日没
その恐ろしい知らせが届いたのは、王が出兵してから二ヶ月ほど過ぎた夕暮れだった。
「……なんの…冗談を……」
王妃は、宰相の言葉をまったく信じることが出来なかった。
宰相のこわばった顔を見ても、この情報が疑いのない事実だということは、間違いのないことだが。
「私を……驚かせて何の得があるというのです? 嫌だわ……。そんなこと、ありえない……。ね、あるわけないわよね?」
王妃は、引きつった笑顔を見せた。
「いえ……フロル様、この情報は確かなものです。ギルトラント様が、オタールの地にて、暗殺されたと……」
宰相・モアの言葉に、フロルは気が遠くなった。
ウーレンの国中が、重い悲しみに包まれた。
あまりにあっけない英雄の死。しかも、彼は戦場ではなく、会食中に暗殺されたというのだ。
それは、人の島に生息する毒蛇だった。
音もなく近寄ってきた暗殺者に、王は気がついて一太刀で切り落としたが、その時すでに蛇は王の足首を噛んでいた。
蛇の毒は、わずか数分で王の命を奪ったのだという。
「信じられない……。あの父上が……。あの強い父上が、たった一匹の小さな蛇に殺されるなんて!」
アルヴィは、意識がもどらない母のそばで、ベッドを叩きながら叫んだ。
「しっ、母上が起きてしまうよ」
セルディが、アルヴィを制しながら言った。
「僕も……信じられない。これは、誰かの筋書きではないだろうか?」
そのような筋書きを作って、得するものはウーレンにはいない。
だいたい、この情報に嘘の入る余地はないことぐらい、セルディにもよくわかっている。
父が……あとを頼むといったのは……このことだったのだろうか?
セルディは、蒼白な顔でうなされている母の顔を見た。
父の後ろ盾がなければ、母もこの国では単なる異邦人だ。
父の死を悼む気持ちと、今後の自分たち親子の行く末に、セルディは不安を感じた。
王の棺が帰ってくるのを待って、大々的な葬儀が行なわれる。
宰相・モアがほとんどを取り仕切った。彼は、第一報がもたらされると、老体に鞭打って早馬で自ら王の死を確認し、また、早馬で戻ってきてから、王妃に伝えた。
王の死が人の耳に入る頃には、すでに根回しが済んでいた。
国中が嘆き悲しみ、動揺したが、英雄の葬儀にふさわしい準備は、着々と進んでいた。
だが、王の家族は、その流れには乗れずに、ただ、現実を受け止めきれずにいた。
王妃は寝込んでしまっていた。
廃人のように悲しみに打ちのめされていた。
「本日はお見舞いありがとうございます。しかしながら、母はまだとてもお会いできるほど回復していませんゆえ、今日のところは……」
セルディの対応に、リナは扇で口元を隠した。
「ふん、まったく王妃としてなってないわよ。こんな時、てきぱき物事に対処するのが、王族としての使命でしょうに!」
「お引取りを……」
セルディの声が大きくなった。
どこか威圧的な挑戦的な瞳だ。嫌な子だわ……。
リナはプンプンしながら帰っていった。
「ふん、あいつ……母上の不幸を喜んでいやがる!」
セルディの横で、アルヴィが地団太踏んで悔しがっていた。
兄が止めていなければ、殴りかかっていたところだった。
二人は王妃のベッドの横に並んでいた。
ウーレンは日没を迎えていた。低い鐘の音が響いている。
日没を告げる鐘の音だが、まるで葬儀の鐘音のように響いてくる。
「……政略なんかじゃなかったわ……」
突然、母がつぶやいた。
何のことをいっているのだろう? 面食らったアルヴィとは対照的に、セルディは母の手をとった。
「そんなことは、わかっていますよ。母上」
母の手を握り締め、口づけしながら、セルディは続けた。
「母上と父上は、愛し合って結婚したのでしょ? だから僕たちがいる。僕は、エーデムとウーレンの血を持つことを、誇りに思っています」
その言葉に、母は涙した。
セルディこそ、親の勝手で辛い立場に生まれた張本人なのに。
アルヴィは、セルディの言葉を信じることが出来なかった。
兄は……明らかに演じていた。ものわかりのいい子供の役を……。
愛する母をこれ以上傷つけまいとして……。
「母上! 絶対に俺たち三人、一緒です。どんな苦しい時だって、一緒に乗り越えて行こう! 俺、がんばるよ。母上もがんばろうよ! 兄上も力をあわせて生きていこうよ!」
アルヴィは心に誓っていた。
母の手を握った兄の手の上に、さらに自分の手を重ねる。
たとえこれから何が起ころうと、母と兄を守っていくんだ。
俺は、絶対にこの手を離さない!
フロルはベッドから体を起こし、二人の子供の重ねた手の上に、もう片方の手を添えた。
政略結婚じゃなかった。愛があったからこそ、すべてを越えて、敵国に嫁いできたのだ。
そして、二人の子供に恵まれた。しかも、この状況にあって、こうして自分を慰めてくれる、強くて心優しい子供達。
「そうよね。私が泣いてばかりじゃダメね。お父様の名に恥じぬよう、誇り高く……三人で頑張らないとね」
親子三人は、かたく抱き合あった。
日が没したことを知らせる最後の鐘が響いた。
ウーレンに夜がきたのだ。
そして、朝になれば葬儀が行なわれる。
各国からの弔問客を迎えなければならない。王妃として、皇子としての使命がある。
アルヴィのこの夜の誓が、フロルとセルディを励ましたことは間違いない。
しかし、この誓はもろくも崩れ去る運命にあった。
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