#022:試乗会

 朝起きたら真っ先に自転車のところへ向かい、一晩おいた革紐チェーンの具合を確かめた。

 今のところは一つも解けておらず、すぐにでも走りたそうにしている。……いやいや、それは私のほうか。自転車に意思はないでしょう。


 そんな自転車にしばしの別れを告げ、昨夜お母さんにお願いして取った午後からの半休を待ち遠しく思いながらもお店を開ける。

 かなり少なくなったものの、おそらくはエクレア目当てで訪れてくれるお客さんの相手をこなし、お昼を知らせる鐘がけたたましく鳴ったことで本日のお仕事は終了した。


 せっかくだから、お弁当を持ってピクニックと洒落しゃれ込みたかったけれど、エミリーは自宅でお昼ご飯を食べてくると言っていたので私も早々に食事を終わらせて、スカートがチェーンに巻き込まれてズタボロにならないよう作業着代わりのオーバーオールに着替える。

 そして、自転車を出しておこうと倉庫に向かい、そこから店舗エリアへ移すために勢いよく踏み出したその瞬間、弁慶べんけいすら泣いて許しを請うような強烈な一撃をすねにもらってしまった。


「――ッ」


 このままくずおれては自転車に傷が付くだろうと痛みを堪えて患部を巻き戻す。

 もしも傷が入ったとしても、時間を戻せば済むことに気付いたのは、涙が乾いた後だった。


 どうやら、チェーンを繋いだことで車輪と連動するペダル代わりに付けた木の棒が回ったようだ。私の脳内メモにはあの部分の詳細が載っていなくて、こればかりは諦めるしかないのだよね。ここは注意することにして、他に罠が潜んでいないか調べておこう。


 そんなわけで、カウンターに立てかけた暴れん坊な自転車をめつすがめつ眺めていたら、ドアベルを鳴らして待ち人が姿を見せた。


「こんちは。お~……それが例のやつ?」

「そうだよっ」

「すんごい笑顔。そんなに嬉しいの?」

「あったりまえじゃないか! 麦茶なんて目じゃないくらい稼いでくれるんだから」


 これが売れたらどれだけの富になるのか、想像するだけでもよだれが出てしまう。

 制作費を考えると最初から庶民に売れるものではないでの、まずはお金持ち相手に売り捌いて資金を貯めるでしょ。それから大量生産ができるようになれば徐々に値下げして、ゆくゆくは一人一台持てるくらいまで広まるころには、私は世界を代表する大富豪となるでしょう。

 そのためには商人ギルドに横取りされないよう、より力のある後ろ盾を手に入れる必要があるね。むしろ、思い切って商人ギルドに売り込むという手もアリかもしれないよ。あそこなら物の価値がわかるだろうし、おかしな交渉はしてこないはず。

 そんな風に私が沈思黙考を重ねていると、エミリーから話し掛けられていたようだ。


「お~い、サラさんや。気色悪い顔してないで戻っておいで」

「あ、ごめんごめん。どうやって売るか考えてた」

「金勘定は後にしてさ、それ乗れるんでしょ? 早く行こうよ」

「そうだね。町の中じゃ危ないかもしれないから外で試すよ」


 急かすエミリーに少し待ってもらい、お母さんとエクレアに一声掛けてから華麗なる足裁きで弁慶べんけいトラップを回避した私たちは、自転車を押して町の出口へと歩いて向かう。

 その際に、麦茶騒動で顔が売れたのか、これから遊びに行くんだね――といった感じの生暖かい眼差まなざしを道行く人たちから頂戴したよ。




 そのまま町の出口に到着し、無駄金を払いたくないので通行手形を発行してもらう。

 この前の薬草採集の日と同じく、まじめに職務を勤めるいつものおじさんだった。


「雑貨屋とパン屋の嬢ちゃん達か。なんだ、荷車壊れちまったのか。災難だったな」

「いえ、これはこういうものなんですよ」

「どう見ても壊れてるだろう。土台が縦半分しかねえぞ」


 はじめから疑念を持っている人に納得してもらうまで説明するのは骨が折れるだろうから、無駄な問答はせず曖昧な笑みを浮かべて受け流した。


 質素な詰め所から戻った兵士のおじさんに木製の小さな通行手形を渡されて、そのお礼を述べて歩き出そうとしたところで呼び止められる。


「ああ、ちょっと待ってくれ。ただの噂でしかないんだがな、山奥にベヒモスがいるらしいんだわ。町の近くで遊ぶだけなら構わんが、あんまり遠くへ行くんじゃねえぞ」

「ベヒモスですか……」

「どうせホラ話だろうが、冒険者ギルドでそんな話を聞いたやつがいるんだとよ。近々お貴族様の騎士たちが出張って確かめるらしい」

「そ、そうなんですか。気を付けます」

「気を付けてどうこうなるもんでもねえけどな。何かあったらとにかく叫べよ?」


 苦笑を浮かべた兵士のおじさんと別れ、私たちは人気ひとけの少ないところを目指して街道を進む。

 ふらつき運転で誰かとぶつかる危険を恐れて町の外に出たこともあるけれど、自転車で走るとしたら大半がこの道になるからね。


 それにしても……ベヒモスかぁ。

 町の守護が抱える騎士団が赴くなんて大事おおごとになっていて驚いた。

 その原因になったのはエクレアを拾ってきた日にお母さんがギルドへ流した情報に違いない。

 あのあと聞いた話では、下級貴族の騎士団が一つ集まった程度だと大人のベヒモスなんて倒せるものではないらしい。エクレアの両親のことは心配しなくてもいいと思うけれど、なんとか無事でいてほしいなぁ。

 今から何か言っても余計にややこしくなりそうだから黙っておこう。ごめんね。




 まだ町を囲む背の低い石壁が遠目に見える程度にしか離れていないあたりで、しびれを切らしたらしいエミリーから腕を引かれて振り向いた。


「ねぇ、もうこの辺でよくない?」

「……そうだね、そろそろ試乗しようか」

「よしきた! まずは手本見せて」

「う、うん。ちょっと待ってね。準備があるから呼ぶまで後ろ向いててくれる?」

「そうなの? わかった」


 乗り方くらいは脳内メモに頼らずとも知っている。またがってペダル代わりの棒をぐだけだ。

 しかし、前世を含め、生まれてこのかた自転車に乗ったことのない私では、すってんころりんでお手本にならないことは必至だろう。たった半年でも私のほうがお姉さんなのだから、颯爽と乗った姿を見せたいのですよ。


 というわけで、エミリーが背を向けた隙を突き、自転車にまたがった私自身の時間を加速――これまでにないくらい大幅に加速させた。

 ズルい? 何とでもおっしゃい。極力恥を掻きたくないのが人情ってものでしょう?


 色褪せて粘つく空気の中で練習を重ねに重ねて、思ったよりも早く乗れるようになった私は魔術を解除してエミリーに呼びかけた。


「はぁはぁ……お、お待たせ」

「……なんでまたがるだけで息上がってんの?」

「え、いや、ほら、この服が小さくて」

「そうは見えないけど」

「それはいいから、ほら、乗るよ? よく見てて!」


 そうして私はゆっくりとぎ出した。

 もう小石やわだちを踏むたびにギッタンバッタンと車体が跳ねてお尻が痛くても気にしない。

 数え切れないほど踏み外したペダル代わりの棒だって、もはや足の一部だと言える。

 そして、最も危険な停止の時も、慌てることなく車体を傾けて靴底を地面に滑らせる。


 まさか実際に乗るまでブレーキがないことに気付かないなんて思わなかった。

 ベルは後で付けるつもりだったけれど、これは忘れずに注文しなければ。


「どう? 乗れそう?」

「うん、簡単そう。代わってよ」

「おっけい。後ろで支えておくね」


 少しだけなら平気だろうと思って、仲良し姉妹の自転車特訓風景を描いていたら、ふらふら運転だったものが早くも真っ直ぐ進めるようになり、調子に乗ったらしいエミリーが強くぎ始めて私の手を離れていった。


 その後はもう予想どおり……と思いきや、曲がろうとしたのか一瞬バランスを崩して転びそうになったものの神がかったリカバリーを見せたエミリーは、多少ふらつきはしても十分に乗りこなしているように見えた。


 これが才能――運動神経ってやつですか。

 こっそりと時間をいじってまで練習していた私の立場とはいったい……。


 呆然とエミリーを見守る私が考えたことは、荷台があれば後ろに乗っけてもらえそう――という、なんとも他人ひと任せなものだった。または、モテない乙女の憧れだろうか。

 この世界なら道交法はないからね。二人乗りをしてもなんら問題ないのですよ。

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