#009:常連さんがご来店

 今日も今日とて朝三つの鐘に遅れないよう開店準備を進める。

 この国では、朝の六時ごろから夜の二二時半ごろまで九〇分ほどの間隔で一二回の鐘が鳴る。三回ごとに朝・昼・夕・夜と区切られていて、それぞれ鳴らし方にも差違がある。


 それというのも、朝早くならまだしも皆が寝静まる夜遅くになってから真っ昼間と同じ勢いで鳴らされたら迷惑きわまりない。もしも、連日に渡って夜中に大音量で鐘を鳴らされたとしたら、朝早くから働き始める住民たちが音を上げてしまうと容易に想像できるでしょう。

 きっと、その音は時報の鐘よりも大きなものになるだろうね。


 そんなことを考えながら店先の掃除をしていると、空になった籠を抱えるエミリーが通りの先から歩いてきた。


「エミリー、おかえり~」

「ただいまぁ。あたしちょっと寝てくるぅ……」

「練習もほどほどにね」

「は~い」


 ほとんど毎日これくらいの時間に会っているけれど、いつものように言い繕ったりしないなんてよっぽど眠かったのかな。冒険者になりたいとか言っていたから、私が寝た後もがんばっていたのかも。




 早々にお向かいのパン屋さんとお隣さんの前まで掃除を終わらせた私は店内へと戻る。

 隣の家は元焼き物職人の老夫婦が暮らす普通の民家で、引退後は奥さんが家計の足しに始めた畑を二人で耕しており、旦那さんがやっていた以前の仕事は次男が継いだのでそこから仕入れることもたまにある。

 本来なら後を継ぐはずの長男は家を飛び出したきり音沙汰がないらしく、似たような状況になった私たちにとてもよくしてくれている優しいお隣さんだ。

 ちなみに、反対側のお隣は空き家となっていてかなりボロっちい。


 お店の中に戻ってもお母さんはいつものようにどこかへお出かけ中なので、帰ってくるまでは私一人で仕事を回さなければならない。

 とは言っても、忙しいのは私が自主的にやっている掃除だけなのだけれど。


 お店を開けてからは特にやることもなく、カウンターの中で木箱に腰掛けて待機していると、ドアベルを大きく鳴らして息を切らせたおばさんが駆け込んできた。


「いらっしゃ――」

「ねぇ、ちょっと、お皿、ある? 大きなお皿!」

「はい、ありますよ。どれくらいの大きさですか?」

「大皿よりも大きな物を探してるの! うちの見習いが割っちゃってねぇ」

「とにかく大きなお皿ですね。ちょっと奥を見てきます」


 大皿なら何枚か出してあるけれど、それよりも大きな物となるとさすがに倉庫に置いてある。

 店舗スペースから薄い壁を一枚隔てただけの倉庫で物色していると、棚に入りきらない物を入れておく木箱の中から二尺はあろうかという陶器の皿が見つかった。

 素材までは指定されなかったから、とりあえずはこれを見せてみよう。


「お待たせしました。こちらのお皿はどうでしょう?」

「いいわねぇ。それくらい大きければ十分よ。それを頂ける?」

「はいっ。お買い上げありがとうございます!」


 お皿と一緒に入れられていた木製の値札を読み上げたらお客さんが少し嫌な顔を見せたけれど、特に文句を口にすることなく支払いを済ませて急ぎ足でお店から立ち去った。


 こんな町外れにあるような寂れた雑貨屋にまで足を伸ばしたのに、他店より明らかに高かったらあんな顔をしても仕方がない。それでも買っていったのは、おばさんが何やらお急ぎだった事と、私みたいな素人が見てもよい出来映えだったからだろうね。値段は予めお母さんが決めているので、別に足下を見たわけではないのだよ。




 それからはドアベルが揺れることなく昼一つの鐘が鳴り、そろそろ昼二つ――ひときわ派手な正午の鐘まで折り返しに差し掛かろうという頃合いになってようやく扉が開かれた。


「あ……お母さんか。お帰りなさい」

「ただいま、サラ」


 お出かけついでに買い物をしてきたらしいお母さんが、野菜などを入れた手提げ袋をカウンターの上に置いて私の隣へ腰掛けた。


「ふぅ。お客さんはきた?」

「うん、来たよ。倉庫にあったすごく大きなお皿が売れた」

「木箱に入れておいたやつ? あれ高いのによく売れたわね」


 値段を付けたあなたがそれを言いますか。

 それならそれで安くしてしまうと、自分で自分の首を絞める結果になってしまう。

 中央通りのほうに、うちよりも品揃えがよくて低価格なお店があるから難しいのだよ。


「あのお皿が売れたんだったら、また何か仕入れに行ってこなきゃ」

「工房と知り合いなの?」

「ほら、お隣の息子さんのところよ。遊び半分で作ったからって安くしてくれたのよ」

「そうだったんだ」


 そんな話をしていると、お母さんがお昼ご飯を作るために席を立つよりも先にドアベルが鳴り、革の鎧を着込んだ年若い女性が姿を見せた。


「やぁやぁ」

「あ、いらっしゃい、マチルダさん」

「あら、久しぶりね」

「レアさん、お久しぶりです!」


 私よりも頭一つ分か二つ分は背が高く、まるで燃えるような赤い髪の毛で一本のゴージャスなポニーテールを拵え、自信に満ちた凛々しい顔立ちをしている夏生まれのお姉さん。

 誰とでも分け隔てなく接してくれる上に面倒見もよいみたいで、その容貌と相まって特に年下の女の子からとても慕われている場面を何度か目にしたことがある。一人っ子の私も姉と妹のように仲良くしてもらっているよ。

 そして、そんなお姉さんがこんな恰好をしているのは冒険者をやっているからだ。そう。あの死にやすさに定評のある冒険者。


 この世界では働かざる者食うべからず――というよりも、よほどの金持ちでもなければ働かなければ本当の意味で食べていけないのだ。それにもかかわらず、このマチルダさんは何かの見習い職に就くでもなく一〇歳になってすぐ冒険者を始めてしまったらしい。

 そんな人は大抵が親とそりが合わずに家を飛び出すもので、ご多分に漏れずマチルダさんも同じように家出してきたのだそうな。


 なにも、ただのワガママというわけではなく、ご実家が少し裕福だったらしくて早いうちから許嫁いいなずけを決められていた。そのお相手のことをどうしても受け入れられず冒険者をしていたら、親から雇われた人たちに連れ戻されてしまい、あと少しで成人するのなら強引にでもくっつけようと画策され、寝所に現れたお相手に渾身こんしんの一撃をお見舞いして逃げてきたんだってさ。

 後にマチルダさんは『あのいけ好かないクソ野郎の歪んだ顔は見物だった。もっと早くこうしておけばよかった』と語っていたよ。


「いつもの傷薬はあるかい?」

「はい。いつものですね。今日も五個ですか?」

「うん、そうだよ」


 我が家特製の傷薬を愛用してくれている常連さんがこの人だ。

 正直に言って、うちの傷薬はちょっと高い。その分、他のお店と比べたら雑味を取り除いて選び抜いた素材で丁寧に作ってある。厳選するのはお母さんだけれど、私も作るのに少しは協力しているのだよ。


「いつも買ってくれてありがとうね。お金は大丈夫? うちって結構高いでしょ」

「高いだけあって利き目も段違いじゃないですか。この違いが大きいんですよ」


 負った傷を即座に治癒させる魔術は存在する。

 だからといって、乱発していれば魔力が底をついてしまうので軽いものなら傷薬が使われる。少しのお金で魔力枯渇による危機を回避できるのだから、冒険者なら常備していて当然だとか。もちろん、冒険者だけではなく町の職人さんや小さな子供にも使えるから売れやすい商品だ。

 ただ、あくまでも傷の治りを早めるだけなので、失った血液や体力は戻らないからそれほど使い勝手がよいわけではない。


 余談だけれど、服用するだけで傷の痛みが瞬時に消え去るポーションもある。

 あくまでも感じなくさせるだけで、傷は一切治らないのにめちゃくちゃ高価な魔薬だよ。


 お母さん達の話を聞きながら売れ筋商品を棚から取り出していると、思わぬ問題に直面した。


「あれ? お母さん、あと六個しかないよ」

「あら大変。今から薬草採ってきてくれる?」

「は~い」

「冒険者ギルドに依頼を出してくれたらボクが行ってきますよ」

「やぁねぇ。そんなお金ないわよ」


 確かにうちにはそんな余裕がない。

 私でも取りに行ける所にあるのだから、わざわざお金を払ってまで人を雇う必要もないしね。


「それじゃあ、マチルダさん。傷薬五個です」

「ありがとう。よかったら残りの一個も売ってくれるかな?」

「もちろんです。どうぞ」


 支払いを終えたマチルダさんが、笑みを浮かべて軽やかな足取りでお店から去っていった。

 お客さんも帰ったことだし、これから傷薬に使う薬草採集のために遠出しなければならない。大人でも厄介な距離だから、こんなときにこそ自転車が欲しいのだよね。お昼ご飯をかばんに詰めて、ちょっと森までサイクリングなんて素敵じゃない?

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