第2話

 加害者の男は、気絶した状態のまま男たちに運ばれ、そのまま連行された。

 名前すら覚えたく無かったので、カバとネズミを足して2で割ったような顔をしていたそいつをカバネズミというあだ名で呼称することにした。

 警察の取り調べには、カバネズミを殴ったあの男も相席してくれていた。

 真守はものすごく疲れていた。なにせ、痴漢された時に三年分くらいの汗を流したのでは無いか、というほど体中の体液を一気に放出したのだ、疲弊しないはずも無かった。

 だから、正直、男の相席はかなり心強かったし、ありがたかった。こんなことになるとは思っておらず、未だ状況に追いついていない真守よりも、遥かに饒舌に事の経緯を説明してくれた。

 案外、取り調べはスムーズに進んだ。カバネズミは、殴られたショックのせいで、反抗する気などすっかり無くなったようで、あっさりと自分の罪を認めた。そして、聞いてもいないのに、ぼそぼそと自分語りを始めた。

 話によると、カバネズミは、一か月前に自分の勤めていた会社からリストラされたらしい。その直後、最愛であった妻にも愛想をつかされ(妻がいたというのが驚きだが。。。)、それからというもの、ハローワークに毎日通い続け仕事を探す日々。イライラが最高潮になっていた。ただの欲求不満でもあった。そんな時、電車の中で真守を見つけた。元々、バイセクシャルだったカバネズミは、目の前にいた真守で欲求を満たそうと試みたらしい。

 真守は、この男を大いに軽蔑した。相席した男も両の拳をきつく結んでいた。取り調べを進める警察官も、男が実に軽快にぺらぺらと語るため、途中メモを取ることをやめ、口をポカンと開けて話を聞いていた。

 カバネズミは、全てをぶちまけたことにより、どこか清々しい顔をしていた。年齢は四十代後半位だろうが、見た目も五歳くらい若返ったように見えた。

 「あのー、親子丼まだですか?」カバネズミは、唾液を垂らしそうなほど口の中をくちゃくちゃにして、そういった。

 「無いね。」侮蔑した目つきで警察官が言った。

 取り調べは無事終了した。




☆☆☆




 「少しは落ち着いたか?ここ座ってな、今飲み物買ってくるから」

 赤の他人である男に、これ以上世話になるわけにはいかなかったが、真守は、サハラ砂漠を飲まず食わずで三日三晩歩き続けた並みに喉がカラカラだったし、体も弱っていた。なので、素直に「ありがとうございます」と言って、警察署から少し離れた公園のベンチに腰をかけた。

 目前の噴水が、綺麗な弧を描いていた。三歳くらいの女の子と、その子の母親と思われる人が、噴水の周りで楽しそうに追いかけっこをしている。

 すごく平和な昼下がりの光景だった。ようやく現実に帰って来られたような気になり、真守は、徐々に気持ちがほぐれてきているのを感じた。

 「ん、お茶」と、言ってお茶を突き出してきた男の腕は、程よく筋肉がついていて健康的だった。

 わざわざありがとうございますと言って、受取ると、我をわすれてゴクゴクと勢いよく飲んだ。五百㎖のお茶を半分以上飲んでしまった。

 「すごい勢いで飲むなぁ」男は真守のあまりの勢いに驚くと同時に、微笑を浮かべていた。

 「めちゃくちゃ喉乾いてたので」

 そう言った後、真守は男にきちんとお礼を言わなきゃいけないことを今更ながら思い出した。

 真守は男の方へ改めて向き直った。

 「あの、今日は本当にありがとうございました。あの、それで、まだお名前を聞いて無かったんですけど」

 「あ、そっか。まだ言ってなかったか。忍だ、桑田忍」

 真守は、この時忍という男の顔を、ようやくまざまざと見た。

 身長は、真守よりも二十㎝位は高く思われたが、その顔つきは優しく、垂れがちな大きい目と、笑うとできる左のえくぼが印象的で、とにかく人が良さそうな顔だった。

 「忍さん。今日は見ず知らずの僕を、助けてくれて本当に本当にありがとうございました」

 「どういたしまして。俺みたいな人間だけど役に立てて良かったよ。さて、真守。もうだいぶ落ち着いたか?」そう言って笑いかけてくる忍に、真守は大きく首を縦に振った。

 「そうか、そうか、じゃあ、、、。」

 ササ―と忍の顔から笑顔が引いていく。

 真守は心配そうに顔を見つめる。

 「、、、あのー、忍さん?大丈夫ですか?」

 「大丈夫も何も、どうしたもこうしたもねーよ!お前、あいつにケツ触られて黙ってんじゃねーよ!!自分でどうにかしようとしろよ!今回は、俺が見てたから良かったけど、俺が見つけて無かったらどうしてたんだよ!!もっと自分から拒否しろ、このチビビリが!!!」

 忍の口調は一変し、忍に向ってまくし立てるように怒鳴った。声はどんどん大きくなり、最後の方は軽く叫んでいた。

 噴水の周りにいた親子も、追いかけっこを中断し、こちらを見ている。そして、ただならぬ様子を見て、遊具のエリアへと移動した。

 「あ、えーっと、し、忍さん?」忍の凄みに思わず圧倒され、真守は背中をのけ反らさた。

 「なんだよ、チビビリ!!!」

 「チ、チ、チビビリって、、、。」

 真守だって、真守なりに頑張ろうとしていた。それを知りもしないくせに、否定してきた。腹の底から熱を帯びた怒りが湧き出てきた。

 「、、、しょ、しょうがないじゃないですか!!ぼ、僕だって怖かったんですから!!」

 真守は、逆ギレした。

 「もう、もう気持ち悪くて、声だそうとしたって、出なかったんです!!」

 「何が、声が出なかっただ!じゃあ、アクション起こせ、アクション!!」

 「動こうとしたもん!!!、けど、離してくれなかったんだもん!!!」

 「はー!?」

 もはや小学校のたわいもない言い争い状態だった。 

 そのままじりじりとにらみ合っていると、真守のケータイがなった。

 「電話です!僕、出ますから!!」

 「おう、出ろ出ろ、チビビリ」

 真守は、忍からプイっと背を向け、電話に出た。

 「もしもしー!今こっちは忙しくて―――」

 真守が続きを言うのを遮り、「ちょーーーっとぉ!!、まもちゃーん?やだぁ、やっと出たわぁ」と、オカマボイスがぐわんぐわんと耳に響く。声を高くしようとしているのは分かるが、逆効果なんじゃ?、と思わされるぐらい低い声だった。

 「なんだ、ゴンちゃんか。悪いけど、話なら後にしてよ、僕、今ちょっと面倒くさい人を鎮めるので忙しくて」

 面倒くせーだと?!と、忍が野次を飛ばしてくる。

 「もう、なーんでも良いけど、夏希とうちは心配してたんだからねぇ?何回電話しても出ないしー」

 「あー、取り調べ受けてたから電源切ってたんだ、心配かけてごめん」

 ちょっと、取り調べって何ぃ?!?と、拡声器を通して話しているかのような爆音声が轟く。

 「う、うるさいよ!耳壊れるから!まぁ、詳しくは学校で話すからさ、夏希ちゃんと待っててよ」

 「ふーん、じゃあ、夏希と学校のカフェにいるから、なるべく早くきてちょーだいねぇ」

 わかったよ、じゃあ後で、と答えて電話を切った。

 「忍さん、今日はお世話になりました。僕はこれから学校に行くのでさようなら」

 真守は立ち上がって、くるりと背を向け、駅の方向へ歩き出した。

 まだ話は終わってねーぞ!とか何とか言っていた気もしたが、聞こえないふりをしてスタスタと速足ぎみに歩いた。

 


 

 




 

 

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