フロルの宿敵・3

 

「フロル、いつのまに赤毛になったの?」

「メルは、ちょっと意地悪になったみたいね。あなただって、馬に乗ったらすぐに、ウーレン・レッドに染まるわよ!」

 フロルはまったくひどい恰好で、メルロイとの再会を果たす羽目になった。

 真っ赤な砂に埋もれたおかげで、自慢の銀髪も、肌もすっかり真っ赤でボロボロだった。

「そう、馬なんだけれど……」

 メルロイはギルティのほうに向き直った。

「実は、今度の旅に馬は欠かせないんだ。でも、僕、一人で馬に乗ったことはないし、馬は値段も高いし、選び方もわからない。だから、君を頼ってきたんだ。お願いだから、乗馬を教えてくれないか?」

「喜んで。旅立つ時にはウーレン自慢の馬をあげよう。明日から、フロルと一緒に乗馬を習うといい」

 ギルティは、突然何かを思いついたように笑った。そして、チラッとフロルを見てから、メルロイの耳元に口を寄せた。

「馬に乗れるようになるまでウーレンにいるなら、おまえもウーレンに定住することになるぞ」

 


 ギルティが想像した通り、エーデム族の乗馬に対するセンスのなさは、けしてフロルに限ったことではなかった。

 メルロイはフロルに輪をかけてひどかった。

 ウィードが脚と言えば、蹴っ飛ばすなんてかわいそうで出来ないと躊躇するし、鞭と言えば、驚いて鞭を投げ出す始末。

 馬はすっかりメルロイをバカにして、好き勝手放題になり、乗せるたびに振り落としていた。

 メルロイがウーレンに来て一ヶ月がたとうとしていたが、上達の兆しは全く見えなかった。

「ウーレンの者は、子供の頃から馬に親しんでいます。でも、エーデムのお方はさっぱりです。環境の違いかも知れませんが、私にはもう教える自信がなくなりました。お願いですから、乗馬指導の任を解いてください」

 かわいそうなウィードは、最近、ノイローゼ気味だという。

「おまえは疲れている。ゆっくり休むがよい」

 いよいよ、メルロイもウーレン定住が確定だな? ギルティはほくそえんだ。


 乗馬下手仲間が増えたということで、フロルは楽しかった。

 今まで宿敵に立ち向かうのはフロル一人だけだったのだ。だいたい、心話も使えないような野蛮な動物を使うなんて、エーデム族には考えも及ばない。

 メルロイもそう思っている。鞭で叩いたり、脚で蹴ったり、拍車をあてたりなんて、そんな乱暴なコミニュケーションのとり方に、エーデム族は我慢がならないのだ。

 その日、八回目の落馬をすると、さすがのメルロイもしょげかえった。

「今日は……もう、やめる。何だか疲れてしまった」

 がっくりと肩を落として、馬場を去るメルロイの姿に、気の毒な気持ち半分・仲間としてうれしい気持ち半分で、フロルは見送った。

 でも、あの落ち込みは尋常ではないわね?

 もしかしたら、メルロイは乗馬をあきらめるかもしれない。フロルはちょっぴり心配になった。


 案の定、翌日、馬場にメルロイはいなかった。

 一人で乗馬練習を適当にこなし、(先生もいないので、かなりいい加減だった)フロルは馬を放牧場に連れていった。

 広い放牧場の前に、メルロイの姿があった。柵に腰掛け、物思いにふけっている。

「かわいそうに……かなり落ち込んでいるのね。無理もない」

 フロルは馬を放すと、メルロイに近づいた。そして、思わず叫んだ。

「メル! 危ない!!!」

 ウィードでさえ、お手上げという危険な牝馬が、メルロイの頭を噛み砕こうとしていた。

「え?」

 メルロイは、とぼけた声でフロルを見た。

 牝馬は、鼻でモゴモゴとメルの巻毛とじゃれていた。

「そいつは噛みつくのよ! 気をつけないと……」

 フロルがメルロイに駈け寄ると、牝馬はきつい目をして、突然駆け出していってしまった。

 メルロイはびっくりして、フロルをみた。フロルの心配そうな顔を見ると、今度はにっこり笑った。


「フロル、僕はどうやら、ウーレン式の乗馬には向いていないみたいだ……」

 走り去った馬を目で追いながら、つぶやくようにメルロイは言った。

「わかるわ……。私も、毎日練習して一年たつというのに、こうなのよ。でも、あきらめちゃだめよ」

 あきらめられたら、私は一人でこの敵と、戦わなければならないのだ。

 せっかくへたくそ仲間が出来たのに、ここで挫折されると困る。

「いや……僕はあきらめた」

「だめよ、メル! きっとそのうちに、上手くなるわ」

「いや、無理だ」

「メル……」

 一年がんばってこの程度のフロルでは、まったく説得力がない。

「そんなこと言わないで、ね? がんばりましょう」

 フロルはメルロイの手をとった。

 メルロイはフロルの手を握り返して言った。

「いや、ウーレン族でない僕には、ウーレンの乗馬はできないよ。僕は僕なりに考えた」

「??????」

 フロルはメルロイの言葉に、戸惑いを感じた。彼の瞳は生き生きと輝いていた。

「おいで!」

 突然、メルロイは走り去った馬に向かって叫んだ。

 すると……。

 あの牝馬がメルロイに向かって走ってくるではないか?

「僕はエーデム族だ。エーデムのやり方で、馬に乗せてもらうことにしたよ」

 そういうと、メルロイは牝馬に乗った。放牧中の牝馬には、鞍もハミもない。コンタクトをとる道具はないのだ。フロルは驚いた。

「心話だよ。フロル……。この子は、僕の呼びかけに応えてくれたんだ。鞭やハミが、とっても嫌いで、つい暴れちゃうけれど、本当はとってもいい子なんだ。それを使わないなら、言うことをきいてくれるって約束してくれたよ」

 そういうと、メルロイは軽やかに走り去った。

 あっけにとられたフロルを残して……。


 これがエーデムリングの力をも解放できる血のなせる技?

 とても心などあるとは思えない馬さえも、心話で話せてしまうとは!



「馬は、鈍竜よりも繊細で、ムンクよりも純粋だよ。心の優しさは氷竜に勝るとも劣らないよ」

 楽しそうに馬を語るメルロイに、ギルティは相槌を打った。

「おまえにも馬のよさがわかってもらえて、うれしいが……。これで、おまえのウーレン定住はなくなったな」

 ちょっとだけさびしそうな夫の横で、フロルはもっと悲しかった。

 私には、宿敵の心を開くことはできそうにない。私だけが馬に乗れないのだ。

 さらにギルティの言葉が、フロルを落胆させた。

「そうだ、メル。旅立つ前に二人で遠乗りに行かないか? 赤沙地海岸は、馬で走ると気持ちがいい。おまえと一緒に走りたい」


 軽く馬場で足慣らしをした後、メルロイとギルティは遠乗りに出かけてしまった。

 フロルは、復帰したウィードとともに、馬場に残された。限りなく惨めな気分だった。

「いいですか? フロル様、速歩はやあし。……どうしたのですか? 速歩です」

 フロルはまったくウィードの話を聞いていなかった。メルロイの言葉を思い出していたのだ。

 心話——それは、エーデム族に許されている究極のコミニュケーション手段。

 コヤツラともそれができるというのだろうか? フロルは、心話で速歩の命令を出していた。

 しかし、馬はぼけっとしたままだった。

 いらいら、イライラ、苛々……が募る。

「ンも! どうしてよ! ウーレン式でもだめで、エーデム式でもだめだったら、どうしたらいいの?」

 フロルは腹を立てて、馬上で叫んだ。

「私は! 私は、ギルティと遠乗りに行きたいの!! それがずっと夢だったの! なのに、何で私だけ置いていかれなきゃならないの?」

 唖然としているウィードを無視して、フロルは叫びつづけた。

「私も、私も、遠乗りにいく!! 赤沙地海岸までいくぅーーー!!!!!」

 突然、馬が聞き耳を立てた。

 フロルの叫びは、心話となって馬に通じたらしい……馬は突然走り出した。

「キャアアアアアア!!!!」

 あっという間に、埒を越え、暴走した馬は、いつのまにやらギルティとメルロイまで追い越して、赤沙地海岸をまっしぐらに目指した。

「フロル?!」

「助けて! ギルティ! メル!」

 慌てて二人も駆け出した。

 とりあえずフロルの願いは、かなった……ようだ。



 フロル・セルディン・ド・ウーレン。

 初めて乗馬をたしなむエーデム族女性として、彼女の名前は、歴史に刻まれた。

 しかし、その技量のほどは、どの歴史書にも明記されていない。




=フロルの宿敵・終わり=

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