フロルの宿敵・2


 ウーレン王は、一年ぶりに会う友人の訪問に驚き、堅い抱擁を交わしていた。

「おまえが来るなんて! このジェスカヤに来るなんて……思いもよらなかったぞ」

 メルロイはにっこり微笑んだ。

「辛い思い出も、時間がたてば、懐かしくいいことだけが思い出されるよ。それに、君に会いたくなった」

 一年という月日が、メルロイを成長させた。背の高さも、ギルティとあまり変わらなくなっていた。

 フロルにそっくりだった顔つきさえも、すっかり男っぽくなり、今はさほど似ていない。それは、フロルも大人になって、女らしくなり、ますます美しくなったせいもあるが。

「とにかく、長旅で疲れただろう? お茶にしよう。そうだ、きっとフロルも会いたがる」

 ギルティは、メルロイの肩に腕を回して、奥の部屋へと招き入れた。そして、衛兵に命令した。

「馬場に王妃がいるはずだ。呼んで来い」

 その命令と同時に、息を切らせたウィードが飛びこんできた。

「……王妃様は……行方不明にございます」


 クリムゾンとフロルがいなくなって、すでに一時間、ウーレンの騎馬軍総動員の探索にかかわらず、まったく手がかりもない。

 ギルティが頭を抱える横で、メルロイは耳をすませていた。蹄の音が縦横無尽に走りまわっているが、跳びの大きなクリムゾンを感じることはできない。かなり遠くまでいった様だ。

「フロルは、エーデムに帰ったのではなくって?」

 突然の女の声に、ギルティとメルロイはふりかえった。

 赤褐色の髪を結い上げた女が、扇を片手に立っていた。ウーレン王族であり、ギルティの元婚約者であるリナ姫である。

 キリリとあがった褐色の瞳には、意地悪な色が浮かんでいた。口元は、もっと明らかな表情を見せていたが、さすがに扇で隠されていた。

「私、ベランダから見ておりましたの。フロル様が、まっすぐエーデム方面に走っていかれるのを……」

 リナのしてやったりという表情に、ギルティはきつい一瞥をなげた。

「貴重な情報は感謝する。だが、余計な憶測は遠慮していただきたい」

「あら、私の推理は、かなりいい線いってますことよ。エーデムに使いをお出しになったら?」

 カラカラと笑うリナの声は、なぜか聞き覚えがあるようで、メルロイもいやな気分になった。

 リナの声を振り払うように、ギルティは兵に命令した。

「馬を用意しろ!」

 まさか、フロルがウーレンを捨ててエーデムに逃げ帰ったなどとは思っていない。だが、そんな悪評を広められたら大変だ。

 ギルティの脳裏には、この一年、ウーレンの国民にどうにか受け入れられようとして、四苦八苦しながらもがんばるフロルの姿が浮かんでいた。

「メル。悪いがすぐ戻る。まっていてくれないか?」

 引かれてきた黒馬に乗ろうとしたギルティを、メルロイは呼びとめた。

「まって! ギルティ! クリムゾンが、帰ってきた!」

 黒馬の背から、ギャロップ疾走で帰ってくる愛馬を、ギルティも確認した。

 

 ギルティの愛馬は、実に涼しげな顔をして戻ってきた。

 しかし、背には誰もいなかった。



 埒を飛び越えたあと、フロルは振り落とされないように、しっかりとしがみついていた。

 一年間、苦しい練習に耐えただけあって、とりあえずはつかまっていられた。経験したことのないスピードだが、まっすぐ走っている間は、どうにかついていける。

 しかし、コイツは私をどこまで連れていくのよ!

 ビュンビュンと、木々が後になり、やがてあたりは、赤土の砂漠となった。

 帰ったら、ギルティに言いつけてやる!

 フロルは恐怖よりも、恥ずかしさと怒りで顔が紅潮していた。


 突然、クリムゾンは急停止した。

「キャァァァァ!」

 スピードに同調していたフロルは、カツオを一本釣りする竿のように、思いっきり前方に投げ出された。

 空中で半回転し、背中から砂の中に投げ込まれたフロルだが、勢いあまって砂地に埋まり、口の中まで砂だらけになった。

「ブヒヒヒヒ……」

 それを見るようにして、クリムゾンが笑った。少なくても、フロルには笑っているように聞こえた。

「何するのよ! このばか馬!」

 砂に埋もれたまま、フロルは叫んだ。

 クリムゾンは、冷たい目をフロルに向けると、エーデムの方向を向いていななき、前かきをした。

「え?」

 呆然とするフロルを置き去りにして、クリムゾンは、ジェスカヤ向けて走り去ってしまった。

「ちょっと! いやぁ! まって、冗談……」

 こんな砂漠に取り残されたら、明日までには骨になってしまう!

 フロルは、去りゆく馬に叫びかけたが、追いかける足はすぐに止まった。  

 置き去りにされた砂漠に、一陣の風が吹いた。ふりむくと、エーデムに向かう道が見えた。

「おまえなど、エーデムに帰るといい……」

 クリムゾンに、そう言われたような気がしていた。


 じりじり……熱い。

 本当に、死んじゃうかも知れない。


 フロルは真面目にあせっていた。

「でも、こんなところで死ぬわけには……。エーデムの姫は、馬にばかにされ、命を落とした……なんて、ウーレンの伝説にでもなったら、恥ずかしいじゃない。うぅぅ、悔しい……」

 しかし、どう考えてもジェスカヤまで、歩いて帰れそうにない。フロルは、砂に足をとられて再度、砂を噛む羽目になった。

 とたんに、優しい兄の顔が浮かんだ。

 エーデムの王である兄・セリスは、最後の最後まで、フロルのウーレン輿入れに難色を示していた。

 兄様は、私を随分と心配してくれた。

「あぁ……兄様、ごめんなさい。兄様は、ウーレンの民が私を受け入れてくれるかどうか、随分心配してくれたけれど、それはまったく問題なかったの。信じてね。私がこんなところで果てるのは、馬が私を受け入れてくれないからなの……。願わくは私の死が、両国に暗い影を落としませんよう……」

 フロルは、そのまま倒れていたが、突然、がばっと、おき上がった。

「やっぱりだめよ! 妹が馬にコケにされて命を落とすなんて、エーデム王までが恥をかくわ!」


 すると、フロルの目に、砂埃を舞い上げながらこちらに向かってくるクリムゾンが見えた。

 それは、希望の光だった。

 憎い敵でも、ひどい仕打ちを受けたといっても、ここで干からびるよりは、ましである。

 さらに、フロルはクリムゾンの騎手を見て、あまりの安堵にヘナヘナと崩れた。

「フロル! 無事か?」

 馬が止まらぬうちに、ギルティは飛び降りて駈け寄った。

「もう、生きて会えないと思ったわ……」

 フロルはわんわん泣き出した。

 苦難を乗り越えて結ばれた二人が、馬にばかにされて、死別する。

 あまりにカッコ悪すぎる!


「ここまで落ちずにこれたのだから、少しは上達していると思う」

 ギルティにしては、この評価はかなり甘いものだった。しかし、今朝の誉め言葉よりはランクが落ちている。がっくり、フロルはうつむいた。

 これでは、夫が遠乗りに誘ってくれるなんて、夢のまた夢のことだろう。

 クリムゾンに先に乗ったギルティは、フロルの手をとり、馬に乗せようとした。  その時、思いもよらない態度を、馬がとった。

 クリムゾンは何を思ったのか、ギルティを乗せたまま、後ずさりしたのである。

 まるで、フロルを乗せたくないかのように……。

 ギルティが、フロルの手をとろうとして、馬とのコンタクトが甘くなった一瞬の隙を突いてのことだった。

 フロルは驚いた。

 こいつにここまで嫌われているわけ?

 ということもさることながら、それよりもギルティの間髪いれない懲戒に、思わず息をのんだ。

 ギルティはいきなり鞭を逆手に持つと、強烈な一発をクリムゾンの尻に入れた。

 クリムゾンは、腰を落としてたち上がった。走りだそうにも、がっちりと手綱で押さえられ、強固な壁が立ちはだかっているように動けない。美しい尾も後足の間に巻き込み、目もおどおどと、宙を舞っていた。

 これだけの距離を走っていながら、汗もかかず、息も上がらない馬が、たった一発の鞭で、びっしりと汗をかき、鼻息を荒げている。

 フロルは恐ろしかった。

 馬が……ではない。ギルティが……。


 すっかりおとなしくなったクリムゾンよりも、さらにおとなしくなって、フロルはギルティとともに馬に乗っていた。

 腕の中でコチコチになっているフロルに、ギルティは言った。

「俺とクリムゾンの間に心話はない。あるのは、気持ちを伝えるいくつかの道具のみ。こいつのわかる方法で、気持ちを伝えるしかない。いけないことをしたときは、いけないと。いいことをしたときは、いいことをしたと。それを何度も繰り返して、俺達は俺達の友情を作り上げてきた」

 フロルの目には、ギルティがいつもクリムゾンを思いっきり愛撫する姿ばかりが見えていた。

 しかし、信頼関係は心話のように、気軽にできたのではなく、地道に育て上げてきたものであり、だからこそ、ギルティは、よけいにクリムゾンを大事に思っているのだった。

「でも……」

 あんなに馬を愛しているのに、叩くなんて……。

 フロルには、どうしてもしっくりこない。

 それは、戦場においては人馬が一体にならなくては生き延びれないことを、フロルが知らないからなのかも知れないが。

「フロル、馬に乗ったら、おまえが馬の主人だ。はっきりと意思を伝えないと、馬も何をしていいのかわからなくなって、不安になる。おまえが主人だということを忘れるな」

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