#097:悲憤慷慨

 実のところ、私はこの状況を予期していた。

 家に届いた書状のサインは、ライアンと読めなくはなかったからだ。

 あの時は赤の他人であると判断を下していた。どこの誰が自分の父親を王様だと思うのか。


 しかし、それがこの有様だ。いったい何がどうなっている。

 あれが国王であるならば、お母さんは妃に、そして私は姫になってしまうではないか。


 なぜ、一国の姫ともあろう者が日夜貧困に喘ぎ、命を賭してまで危険な場所へ行商に赴き、あまつさえぼったくり続けて小銭を稼がねばならないのだ。

 お姫様といえば何不自由なく暮らし、頭の中が年中お花畑で、どこぞの悪党に攫われたり、不興を買った魔女に陥れられたりして、素敵な王子様に助けられるものではないのか。


 私は誰に貧困から救われた? 答えは簡単だ。自分自身でどうにかした。

 少なくとも、目の前で笑っているあの男ではない。


 貧富の格差が著しいこの国であっても――いや、この国だからこそ王族は豊かであるはずだ。

 それなのに、銅貨デニエの一枚すら仕送りが届いていない。

 自分は贅沢三昧ぜいたくざんまいの王宮暮らしで、捨てられた妻子はパンを恵んでもらうほどの極貧生活。

 こんなもの、許せるわけがないでしょう。


 お母さんもきっと同じ苛立ちを味わっていると思い、そちらへ顔を向けてみると恋する乙女のような表情を浮かべ、感極まったのか涙が一筋流れていた。


 自分を捨てた夫が手の届く位置にいるというのに、どうしてそんな顔をできるのか。

 悔し涙を流すのならわかるけれど、頬を赤らめる心境が理解できない。

 私なら、今すぐこの場で刺し違えてでも殺してやりたい気分なのだから。


 ふつふつと湧き上がってくる誰に対してなのか判断がつかない怒りに震えていたら、授与式は粛々と進んでいたようで、気が付けばあの男が私の前にいた。


「では、最後に。一介の行商人見習いでありながら、迷宮においては他者にも手を差し伸べ、その討伐を成功に導いた功績。及び、我がエマ王国を含む周辺国家へ安寧をもたらした勲功を称え、ここに陽光照恵双勲章を与える」


 私にもわかる言葉と共に差し出されたその手には、リボンのような帯と繋がる勲章――日輪を模したと思われる円い金色のメダルが微かに揺れていた。


 勲章……。勲章ね。ただ持っているだけで定期的にお金を貰えるという勲章か。

 しかし、こんな物を渡されても何の役にも立たない。

 それどころか、ただの足枷にしか過ぎないのだ。


 なかなか受け取らない私に焦れたのか、あの男は『がんばったな、サラ』とささやき、笑った。

 その瞬間、私の怒りが破裂した。




 未だに差し出されたままの手から勲章を掴み取り――投げ捨てる。

 私が放り捨てた勲章は音を立てて床に転がり、その音が収まったころには、衣擦れや呼吸音すらない完全な静寂が訪れた。

 そして、あの男がその静寂を破る。


「お、おい、サラ。どうしたんだ?」

「……その名で私を呼ばないで」

「……ん? 何だって?」

「勝手に、名前で、呼ぶな!」


 私は忘れていない。サラという名前はお母さんが寝ずに考えて付けてくれたのだ。

 その由来を思い出したくはないけれど、お母さんを捨てたお前が口にしてよいものではない。


「……サラ?」

「ねぇ、なんでお母さんを捨てたの? 王様ってそんなに偉いの?」

「それは……」

「で、この勲章は何? 要するに首輪でしょう? いまさら惜しくなって呼び付けたの?」

「いや……」

「見たよ、この国。酷いよね? 酷すぎてびっくりしちゃった」


 ただ貧しい者が多いことから荒れた土地が目立っているのかと思ったら、うまく隠そうとしていたようだけれど、魔物に襲われた痕跡を見つけたことがある。


 小国といえば小さな国だ。それが集まった小国群でもやはりまだ小さい。

 しかし、移動時間から計算すると、各々が持つ国土は狭いわけではないのだ。

 小国といわれる由縁は勢力が弱いことであり、つまりは経済力の乏しさに直結する。

 よって、領土の割りには人口が少なく、空いた土地には魔物や無法者が住み着いてしまう。


 そこで、迷宮討伐を果たしたチームを呼び寄せ、豪奢な館で分不相応ともいえる待遇で持て成しておき、持っているだけでお金が貰える勲章を与え、好印象を抱かせてこの国に留め置く。

 ひと言で表すならば、体のよい番犬に仕立て上げたいのだろう。


「全然統治できてないよね? それでも偉い偉い王様なんでしょう?」

「……」

「何か言ったらどうなの? どうせお母さんに近付いたのも、これが目的だったんでしょう?」

「――違う。そんなわけがあるか!」


 そこで物音が聞こえ、玉座の傍で控えていた屈強な騎士があの男の前に身体を割り込ませ、壁際に控えていた騎士の列も私たちを包囲するように動き出したようだ。


 会話の最中に邪魔をするとは、この人たちも何様なのだろうね。

 まともな答えは一つも返ってきていないし、邪魔者はさっさと排除しておきましょう。


 私は加速させた熱波を全方位へ放ち、包囲を狭めている騎士たちに当てて弾き飛ばした。

 ところが、倒れた騎士は僅かしかおらず多くの者は耐えきってしまい、さらに勢いを増して駆け寄ってくる。


「エクレア、後ろ側お願い!」

「ぷも!」


 首輪にコサージュをつけておめかししていたエクレアをスタッシュから解放し、私はあの男を庇うように前へ出た屈強な騎士と対峙する。


「事情を存じてはおるが、其方の言動、これ以上は見過ごせん」

「私はそれ以上に許せないだけです。退いてください」


 この人もグロリア王国の言葉を使えるらしい。

 しかしそれに続くものはなく、屈強な騎士は無言のままで腰の剣に手を掛けた。

 それに対して、私は即座に加速させたテレキネシスを使い、剣の先が鞘から離れる瞬間を狙い撃ってはたき落とす。

 すると、硬い音が室内に響き渡り、手の内から重みの消えた騎士の目が鋭く細まった。


「本気でやりたいんですか? 怪我けがをしたくなかったら退いてください」

「――ほう?」


 私の警告を耳にした屈強な騎士は、額に青筋を走らせて筋肉が悲鳴を上げそうなほどの身体強化で全身を漲らせていき、床に転がる剣も拾うことなく拳を振り上げて殴りかかってきた。


 あんなに勢いをつけてゴツいガントレットで殴られたら、たんこぶ程度では済まされない。

 よくて部位粉砕。陥没骨折で済めば儲けもの。おそらくは、死ぬ。即死だろう。

 そんな目には遭いたくないけれど、この人は仕事でやっているのだから私が本気を出すわけにもいかない。


 であれば、私自身に加速の魔術を行使して、不安定な体勢で躍りかかる屈強な騎士をテレキネシスで床に倒しておき、色褪せた世界から抜け出したら勝利宣言を口にする。


「小娘一人も止められないなら、騎士なんて辞めてはいかがでしょう?」

「は、速すぎる――」


 戦意喪失とまではいかなくとも、これで私たちに対して迂闊な手出しはできなくなったはず。……なのだけれど、速すぎると言うなら見えてはいた……? いや、まさかね。




 この一件の影響なのか、今までかなえの沸くが如し騒々しかった室内は水を打ったように静まり返っており、誰も彼もが一様に動けないでいる。

 そんな時に、玉座の脇に下げられている垂れ幕の陰から、赤子を抱える女性の姿が見えた。

 顔つきはかなりの美人なのだけれど、あまりにも派手な装いで頭の中がお花畑だとしか思えずに見つめていたら、あの男もそれに気付いたようだ。


「ねぇ、あれは誰?」

「…………妻と、息子だ」


 耳を疑いたくなる言葉が聞こえたような気がするのだけれど、早くも呆けたのかしら。

 これが事実だとすれば、この男はあそこの女性とよろしくやって、子供を拵えた上で捨てた妻子を呼び付けたことになる。


 さすがにここまでとは思わなかった。思いたくなかった。

 何らかの事情があって国へ帰ったとしても、それが小国の王様であろうとも、事業がうまく回るようになれば家に帰ってくると信じていたかった。

 それなのに、現地でどこぞの女性をめとり、子供まで産ませているのだ。

 私がこいつとわかり合うことは今後一切ない。断言する。もう勝手に暮らしていたらいい。


「サラ――いや、其方の積憤はわかった。要求をすべて呑もう。望みを申してみよ」


 これはまさか、許してほしいから好きな物を何でも買ってやるって意味なのか?

 そんな事をされても私は許すつもりなんてない。まったくない。微塵みじんもない。

 実現不可能な何かを適当に吹っ掛けてさっさと家に帰ろうではないか。


「……広い土地と腐るほどのお金」

「なんだ、そんなものでよいのか。立派な屋敷もつけてやろう。皆で住むとよい」


 待て、なぜ承諾しているのだ。

 国王といえども土地を勝手に切り取る権限はないだろう。金銭にしても同じだ。

 現に、今も宰相の老人が慌てて抗議の声らしきものを上げているし、赤子を抱いた妃もイラついた視線を私に向けてきた。

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