蒼白なるファセラ・2
一頭の鈍竜がガラルを目指していた。
質素な荷台に、天気がよいというのに、マントをすっぽりとかぶった若い男が乗っていた。緑の瞳には、エーデム人らしからぬ緊張が走っている。寒くはないはずなのに、男は何度目かの身震いをした。
ファセラ・エーデムだった。
ガラルどころか、彼はイズーを離れるのさえ初めてだった。御者のような平民と言葉を交わすのも初めて。人生で、初めてのことばかりだったのだ。
人の良いエーデム族。平和な時代。旅に危険はない。それでもファセラは震えていた。
恐ろしい決意をしていた。
自分の血の濃さを確かめたかった。アルと同じ……いや、それ以上の血の濃さを証明したかった。そして、自分の王位継承をすべてのエーデムの民に、正当なものとして見せつけたかったのだ。
その方法はただひとつ。
ガラルの白亜門を越え、エーデムリングの迷宮へと入り、金剛門を抜けてゆく。
エーデムリングに属する者であり、古代エーデム王族の血を引く者であることを証明するのだ。
しかし、そのようなことができた者を見出すには、最近でもセルディ・エーデム王までさかのぼらなければならない。いや、いたのかもしれないが、試した者はいなかった。
迷宮で迷い、命を落とすことになるかも……。そのような危険をおかす必要性は、この平和な時代にはなかったのだ。
ファセラは、また震えた。
アルならば、きっとそれができるだろう。アルを越えるためには、自分もできなければならないのだ。
古代エーデムリングの遺跡に繋がる道。
それは四つ残されているが、知られているのは三つのみ。南の水晶門、ガラルにある白亜門と瑠璃門、イズーにあるとされている黒曜門は、隠された門であり、存在が定かではない。
どの門も、エーデムリングの力を解放できる者のみ、開けることができるとされている。そして、さらに迷わず進める者は、数少ない。
ファセラが白亜門の前にたった時、ガラルの巫女・フィーマが血相を変えてやってきた。
長命の巫女とはいえ、もうすでに老体の身である。フィーマはしがれた声を絞り出した。
「行かれてはなりませんぞ! ファセラ様。あなた様には、その試練は重すぎますぞ!」
「アル・セルディンにならば、何という?」
ファセラの問いに、フィーマの言葉がよどんだ。
「アルなら行けるというのだな? それならば、命をかけてでも、私も行かなくてはならないのだよ」
その言葉を聞いて、フィーマはファセラに泣いてすがった。
「アル様はアル様、あなた様はあなた様じゃ! 求められているものが違うのじゃ! 惑わされてはなりませぬ。人それぞれの価値というものは、人それぞれにあるもの」
ファセラは年老いた巫女を振り払った。
エーデムの優しい王子に、少しでも自分らしさが残っていれば、憐れな老女にこのような乱暴を働くことはなかっただろう。フィーマはあっけなくばったりと地面に倒れた。
フィーマの無様な格好を見て、一瞬自分の行いに、はっとしたファセラだったが、村人たちがやってくるのを見て、気をとりなおした。
彼らに邪魔されないうちに、旅立たねばなるまい。
ガラルの人々とフィーマが見ている目の前で、ファセラは白亜門を開けた。
中からまぶしい光が漏れ出して、やがてファセラを包みこみ、見えなくなってしまった。
イズー上空を、ムンク鳥が舞う。
アル・セルディンは、心話により巫女姫・フィーマの伝言を聞いて、息が詰まるほど驚いた。
ちょうど時期悪く、アルは平民の恋人と密会中であり、その可憐な唇にくちづけしようとたくらんでいたところだった。もちろん、それどころではなくなってしまった。
アルに欠点があるとしたら、あまりに恵まれた才能により、才能に恵まれない者の痛みを充分に理解できない点にあった。
「ファセラ……。なぜ?」
王位も何もかも、彼が望んだものは譲れるのに……。
彼のために、いくらでも力になるつもりだったのに……。
子供の頃はよかった。二人は純粋に友人だった。声に出して、そう告げることができた。
「何かよからぬことでも起きたのですか?」
不安げに見つめる少女に、アルは微笑んだが、やや強ばった表情だった。
「いいえ、大丈夫です。大事には至らせませんとも……」
そう告げると、アル・セルディンは、イズー城へと走り出した。
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