#019:チャンス到来

 自転車製作を急げない理由に納得した私は気長に待つことにして今日も店番に勤しむ。

 あれから数日ほど経過したこともあって今では落ち着きを取り戻し、客寄せマスコットにしようと思っていじくり回したエクレアにも平穏が訪れ、私の足下で寝転がっている。


 たまに来店するお客さんに反応してカウンターの上に飛び乗ることがあるけれど、これがベヒモスの亜種ではないかと見抜けるのは熟練の冒険者くらいだそうで騒ぎにはなっていない。それどころか、愛嬌あいきょうたっぷりの顔を見てほころんでくれることも多いので、下手に芸を仕込まなくてもお客さんを呼び込んでくれるかもしれないね。

 そんなエクレアの効果なのか、今日もまたドアベルを鳴らしてお客さんがやってきた。


「いらっしゃいませ~。あれ、シャノンじゃない」

「いらっしゃった」

「どうしたの? お使い?」

「この店は……えっと……客に茶も出さねえのかい?」


 どこで覚えたセリフなのか知らないけれど、来客のたびにお茶なんていう嗜好品を出していたら冗談抜きで倒産する。庶民向けのハーブティーだとしても、どこかで購入するなら安くはないお値段なのだから。


「そんなことしてたらお店が潰れちゃうよ」

「あれれ? 聞いた話と違う……」

「あぁ、エミリーから何か聞いたの? 取ってくるからちょっと待っててね」


 きっと、麦茶の話を聞いて試してみたくなったのだろうね。あれはお母さんが気に入ったみたいで、我が家のレギュラーとして活躍してもらうことになったよ。作り方はレクチャーしてあるのでいつでも飲める状態になっている。

 サッパリとした後味や身体のほてりを冷やしてくれることだけでなく、エクレアのご飯として定期的に購入しているので、安く手に入ることが決定打になったのかもしれない。


 居間の机に用意されている麦茶入りの水差しとコップを手に取り、それを冷やしながら店舗エリアへ戻ってコップに注ぎ、シャノンへと差し出した。


「お待たせ。ご所望の麦茶だよ。どうぞ」

「ありがとう。これが噂の……」


 受け取ったコップに鼻を近づけ、くんくんと匂いを嗅いでからチビチビ飲むシャノンを見ていたら、なにか小動物的なかわいさがあって私の心がはち切れそう。


「香ばしいのに冷たくておもしろい。でもちょっと苦い……」

「エミリーと同じこと言うね。どんな風に説明してたの?」

「……何のこと?」

「エミリーから聞いてきたんでしょ?」

「違うよ?」

「あれ?」


 どうにも話が噛み合わなかったので詳しく聞いてみると、エミリーではなく木工工房の誰かが話しているところに通りがかり、それを耳にしたことでお店まで来たらしい。

 その内容が『おかしな注文を持ってきた娘っ子からの差し入れ』という節でサラのことだろうと思い当たったそうで、家に帰る途中でお店に立ち寄り、今に至るようだった。


「そうだったんだ」

「うん。なんだか大人気だったよ。もっと欲しいって」

「あの工房に何人勤めてるのかわからなかったから、多めに持っていったんだけど……」

「人の欲望に際限はないのさ……ということで、おかわりください」


 そう言ってずいっとコップを出してきたので水差しから麦茶を注いであげる。

 またチビチビと飲みながら他愛ない話に花を咲かせてお昼の鐘が鳴るより先に帰っていった。




 これはお金を稼ぐチャンスなのではないかしら。

 貴族も尻込みするほどの大金持ちに認められた工房で働く大人たちが欲しがるくらいなのだ。自転車ほどではないにしてもある程度の売り上げを期待できるかもしれない。

 原材料が家畜の飼料として安く売られている大麦と、一定額の税金を納めたら度を超えない限りは好きなだけ使える井戸の水だけで作れるのだし、たとえ失敗しても懐があまり痛まない。そこまでせずとも、お茶として売らずに焙煎大麦だけなら大して場所も取らないわけで、あまり日持ちのしない手作り麦茶でお腹を壊す危険性も回避できるだろう。

 という内容を、お昼ご飯を食べながらお母さんに話してみた。


「いいんじゃない?」

「えっ。ほんとに?」

「実際おいしいし、外れてもお母さんが飲むわよ」

「ぷも!」

「エクレアも余ったら飲んでくれるの?」

「ぷもぷも」


 何と言っているのかサッパリわからないけれど、なんとなく肯定的な雰囲気を漂わせている。

 しかし、ただご飯が増えると思っているだけの可能性もあるから油断はできないね。


「それじゃあ、お客さんが少ないときに作り始めるよ」

「今からやるの? それなら先に兄さんのところで追加の発注してきちゃって」

「う、うん……」


 今からって……いやもう何も言わないともさ。言わぬが花じゃなくて言うだけ無駄だからね。

 麦茶を売り出したらそれも言っていられなくなるとは、この時は知る由もなかった……とか言ってみたい。




 お昼ご飯を食べ終えた後は、冷やした麦茶を飲んで二人と一匹が一息ついてから、私は大麦の追加を頼むためにお向かいのパン屋さんへ向かう。

 せっかくだからお裾分けということで焙煎大麦を持ってきた。


「いらっしゃい! あら、サラちゃんじゃないかい。どうしたんだい?」

「こんにちは、ミンナさん。大麦の追加注文をお願いにきました」

「大麦? ああ、はいはい。あれね。わかったよ。それじゃ、エミリーにも会ってくだろ? お~い、エミリー! サラちゃんが来たよ!」


 大声でお店の奥へ呼びかけるこの人がエミリーのお母さんだ。

 なかなかに恰幅がよくていつも笑顔を絶やさない人で、町の住民からも慕われている。若い頃は快活でスリムな美人さんだったらしく、伯父さんと結婚してからは幸せ太りというやつで今のようになったものの、活発さは健在どころかより磨きがかかっているみたい。


 特に用事はないけれど、エミリーがやってくるまでに当店の新商品として焙煎大麦を宣伝し、それを渡して麦茶の作り方も説明していたら呼ばれた娘が顔を見せた。


「おっ、サラ。あのこと決まったの?」

「あぁ、ごめん、まだなんだ。今日は大麦の追加を頼みにきたんだよ」


 このままだと会うたびに聞かれそうだから、お礼のことも考えないといけないなぁ。

 売り子をする時にでも麦茶を一緒に売ってもらえるように頼んでみようかな。


「……あの子そんなに食べるの?」

「いや、そうじゃなくて、この前の麦茶を商品として売り出そうと思ってね。それで思い付いたんだけど、いつもの売り子のついでに麦茶を売ってもらってもいい?」

「それくらい構わないけど、ムギ茶ってあのちょっと苦いやつでしょ。売れるの?」


 大人には好評だったから今のままでも問題ないと思うのよね。

 脳内メモには作り方しか載っていないから、子供向けに他の焙煎方法も試してみよう。


「う~ん……大丈夫だと思うよ。でも、あとで考えて試してみる」

「あれ……ちょっと待って。大麦を買いに来てムギ茶を作るって、もしかして……」

「そうだよ。エクレアのご飯で作ったんだよ」

「ええっ! マジで?」


 普通は煎った大麦を煮詰めた汁なんて飲まないだろうから驚くよね。最初にやった人はいったい何を思ってそんなものを口にしたのか不思議でならない。紅茶に至っては発酵させた茶葉――つまり、腐らせた葉っぱの煮汁なのだから。




 エミリーとミンナさんに別れを告げて家に戻ってからは、脳内メモにある焙煎方法ですぐに試せるものから当たってみよう……としたところで、大きな問題点に直面した。

 ご家庭で作った麦茶はどうやって保持するのか。


 売れない雑貨屋を営んでいる我が家には、売れ残り品や不良品のお鍋と水差しが多くて気付かなかったけれど、一般家庭だと必要ない分までは買わないのだ。麦茶を作り、そして保持するために限られた数のお鍋が占領されてしまうと困った事態になるのでは。飲みたくなるたびに作る方法だと、たぶん面倒さが上回って流行はやらないと思う。

 それをお母さんに伝えてヤカンでも仕入れようと掛け合ってみたところ、さすがに金物はかさばるし、売れなければ被害が大きいので諦めるしかないみたいだ。


 それでは儲けが減ってしまうから何かないかと悩んでいたら、同じ用途で使えるのに格安で手に入る土瓶を思い付いた。しかし、そのままでは売れないだろうから、お隣の元焼き物職人さんの伝手を辿っていろいろな形の物を作ってもらう契約を交わしてきたよ。

 あとはもう、子供でも飲めるような苦みの少ない焙煎方法を見つけるだけだね。

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