#089:魔石とは

 気分的なものだろうけれど、下層は非常に暗くてランタンの灯りだけでは心細さを感じる。

 先ほど私が発した軽率な言動を叱られたこともあり、硬い土と岩だらけの通路を会話も弾まないままに歩いているから、周囲の暗さがより引き立っているのかもしれない。

 そんな時に、前方から魔力を持った何かが近付いてくる――と魔力支配に警告された。


「お母さん、前から二体くるみたい」

「わかったわ。お母さんに任せなさい。……ライト!」


 腰にさげる剣を抜いたお母さんが照明の魔術を唱え、戦闘態勢に入った。

 その邪魔をしないように少し離れた所から前方を見据えていると、足音も発さずに這い寄ってくる魔物が視界に映り込む。ところが、それがヘビであることはすぐにわかっても、今まで目にしてきた同類と変わらず丸太のような太さを持つ割りには、その身が台形を思わせるほどにふくよかだった。


 ヘビと言えばスマートさが素敵なのに、あれはどう見てもメタボさんだ。

 こんな下層で何を食べているのか知らないけれど、ヘビの魅力が激減しているよ。


「ヘビースネイクだわ。一度でも絡みつかれると抜け出せないから気を付けなさい」

「わかった」


 ただ締め付けられるだけでなく、ぶよぶよの腹肉が身体に貼り付いて動けなくなるのかも。

 あれだけ肉付きがよければ贅肉ぜいにくバリアでダメージも通りにくそうだし、意外と理にかなったスタイルだったりしてね。


 そんなヘビースネイクが間近に迫り、先手必勝なのかお母さんが鋭く斬りかかったものの、重そうな見た目とは裏腹に俊敏な動きを見せて横っ飛びにかわされてしまった。

 その際に、反撃なのか口から濁った液体を吐き付け、それと重なるように同種の攻撃が奥からも飛来して、お母さんが私の近くまで飛びすさって避けている。


 姿を見せずに攻撃してくるとは、二体目の魔物はいったいどこにいるのやら。

 もしや目に映らなくする魔術でも使っているのかと魔力支配で周囲を探ってみても、ヘビースネイクと寄り添うようにして真後ろにいるという答えしか得られなかった。


「お母さん、攻撃してくるのに見えない二体目がいるよ」

「……あぁ、魔物はあれだけよ。よく見てみなさい」


 その言葉に従い目をこらしてみれば、尻尾の先にもう一つの頭があるようだ。

 魔力支配が告げた二体の魔物とは、このような意味だったらしい。


 種がわかればどうと言うことはないね。あまり見慣れない構造の魔物というだけだった。

 両方の頭を潰すまでは動くみたいだけれど、同時に破壊する必要もないそうなので、すべてはお母さんに任せることが最良の手段かも。


 そう決めてからの私はエクレアと共に戦闘を見守り、的は大きいのに素早い動きのせいで多少手間取っていたものの、お母さんはヘビースネイクの頭部を着実に潰していき、かすり傷も負わずに完封勝ちを収めていた。


「お疲れさま、お母さん。それじゃあ、死体の処理するね」

「待って。これは食べられるのよ。意外とおいしいんだから」


 適当な大きさに切り分けたヘビースネイクの肉を油に漬けて弱火で煮ると、まるで鶏肉のような質感――通称ツーチキンとなるらしい。

 さすがにこのままでは臭みが強いそうだけれど、数ある魔物肉の中では随分とまともな味がするみたいで、保存食としても利用できるから迷宮通いの冒険者には好まれているのだとか。


「……なんでツーなの?」

「ツインヘッドスネイクの一種だからでしょ。ヘビーは脂身も多いから楽でいいのよね」


 もしかしたら、戦闘に手間取っていたのは食材として見ていたからだったりして。

 実際に、かち割られた頭部周りは傷だらけでも体に至っては綺麗なもので、その苦労を考えたら燃やして捨てるわけにもいかず、死体を丸ごとスタッシュに吸い込んだよ。




 見た目の割りには動きが速かったけれど、メタボなヘビが強敵とは思えず、他に襲ってくるトカゲやサソリなどもお母さんがサクサクと倒しては先へと進む。

 もはや下層だからと怯える必要はないね。身構えず気楽にいこうではないか。


 そのおかげもあってかお母さんとの会話も次第に増えてきた。臭みが強いなら月桂樹の葉ローリエやニンニクと一緒に煮込むことがお薦めだよ――とか話しながら歩いていると、またもや新たな反応を魔力支配が知らせてくる。


 今度の魔物はスライムと同等か、やや上回る程度の力しか持たないようだ。

 それが下層にしては珍しく、また動きもかなり鈍いこともあり、お母さんに瞬殺されるよりも先に私が見てやりたい。そこで、魔物の接近は知らせずに黙って歩き、通路の曲がり角からランタンを向けて覗き込んでみたら、そこには我が目を疑う存在がいた。


「ひッ――」


 それを見た私は脇目も振らず逃げ出した。

 なぜ、アレが歩いているのだ。許されない存在ではないのか。この世界の神は何をしている。

 ポンコツなのは重々承知だけれど、いくらなんでもアレはダメでしょう。

 どうせ仕事をサボるのならば、私の身に降りかかる不運を取り除いてほしい。


 そうやって、頭の中で神の怠慢をひたすら糾弾していると、背後から迫った誰かの腕に服の襟元をガッシリと掴まれた。


「ぎゃあああぁぁ!」

「こら! 一人で動かない!」


 あまりに慌てたせいで何の魔術も使っておらず、短距離転移の座標計算なんて出来やしない。

 こんな近距離で加熱を放てば私までもが巻き込まれ、冷却にしても同じ末路を辿るしかない。

 重力を操ろうにも何をどうすれば助かるのかまったく思い浮かばず、もはや手立てがない。


「離して! 離してよ!」

「サラ、ちょっと、暴れないで。……もう、こっち向きなさい」


 闇雲に腕を振り回し、とにかく前へ進もうと全体重を掛けて踏ん張っていたら、急に身体を反転させられてお母さんに抱きしめられ、エクレアが私の足下に身を寄せてきた。


「落ち着きなさい。ね?」

「ぷもぷも」

「うぅ……人間がいたのに腐ってた……顔中ドロドロだった……でも歩いてた……」

「ただのゾンビよ。大して強くないわ」


 そんな事はわかっている。娯楽に疎い私でもそれくらいは知っている。

 ただし、それは創作中においてのみ存在し、私の認識ではいかなる生物であっても死んだら動くことはできず、腐敗微生物の働きで腐食が進み、いずれは土へと還る。

 このことわりは前世と異なるこの世界でも通用する常識であるはずなのに、死体が歩いていたのもまた事実。


 仮に死体が平然と動き回る世の中であれば、町中ですれ違っても何らおかしなものではなく、お客さんとしてお店に訪れることもあっただろう。

 それなのに、私の知り合いは誰も腐っていないし、存在自体を初めて見た。

 これはいったいどういう事なのか。


「……なんで動くの?」

「なんでって、そんなの知らないわよ。家に帰りたいんじゃない?」


 家に帰りたいのは私のほうだけれど、求めた答えと違ったのでもう少し詳しく聞いてみれば、放置された魔石が動力源となっているようだ。


 魔物をはじめとして、人間を含むすべての生物は体内に魔石を持ち、死後も摘出されずにいたらゾンビとなって彷徨さまよい続けるらしい。この状態なら大した害にはならないけれど、そこから腐食が進行して肉体が腐り落ちれば骨だけでも活動できるようになり、なぜか強さが跳ね上がってしまい脅威の存在と成り代わる。


 膂力りょりょくはそれほどではないものの、肉体を持たないことから身軽に動き回り、同じくして的も小さくなって当てづらい上に、神経もないので剣や槍などの刃物では有効打を与えられない。さらに、骨の一本や二本が折れようとも平然として襲ってくるような狂戦士。

 これの動きを止めたければ、魔石を取り除くか全身を木っ端微塵みじんに粉砕するしかないそうだ。


「だから魔石は必ず回収してたんだ。売るためだと思ってた」

「それもあるけど、死体は処理するようにって昔から法で決められているのよ。スケルトンの集団が暴れて滅びた国があるからね。そうならないためにも処理に戻るわよ」


 たとえ死んでいても動くのだから――という理由で遺族がゾンビ化を黙っていたら、感染病か何かで大量の死者が出てしまい、もはや手の付けられない状況に陥り国が滅亡したらしい。

 そんな笑えない話を聞きながら先ほどの現場に戻ると、ゾンビはスライムにまとわり付かれて足下から溶かされていた。


「うわぁ……どこにでも居るなぁ、スライム」

「今ならまだ間に合うわよ。人間は腰の辺りにあるから」


 そこまでして魔石が欲しくはないよ。腐肉がこびり付いて臭そうだし。

 ここのところ支払いに使われる魔石が臭かったのも、これが原因だったりして……。


 ちなみに、スケルトン――骨戦士が朽ちて魔石にも傷が入った場合はゴーストになる。

 これは所謂いわゆる死霊というやつで、物理攻撃は完全に無効化されてしまい、触れるだけでも凍傷を負うらしく、聖職者たちが半ば独占している魔術でなければ撃退は難しいそうだ。

 まったく、もう……ふぁっきんふぁんたじー!

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