#018:懐かしの味

 たった一晩だけの食べ放題で飲み放題という夢の時間は過ぎ去り、たっぷりと楽しんで気分を爽やかに一新した町の住民たちは、いつもの仕事に勤しんでいることでしょう。

 もちろん私も十分にリフレッシュできたので、誰も来ない店番すら苦もなくこなしているよ。空いた時間はエクレアを客寄せマスコットのような招き猫にできないものかと、思案に耽ったりして過ごしている。


 それというのも、夏祭りが終わったからですよ。

 ということは、私が依頼した自転車の製作が始まったということでもあるわけで、期待と不安が押し寄せてきて平常心がかくれんぼうした状態になってしまい、そのせいで魔獣を客寄せに使おうなんていう素っ頓狂な計画を考えてしまっているのです。


 ――今ごろどうなっているのかな。完成したらどこで練習しようかな。作業はどれくらい進んだのかな。乗れるようになったらどこへ行こうかな。私の説明に不備はなかったかな――

 そんなことが頭の中を目まぐるしく駆け巡り、それと同時に私の手元ではエクレアが忙しなく翻弄されているわけなのだよ。


 そわそわしながらもエクレアにいろいろなポーズを取らせている私を見たお母さんが、苦みを含んだ呆れた顔で話し掛けてきた。


「なんだか落ち着きがないわね。どうしたの?」

「木工工房に頼んだ私の注文が作られてるはずなんだよ。それが気になって気になって」

「そこまで気になるなら見てきなさいよ。お客さん来ないんだし」

「いいのかな? 邪魔にならないかな?」

「進捗を尋ねるなんてよくある話でしょ。大丈夫よ」

「そうだよね。じゃあ、うん、ちょっと行ってみる」


 お母さんに背中を押されたことで私の決意は固まった。だからといって、このまま押しかけては作業を中断させるだけなので、擁護のしようもなくお邪魔虫になってしまう。

 あの親方さんなら邪険に扱われることはないと思うけれど、何か差し入れでも持って行ったほうが、これを渡すついでに見に来ました。てへり――という言い訳を使えるからよいかもしれない。……では、何を持って行こう。

 夏至も過ぎてこれから本格的に暑くなる事と、熱気のこもった狭い屋内に働き盛りの男性が多く居る場所だから……何がいいんだろう?


 お酒はいつでもどこでも喜ばれるだろうけれど、高いから無理だね。そんな余裕はない。精の付く食べ物もお酒と同じく高くて手が出せないから却下。じゃあ、女の色気? ……ないな。ないない。こんなペタン娘では何の足しにもならない。

 一部からは熱烈に歓迎されるかもしれないけれど、私が堪えきれずに相手の身体の一部に転移爆弾をしこんでしまいそうだからこれもなし。自転車が遠のいてしまう。


 これはもう、困った時の脳内メモということで、安価で暑さや疲れを紛らわせられるような何かを探してみると……よし、これだ。


「お母さん。エクレアのご飯から少し貰うね」

「餌ならもうあげたでしょ?」

「あ、そうじゃなくて、木工工房に差し入れでも持っていこうと思って」

「……大麦なんて渡されても困るじゃない」

「そのままじゃないよ。ちょっと加工してから渡すの」

「別にいいけど……麦粥でも作るの?」

「違うよ。じゃあ、多めに作るからお母さんにもあげるね」


 仕事を始めたばかりの見習いでも稼げるような銅貨デニエ一枚でパンを買える町なのに、貧乏飯だとか家畜の餌なんて呼ばれて久しい麦粥を貰って喜ぶ人なんかよほどの物好きしかいないよ。町一番のお金持ちから注文が入るような工房の親方さんなら尚更だよね。




 ご飯と言われて勘違いしたらしいエクレアを連れて二階の居間兼台所へと移動する。

 そこに置いてあるエクレアのご飯――洗った大麦を入れてある袋から一掴み分ほど取り出して、ほどよい大きさのお鍋に水を張ったものも用意したら準備は完了だ。


 では、作業を開始する。

 薬草作りなんかで使う耐熱皿に大麦を入れたら、それを私のヘンテコ魔術で焙煎する。よい色合いになってきたら水を張ったお鍋の中に焙煎した大麦を入れて、これまた私の加熱で一〇分ほど煮詰めたら麦茶の出来上がり!

 あとは布でも使って漉しておけば口当たりがよくなると思うよ。

 本来なら平鍋で炒ったり砂や炭火を用いたりするところだけれど、これは売り物ではないので私の魔術でサクッと終わらせた。


「う~~んっ、香ばしい匂いだねぇ~」

「ぷもも!」

「ごめんね。ご飯じゃないんだよ」

「ぷもぅ……」


 出来上がったものを味見がてらに一口飲んでみると、とても懐かしい気持ちが湧き起こった。

 あぁ、麦茶ってこんな味だったなぁ……。




 そんなわけで、夏といえば麦茶でしょう。

 前世の私はあまり飲まなかったから馴染みは薄いけれど、暑くなってくるとお母さんだとかお婆ちゃんが量産体制に入るそうじゃない? それなのに、この世界では庶民にとってのお茶といえば専らがハーブティーで、女性には好まれていても男性には受けが悪くてお茶を飲むという習慣がまだ根付いていない。紅茶もあるにはあるのだけれど、お金持ちの貴族でもなければ口にできないほどに高価な贅沢ぜいたく品となっていて、もはや比較対象にすら挙がらないのだ。


 実際に私が味わった生活の暮らしぶりからして中世か近世といった世界なのに、紅茶やジャガイモが出回っているのだから、前世の地球とはまったく違った地理なのだろうね。それに、夜になれば日によって青かったり赤かったりする月が昇るので、もしかしたら気候も全然違うものなのかもしれない。

 最初は気になっていた私だけれど、魔術なんてものが存在するのだから考えるのをやめた。

 火をおこしたり風を吹かせたりならまだしも、スタッシュなんてあり得ないでしょう。あの中はいったいどうなっているのやら。入ったことのあるエクレアとお話しできたらいいのになぁ。




 おっと、余計なことを考えていたら工房に行く時間がなくなってしまう。

 差し入れの分を作るために同じ工程を急いで終わらせて、少し多めに作った焙煎大麦を袋に詰めたら、それをあり得ないスキル筆頭のスタッシュに入れて出発だ。


 お母さんに渡すため、先ほど作った麦茶を布で漉してから水差しに移して冷却の魔術でキンキンに冷やし、私も冷たいものを一杯飲んでおこうとコップを二つ持って階下へ降りる。

 理由もなく町の中に魔獣を連れ出すわけにもいかないから、エクレアにはお留守番してもらうことにして、冷えた麦茶を水入れに注いで寝床に繋いでおいた。


「お母さん、できたよ~」

「あら、早かったわね」

「いないと思ったらまた何か作ってたの?」

「あ、エミリー来てたんだ。飲んでみる?」


 意外な時間にエミリーが来ていてビックリした。

 お昼の売り子帰りにしては遅く、夕方よりは早い頃合いだから何か用事があるのかも。


「……なにその茶色いの」

「麦茶だよ」

「ムギチャ?」

「うん。とりあえず飲んでみてよ。冷やしておいたから」

「ああ、お茶か」


 正体がお茶だとわかった二人は私の差し出したコップを受け取り、ゆっくりと口を付けた。

 お母さんには『後味もすっきりしていておいしいわ』と好評だったけれど、エミリーからは『苦みがあっていまいちね』という厳しい評価が下されたよ……。




 どうやら、以前お土産にプレゼントしたお花のお礼を聞きにきたエミリーは夕方から売り子に出なければならないので、まだ決めていないと答えた私一人で木工工房までやってきた。

 入口から中を覗くと皆忙しそうに作業をしていて、たまたま目が合った人にお願いして親方さんを呼び出してもらう。


「おう、嬢ちゃんか。どうした?」

「お忙しいところすみません。暑さに効くお茶が手に入ったので差し入れにきました」

「そいつぁありがてえ。こう暑くちゃかなわねえからな!」


 計画どおりに焙煎大麦を渡して進捗を伺うと、今は本体の骨組みを作っているところらしくまだまだ時間はかかるそうだ。さらに間の悪いことに羊飼いの隠れ家亭からの注文もあるので自転車ばかりに気を払っていられず、最初の予定よりもいくらか遅れてしまうとか。

 できる限り早めに仕上げてくれるそうだけれど、あんな大金持ちを相手に下手を打つと工房が傾いてしまいかねないから、どうしても遅れが生じると申し訳なさそうに謝ってくれた。


 貴族からも一目置かれる大金持ちを敵に回すなんて考えられないもの。仕方がないよね。

 まだ骨組みだけでも、大富豪への道は着実に近付いているのだ。期待して待っていよう。

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