蒼白なるファセラ・3


 花が咲き乱れる中庭を通りぬけて、アルは薄暗い城内に入った。

 さらに階段を降りて、地下牢の横を走りぬけた。空気は湿って重たかった。

 行き止まりかと思われる壁面で立ち止まると、アルは手をかざした。

 とたんに、漆黒の門が現われた。エーデムリングに属する者以外、察知することができない黒曜門である。

 アル・セルディンは、エーデムリングに属する者だった。

 物心ついた時から、アルはここに何かがあることを察知していた。そして、成長と共にそれが何なのか、誰に教わることもなく感づいていた。

 人知れず、何度かこの門をくぐったこともある。だが、誰にでも許されてはいない力だということも認識していて、彼は自分が『エーデムリングに属する者』だということを、秘密にしていた。


 王さえも超える古代の力……。


 それを自分が持っているということは、あまりよいことには感じなかったのだ。時代が、エーデムリングの力を解放できる者を求めているとすれば、それは不吉なことに思えた。

 強い力は諸刃なのだ。今のエーデムの民を見れば、よくわかる。

 強い結界の力・エーデムリングの力に頼りすぎていて、平和はおのずと与えられると信じている。力はいつか、尽きるものなのに。

 今や古代ではない。王に必要とされているのは、強い魔の力などではない。

 魔の力の強弱で、王位のふさわしさなどを決める時代は、とっくに過ぎ去った。

 アル・セルディンは、そう考えていた。


 アルが頼ろうとは思わない魔の力にて、黒曜門の内側には灯篭が灯されていた。

 瞬きした瞬間に、もう別の場所に移動する。水晶で覆われた光の回廊を歩き、乳白色に輝く道を進み、壁全体に彫刻を施した部屋に出る。

 時間さえも迷うこの迷宮で、アルは必死にファセラを探した。

 この迷宮に、唯一住むことを許されている生き物・氷竜たちが騒いでいる。しかし、誰もファセラを見た者はいないという。

 アルはさらに奥へと進み、金剛門までやってきた。

 広い部屋の中央に七色に光を放つ不思議な石が置かれている。門とは名ばかりで、この石こそが金剛門と呼ばれる門であった。

 金剛門を抜けると、そこは古代エーデムリングの世界だといわれている。そして、エーデムリングに属しているすべての者が、こちらの世界での生を終えて生きる場所だともいわれている。

 それはいいつたえに過ぎない。

 そのような天国が、実際には存在するはずもないことを、アルは知っていた。

 しかし、この石の魔力は非常に強く、見たい過去を見せてくれる力があるのだ。

「ファセラに会いたい」

 アルの望みを、金剛石はかなえてくれた。


 金剛石が見せてくれたファセラの姿。

 幼い日々、二人で力を合わせていこうと誓い合った。ひとつ年上のファセラは、アルを弟のように大事にしてくれた。

 あの頃の笑顔をしばらく見ていないことに、アルは今更ながら気がついた。

 そして、今……。

 ファセラは眠るようにして横たわっていた。

 銀の巻毛は、うち広げられて揺らめいていた。限りなく透明な水が、ファセラを包みこんでいた。

 水面は波ひとつなく、ファセラの眠りを妨げる風も吹かない。

 深い青の水底にファセラは留まり、水面を揺らす気泡も浮かばない。

 蒼白な顔……。その表情には苦痛は見えない。

 むしろ、生きていたときのほうが苦しい顔をしていたかも知れない。

「ファセラ……どうして?」

 うめくように声を絞り出して、アルはその場に座りこんだ。


 ファセラは、白亜門を越えてすぐに、迷宮に惑わされ、回廊の裂目から地下水脈へと落ちてしまった。恐怖を感じる間もなく、冷たい水が彼の心臓を止めてしまったのだ。

 ファセラ・エーデムが、迷宮を出でることができたのは、それから1ヶ月後のことである。瑠璃門が開いた時に、雪解け水と共に流れ出でた。

 悲しいことに、時間は戻ることはできない。しかし、エーデムリングの迷宮では、あらゆる時間の出口が用意されていて、ファセラの亡骸は1ヶ月後の出口を選んでいた。

 死をもって、ファセラはアルに苦悩を与えた。

 アルは、ファセラが迷宮から冷たくなって戻ってくるのを、1ヶ月も苦しみながら待つこととなった。


 その日、アル・セルディンはガラルに至り、フィーマと共に瑠璃門が開くのを待っていた。

 人も登れぬ高い崖の中腹に、青き門があり、ガラルの雪解け水がたまりエーデムリングの遺跡を水没させぬように、時々開いて水を吐き出す。水は滝のように落ちて、ガラル川と共に、流れてゆく。

 付き添いの村人たちが悲鳴をあげる中、ファセラは戻ってきた。

 アルは自らガラルの川に歩を進め、清き水からファセラを受け取った。

 そして、すっかり蒼白になってしまった屍を抱きしめて、しばらく動けなかった。


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