#111:特等席

 掃除をしただけで終わった初日以降も念入りに汚れを落としていき、食品を扱えるくらいの清潔さを得るころには数日が過ぎていた。その間に、懐中時計の製作を頼んである姉弟を一時預かり先の工房に紹介してあるよ。


 掃除が終われば足りない家具の運び入れだ。移動は私のスタッシュで楽ができても設置は人力でこなさなければならず、テレキネシスはやはり使い物にならなかった。ある程度練習していてもふらふらした動作になってしまう。賃貸で傷を付けると退去時に修繕費用を請求されかねないので、身体強化を施した冒険者が大活躍していたよ。


 そんなお母さんだけれど、どうやら運び入れた荷物の具合からしてここに住むつもりらしい。既にブルックの町にある商人ギルドで申請も出し、もはや私の荷物と使い道のない売れ残り商品しか残っていない実家はお向かいの伯父さんに後を任せてきたのだとか。私が成人すると同時にすべての権利を譲渡されることに変わりはなく、それまでの管理をお願いしたのだってさ。


 いきなりの話すぎて、買い物に訪れるお客さんたちの困り顔が……いや、連日に渡って開店休業状態なのだからそんな人はいないのか。数少ない常連さんには既に伝えていたみたいだし、贔屓の工房にしても私から移転の打診を入れているので、特に不便なく事が運んでいたようだ。


 掃除が続いたことによる疲労を回復するために丸一日の休みをとって、その翌日には当面の資金をお母さんに託しておく。そして、廃墟で店舗を構えるために掃除道具一式を持った私たち三人組は、短距離転移の連発でケルシーの町へ向かった。




 ここでの第一歩として、私のお店となる建物を決めよう。

 先日に訪れたときから目星は付けてあるので迷いなく歩いていき、立派な柱に挟まれた壁には何かの彫刻が施されている三階建ての巨大な石造家屋の前までやってきた。


「誰もいないうちに一等地をば……」

「別にいいんじゃない?」

「うん、サっちゃんが整えるんだし」


 今なら誰からも邪魔をされずに選び放題なので、ここを占拠するのは当然でしょう。

 海に面した最も外側に位置し、港との間には馬車同士がすれ違っても十分に余裕のある広めの通りしか存在しなくて、沖合の島すら見えるほどに眺めも良好な特等席だよ。


 ちなみに、港と繋がる通路の出入り口と向き合っている建物は避けておいた。ここにはギルドみたいな組織的なものを置いたほうが何かと便利そうだからだ。実際に内部を見たらそれっぽい作り――豪華なお役所みたいな感じだったので、この町が機能していたころも同じように使われていたのだろうね。その隣を陣取った私はガメツいと言われても何とも思わない。これでも商人ですから。


 もう誰になんと言われようとも私のお店となったそこに足を踏み入れると、一階部分は何かの倉庫として使われていたのか、太い柱しか視界を塞がない割と広めのホールになっている。床は一面にモザイク調の飾りが埋め込まれているものの、残念なことに砂埃が邪魔で絵柄に察しが付かない。その奥にも部屋があって、ホールと比べたら控え室程度の小さなものだ。両端には上階への階段が二箇所も作られており、その裏側に回ると地下もあるようだけれど、少し下りた階段の先からは水浸しで進めないという悲惨な状態だった。


「う~む……。広さは十分すぎる分、問題は掃除なのよね」

「手伝うのは別にいいけど、これ全部はいくらなんでも無理だわ」

「王都のでも結構かかったのに、この広さだと何日だろう……」


 そうは言っても掃除をせねばどうにもならず、最上階となる三階から手を付けた。


 長年放置されていたせいで上階までもが砂埃だらけになっていて、ボロボロの鎧戸しかないためか、二階の広間や調理場を思わせる小部屋も、大部屋ばかりの三階もひどい有様だ。

 それらは私がシャノンに魔力を供給しながら、水と風を合わせた小さな竜巻で吹き飛ばしてもらってみても、こびり付いた汚れまでは簡単に落ちなかった。仕方なくタワシでゴシゴシと擦っていたのだけれど、先を思えばさすがに音を上げてしまう。


「……もうさ、ダメ元で村の人たち雇ってみようか」

「それしかないわね」

「そうしよう、そうしよう」


 少し多めにお給料を出せば好感度も上げられるかもしれないし、それで話を聞いてくれるようになればラッキーだという打算を秘めて、廃墟の町から外の村へと向かった。

 この話がうまくいけば、何よりも先に橋を渡さないといけないね。あの人たちが飛翔の魔術を使えるとは限らないので、このままだと不便すぎるよ。




 廃墟の町から重力を操る魔術でふわりと飛び立ち、川を越えてからは自分の足で歩いていく。すると、またあいつらがやってきた――というような視線の集中砲火に晒された。

 しかし、この程度でめげていては話が進まない。


「あっちの廃墟を掃除してくれる人はいませんか~? 相場より多く出しますよ~」


 注目が集まっているうちに声を上げてみたものの、顔は向けられてもそれ以上の反応がない。

 何度か繰り返してみても返事はなかったので、もう直接捕まえて勧誘する。


「こんにちは。お時間ありませんか? 割りのいい仕事ですよ」

「……金なんかあってもなぁ」


 何言ってんだこいつ。理解できない。もしや底なしのバカなのか?

 そんなことが表情に出ていたようで、相手のおじさんには顔を顰められた。


「あんた国外の人間だろ。どういう経緯で来たのか知らんが、ここで商売は諦めな」

「……どういうことですか?」


 またもや心底嫌そうな顔をされたのだけれど、お腹の虫が『ぐー』と鳴っていた。

 空腹が原因で機嫌が悪いのなら、それを満たしてやれば当たりが良くなるかもしれない。


「立ち話も何ですし、よかったら何か食べながらでも」

「ここに店なんかねえよ」

「では、廃墟で開くお店の商品はいかがでしょう?」

「商品だぁ?」


 そこでコロッケを差し出してみると、以前の青年と同様に警戒してはいるものの、一口食べたら目を見開いて『うめえ! なんだこれ』と周囲の人たちに手招きし始めて騒ぎとなった。


「ちょっとちょっと、どうなってるの?」

「サっちゃんが何かやらかしたに決まってる」

「待って、違うから。コロッケおいしいって騒いでるだけ」


 この国の言葉がわからない護衛の二人は、おじさんが人を集めだしたことで臨戦態勢に入っていたので慌てた私が止めておく。そして、わらわらと寄ってくる子供を皮切りにして、主婦と老人の姿も見えてきた。


 今こそが働き手を得る絶好のチャンスなのではないかしら。いや、その前に、商売にならないという理由が気になるし、水害のことも忘れていない。それらすべてを尋ねるなら、今を逃せば難しいでしょう。


「私はグロリア王国から来た商人です。よかったら、ここの事を教えてください」


 集った人たちに一つずつコロッケを配っていき、その対価に話を求めてみると、この土地は捨てられた子たちが暮らす場所なのだとか。




 昔々、エマ王国が今よりも力のあった時代。

 貴族が愛人を住まわせるために用意されたのがあの廃墟なのだそうだ。


 元々は港町として栄えていたらしく、木を隠すなら森の中、人を隠すなら人混みの中ということで、何かと便利な一部の土地を貴族が強引に買い取って愛人に宛がっていた。ここが港町だったことも災いして、愛人を連れてバカンスへ出かけるために都合が良かったのだろう。


 そうして次々に土地が買収されていき、この町はある意味で注目の的だった。

 しかし、そればかり続いては港町として機能しなくなり、衰退が始まったのだ。


 おそらくはどこの誰それの愛人という立場を笠に着て召使いなどをこき使い、商人や職人にも頭を抱えるような注文ばかりを繰り返し、彼らの業務にも支障が出たのだろう。無理難題に応じるためには時間と資金が必要だし、その余裕がなくなればいくら上客相手とはいえ愛想を尽かして当然だ。


 その後は政変が起こり、次代からは邪魔になった子供をここへ捨てるようになる。

 この時点で商人と職人の大多数は町から去ったらしい。

 貴族との繋がりが保てるなら我慢するけれど、捨て子から親の力を引き出すのは難しい。


 そして、増え続ける捨て子と反比例するように町の人口が減り始めた頃合いに、なぜか川の工事――ダムの建設が行われ、町を覆うその川が大規模な水害を引き起こしたのだ。

 それによって当時の住人は海へ押し流され、町そのものにも甚大な被害が及んでいた。


 さらに、これだけの事があったにもかかわらず、復旧工事は話すら持ち上がらない。しかも、川の氾濫は度々起こり、辛うじて生き残った者たちも町から姿を消した。

 そうして、お金がなくて最後の行き場すら失った彼らの祖先たちは、水害を免れた家を使って自給自足で暮らすようになったそうだ。


「酷い話ですね。川の工事だって……」

「貴族がクソなのは今に始まったことじゃねえ」

「ええ、よくわかります。私も散々な目に遭いましたから」

「ほう……。身なりの割りには言う嬢ちゃんだな」


 僅かなお給料をコツコツと貯金し続けて作ってもらった商品サンプル――リンコちゃんが壊された一件を、なんだかんだで集まってきた皆の前で涙ながらに熱く語ってみれば、同情心か、はたまたコロッケのおかげなのか、村の人たちには生暖かく受け入れられた。

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