#116:お貴族様のお嬢さま

 詳しい事情まではわからない。しかし、大臣が決めたのであれば、平民の私は貴族の令嬢を迎えるしかない。そんな覚悟をもって掃除していたら、予想疑わず夕方ごろにちょっと怒ったヴァレリアさんが戻ってきた。


「もう、お姉さまはお茶目なのですね」

「いえ、その、なんと申しますか……」

「お姉さま。わたくし相手に謙る必要なんてございません」

「貴族のご令嬢さまに向かってそのようなわけにも……」

「この身はすべてお姉さまのものです。ご自身の持ち物に畏まる必要などありません」

「いや、物は大事にしようよ」

「まあ。大事にして下さるの?!」

「……ダメだこりゃ」


 何を言っても好意的な解釈をされるので気が抜けてしまう。

 作業も丁度切りのよいところだし、今日はこのまま切り上げるしかないかな。


 使っていた掃除道具は私のスタッシュではなく、町で貰っておいた廃品の酒樽に入れて現場付近に置いておき、着替えと休憩がてらに清掃済みの上階へと移動する。

 それまでの間、満面の笑みを浮かべたヴァレリアさんが私の後を金魚の糞――もとい、小鴨のようにしてついてきた。


 そういえば、夜になったらヴァレリアさんはどうするつもりなのだろう。

 まだ家具を運んでいないから私たちは実家に帰って眠っているのだけれど、宿屋どころかお店すら存在しないこの町だと、家出してきたという彼女の寝床が定まっていないのでは。


「あの、ヴァレリア・ウォードさま。今夜は――」

「お姉さま。わたくしのことはただのヴァレリアとお呼びになってください」

「え~……っと、ヴァレリア……はどこで寝るの?」

「もちろん、お姉さまと共に!」

「いやいや、何言ってるんですか。領都まで送りますので、一人で泊まってください」

「そんな、お姉さまと離れるだなんて! わたしくなら床で眠りますから!」


 貴族の娘にそんなことをしでかして、誰かにバレたらまずいどころでは済まされない。

 しかし、このままでは埒があかないので一緒に泊まることになった。




 今後も近くにいるのなら私の能力は隠し通せないだろうと予想して、特殊な魔術を使うからスタッシュの中に入っているようお願いすると、疑問も口にせずすんなりと受け入れてくれた。

 そして、いつもの短距離転移と加速の魔術で領都に到着すると、驚きの顔こそ見せたものの、案外あっさりと状況を呑み込めたようだ。


 転移装置なるものが存在するのは私ですら知るところなので、伯爵令嬢ともなれば転移魔術の情報自体は持っていたのでしょう。なにせ、これがあれば寝首を掻くことすら容易いのだから、暗殺や誘拐を警戒するような教育が施されていたのだろうね。

 そこで念のためを思って、このことは内密に――と耳元で囁いてみれば、なぜか頬を赤く染めて瞳まで潤ませており、さらに陶酔されたような気配が伝わってきて背筋がゾワゾワした。


 変な人ではあるけれど、貴族の令嬢が利用するからには安易に場所を選ぶわけにもいかず、以前うろついている時に見つけておいた高そうな宿屋までやってきた。

 そこの主人に部屋の空き具合を問うてみると、答えを聞く前にヴァレリアが割り込んだ。


「お姉さまがお泊まりになるのですから、一番よい部屋を用意なさい」

「え、えぇ、もちろんですとも。当店で最もよいお部屋へご案内いたします」


 端から見れば、私は同じ年頃の騎士と冒険者たちに護衛される綺麗な服を着たお嬢さん。

 私のことを貴族と勘違いした主人自らが先を歩き、奥の方にある一室まで案内してくれた。


「こちらでございます。どうぞごゆるりとお寛ぎください」

「……彩りが足りません。すぐに花を持ってきなさい。使用人も外に立たせること」

「は、え? ――畏まりました」


 こめかみに一筋の汗を滴らせ、キビキビとした動作での一礼を残した主人が足早に立ち去り、すぐにその筋何十年かわからないような老メイドがお茶の支度をしにきてくれた。

 そして、おいしいお茶を飲みながら待つこと十数分。次に扉を叩いたのは、扇情的な装いの綺麗なお姉さん達だった。


 肌が透けて見えるほどに薄い布地や、まるで縄のように太い糸で粗く編まれた衣服の隙間から、見えてはいけない赤い蕾が頭を覗かせるような、もはや服としての機能を十全に発揮できていない恰好をしている。

 最終的には同じような姿をした合計四名が部屋に入ってきて、私たちの前で横一列に並んで艶めかしく微笑んだ。


「な、何が始まるの?」

「サっちゃん、これたぶんまずい展開だと思う」

「……私も同意見」


 ここの主人は、ヴァレリアが口にした『花を持ってきなさい』という意味を曲解、もしくは宿屋らしい解釈で受け捉え、近場の娼館から娼婦を招喚したのだろうね。そこに気付いたらしいヴァレリアも、エロいお姉さん達に退室を命じてから外の老メイドを呼び寄せて、深読みしてしまった主人を連れてくるように通達していた。


 仮にヴァレリアの言葉選びが誤解を招いたとしても、彩りという部分だけでも隠語として受け取れるし、これは不幸な事故なのだと思う。私としては主人のフォローをしたいのだけれど、命を下したのは紛う事なき貴族の令嬢だ。下々の平民はそれに従うしかないので、あまり酷くならないよう矛先を逸らすのが限界かな。


「ねぇ、ヴァレリア。そろそろお腹空かない?」

「お姉さまがお求めであれば、すべてわたくしがお応えいたします」

「………………うん?」

「先ほどの手違いで興を抱かれたのでは?」

「――違うよ! 本当のご飯だよ! そもそも、私はノーマルだよ!」

「それは安心したような、残念なような、何とも言い表せない気分になりますね……」


 余計な世話を焼いた結果、逸らした矛先が私に向かって突き刺さってしまった。

 そのせいで私にそちらの気があるように思われたら心外だけれど、この子もこの子で非常に危険な領域にいるようだね。どんなものであれ、他人の嗜好を否定する気は一切ないのだけれど、興味を持たない人にまで手を伸ばすのはダメだと思うのですよ。認め合った者たちだけに留めておくほうが、お互いによい関係を築けるはずだよね。


 そんな思いを脳内で語っている間にも、足音を立ててまで走ってきた主人が平身低頭で謝り倒している。私が困ってはいても怒っていない事と、食事の誘いをした為か、夕食をこの部屋まで運ぶようにだけ言付けてヴァレリアは謝罪を受け入れていた。




 飛ぶようにして戻っていった主人が発破を掛けたのか、あまり待たされることもなく予想以上に豪勢な夕食が机に並べられ、私たちはそれをゆっくりと味わって食べている。

 はじめは私とヴァレリアの分だけしかなかったので、うっかりとそのことを指摘したら一瞬動きを止めた老メイドが部屋の外に出ていって、すぐに同じ食事を持ってきてくれたのだ。

 貴族と平民が食事の席を共にする事はあり得ない世界だから当然の行動だったのに、先ほどのスケスケお姉さんズの衝撃が抜けきれず、私の失言で老メイドには迷惑をかけてしまった。


 それもこれも、主人の勘違いが事の発端だと割り切って、今はタダ飯を楽しんでいるよ。

 なんと言っても、ここの料金は我らがお貴族様のヴァレリアが…………あれ、払えるの?


 貴族の不遜な振る舞いが許されているのは、有事の際に皆を守る盾となり、外敵を排除するための剣になるという面もあるけれど、普段から大金をばらまいてくれるという理由が大きい。彼らは見栄のために湯水のごとくお金を使ってくれる大口客なので、商人としてはそれだけで偉そうな態度でも目をつぶってしまうのです。


 しかし、同じ元お金持ちでも事前準備をした上で家出したマチルダさんとは違い、衝動的に家を飛び出したらしいヴァレリアは払えるだけの物を持っているのかしら。


「ヴァレリアは家出したんだよね? ここまでどうやって来たの?」

「主に馬車ですけれど……それが何か?」

「だったらお金は持ってきてるんだよね?」

「いえ、身に付けていた物を売って路銀にいたしました。もう残っていません」


 無惨にも望みは散った。ここの払いは私が持つというわけか。……無駄な出費が痛い。

 それに、飛び出したのであれば実家からの援助は受けられないだろうし、ほんの少しだけは期待していた私の下心がハートブレイクだよ。


「それじゃあ、明日からは働いてね。少ないけどお給料出すから」

「そんな、お金など不要です!」


 こいつダメだ。生粋のお嬢様だ。貴族と平民の違い以前の問題だ。お金がなければこうしてご飯も食べられないし、暖かい布団で眠ることもできないのに。


「ヴァレリア。まずは教育が必要そうだね?」

「まあ。お姉さまから教われるだなんて光栄です!」


 なにやら勘違いしているようだけれど、もうこの際無視していいでしょう。

 より味わい深く感じるご飯を食べ終わったら、お金の重要さをこれでもかと叩き込んでやる。


 そして食後には指導を始め、先に就寝準備を調えてベッドに入っていたエミリーとシャノンから、我慢ならない口ぶりで『うるさい!』と文句を言われるまで熱く語ってやった。

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