ウーレンの剣・2


 シーアラントとヴィルダスが、再び馬に乗ろうとした時だった。

「おい、あれはなんだ?」

 ヴィルダスの言葉に、シーアは彼方遠くに輝く光に気がついた。

 銀の粉を撒き散らすように、光を散らしながら、それはゆっくりと近づいてくる。

 みたこともない途轍もない力の塊が、あたりを圧倒しながら進んできた。

「隠れろ!」

 二人は、馬を岩陰に隠し、自分たちも小さくなって身を隠した。

 光は国境の見える丘の上までくると、ゆっくりと輪を書いた。

 やがて光が弱くなった。

「銀竜……」

 シーアラントは心の中でつぶやいていた。


 やがて銀竜の姿は、はっきりと見える程度に光度を落とした。

 しかし、銀の粒子が竜の廻りをはっている。それは、何人も破ることができぬ結界であった。

 ヴィルダスはすっかりおびえて震えていた。

 だが、シーアは驚きの目を持って、銀竜を見つめていた。

「兄様、なぜおとまりになるの?  国境はもう目の前というに……」

 鈴をふったような可憐な声がした。

「サラ、このような姿のままで国境は越えられまい。我々は目立ちすぎる」

 竜の背に、二人のエーデム族の姿があった。

「このまま進めば、国境を飛び越したとたんに、奇跡を求めて人々が追ってくるであろう」


 エーデムの民。

 まこと神に近い存在であった。

 この地を創造したエーデムリングの人々の末裔であり、封印された力を解放できる人々。

 ウーレンの民が、武力をもってして、必死に国を守ろうとしているのに対し、エーデムの民は、エーデムリングの力をもって、簡単にすべてを守ることができるのだ。

 同じ魔族にして、ウーレンの民とは力が違いすぎる。

 竜に乗った二人のエーデム族も、銀の光をまとい、神々しく美しかった。

 ヴィルダスは、神にあったかのように畏敬の念に襲われていた。

 シーアは恐れはしなかった。

 それどころか、ねたみ……とでもいえる感情が、ふつふつとわいてきた。


 我々は辛い練習を重ね、馬という足を得るというに……。

 武芸という技を得るというに……。

 彼らは、努力などせぬ。

 生まれついて、竜を自由に駆り、銀の結界で身を守られている。

 なぜに? 

 あの涼やかな瞳は、何ゆえだ!

 苦難を知らぬ者のみが持つ、平和的な柔らかな瞳。

 血にまみれ、砂を噛み、必死に生きる者たちを哀れむ、慈愛に満ちた瞳。

 そして、同時に軽蔑する高慢な……緑の瞳。 

 苛立ちがシーアの瞳を燃えさせた。


「そこにいるのは誰ぞ!」

 突然、エーデム族が叫んだ。

 銀の髪が癖もなく、真直ぐに落ちている。シーアよりもわずかに年長というところか。

「私は、エーデム王子・ルカスである。我と知って、殺気を帯びた視線を向ける輩か!」

 怒りを込めながらも、エーデム王子の瞳は、緑色で温かな色であり、顔には子供っぽさがまだ残っていた。

 しかし、耳横から伸びた角が、ルカスがすでに一人前の王族であることを示していた。

 もう一人、サラと呼ばれたエーデムの少女は、兄・ルカスの影に隠れた。

 しかし、何が現われるのかと、好奇心を押さえきれず、そっと顔を出していた。

 角と年齢と性別の違いこそあれ、二人はよく似ていた。

 サラは明らかにまだ子供であるが、仕草はすでに女性のものであり、大人へと変わりつつある微妙な年齢であった。


 エーデム族は、殺気に敏感に反応する。耳も良い。

 隠れていても無駄と知り、シーアは岩場から飛び出すと、膝まずき深く頭を下げて敬意を示した。

「私は、名乗る名もなきに等しいもの。しかし、あなた様の名をお聞きしたからには、名乗らぬわけにはまいりません。ウーレンの六男坊・シーアラントでございます。尊きお方……」

 ルカスは、軽蔑するような目でシーアを見た。

 誇り高いエーデム王族・次期王に、あのような眼差しを向けるとは、この礼儀正しい態度にも信頼は置けそうにない。

「無礼をお許しください。このような地にて、尊きお方にお会いするとは、夢にも思わぬこと。ましてや、初めてみる竜という乗り物に、驚いたまでのこと」

 シーアは顔を上げた。

 言葉とは裏腹に、ルカスの視線に挑もうかと思われる瞳を向けていた。

「失礼ながら、何故に尊き御身はエーデムの地を越えられたのでありますか?」

 ルカスは少し身をひいた。

 真直ぐ見つめる真っ赤な目が、エーデムの民が嫌う血の色に似ていたからである。


「私たちは、国境を越え、ムテの地へ行く途中であります。かの地には、胸の病にたいそう聞くという【竜花香】という薬があるとか……」

「サラ!」

 殺気を放つ異国の民に、あっけなく疑問に答えてしまった妹を、ルカスは短い言葉でしかった。

 少女は、またまた小さくなって兄の影に隠れた。

 シーアは再び頭を深々と下げた。

 しかし、それは口元に浮かんだ笑みを見られないようにするためだった。

 エーデム族の力して、病魔には勝てないということか……。

「噂は本当だったのですね。エーデム王が、病にて危篤というのは」

 ルカスは言葉を失って、赤い髪の少年を睨みつけた。

「この国境を越えてしまえば、ムテの地までは人の住む地。銀竜にて越えれば、あなた方の行動は、人間どもにさえ知られてしまう。たとえ、竜をおいていったとしても、銀の結界をそんなに厚くはっていては、やっぱり正体を知られてしまう」

 シーアの言葉に、サラが不安そうに顔を出した。

 この少女には、まだ人の言葉の裏など考えもよらないことなのだ。

 兄・ルカスとのかけひきをしているとも知らず、シーアラントをすがるような目で見ている。

 その姿は、シーアラントを苛立たせるエーデム族の最たる姿であったが、なぜかシーアはいやな気はしなかった。

 エーデム族は、心を穏やかにする波動のようなものを発しているらしい。

 ゆえに、竜やムンク鳥のような生き物を、心話のみで使いこなせるのだ。

 勿論、人にはどれくらい効果があるのかわからない。

 だが、シーアは、サラの視線に答えてやさしく微笑んだ。

「私が、竜花香をお持ちしましょう」


「お、おい……シーア……」

 今まで岩の陰で震えていたヴィルダスが、慌てて声をかけた。

 国境を行き来できるのは、一部の商人だけだ。

 勿論、王の許可さえとればいいことなのだが、理由が理由で語られぬだけに、王が許すはずもない。

 シーアラントは、国境破りをするつもりなのだ。

 そして多分、ヴィルダスは付き合わされる運命にある。

 勘弁してほしい気持ちが、畏敬の念を超えていた。

 対照的に、サラの瞳は希望に輝いていた。

 彼女にとっては、初めてみる異国の王子が救い主に見えた。

 元々角無しの女子供には、いかに血が濃かろうが結界をはる力は弱い。

 サラにとって不幸だったのは、この時にシーアラントを信頼してしまったということであろう。

 後の悪夢のはじまりとも知らずに……。

 ルカスは、半信半疑でシーアを見ていた。

 無償の奉仕を、この男がするはずはない。しかし、王の命には替えられぬ。

 ルカスははっきりと、しかし威厳を保ちながら聞いた。

「して、シーアラント。望みは何ぞ?」

 シーアの瞳が妖しく光った。

 ヴィルダスは、シーアの言葉を疑った。

「ウーレンの剣を……」


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