね。家具入れよっか」


 そうでした。適材適所だったよ。私が間違えていたね。反省しないと。

 今は懐中時計を作らせている手先の器用な見習いくんの扱いについて、偉そうな物言いを付けていた私なのに、いざ自分がその状況に置かれると考えが至らなくなってしまうとは。誰かを雇う立場になるのなら、その人となりを見極める目を養わないといけないね。無茶ぶりしてくる無能な上司だと愛想を尽かされないよう、本当に気を付けなければ……。


 その後は、ヴァレリアなりのやり方があるかもしれないと思って温かく見守る。そんな私の視線を気にしたのか彼女は妙に張り切ってしまい、早くもタワシの一つが天に召された。

 反省したことに後悔はないけれど、やはり私の直感は正しかったと言わざるを得ない。




 午前の作業にも区切りが付き、とりあえずで作っておいた日時計を目安にしてお昼ご飯だ。

 しかし……というか、どうにもヴァレリアの態度が気になってしまう。昨夜の夕食でも同じ様子だったけれど、私のことは抜きにしても平民のエミリーとシャノンが同席するのは違和感があるのか、チラチラと視線を送っている。


「エミリーとシャノンが一緒だと嫌?」

「いえ、そのようなわけでは……。ただ、癖が抜けません」

「床に直接座って食べるのは平気なの?」

「はい。わたくし共も外で食事を摂ることがありましたから。これでも騎士見習いですよ?」


 それは最初に見た姿と、近衛騎士団長の娘ということから容易に想像が付く。

 さすがに今は鎧を脱いでいても最低限の武装は解除したくないとのことで、服の裾から時折覗く金属の輝きが騎士であることを物語っているよ。


 そんな現在の装備品だけでも相当にお高いという情報を冒険者の二人から聞いている。お母さんが使っていたミスリルシャツとか、その手の類らしい。それならそれで、身ぐるみ剥いでそれを売り払えば昨夜の宿泊に要した費用の補填が……いや、もう、諦めよう、うん。




 何をするにも平民が一緒になることは慣れてもらう方向で話がまとまり、午後からは家具の運び入れを開始する。また高級旅館に宿泊ともなれば、私の心と財布がタワシ以上の悲鳴を上げかねない。


「ヴァレリア、これから家具を持ってくるから設置してくれる?」

「はい、お任せください!」


 売れ残り商品のほとんどは王都支店に運んでしまったので、不足分や新調するものなどは予め工房に発注してある。仕上がった物は一人暮らしとなった私の実家に溜め込んでいて、これから一緒に暮らすことになるエミリーとシャノンの荷物も預かっていた。

 それらをスタッシュの限界まで詰め込み、色褪せた世界の中を何度も往復してケルシーの町まで運んでいく。


 今のところは一階を店舗、二階を倉庫、三階を住居にする予定だ。未だに掃除し切れていない地下もあるけれど、そちらも倉庫として利用するだろうね。下の階で暮らすことが一般的なのだとしても、職場と倉庫は近いほうが便利だと思ったのでこの振り分けにしてあるよ。


 三階には暖炉付きの各部屋と廊下しかないため、二階の広間部分に荷物を運びきって魔術を解除すると、頬を紅潮させたヴァレリアが駆け寄ってきた。


「さすがお姉さま! そのお歳でこれほどの広さを持つなんて!」

「ああ、うん。えっと、がんばって育てたから。あ、ちょっと屋根見てくるね」


 広さってスタッシュのことか。加速と転移で少しずつ運んだだけだ。確かにベッドが丸ごと入るのはかなりの広さだけれど、手放しで褒められても背中がくすぐったい。尊敬の眼差しとしか言えない瞳で見つめられると逃げ出したくもなるってものだよ。

 ところが、ふわふわと飛び立った私を目にして、ヴァレリアが『お姉さまが飛んだ! おぉ……わたくしの女神さま!』なんて言うものだから、面映ゆい気持ちが一瞬にして萎んだ。




 思わず逃れた先の屋根に目立った異常はなし。なぜかボロい靴が乗っかっているくらいだ。石造りだから頑丈なのは当然だとしても、水害を度々経験し、一切の手入れすらされていないのだから、少しくらいの痛みがあっても不思議ではないのにね。小さな屋根付きの煙突にしても、隙間に古い鳥の巣が埋もれている程度だったよ。


 これを建てた大工さんのすごさに感じ入って階下に戻ると、荷物がほとんどなくなっていた。私もこのままサボっているわけにもいかず、残っている物をスタッシュに入れていると小走りのヴァレリアが戻ってきた。


「一番日当たりのいい部屋にお姉さまの家具を運び入れました!」

「ありがとう。ヴァレリアはこういう作業のほうが向いてるね」


 そんな彼女の案内で三階へ向かうと、エミリーとシャノンが部屋から顔を出してきた。

 間に一室おいているので、そこが私の部屋なのだろう。


「こっちもだいたい終わったわよ」

「サっちゃん。あの人のベッドとかどうするの?」

「あぁ、そういえばそうだね」


 ベッドすら軽々と運んでいたらしいヴァレリアだけれど、さすがに家から持ち出してはいないので彼女のことを忘れていた。


「ヴァレリアはどの部屋を選んだの?」

「もちろん、お姉さまと同じです!」

「却下。必要な家具は用意するから別の部屋にしてね。あ、費用は給料から天引きするから」


 私の言葉を聞いたヴァレリアが白目を剥いているけれど放置しておこう。

 また移動セットの魔術で発注しに戻らねば……。


 家具なんて幅を取るものを店内に並べようにも邪魔でしかないから、既製品の販売は滅多にないのよね。それを考えると、この町にはこれだけ無駄に建物があるのだし、展示販売をする家具屋なんていい企画かもしれない。




 家具の運び入れから数日が経過し、当分使わない地下を除いて上階だけは掃除が完了した。

 汚れというものは比較対象があれば目立つもので、新品の家具との対比でそこが気になってしまい、想像以上に長引く結果となったのだ。広い家とは嬉しいものな反面、掃除をするだけでもかなり疲れたよ。


「さて、次を始める前に」

「前に?」

「休養日ですねわかります」

「大丈夫、肉体労働じゃないから。これからは言語のお勉強だよ」


 言葉がわからないと本当に不便だし、身近にネイティブがいるなら教わるべきでしょう。

 そこで、日頃からよく使われる例文や必要事項を木札に書き連ねてエミリーとシャノン、そしてヴァレリアに渡しておいた。

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