朝霧


 夕方になっても煙は上がり続け、王宮からもかすかに見えた。

 弔問客は次々と帰国し、明日の朝、エーデム王・セリスが帰国すると、ウーレンは日常に戻る。


 本当に、日常に戻るのだろうか?

 アルヴィは、立ち昇る煙を見ながら不安に駆られた。


「……なんだか、怖いよ。明日が……。俺、こんな気持ち初めてだ」

「アルヴィ? 君らしくないな」

 セルディも不安だ。だが、いつも楽観的な弟が、こんなに不安がるのは珍しい。

 ウーレン・レッドの髪が、夕日にあたってますます赤く燃えてゆく。

 気高い王族の色だ。しかし、弟の肩は小刻みに震えていた。

「大丈夫だよ。アルヴィ……。弔問客を見たかい? 統一リューマ族長はもちろん、元第一リューマの族長も来ていた。これは、暗殺は一部の過激派の仕業であり、当面はウーレンに従うということなんだ。それに、ウーレンにはモアがいる。とりあえずのところ、心配はいらないよ」

 セルディは、弟の震える肩を抱く。そして、自分にも大丈夫と言い聞かせる。


 そう……いざという時は、エーデム王が力になってくれるだろう。

 あの銀の結界が、僕たち家族を守ってくれるはずだ。


 しかし、セルディは、そこまでは口にしなかった。

 震える弟に語るには、一抹の不安を感じていた。


 伯父が……燃える髪を持つ弟を、本当に助けてくれるだろうか?


 セルディも、セリスの弟を見る瞳が冷たいのを感じていた。

 さらにどのような大きな催しがあったとしても、決してウーレンを訊ねてこない兄に対して、母はいつも不平をもらしていた。

『兄様は所詮、ギルティが嫌いなのよ! 妹をさらった赤い悪魔として憎いんだわ!』


 赤は血の色。

 エーデム族が嫌う色……。


 いや……考え過ぎだ。

 セルディは不安を打ち消そうとした。



 その夜、エーデム王を迎えて、内輪のささやかな夕食会となった。

 宰相・モア、つまりギルトラント王の義父、王妃とその子供たち、それに王妃の兄という顔ぶれだった。

 モアが、久しぶりに会ったエーデムの兄妹のために、催したものであった。


「これからのことは何の心配もありません。安心を連れてエーデムにお帰りになれますよ」

 モアがワインを傾けながら、セリスに微笑みかけた。

 セリスの顔が一瞬こわばったように、セルディには感じられた。

「妹のことはお任せします」

 セリスもグラスを傾けた。

「ウーレンにとって、あなたの思い出は、エーデムの民の置き土産ですな」

「よろこばれて光栄です」


 モアの言葉は、何か奇妙ではないか? 伯父も何か奇妙だ。


 セルディは、二人の会話が別の意味があるように思えてならなかった。

 しかし、母は、兄にこれ以上の心配をかけたくないのか、ぎこちないほど明るく振舞っているし、アルヴィといえば、彼らしくもないほどにふさぎこんでいる。

 いったい何が起ころうとしているのだろう? セルディは豪華な食事が喉を通らなかった。



 

 夜半、フロルは突然侍女に揺り起こされた。

「いったい何事です?」

 おき上がると、目をこすっている寝ぼけ顔のアルヴィと、眠れなかったらしくギラギラの目をしているセルディがいる。

「王妃様、早く出発のご用意を!」

 侍女は言葉と同時に王妃の着替えを持ってきた。

「出発? いったい何のことです?」

「すべては……モア様がご説明いたします」

 着替えると、数人の衛兵を連れたモアが廊下で待機していた。

「モア、これはいったい?」

「お静かに……! さあ、早くこちらに」


 闇夜にまぎれ、三人は、モアと衛兵に守られて王宮外へと出ていった。

 王宮の見張りは、この時間、皆モアの息がかかっているらしい。王妃たちの不可思議な行動は、敬礼を持って見送られた。

「王妃様、リナ姫が謀反を起こします。明日のエーデム王の出国を見届けて、あなたをとらえ、幽閉するつもりなのです」

「リナ姫が?」


 ありえそうな話だった。

 彼女は、皇子が生まれる前までは、ギルトラントの次に王位継承権があった。ただし、女であるために、王は名乗れない、制約のある権利ではあったが。

 さらにモアは王妃の耳元でささやいた。それは、セルディに聞かれないための配慮だった。

「このままですと、ウーレンの次期王はセルディーン様です。リナ姫は、エーデムの民に王位を渡さないという大義のもと、国民の支持をとりつけるつもりです。そして、残念ながら……その大義は、通ってしまいます」

 暗闇の中、かすかな灯りが点滅している。

 馬車が用意されていて、そこに誰か人がいる。

「フロル様、ぎりぎりまで工作しましたが、無駄でした。早くにお知らせしていれば、あなた様のこと、けして逃げるとは言わないでしょう。ですから、こんな手段をとってしまいました。ご無礼をお詫びいたします」

 モアは深く頭を下げた。


 馬車は、エーデムのものだった。

 エーデムの従者たちが、敬礼してフロルを迎えた。

 その間から、エーデム王が手を差し伸べた。

「兄様……」

「もう、安心するがよい。ここでエーデムに帰ることは、けして恥ではない」

 夫を失っても、異国で生きようと気を張っていたが、兄の笑顔を見たとたん、フロルは気持ちが解けていくのを感じた。十三年間、ギルティと歩んできたからこそ、異国の地でがんばってこられたのだ。

 フロルは兄に導かれるままに馬車に乗り込んだ。

「安心を連れて……は、そういうことだったのか」

 セルディはディナーの会話を思い出していた。

 妹を任せる……は、ここまで連れてきてくれということだったのだ。

 では、置き土産は? セルディは、馬車に乗りこみかけて、はっと気がついた。

 慌てて振向くと、そこに何が起きたか把握できない弟がいた。

「アルヴィ!」

 セルディは叫んで馬車から飛び降りた。

 とたんに、ウーレンの衛兵たちが槍を構えてセルディの進路をふさいだ。

 別の衛兵が、アルヴィを押さえつけているのが見えた。

「母上! セルディ!」

 アルヴィは必死になって、衛兵を振りきろうとしていた。

 息子の叫び声に、フロルは慌てて馬車を降りようとしたが、エーデムの従者に押さえつけられた。

「フロル様、ご無礼を深くお詫びいたします。こうでもしなければ、あなた様のこと、皇子を置いては行かないでしょう」

 モアが深く頭を下げる。

「アルヴィラント様は、ウーレン・レッドを引き継いだお方。リナ姫では、ウーレンという大国はまとまらないのです。ウーレンには、ウーレン・レッドの王が必要なのです!」

「裏切り者!」

 フロルは悲痛な叫びとともに、エーデムの従者を払いのけて馬車を飛び降りた。

「おどきなさい! あなたたち!」

 エーデムの姫とも思えない迫力で、ウーレンの衛兵まで迫ると、王妃の言葉に衛兵も一瞬ひるんだ。

 アルヴィを押さえている衛兵の前に、別の衛兵が槍を構えてフロルの前をふさいだ。

「おどきなさい! 私はウーレン王妃です! モア、私は王宮に戻ります。子供を失うくらいなら、リナ姫と戦う道を選ぶわ!」

 あたりがだんだん明るくなってきた。

 フロルの銀髪が浮かびあがる。緑の瞳には涙が浮かんでいる。

「モア、私は戦います。あなたの裏切りは……不問にします。だから、お願い……」

 朝靄の中、妖精のような王妃の姿に、思わず衛兵たちも手を緩めた。

「王妃様……」

 さすがのモアも、悲痛な表情を見せた。

 その時だった。

「フロル! 戻りなさい。おまえをウーレンには置いては帰らない!」

 セリスのきつい声が響いた。

 振向いたフロルは、兄の意外な姿に凍りついた。

 長身の兄が、セルディの腕を後からねじ上げ、さらに喉もとにナイフをつきつけていた。

 セルディは、まったく油断していた。母の姿に釘付けになっていたのだ。

「止めて! 兄様……。兄様は、エーデム族だわ! セルディを刺せるはずがないっ!」

 半狂乱になって、フロルが叫んだ。

 しかし、朝靄にかすむ兄の顔は、氷のように無表情だった。

「フロル……。私はエーデムの王として、戦場にも立った男だ。血を流すのは好まない。だが、必要とあればそれができる」

 フロルは、ガクガクとその場に崩れた。

「母上!」

 アルヴィが叫んだ。

 モアは、二人の息子の挟間で苦しむフロルの姿を確認すると、衛兵に合図を送った。

「アルヴィ! アルヴィーー!」

 フロルは必死になって、這いずって手を伸ばしたが、腰が立たなかった。

「母上ーーーー!」

 衛兵に連れ去られながら、アルヴィは絶叫した。

 フロルはよろよろと立ち上がり、後を追おうとした。

「フロル!」

 兄の声が、再びフロルを撃った。

 もしも、アルヴィを追いかけたら、兄はセルディを殺さないまでも、エーデムに連れていってしまう。

 どちらにしても、息子をどちらか選ばなければならない。


 選べるはずがない! 


 フロルは、身も心も靄に包まれ動きがとれず、その場に倒れて泣くしかなかった。

 エーデムの従者が、三人がかりでフロルを馬車に運びいれた。


 こうして、親子三人の誓はもろくも引き裂かれてしまった。

 ウーレンはウーレンへ……。

 エーデムはエーデムへ……。

 本来、これがもっとも自然な形であり、多くの魔族たちが望む形であった。

 多くの魔族は、血の交わりを好まない。

 それぞれの王族の血を、堅固に守ろうとするものだ。

 宰相・モアにしても、エーデム王・セリスにしても、本来は保守的な魔族的考え方に支配されている。

 そして、それぞれの国の国民たちも……。

 しかし、運命のいたずらはこれだけではすまなかった。



=第一章・終わり=

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