#085:ひと冬の恋人

 思ったよりも仕入れが長引いてしまったので、急いで帰宅するとお母さんは既に寝息を立てている。まだ本日最後の鐘は鳴っていないけれど、私の帰りが遅すぎて空腹状態で眠っていたのなら申し訳ないことをしてしまった。

 羊飼いの隠れ家亭から貰ったお土産料理と、閉店間際のお店に滑り込んで買ってきた定食は、時間をき止めてあるからお母さんが起きるまで待っていよう。




 ふと気が付くと、とても落ち着く温もりに包まれていた。

 さらに周囲も随分と明るくて、夜中まで一緒に遊んでいたエクレアは定位置で転がっている。

 これはおかしい。ミステリーだ。時間を早めたやつは誰だ!

 ヘンテコ魔術が暴発したのかと身を起こせば、装備品を磨いているお母さんと目が合った。


「あら、起きたの?」

「あ、お母さん。ごめん、寝ちゃってたみたい。お腹空いてるよね?」

「うん? あぁ、大丈夫よ。さっきパン買ってきたから。机にあったのはお昼にもらうわね」

「……なんてこった」


 いつの間にかベッドに潜り込んだ私がすやすや寝ている姿を見て、やはり疲れを隠していたのだと思ったらしいお母さんが、お向かいのパン屋さんで夜勤明け労働者向きなサンドイッチのセットを買って食べたそうだ。


 こんなことなら保存の魔術は時限解除式にしておけばよかった。

 多少冷めてしまうだろうけれど、何をどうしようとも食べられないよりは幾分ましだと思う。


「そうそう。お母さんね、これから兄さん達と出かけなきゃいけないんだけど、迷宮へ戻るのは早いほうがいいのよね?」

「うん。お昼過ぎの予定だよ」

「わかったわ。それまでに帰ってくるわね」

「あの魔術で飛んで行くから、少しくらい遅れても平気だよ」


 私の言葉に顔をしかめたお母さんは、製パンギルドの面々とピタパンについての話し合いがあるそうで、先に出発の準備を済ませてお向かいの仲良し夫妻と共に出かけていった。


 お母さんが帰ってくるまでに私も支度を調えておかないと。

 連戦で疲れ果てた集団が帰ってくることを想定したら、装備の手入れ用品や肉体疲労を和らげる軟膏なんこうが売れるかもしれないね。最低限しか持っていかなかった砥石や整備用オイルなどを倉庫から補充し終えたら、服用タイプの体力回復促進剤も買い足しておこうかな。




 一つ買えば長く使える砥石はあまり数が出ないので、お母さんが場所を移してしまったのか脳内メモの場所に置かれていない。店舗裏の倉庫を探っても見つからないから屋根裏へ登ってみれば、その一角で棚代わりに積み上げられている値札付きのローテーブルを発見した。


 これって私が仕事を手伝い始めるより前に、お母さんがまとめて買ってきたのよね。

 うちは雑貨屋なのに何を考えているのかと思って尋ねてみたら、自信ありげに『最近は好調だから家具も扱うのよ』とか言っていたっけ。

 その結果がこの有様なのだけれど、こんなところで活用されていたのか……。


 それにしても、真四角な形といい、やや足の長いところといい、私にとっては馴染み深い。

 天板の裏側に熱波マシンを取り付けて、保温性がある毛皮で全体を覆ったら、寒い冬には恋しくて堪らない炬燵こたつになりそうな気がするよ。


 お金がかかる上にローテーブルの数も少ないからレンタル形式にするしかないけれど、あの寒いオアシスでぽかぽかの炬燵こたつにもぐって熱々の食事を口にできる幸せを力説すれば、温かさに飢えた冒険者が硬貨コインや魔石を握りしめて殺到するに違いない。

 少なくとも、ストーブだけでは物足りない私は欲しいと思っている。

 これから薬屋さんへ行くつもりだし、ご近所の魔術用品店で熱波マシンも買い足そう。




 まずは出かける前に加速の魔術を使って砥石を探し出し、毛皮の汚れ防止として使えそうな布も倉庫で見繕ったら、逆方向になるけれど最も時間のかかりそうな木工工房へ向かった。


「親方さん、この机に合う天板を作ってください。カポッと上に載せる感じで」

「それなら板の裏を掘っておくだけでいいな。鐘二つもあればできるぞ」

「後で魔道具も持ってきますから、それの取り付けもお願いできますか?」

「現物を見なけりゃわからんが……まぁ、すぐに終わるだろうよ」


 快く引き受けてくれたので、残りのローテーブルも出して前払いで料金を支払った。

 まさか増えるとは思わなかったのか、苦笑を浮かべた親方さんに別れを告げて、迷宮で買い叩いた各種素材を工房通りで売り払ってから、中央通り方面にある薬屋さんへと歩を進める。


「魔石の買い取りと、体力回復促進剤をください。ちょっと数が多いですけど構いませんか?」

「ええ、いいわよ。黄色いやつよね。でも、どれだけ飲んでも翼は生えないわよ?」

「そんなの生えても困りますよ」

「翼と言えば、うちの子はいつになったら飛び立つのかしらね。ずっと研究・実験・開発ばっかりで店番もしないし。そりゃあ他とは違う薬を売れるのは助かるけどね? でも――」


 またもやおばさんトークに絡まれてしまった。……まだ飴玉を用意していないのに。

 いっそのこと、おばさんの時間を加速させてやろうかと思案していたらお客さんが訪れたので、その隙にお店から逃げ出して近くにある魔術用品店へ駆け込んだ。


「この前と同じで、熱波が出る魔道具をください。小型で出力の低いものでお願いします」

「はいはい。ちょっとお待ちね。……あぁ、今なら蓄魔式があるよ。こっちにするかい?」

「事前に魔力を溜めておけるやつですよね。今日はできるだけ安いものがいいんです」

「なんじゃい、誰かと思ったらサラちゃんかい。どうせなら交流式にすればいいじゃろ」


 店番をしていたシャノンのお婆さんと話していたら、まだお昼前なのに蜂蜜たっぷりのお菓子を手にしたシャノンのお爺さんが姿を見せ、魔力を流さずとも小一時間ほど稼働して、今までと変わらない使い方もできる交流式を安く売ってもらえた。

 時期が時期だけにすぐ売れると思うのに、在庫処分くらいまで値下げしてくれた得難い気遣いに感謝して、次は強敵である皮革工房で買い物だ。


「熱に強くて大きな毛皮が欲しいです。……臭くないやつで」

「熱に強いってぇのはどっちの意味だ?」

「あ、耐久性が高いほうです。火消しに使いません」

「なら鍛冶屋の前掛け用でいいか? 毛はないが」


 意外と値が張ったから魔物の革だと思うけれど、やはりと言うべきか、臭かった。

 それをすぐさまスタッシュにしまい込み、木工工房に舞い戻って熱波マシンをローテーブルに取り付けてもらう。ぴったりサイズな天板と共に受け取ったら帰宅して、自宅の裏手で革の匂い取りをしていると、お店の扉にぶら下がるベルの音が聞こえた。




 周囲に漂う異臭を無属性魔術の熱波で掻き乱し、私自身についた匂いもハンドドライヤーで吹き飛ばしてから店舗エリアへ急ぐと、カウンターに荷物を置いているお母さんが居た。


「おかえりなさい。買い物してきたの?」

「ただいま。町中のパン屋からお土産にっていろいろ貰ったのよ。食べる?」


 ほほう。ピタパンの販売権が欲しくて早くも懐柔作戦ですかな。

 それが私ではなくてお母さん宛なのは、未成人だと契約できないから仕方のないことだね。

 何にしろ、生ものが挟まったサンドイッチはごく僅かだし、長持ちしたほうが嬉しい庶民の感覚を理解しているようだよ。


「やっぱり伯父さんのところとは形がちょっと違うんだね。あ、蜂蜜パンだ!」

「こっちがクルミパンだったかしら。お母さんは昨日買ってきてくれたやつ食べるから、サラは好きなの選んでいいわよ」

「わ~い。残りは保存の魔術かけて籠に入れておくよ。もうスタッシュに余裕ないし」

「……どれだけ買ってきたのよ」


 別に入らなくはないのだよ。この後はお母さんとエクレアを入れて迷宮まで戻るのだから。

 しかし、初回はよくても二度・三度と定食を買いに来てくれたら、スープの時と同じように『皿はあるからこれを使ってくれ』なんて言われそうだよね。使われなかったお椀の分も考慮して空き容量は多めに確保しておく必要があるのだ。

 それもあって、ギッチリと詰め込んでしまったら買い叩いた素材を持ち帰れなくなる。


「あら、これおいしいわ!」

「それは羊飼いの隠れ家亭の料理だね。新作なんだって」

「よく買えたわねぇ。二重の意味で」

「お土産にどうぞって貰ったんだよ。買った物もあるけど」


 高級料理に頬をほころばせるお母さんに、炬燵こたつのことも報告しておく。それを『楽しみね』のひと言で済ませていたから、ちゃんと話を聞いていないかも。いつものスープや町で評判の定食があるから赤字の心配はしていないけれど、炬燵こたつに対する周囲の反応がまったく想像できなくて少しばかりの不安があるのに。

 そんな心許ない気持ちを呑み込んだ私は、食後の余韻に浸っているお母さんと、昼寝を始めたエクレアをスタッシュに吸い込み、時間の加速と短距離転移で迷宮に向かって飛び立った。

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