#023:遠路はるばる

 生まれて初めて自転車に乗ったはずのエミリーに、思わぬ一面を見せつけられたその翌日。

 帰ってきたばかりのお母さんにお使いを頼まれてしまった。今日もどこかへとお出かけした帰りに行商人を見つけたらしく、売り切れる前に買い物をしてきてほしいとのことだ。

 今日はお昼の休憩が終わればブレーキを発注しに行くつもりだったのになぁ。


「それなら帰りに買ってきたらよかったのに」

「海藻灰とオリーブオイルだからよ。さすがに重くってね」

「あぁ……確かに。わかった、行ってくるよ」

「ごめんね。ご飯は少し多めにしておくから」


 渡された金額を見る限りでは、先日に起こったブームのおかげで常より多く買うようだ。

 これなら私が持つスタッシュの出番ということで納得だね。灰や油の詰まった壺を何個も持ち帰るだなんて、苦行が過ぎるってものだよ。




 お昼ご飯を後回しにして、夏祭りの会場となっていた大広場へと足早に向かう。

 あの場所はお祭りに使われるだけではなく、行商人や露天商などがお店を開くこともある。

 それら以外にも、朝一つの鐘で始まる朝市では採れたてのお野菜や川魚などが売られており、その賑わいはとても凄まじいものであるらしい。

 夜明けの鐘が鳴るより早くに起きるなんて私には難しすぎるので、まだ顔を出したことがなくて話に聞いただけでしかないけれどね。


 そこでふと思い付き、朝早くからお出かけしているお母さんはこの朝市に行っているのかと尋ねてみたら、素っ気ない態度で『違うわよ』と答えていた。これはもう、言い逃れのしようもなくデートでしょう。

 お相手は露天商かな? それとも、たまに靴が泥で汚れているから農家や漁師かもしれないね。願わくば、農奴でないことを祈りたい。あれは領主や守護の奴隷だから……。




 そんなことを考えながら大広場までやってくると、もうすぐお昼時ということで大変な賑わいを見せている。そこでお店を開く露天商たちは、自分の前に敷いたむしろやなめし革の上に商品をズラリと並べ、大声を張り上げてお客さんの奪い合いだ。端のほうには馬を外した幌付きの大きな荷馬車や、ただの荷車などが止められており、こちらも同じく並べた自慢の商品を売り捌いていた。


 これらの中から目当ての行商人を探さなければならないけれど、荷馬車なんて目立つものは少ない上に、人集りができているからすぐに見つけ出せたよ。今日の行商人はその一集団だけみたいで、お母さんが急いでほしいと言っていた理由がよくわかる。


 さっさと買ってしまおうと人混みの中へ突入し、人とぶつからないよう忍者のように避けた私は、赤く日焼けした行商人のおじさんに声を掛けた。


「こんにちは。くださいな」

「あいよっ! えらいな嬢ちゃん、お使いか? それで、何を頼まれたんだ?」

「海藻灰とオリーブオイルです。これで買えるだけください」


 こんな人の多いところで大金を見せたわけではないよ。どこの町でも通用する商人ギルドが取り決めたサインを指で示しただけなのだ。前世でも競り市なんかで使われているものに割と似ているかな。


「あぁ、はいはい。雑貨屋なんだな。半々でいいのか?」

「いえ、オイルは少し多めでお願いします」

「オイル多めな。……その額だと量があるな。ちっと裏手に回ってくれるか?」

「わかりました」


 行商人のおじさんの言葉に従い、向かって横向きに置かれた荷馬車の後ろ側へと回り込む。

 チラりと中を覗いてみたら、いろいろな商品が入っているであろう木箱や壺が荷台の半分ほどを占領していた。


 先ほど対応してくれた行商人のおじさんが後のことを同行者に任せ、一つ隣に並ぶ荷馬車の荷台を見てから私のほうへと歩いてくる。


「よしよし、在庫ありっと。嬢ちゃんところの荷車はどれだ? 後から来るのか?」

「荷車ですか? 持ってきてないです」

「それなら、運搬料としてこれだけ追加してもらうことになっちまうが、構わねえか?」


 行商人のおじさんが手振りで金額を示してきた。大量購入で送料無料とはならないみたい。

 ここで頷いてしまえば、何のために私が来たのかわからないので断固として拒否をする。


「いえ、必要ありません。私が持って帰りますから」

「この量だと身体強化で持ち上げても崩れるぞ?」

「大丈夫ですよ。ほら、このとおり――」


 そう言った私はスタッシュから支払い分のお金を取り出し、行商人のおじさんへ差し出した。


「なんだ、嬢ちゃんはスタッシュ持ちかい。羨ましいもんだね、まったく」

「まだ容量がそれほどではないんで、大きな物は入りませんけど」

「そうだとしても、行商人からすれば喉から手が出るほど欲しいもんだぞ」


 商人見習いの私でも手放せないのだから、町と町を旅する行商人なら垂涎すいぜんもののスキルだね。

 これを使えばさらなる積み荷を載せられて、もしも盗賊に襲われたとしても自分が死なない限りは商品が保障されるのだ。いざという時は、その盗賊ごとスタッシュに放り込んでしまう荒技もあるし、もはや無敵だと思う。

 その後到着した町で兵士に突き出すもよし、犯罪奴隷として売り払ってもよしで、まさに飛んで火に入る夏の虫状態というわけだよ。

 この方法を実現するには、ある程度のレベルは必要だけれどね。


 行商人のおじさんと同行者の人が、私の前へ次々に灰や油の入った壺を並べていく。

 それを一つずつスタッシュに入れていたところで早くも限界が訪れた。


「すみません、もう入らないんで一度戻って置いてきますね」

「そうかい。それなら残りの金は返すぞ」

「え?」

「金を持ち逃げしたとか言って、スタッシュ持ちを雇えるような商会を敵に回すなんざ勘弁だ。これは予約分として残しておくから、戻ってきたらまた持っていってくれよ」


 そのお言葉に甘えて急いで家まで帰り、買った物を倉庫に置いたらばトンボ返りで大広場まで舞い戻る。そうやって何度か往復して最後の壺を運んだ時には、昼三つの鐘なんてとっくに鳴っていた。




 すべての荷物を倉庫に収めた私は店舗エリアへ行き、お母さんが注いでくれた麦茶で一息ついてから報告をあげる。


「ふぅ……さっきので終わったよ。灰と油は離して置いてあるからね」

「お疲れ様。上にご飯用意してあるから食べちゃいなさい」

「はぁ~い」

「それで、また頼んで悪いんだけど、食べ終わったら森でハーブ取ってきてくれる?」

「うぇ……。在庫ないの?」

「前に作ったとき、あんたが臭い臭いって全部使っちゃったじゃないの」

「……そうだった。でもあれは油が悪かったんだよ」


 ない物は仕方がない。しかも、私が使い切ったのなら文句も言えない。

 正直なところかなり疲れているけれど、それでも行くしかないでしょう。

 そのついでに木工工房にも寄れそうだから、丁度ちょうどよい仕事と言えなくもないかもね。

 しかし、その前にご飯を食べよう。ペコペコのお腹に何か入れないと気力が出ないよ。


 約束どおり少し多めに作ってくれたお昼ご飯をおいしく食べ終えてからは、自転車を押して木工工房へと歩を進めた。




 いつものように木材の山へ向かっていると外で作業中の人がいたので、親方さんの呼び出しを頼んでみたら、残念なことに出かけているらしくて不在だった。

 それならば長居は無用でしょう。私が追加注文をしにきたことの伝言をお願いしてその場を去り、自転車を置きに戻るのも面倒だから、このまま森へ行くために町の門へと進路を向ける。


 いつものおじさん兵士から通行手形を受け取り、少し歩いたあたりで自転車にまたがった。

 まだブレーキはないけれど、ゆっくり走れば平気だと思う。今回は前と違って近場の森だし。


「よぉし、安全運転でゆっくり行くよ、リンコちゃん!」


 うん、すまない。名付けたんだ。あまりにもかわいくてね。

 昨夜なんて、夜なべして小さな座布団を作ったんだよ。これでもうお尻は大丈夫。

 実際に乗ってみると、たったこれだけの差が大いに感じられてとても満足しているよ。


 お尻のサポーターに感動しながら楽しく自転車をいでいると、森に差し掛かったあたりで陽光を照らし返す綺麗な鎧に身を包む騎士の小集団が近付いてきた。

 以前見たことのある騎士団よりは随分と人が少ないけれど、きっとベヒモスの捜索隊か補給部隊なのだろうね。一台だけ混ざった豪華な馬車はお偉いさんが乗っているのかな。

 騎士たちの歩く向きを考えると帰り道だから、あとで兵士のおじさんに尋ねてみよう。

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