#021:ねんがんの――

 どうにもこうにも落ち着かない。

 この世界に――いや、前世を含めた人生の中でも今までにないくらい浮き足立っている。


 つい先ほど木工工房から見習いさんがやってきて『ご注文の品が完成しました』なんて言うものだから、思わず黄色い叫び声を上げてしまった。

 まったく、この程度で動揺するとは。常に冷静沈着な私らしくない。キャラ崩壊の危機だよ。


 今すぐにでも受け取りに行きたいのだけれど、お母さんがいつものお出かけ中だからお店を抜け出すわけにもいかず、麦茶の販売を商人ギルドの息が掛かった業者に任せたとはいっても、それを知らないお客さんが来店するので放っておくことはできない。

 下手に悪評をばらまかれでもしたら、麦茶関連の上納金だけでは生きていけないだろうし。


 その業者は中央通りの方で大々的に宣伝しているみたいで、逸る気持ちを抑えながら少なくなったお客さんを捌いていると、買い物袋を提げたお母さんがようやく帰ってきた。


「お母さんお帰り! ちょっと出かけてくるね!」

「待ちなさい、サラ。元気になったみたいだけど、どこへ行くの?」

「木工工房。自転車ができたんだって!」

「なら、今から行っても迷惑なだけよ。もうすぐお昼よ?」

「あ……。そうだった」


 せっかくのお昼休憩に水を差されては嫌な気分になるのも頷ける。

 ひとまずは私もご飯を食べて、午後の営業が始まってからお邪魔することにしよう。




 お昼休憩の終わりを告げる昼三つの鐘が鳴るまで待った私は、お母さんから木工工房へ向かう許しを得てお店を飛び出した。


「お~い、サラ~! そんなに急いでどうしたの?」

「ん? あぁ、エミリー」


 通りを駆け出そうとしたところで、中央通りの方から歩いてきたエミリーに呼び止められた。

 エミリーに頼んでいた麦茶の委託販売は業者が間に入るようになったので終わったよ。それを禁止にされたわけではないけれど、わざわざ売り歩いてもらってもお客さんは中央通りのほうへ行くだろうから、うちの利益は薄いものね。


「今帰り? お疲れさま。とうとう自転車ができたから引き取りに行くんだ」

「へぇ。あたしも行きたいけど今日は仕事抜けられないからなぁ……」

「まだ最後の仕上げが残ってるから、使えるようになるのは早くて明日だよ」

「そんじゃ、明日は昼から休みにしてもらおうっと。ご飯食べたら見に行くよ」

「うん、わかった。乗るならズボン履いてきてね」


 そんな約束をエミリーと交わし、手を振ってお店に入る姿を見送ってからは、木工工房を目指して走り出した。




 勢いそのままに突撃してしまわないように、山のごとく積まれた木材が見えてきたあたりで速度を落とし、スー・ハー・スー・ハーと深呼吸。跳ねる心は落ち着いても、特製の麦茶でも太刀打ちできない顔のほてりはそのままに、咳払い一つで気合いを入れた私は木工工房の開け放たれた扉を叩く。

 すると、見覚えのあるお弟子さんが現れて、親方さんを呼びに行ってくれた。


「おう、嬢ちゃん。そろそろ来るころだと思ってたぞ」

「こんにちは、親方さん。ご機嫌うるわしゅう」


 思わぬ挨拶に目を丸くした親方さん。私もなぜ口にしたのかわからない。

 二人の間に何とも言えない空気が流れたけれど、それを追い払うかのように気を取り直した親方さんが言葉を発した。


「ああ、元気だぞ。この間の麦茶のおかげだな。随分売れたそうじゃねえか!」

「あ、その節はどうもありがとうございました。これも皆さんのおかげです」

「俺たちが何かしたって覚えはねえんだが……」


 あの時、シャノンの言っていた誰かさん達の口コミがなければきっと目も向けられなかったでしょう。そのお礼をしなければならないのに、舞い上がっていた私は手土産一つ持ってきていない。今すぐ渡せる物といえば、スタッシュに入れてある特製の麦茶だけだ。


 これは何度飲んでもしっくりこなかった私が脳内メモをじっくりと読み込んで作った物で、時間をかけてむらなく仕上げて甘みすら感じさせる極上の一品となっている。今の喜びを表すには意に満たないけれど、他にはないからこれを渡すしかないでしょう。


「いえ、どなたかが話を広げてくださったからですよ。そのお礼としては少ないかもしれませんけど、まだどこにも出していないとっておきの麦茶です。どうぞ、お納めください」

「お、おう。それならありがたく。……注文の品持ってくるわ」


 場にそぐわず少し堅苦しくなったものの、私が差し出した小袋を受け取ってくれた親方さんが作業場の奥へ消え、これから大富豪となるための片道切符を持ってきてくれた。


「待たせちまってすまなかったな。どうだ? どこかおかしな部分はあるか?」

「いいえ、ありません。私が描いた絵のとおりだと思います」


 何一つ不満が見当たらない。

 これだけ待たされたことすらどうでもいい。

 この職人さんに頼んでよかったと、心の底からそう思う。


「そうか。そっからだと見えにくいかもしれねえが、あのままだと舵の部分がちっとばかし弱くてよぉ、勝手だと思うが補強はした。だが、それでもまだ不安が残ってる」

「舵ですか。確かにここは薄くなる上に可動部ですもんね」

「ああ。あんまり無茶むちゃな扱いをすればどこかが割れるかもしれねえな」

「わかりました。そこには気を払うようにします」


 ハンドルの縦軸が通るところが脆くなるのは構造上どうしようもない。その部分をあまり削らず太めにしてくれているけれど、そうなればそこと繋がる箇所に負荷が掛かってそちらが折れやすくなってしまう。

 かといって、何もかもを太くしてしまえば、見た目どおりの体力しかない私では重すぎて動かすこともままならず、本来の使い方ができなくてただのオブジェと成り下がる。


 近付いて本体をよく見てみると、場所によっては太さが違っているので親方さんなりに考えてくれたのだろうね。こんな子供相手にも一切の妥協を許さないなんて頭が下がる思いだよ。


 何度も何度もお礼を言う私にいい加減嫌気がさしたのか、ほんのりと頬を赤らめた親方さんから『気に入ったのならそれ持ってさっさと帰れ』と追い払われてしまい、ニコニコ笑顔で自転車を押しながら家路に就いた。

 さすがにこのサイズではスタッシュに入らなかったよ。うへへぇ。




 どこかにぶつけたりしないよう細心の注意を払いながらお店の倉庫に自転車を入れた私は、最後の仕上げであるチェーン作りを始めた。

 製作依頼を出しにいった日にシャノンが提案したような革紐のリングを何個も繋げたもので、そのために丈夫な革は購入してある。それで練習がてらにエクレアの首輪を作ったからね。


 まずは、ほどよい長さに作っておいた革紐を、水を張った桶の中に沈めて水分を吸わせる。そして明日までに仕上げるべく、沈めた革紐の時間を加速させてすぐに終わらせた。

 こうしておくと乾いたときに革が締まるので、濡れたうちに結んでおけばより強く繋げることが可能になるのだ。


 それを店舗エリアまで運び、店番をしながら小さな輪っかを一つずつ作り始める。

 二つ作れば一本の線となるように並べて、それらをまた革紐で固く結んで繋げていく。


「これと同じ物を作ってるの? お客さん来なくて暇だから手伝ってあげるわ」

「ありがとう、お母さん」

「……小さくてやりづらいわね」

「これ使ってよ。挟んで引っぱるの」


 先端が潰れたり途中で曲がったりして使い物にならない釘を再利用するために、私の加熱と冷却を駆使して作った毛抜きのようなピンセットだ。革紐の両端を引っぱるために、二つ用意してあるうちの片方をお母さんに手渡した。


「こんな物仕入れたかしら」

「この前作ったんだよ。買うとちょっと高いからね」


 それからはお互いに言葉数も少なくなり、たまに訪れるお客さんの対応で作業を中断することもあったけれど、お母さんのおかげで思ったよりも早く進んだよ。晩ご飯のころには大方の数が揃い、残りは月明かりに照らされながら時間を加速させた私が一気に作り上げた。それを自転車のギア部分と噛み合うように引っかけて、最後の輪っかを慎重に繋げてからは水分を抜くために放置する。

 そして、作業を終えた私は心地よい眠気に誘われて寝室へと向かった。

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