うさぎシチュー

うさぎシチュー

 僕は、本当にバカななんじゃないのかな? 

 もう、くたくたで死にそうなのに、休みなし、食事なし、しかもあてすらもあるのかないのか……。

 何でこんなヤツについてきてしまったんだろう?


 ミーアから聞いたことがあったんだ。魔の島のこと。

 あの人は、辛いこともあったのかも知れないけれど、楽しいことしか話さなかった。だからかもしれないけれど、レンガ亭の食事の話はよくしてくれたんだ。

「メル、あんたって料理がうまいわよねぇ。とても私が教えた料理とは思えないわ。そう……ヒュニの作ってくれたシチューに近いものがあるわねぇ」

 そういって、うっとりしながらスプーンをくわえるミーアは、本当に幸せそうだったんだ。

「向こうでは鳥じゃなくて兎の肉を煮込んだの。ジャガイモとね、ニンジンとね、それと香草を入れて……。そして、3日3晩煮込むのよ。ことこと……とね」

 僕は、つい想像してしまった。レンガで立てられた小さな居酒屋の片隅に、暖炉がある。そこに鉄鍋が掛かっていて、野菜の甘味や肉の旨味が溶け出したシチューが入っている。きっと、部屋中がほのかな香りに包まれていることだろうって。

 肉も野菜も柔らかくまろやかに調和して……。

「痛っ!」

 突然のミーアの悲鳴に、僕は目をしばつかせる。あの人は頬を押えて涙目になっていた。

「あぁん、これは鳥なのよ。しかも骨付きの……。おもいっきり骨を噛んじゃった。残念、メルにも食べさせてあげたいわ。あのシチュー」

 僕も食べたい。そのシチューを……。


「おい、これ食え」

 思い出にひたってぼんやりしていた僕に、ヤツは何かを投げつけた。やっと休憩をもらって、へたり込んでいた僕の足元にばさりと落ちたものは、なんだか生暖かくて毛むくじゃらだった。

 僕は思わず悲鳴を上げた。死んだ兎だった。

「なんだ? 食べないのか?」

 ヤツはつまらなそうにいった。

 食べろっていったって、僕はこんな屍骸を食べたことはない。僕が知っている鳥も兎も、もうすでに食肉となったものだ。肉屋さんで仕入れるものであって、狩で獲ってくるものではない。

 ヤツはどうもそういうことに慣れているらしく、手際よく肉をさばいている。血の匂いがどうもだめで、僕は顔をそむけ、目をつぶった。

 信じられないよ……。こんな残酷なこと。

 ただ、火であぶっただけの肉。塩も胡椒もない。

 確かに餓えて死にそうだけど、こんなひどいもの、食べたくない。それに先ほどの血生臭さが鼻から離れない。

 なのに、ヤツは食えって強制するんだ。涙が出そうだった。

 さすがの空腹に負けて、こんなものでも食べきれたけれど……。

 本当なら、ヒュニの手料理の兎シチューを食べているはずだったんだ、本当は……。柔らかく煮崩れそうな肉と、この筋だらけの肉は、同じ兎だとは思えない。


 ヤツはギルティと名乗った。

 確かに、ギルティがあらぬ疑いを掛けられて逃げ出すはめになったのは、僕のせいでもある。僕を助けたばかりに騒動に巻き込まれ、殺人の容疑を掛けられたんだ。

 でも、だからといって、僕がこの逃走珍道中に一緒に参加する必要性は、まったくなかったんだ。

 追われているのは僕ではなくて、ギルティなんだから。

 本当に自分が信じられない。僕はどうして、こんなヤツについてきてしまったんだろう?

「せめてシチューとかだったら、美味しく食べられるんだけど……」

 うっかり呟いてしまった言葉に、彼は血のような真っ赤な目を向けた。思わず肉を取り落としてしまう。

 この赤いきつい目は、どうも苦手だ。いつも責められているような、見透かされてしまうような……とにかく怖いんだ。

「そんな時間はない。鍋もない」

 言葉もそっけなくて冷たい。

「落としたものは拾って食べろ。無駄にするな」

 ううう……。そんな。あんまりだ。


 ギルティって、実は味音痴なんじゃないのかな? 

 その後、僕が食べさせられたものっていったら、ひどいんだ。兎や鳥はもちろん、蛙や野ねずみまで食べさせられた。しかも、塩胡椒なしだよ。ないから仕方がないんだけど。

 ギルティは、しかも僕が食べ残したものを食べる。野ねずみのしっぽまで食べられた時には、僕は思わず卒倒したよ。もう、一体どんな胃袋をしているんだろう?

 いや、僕だって彼には感謝しているんだ。

 だんだん、嫌なだけのヤツじゃないって思い始めてはいるんだ。

 僕がへたり込んでいるわずかな時間に、彼は兎を獲ってきてくれたし、食べるものはほとんど僕に食べさせてくれた。僕が食べられそうにないところばかり、彼は食べているんだ。

 体力的には、ギルティのほうが使っているのに……。

 どうしても辛くって、弱音ばかりを吐いているけれど、本当はそうじゃないんだ。怒鳴られて泣いたりもするけれど、ギルティが僕のことを気遣ってのことだって、わかっているけれど堪えられないだけなんだ。

 僕は気がついているんだ。なのに、勇気を出して僕が感謝の言葉を述べたり、謝ったりすると、ギルティったら怒り出すんだ。もう、わけがわからない。

 どうしてなんだろう? 僕は心配しているのに……。

 何で気持ちが通じないのかな?


 僕らは、旅を休止して山小屋で過ごすことになった。僕が、もう動けなくなってしまっから。

 そこは、もう見捨てられた小屋なんだけど、食べ物や井戸もあって、最近まで誰かが住んでいたらしくって、天国みたい。

 で、僕はだいぶ元気になった。日頃の感謝の意味をこめて、ギルティが兎を獲ってきた夜、シチューに挑戦した。

 三日煮込む必要がある。確かに旅の途中ではできないかも知れない。翌日の晩、ギルティは狩から帰ってくるなり、くんくんと鼻を動かした。

「なんだ?」

「あ、あの……。昨日の兎、シチューにしているんだよ」

「そうか」

 言葉はそれだけだ。その夜、彼はますます無口だった。

 僕、何かまずいこと、したかなぁ……?

 別に……君の料理をひどいってバカにしているわけではないんだよ。ごめん。

 口にしようとして、つぐんだ。まるでそうだとでも言っているようなものだ。


 暖炉に掛かった鍋からは、美味しそうな匂いが立つ。

 が、なぜか気が重い3日間だった。もともとあまり話さないギルティだったけれど、この小屋に住み始めてからは少しは会話があって、友達になれたような気になっていたんだ。それが、再びだんまりで。

 もしかして……。シチューとか、嫌いなのかな? 半焼けの肉やねずみのしっぽが、本当は好物だったとか? いや、いくら味音痴でもそれはないだろうなぁ……。

 

 いよいよ完成。兎シチュー。

 鍋の中は、骨から染み出した白濁した濃厚なスープが、油の膜を張っている。ところどころすくえば崩れそうなくらい柔らかになった肉が顔をだし、仕上げに入れた香草の香りがさらに食欲をそそる。

 みてくれは大成功だ。が、食べてくれるかな? 不安。

「全部、おまえが食べろ」

 とか、言い出しそうだ。

 でも、僕の心配は無駄だった。ギルティは、シチューができたことを伝えると、自ら食べると言い出したのだ。

 意外に思ったけれど、ちょっとうれしい。もしかしたら……。期待していてくれたのかな? なんて……。


 机に向かい合って座り、食事が始まった。

 僕は手にスプーンとフォークを握ったものの、手が止まってしまい、ギルティの様子を、じっと見ていた。

 ねずみのしっぽを食べる彼とは別人みたいだ。ギルティは、あんなんだけど、実は優雅なところもある。スプーンをもつ指先が繊細で、見とれてしまうほど。ミーアや僕のようながさつさがないんだ。

 彼は、スプーンでシチューをすくったまま、なかなか食べようとはしなかった。その時間が、僕にはすごく長く感じられた。一瞬だけ、彼は僕のほうにきつい視線を投げた。

 僕はドキドキしながら、ギルティの一口目を待っていた。僕の視線の中、スプーンが彼の口まで運ばれて、吸い込まれた。

 彼の表情がやや曇った。

「少し、味が薄めだな……」

 僕は、目が点になった。

 きっと、ギルティは薄味好みなんだと思っていた。じゃないと、あんな味気のないものを食べられないと思っていたからだ。しかも、味音痴ではないらしい。

「ご、ご、ごめん!」

 僕の耳は真っ赤になった。失敗だったんだと思った。

「謝ることはない。好みの差だ。うまいぞ、おまえも食べろよ」

 僕はあわてて食べ始めた。た、たしかに少し味薄かったかも?

 でも、美味しい! 本当に美味しい!

 僕は最高に幸せな気分になった。気がつくと、お皿を持ってずるっとすする有様だった。

 口の周りに輪を作りながら、はぁ、とため息をつくと、ギルティが僕の顔をみて笑っていた。


 これは後日談なんだけど……。

 実は、ギルティはかなりの食通だったようなんだ。彼曰く、命の危機の前に味うんぬんは気にしないことにしているらしい。彼もねずみのしっぽは、できたら食べたくはないらしい。

 それと、ギルティの国では毒殺も多いので、食事の時に僕のように相手が食べるのを待つのは、とても失礼なことだったらしい。同時に食べ始めるのがしきたりなのだそうだ。

 知らなかったとはいえ、ギルティが食べるところを、じっと見ていた自分が恥ずかしい。

 彼は彼なりに、僕を信頼してくれていたから、先に一口食べてくれたんだ。


 僕は、ギルティのことが大好きだ。本当に本当に、大好き。

 でも、ひとつだけ……。

 彼の作った料理だけは、死んでも二度と食べたくはない。




=うさぎシチュー・終わり=

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