#115:お姉さま

 孤児たちの住居が終われば、次は窯を入れる予定の建物を綺麗に掃除してもらおう。

 本当は今のお店に入れたかったのだけれど、薪を大量に使うなら煙の問題で町の外側でなければ苦情を寄せられそうなので諦めたのだ。


 それに、火事対策として石造りであり、一階が広くて煙突のあるものでなければ困る。少し離れたところにある工房予定の小屋にするか、商業予定地区の中でも何かのお店として使われていたと思しき立派な建物にするかで迷った末に、心の汚れている私は後者を選択した。


 既に居を構えている私の素敵なお店と同じくして、海の見える港通りに面しており、丸太橋からすぐ近くという最も外側――中洲の角地に当たる物件だ。上階にも私室がある三階建てだけれど、そちらは倉庫として使うくらいだろう。


「今日からはここの掃除をお願いね。一階部分はすぐに工事が入ると思うから軽くでいいよ。終わったら道の掃除に取り掛かってもらえる? そっちは綺麗にしてね」

「おう、任せとけ!」

「金の支払いがある限り、ついていくぜ」


 なんだか、まるで傭兵のような言い様だね。……あながち間違ってはいないかも?

 そんな頼もしい彼ら彼女らの働きぶりに背を向けて歩き出すと、傍で控えていたエミリーとシャノンから疑問の声が上がった。


「サラ、あっちの店はやらせなくていいの?」

「それも大事だけど、ここは早めに終わらせておきたいんだよ」

「またサっちゃんの悪巧みですかな」

「失礼な。ちゃんと先を考えた健全な計画だよ!」


 利権を確保するためには、ギルドが設置されるよりも先に終わらせておきたいのだよ。現状なら脱税し放題という冗談はさておき、この国も製パンギルドの力が強いみたいでね。後からやれば確実に邪魔をされ、高確率で奪い取られて最後は物理的に潰されると思う。




 そうして掃除ばかりが続くある日、孤児の一人が大慌てで私の素敵なお店に飛び込んできた。

 比較的ましだった上階は粗方終わり、そろそろ泥が乾いてきただろうと地下への階段に取り掛かるところだったので見落とさずに済んだ。


「何かあった? 事故?」

「誰かきた!」

「誰かって、村の人?」

「たぶん騎士!」


 こんな廃墟にお貴族様の抱える騎士が訪れる用件なんて思い当たらない。領主からの通達は届いていないし、領都でお世話になった大店の店主からも連絡がない。

 いったい何事かと三人で顔を見合わせ、考えてもわからぬと丸太橋の出入り口へ急ぐ。その途中で喧しく騒ぐ不審な人影を見つけた。


「お姉さま~?! どこですか~!」


 大荷物を背負った騎士風の少女が、辺りをキョロキョロと見回しながら大声を上げている。


 お姉さまって何だろう。生き別れの姉を探す旅の最中なのかな。兜を被っているから髪色まではわからないけれど、上げられたバイザーから覗くその顔つきはとても綺麗な子だった。

 おそらく、貴族関係の捨て子が集うあの村を探してみても空振りに終わり、すぐ傍にあるこの町まで足を伸ばした――という線が濃厚だね。

 ひとまずは声を掛けて、ここに目当ての人はいないことを教えてあげよう。


「あの~、こんな廃墟に何かご用で? ここには住人なんて――」

「お姉さまはどこなの!?」

「……お姉さまとは?」

「お姉さまはお姉さまよ。早く出しなさい。ここにおられるのでしょう!?」


 もしかすると、マチルダさんの子猫チャンが勘違いしてやってきたのかな。私があちこちに話を広げたことが原因で、勢い余って押しかけたのかもしれない。

 しかし、マチルダさんは実家絡みの諸事情とやらで、いつ来るとも決まっていないのよね。


「マチルダさんならいませんよ」

「誰ですか、それ。わたくしのお姉さまはサラさまだけです!」

「――は?」


 その言葉に固まる私とは裏腹に、少しずつ単語を覚えていたエミリーとシャノンが姉とサラという部分に反応したようで、驚きの表情と疑惑の眼差しを向けてくる。


「姉ってどういうこと?」

「あの人、サっちゃんの妹?」

「知らないよ。記憶にないもん」


 そんな情報は脳内メモに一切載っていない。……まさか、腹違いというやつか?

 まったく、あの男ときたら。居なくなっても迷惑ばかりを掛けてくる。彼女の見た目から判断したら私と同い年か、一つくらい前後する程度にしか見えないのだけれど。

 これが事実だとすれば、私がまだお母さんのお腹の中にいたころか、生まれてすぐに関係を持っていた誰かがいるということになるよね。日頃はそんな素振りすら見せていなかったのに、なんと素晴らしい人生だこと。


 私が心の中で悪態をついていると、首を傾げた騎士風少女が話し掛けてくる。


「もしかして、あなたがわたくしのお姉さま?」

「姉ではありませんが、私がサラです」

「まあ、お姉さま!」

「違うってば」

「いいえ、お姉さまです! お会いしとうございました!」


 その後も、まるで流れる水のようにつらつらと述べる話を聞いていると、この人は貴族――それも伯爵のご令嬢であり、勲章授与式で私が床に転がした近衛騎士団の団長、セドリック・カウント・オヴ・ウォードの娘で、ヴァレリア・ウォードというらしい。


 古くから続くエマ王国における歴代の近衛騎士団長でも、上位に食い込むほどの実力を持つ彼を負かせたという噂を聞きつけ、居ても立っても居られず家を飛び出してきたのだとか。

 すわ敵討ちかと思いきや、どうやら事情が違うようだ。


「日頃から偉そうにしていた父を打ち倒されたお姉さまに痺れました!」

「……そうですか。苦労したんですね」

「ええ、本当に。何かにつけてクドクドと……。お姉さまにわかっていただけて光栄です!」


 正直に言って、近衛騎士団の団長さんはあまり印象に残っていないのだけれど、なんとなく親近感が湧いてくるよ。同じく父親に苦労させられている者同士、仲良くできたらいいね。

 ただし、この急な押しかけと、相手の話を聞かないところは少し苦手かも……。

 それより、お姉さまってなんぞや。


「気になってたんですけど、お姉さまって何ですか? 血の繋がりはありませんよね」

「……お姉さまはお姉さまでしょう? それ以外の何だとおっしゃるのですか?」

「いや、だから、どうして姉なのかという――」

「それはもちろん、お姉さまだからです!」


 私はただの商人だよ。それもまだ見習いだよ。妹も弟も居ないよ。居たら居たでかわいがると思うけれど、この人は、ちょっと、なぁ……。もしも親しみを込めて呼んでいるだけなら、段階を踏んでからにしてもらいたい。実の父親がアレなので、本当に妹が出てきても簡単には疑えないのよね。……一応、妹も弟も居るし。


「そこで、どうかお傍に置いてくださいませ。いかな仕事でもいたします!」

「ほう……今、何でもって言ったね?」

「はい!」

「じゃあ帰って」

「はい!」


 気持ちのよい返事だけを残し、笑顔を浮かべてすたこらさっさと走り去っていった。

 いったいあの人は何だったのか。私と会えたことで目的は達成したのかな。


「どっか行ったけど、結局誰だったの?」

「よくわかんない。騎士団長の娘だってさ」

「この前サっちゃんが倒した人? 近衛の団長なら貴族だろうね」

「うん、そう言ってた。伯爵令嬢みたい」


 あまりお嬢様らしからぬおかしな娘だったけれど、貴族に連なることは変わりない。

 つい追い返してしまったこの対応が後に響かないよう祈りながらお店に戻り、地下へ通じる階段の掃除を再開した。




 いつもの水竜巻をここで使うとせっかく乾き始めた泥に元気が戻ってしまうので、木の棒と箒を使って少しずつ砕いて掃き落としていたら、ふと思い出したことがある。


「――あ」

「どうかした?」

「わっ――ちょっとサラ! こっち飛んできた」

「あぁ、ごめんエミリー。あのね、城から誰か手伝いに寄越すって、領主から聞かされてたことを思い出したんだよ」


 もしかして、あの人がその手伝いだったとか?

 彼女は家出同然で飛び出してきたと言っていたから追い払ってしまったけれど、外聞を恐れた伯爵家が内々に処理をして、私の手伝いという体裁を整えていたのかもしれない。

 この予想が正しければまた戻ってくるわけで、早めに受け入れる覚悟を決めなければ。


 それに、まさか貴族の娘が派遣されるとは想定外だよ。王城勤めの大臣と繋がりがある平民――王都で展開される大商会の主人や、ギルド内でも力を持つ工房の親方さんだと思い込んでいたから、いくつかの予定も修正しなければまずそうだ。


 話に出てくる大臣とは、この国において私の後ろ盾みたいなものだろうし、何か問題が起これば田舎領都の領主を通して泣きつくつもりだった。それなのに、すぐ近くに貴族がいたらそちらを立てないとメンツが潰れるとかで厄介なのよね。どうせ頼るのなら、強い力を持っている人のほうが安心できるだけに面倒だ。

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