#003:私の家族を紹介します

「――……なさい。起きなさい、サラ」

「……ううぅん……むにゃ……」

「早く起きないとパンの内側だけ全部食べるわよ!」

「ぅえっ!」


 身体を揺さぶられながら聞こえてきた悪夢のような言葉に驚いて跳ね起きると、目の前には見慣れた風景が広がっていた。


 視線の先には、明かり取りと空気を通すために鎧戸よろいどつきの窓を備えた薄い木板の壁がある。その並びにはドアベルを付けただけの少し歪んだ大きめの扉が嵌まり、私が拾ってきた平らな石を敷き詰めた床を手前へ辿ると、僅かによだれがついた分厚い天板が載る大きな長机へと至る。長机の縁にはついで買い狙いで細かな商品を並べた木製のラックが載せられており、私が腰掛ける木箱の背後には滅多めったに売れない商品をギッチリと詰め込まれた棚もある。


 ここは、グロリア王国はブレア領に位置する、ブルックの町の片隅にある寂れた雑貨屋さん。


 そこで店番をしていた私の肩に手を掛け、血の気も凍るほど恐ろしい言葉を投げかけたのは、この世界に生まれ落ちてからずっとお世話になっている、ほっそりとした美人さんだ。

 肩口よりも上で整えられている私と同じ金髪にはあまり艶はなく、身に付けた衣服も所々に繕った形跡が残る。ここ最近は小じわの数も増えてきたけれど、それでも肌の若さが年齢ほどに衰えていない綺麗な人だ。


「ごめん、お母さん。寝ちゃってたみたい」

「気持ちはわかるよ。だいぶ暖かくなったからねぇ」

「うん、懐かしい夢を見てた気がする」

「サラは記憶力だけはいいものね。いろんな夢が混ざっていそうだわ」


 あの記憶保護は前世の記憶を保持するだけではなく、とても便利な使い方ができる。

 たとえば、漠然とした記憶の断片だったとしても、ひとたび思い出そうとイメージするだけで、まるで頭の内に検索エンジンがあるかのように関連したものが次々と浮かび上がるのだ。それを掴み取れば、些細なことまで明確に刻まれているよ。

 私はこれを“脳内メモ”と呼んでいる。


 それと、赤ちゃんの頃から無属性魔術も便利に使っていたけれど、一人で行動できるようになってからは調子に乗っていろいろと実験していたら大失敗を引き起こしてしまった。

 それ以降は安全を確認したものしか利用していないのだよね。二回目にもらった魔力支配のほうはそのうち語りたいと思う。


「そろそろお昼の鐘が鳴るからご飯にしようか」

「うん。パンの中身はある?」

「もう、この子ったら。あんなの冗談に決まってるでしょ」


 ぎちぎちに詰まっているからちょっとやそっとではビクともしない、ある意味安全な陳列棚が並ぶがわの端にある薄っぺらい扉をくぐって生活スペースへと移動する。




 この家は一階部分がお店と倉庫になっていて、二階に居間と寝室があるだけのすごく小さな木造家屋だ。めちゃくちゃ狭い屋根裏部屋も一応はあったっけ。

 そんなお家に私とお母さんの二人だけで住んでいる。

 お婆ちゃんもいるけれど、お向かいの伯父さん――母の兄の所で暮らしている。お爺ちゃんは私が生まれるよりも前に他界していた。父はいない。私が働き始めた三年前に出て行った。

 あの時の言葉は記憶保護に頼ることなく未だに忘れることができないでいる。


『父さんもな、冒険者になろうと思うんだ』


 私もお母さんも笑い飛ばしたけれど、その翌朝には姿を消していた。




 確かにこの世界には冒険者と呼ばれる人たちが存在する。

 私が生まれるより何年も前に、物好きな貴族たちが出資し合ってギルドすら作られている。そこで腕前に見合った仕事をこなしていくわけなのだけれど……彼らはすぐに死ぬ。あっという間に死ぬ。それはもう、笑うしかないほどの人数があっさりと命を落としている。


 その代わり、莫大ばくだいな富を得た人たちが少数ながらいることもまた事実だ。しかし、そんな人はごく僅かしかいない。だって、大半はすぐに死ぬのだから。

 それで私はその道を選ばなかった。


 喉から手が出るほどお金が欲しくても死んでしまったら意味がない。そうなれば稼いだお金を使うこともなく、あの骸骨に連れられて生まれ変わってしまうのだろう。

 そんなことになったら、いったい何のために魔術なんてものが存在するヘンテコな世界で、文句の一つも言わずに生きてきたのかわからない。


 何のためかって? 贅沢ぜいたくをするために決まっているじゃない。

 前世でしたかったあれやこれやをこの世界で叶えたい!


 お洒落しゃれな服……はなかった。かわいい靴……もなかった。マンガも小説も見たことない。

 ないない尽くしのオンパレードだけれど、ないなら作ればいいじゃないってことで、改善策やアイデアを考えたことがある。そして、それをお母さんに言っても、行方をくらます前の父に言っても、いつも甘やかしてくれる優しいお婆ちゃんに言っても、仲良しの従妹いとこに言っても、ようやくできたお友達に言っても、数少ないお得意さんに言っても、皆は揃って変な顔をするだけだった。


 物は試しに、お店と取引はあっても私との面識がなかった職人さんにも話してみたら、生暖かい眼差まなざしを向けられて『そんな物があるといいな』と言われるだけだった。まったく知らない人に言おうものなら『子供の冗談に付き合う暇はない』と鼻で笑われたよ。


 これならもう、私自身がお金を貯めて、職人さんに商品サンプルを作ってもらおうと考えて働き始めたのに、割と顔の広かった父がいなくなったせいで客足も徐々に途絶えていった。


 生活には欠かせない日用雑貨をメインに取り扱っているとはいえ、そう頻繁に買い換えるものではないからさすがに困った事態に陥った。パン屋を営んでいる伯父さんの家からの援助がなければ、生きていくのも危ういほどの稼ぎになってしまい、そのあおりを受けた私のお給料は本来貰える額よりも随分と少ない。

 本当に、父は困った置き土産を残してくれたと思う。


「どうしたの? 早く食べちゃいなさい」

「うん。いただきます」

「いつまで経ってもその癖が抜けないわね」

「いいじゃない。お母さんありがとうって意味なんだから」

「作ったほうとしては嬉しいからいいんだけどさ」

「嬉しいならいいじゃない。さぁ、食べよう食べよう」


 お母さんは、父がいなくなってからも取り乱したりすることなく過ごしている。

 変わった事柄といえば、セミロングだった髪をばっさり切って短く保つようになった事と、頑丈で膝まであるような革靴を履くようになった事くらいだ。愚痴も言わなければ誰かに同情を求めたりもせず、家事をこなしながら朝から晩まで休むことなく働いている。


 私が起きるよりも早くから家を空けていて、お昼前ごろになれば仕入れた品物だったり、自家製の商品に使う素材などを持って帰ってくる。

 二人の間には私の知らないところで何らかの予兆があったのかもしれないけれど、前世の両親があんなのだったからその手の動きがよくわからないのだよね。


 そんな気丈なお母さんだけれど、時たま前日の夜から隠しきれないほどに浮かれた気分の日があって、いつもの時間には疲れた表情で帰ってくることがあるのだ。もしかすると近いうちに新しいお父さんができるのかもしれない。私に反対する気はないから隠さなくてもいいのに。


 そういえば、出かけるたびに遅くまで帰らなかった父だったけれど、浮気の話だけは一度も聞いたことがなかった。

 こんなにも働き者で器量のよい奥さんがいるのだから当たり前と言えば当たり前のことだとしても、吹けば飛ぶような線の細い身体にどこの王子様だと言わんばかりの甘い顔を持ち、聞いているだけで時間が経つのも忘れてしまうような話し上手な男がモテないとは思えない。

 喧噪けんそうひしめく大都会とはほど遠い町なのに、それでも何の話も聞こえてこないのだから、前世では異性の知り合いどころか同性の友人すらいなかった私でも疑う余地がないくらいだった。

 だからといって、お母さんを捨てて家を出て行ったのは許せるものではありません。


 そんなわけで、誰かさんのせいでこんな境遇になったけれど、コツコツと続けた貯金がとうとう目標額に達したので、ご飯を食べたら職人さんにサンプルを作ってもらいに行こうかな。

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