#090:迷宮の味

 足から徐々に溶かされていくゾンビを見届け、それが胸元にまで達したあたりで場を離れた。

 そして、中層よりは出現頻度が下がった代わりに、強さやしぶとさが大幅に向上した魔物を倒しては先へと進む。休憩を兼ねて交代で仮眠をとっていたら新たな魔物が現れて、その姿を目にしたお母さんが張り切って迎撃を行う。


「出たわね。サラ、あれの後ろに回ると危ないわよ」

「わかった。ここでエクレアと見てるよ」


 なんとはなしに嬉しそうなお母さんだけれど、相手はドデカい蜘蛛なのよね。

 メタボヘビとは比べものにならない俊敏さだし、お尻から出される細い割りには頑丈な糸で身体を絡め取られると大変なのに、喜ぶ要素が見当たらない。


 私が戸惑っている間にも、お母さんは周囲に張られた蜘蛛の巣をかいくぐって剣を振るった。

 その攻撃により、一対の触肢と鋭く尖った鎌状の鋏角が切断されて逃げに転じた巨大な蜘蛛の後を追い、腹部の先から吐き出される糸を風の魔術で吹き飛ばしながらも近付くと、残りの足も順に切り飛ばしている。そして、胴体部分だけになったら即座に頭部と胸部の境目あたりを切り裂いて、体内の魔石を弾き出した。

 その後は来た道を引き返し、切り落とした足を拾って数え始める。


「一、二、三……七、八、これでよし。サラ、ご飯にしましょ」

「あ、うん。何がいい?」

「何って、目の前にあるでしょ? マヨネーズつけて食べてみたかったのよね」

「目の前って……エクレア食べるの? いくらお母さんでもダメだよ」

「ぷも!?」

「違うわよ。ほら、これ。蜘蛛の足」


 蜘蛛を食べることがあると聞いてはいたけれど、これは大きすぎやしませんか。

 今の今まで、小さな蜘蛛を油で揚げるものだとばかり思っていた。

 それが小柄な人間と大差ないくらいに巨大な蜘蛛だなんて想定外だよ。


「今までも蜘蛛倒してたけど、全部燃やして処理したよね?」

「あれは毒持ち、これは平気な種類なのよ。さぁ、焼いて食べましょ。おいしいわよ」


 とりあえず、言われるままに加熱の魔術で焼いてみたけれど、これを口に入れる勇気はない。

 そんな私へ見せつけるかのように、口を大きく開けたお母さんが剥き身にかぶり付いた。


「ふふふ……これよ、これ。これぞ迷宮の味ね! ほら、サラも食べてみなさい」

「う……」


 私が躊躇ためらっているとお母さんがさらに勧めてくる。ネズミどころかゾンビまでもが徘徊する下層で何を食べていたのか知らないけれど、他の魔物もいたからきっと大丈夫だと思い込んで一口だけかじってみれば、まこと悔しいことにおいしかった。

 それでも、さすがにこれを全部は食べきれないので、私とお母さんで一本、エクレアだけで一本を消費して、残りは時間をき止めてスタッシュに入れておいたよ。




 臭みや苦みも特になく、独特の甘みでお腹がいっぱいになってからも暗い一本道を進む。

 黒々とした外殻さえ取り除けば高級食材と評しても過言ではなく、クリームコロッケの材料に最適ではないかと思い当たったので、渋るお母さんと交渉した末に半分だけ貰い受けた。


「あんなに嫌がってたのにねぇ……」

「だって、これ絶対に売れるよ。行列間違いなしだって!」

「本当に痛むのが早いから気を付けるのよ?」

「ちゃんと時間止めてあるから安心して。それよりも、前方に敵影多数」


 魔物には群れる習性でもあるのか、今歩いている通路の先には小規模な集団が陣取っており、魔力を迸らせて何やら争っているという情報を魔力支配から得た。 


 これはもしかすると、エミリー・シャノン・マチルダさんのチームが居るかもしれない。

 別れ道があれば上を選ぶように決めていたから、繋がり次第ではどこかで合流しても不思議はなく、そうであれば群れに襲われているわけであり、私たちは急ぎ駆けつけた。

 ところが、幸か不幸か皆の姿はあらず、ただの同士討ちというか、いつもの光景だった。


「これはちょっと……多いわね」

「逃げるなら任せてよ」

「戻っても他に道がなかったでしょ。ここを越えるしかないわ」

「それじゃあ、突っ切る? この先は十字路みたいだし」

「ここで処理しておかないと、あの子たちが遭遇したら危険よ。たぶん倒しきれないわ」

「だったら私も支援するから片付けちゃおう」


 戦闘態勢に入った本気モードのお母さんが戦場へ飛び込み、周囲に魔術を飛び散らせる例の戦法で以て小集団を相手にし、私は離れた場所からロックキャノンモドキで支援射撃を行う。

 エクレアにもお母さんを手伝ってもらいたいけれど、あの嵐の中へ突入させるわけにもいかないでしょう。そこから抜け出てきたり、背後から襲ってきたりする魔物に備えて、私の近くで待機させておく。


 中層のオアシス前で待ち受けていた数には遠いものの、一体一体が非常に強力な魔物が群れで襲ってくる。お母さんといえども楽に倒し続けることはさすがに厳しいようで、何度か危ないシーンを目撃してしまい肝が冷えることも多かった。

 そのたびに私が岩を乱射して威嚇や牽制、時には会心の一撃を浴びせて少しずつ魔物を減らしていき、その数が残り僅かとなったあたりで事件が起こった。


 積み上がった死体の山を防壁のように使っていたお母さんだけれど、その防壁の中には生き延びたトカゲも混じっていたようだ。ゆっくりゆっくりと気付かれないように迷宮の壁を天井まで上り詰めたのか、今まさに死角から襲い掛かろうとしている。


 それを見つけた瞬間に知らせようと思ったけれど、下手に声を掛けて周りへの対処が疎かになっては元も子もないだろう。腕輪を振動させようにも魔力の多量消費問題が持ち上がる。

 これはもう、私が一撃で討ち取るしかない。

 しかし、私の射撃精度ではロックキャノンモドキを放っても命中させるのは難しい。

 ここは加熱や重力制御など別の手段を執るべきか――いや、もう、迷っている暇はない。

 私は天井へ向けて全力の加熱を放った。


「――きゃあ!」

「あっ……」


 私の加熱を受けて灼熱の色に染まった天井が、トカゲ諸共ドロリと溶けてねっとり垂れた。

 そして積み上がった死体の山に引火して、周囲を明るく照らす灯となるのである。




 あの惨状でも、お母さんは悲鳴以外にあまり動じることなく最後の一体まで倒しきった。

 それからしばしの時が経ち、赤熱化していた岩や土が落ち着いた色合いとなり、周囲に漂っていた生物の焼けた異臭に鼻も慣れたころに、疲れ切った表情のお母さんが静かに口を開く。


「……サラ。お母さんが言いたいことはわかる?」

「一歩間違えたら巻き込んでました。ごめんなさい」

「そうね。それもあるけど、場の魔力は有限なの。使い切ったらダメなの。わかる?」

「まさかそんなに減るとは思わなくて……」


 あの加熱が要した魔力はこの場に漂うすべてだったようで、戦闘を終えたお母さんの魔力が一向に回復しなくてお冠だった。

 いつもの方法で魔力の補給をしても私の中から押し出されるだけで、魔力支配に問い合わせたらこの付近一帯の魔力は枯渇していると返ってきたよ。


「迷宮ならすぐに流れ込んでくると思うけど、今後は少し控えなさい。次は普通に声掛けてくれても大丈夫だから。ね?」

「はい……」


 以後の安全が保証されているような、その場限りの戦闘なら魔力を存分に使ってもよいだろう。しかし、いつ襲われるかわからない危険地帯で同じ事をすれば怒られて当然だった。

 魔力回復促進剤なんて私たちには不要だから持ってきていないし、お店に並べるにしても、魔力不足に陥ったお客さんが休息を求めて早々に戻ってくるほうが売り上げに繋がるので、今のところ取り扱う予定がない。

 これからは魔力支配とにらめっこして場に漂う魔力を計算しながら魔術に及ぶか、私の中にある魔力だけでもやっていけるように練習するのは急務かも。




 溶岩シャワーに巻き込まれなかった魔物から売れそうな部位や魔石を拾い上げ、残った死体は徘徊中だったスライムに任せて先へ進む。

 すると、またもやゾンビのようにのろのろと歩いている小型の魔物を見つけた。


「なにあれ。亀?」

「脱皮中にゾンビ化したんでしょ。それよりも、すごい匂いね」

「ぷもぅ……」


 未だに鼻がバカになっているのか、今ひとつ匂いが伝わってこない。

 あまり強い魔物ではないらしいので警戒しながら近寄ってみてもピンとこず、それどころか薄いお味噌みその香りしか感じられなかった。


 もしかすると、世にも珍しい脱皮中のゾンビにはお味噌みそが詰まっているのかもしれないね。

 お酢やお醤油しょうゆの虫はいたのだから、お味噌みその亀がいても不思議はない。

 ただ、前世でも虫の体液は着色料として使われていたから受け入れられるけれど、お味噌みそといえども腐った内臓はさすがに御免被りたいや。……あれ、よく見たら匂いの元は卵かも。


 こんなことが体感で二・三日ほど続いたころに、細い通路を辿っていると見覚えのある道に出くわして、脳内メモと照らし合わせてみればオアシスへ続くものに相違ない。

 ようやく帰り道を発見して安堵の息をついたのも束の間、連絡用の腕輪がブルりと震えた。

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