初戦/2

 日代はふぅと短く息を吐いて、気恥ずかしさから紅く染めた頬を掻いた。


「とんだ赤っ恥だ」


 日代はそう言うが、どこか清々しい顔をしている。そんな彼の顔を見て、僕も遥香も気持ちを抱いているはずだ。


「日代ってさ、話作るの上手いじゃん」

「うん。正直私驚いたよ」


 僕らの言葉に喜んだのは日代ではなく、平和島だった。


「そうなの! 蓮ちゃんは絵本作家目指してるから、お話作るのとっても上手なんだよ!」

「透子! おまっ! ばっ!」


 頬だけでなく耳まで真っ赤に染めて、日代は僕らと平和島を交互に見た。にまにまとした笑みを僕と遥香が向けていると、やがて諦めたように大きくため息をついて肩を落とした。


「もういい、声出して笑えよ」


 その様子は不良じみた様子もなく、素の日代のようだった。そんな姿を見て遥香は楽しそうに笑う。それは相棒にも影響されているようで、リリィはノクトをからかうように小突いていた。


「ねぇ、それから二人はどうなんのさ?」

「……どうでもいいだろ、そんなの」


 冷たく答えて、日代は紅茶を口に運んだ。一瞬で空気が変わったために、僕も遥香もきょとんと彼を見る。


「えっと、私はノクターンがセレナーデに剣術を教える話が好きだよ」


 平和島がそんなことを口にすると、セレナが剣を出してノクトに切っ先を向けた。ノクトは頭を振って、大剣を抜いた。二人はまるで舞を踊るように剣を交わし始めた。

 それを頬杖ついて僕は眺めていると、テラスが肩までよじ登ってきた。横目で見ながらテラスに微笑むと、テラスもそれに応えるように笑みを返した。


「いつか話してくれよな、日代」


 日代に視線をむけると、「いつかな」とぼそりと答えた。


「楽しそうだな、みんな」


 ため息をつきながら正詠は現れた。そして遥香の隣に腰掛けて、遥香の紅茶をぐいっと一口で飲み干した。


「あー!」

「やっぱり日代の親父さんのお茶は美味い。おかわり」


 正詠が言うより速いか、おっちゃんは僕らに新しいお茶を淹れてくれた。


「太陽。もうみんなに言ったのか?」

「いいや全然。日代大先生の昔話を聞いてた」

「なんだそれ、楽しそうだな」


 言いながら、正詠はテーブルに一枚の紙を出した。それはバディタクティクス校内大会のトーナメント表と練習日の割り当てだ。


「昔話はあとで日代大先生からじっくり聞くことにして……俺たちの初戦は来週末。練習日は水曜日の放課後の二時間だけだ」


 正詠は頭を掻いて大きくため息をついた。


「対戦相手は、チーム・チェックメイト。チェス部を主軸とした二年三年の混合チームだ」

「おー。混合チームってことは私たちにも勝ち目あるじゃん。やりぃ!」

「遥香、お前マジか」

「え?」


 隣にいる遥香を見て、正詠は更に狼狽してため息をついた。


「なぁおい那須よ。三年と混合ってことはよ、それだけその二年が強いってことだ。少なくとも最近始めた俺たちよりは、だけどな」


 日代はノクトをつまむように持ち上げて自分の方に乗せた。


「そして問題は相手がチェス部が主軸ってことだ。戦略に関しては一枚も二枚も上手うわてだ。こっちの作戦にかかってくれればいいんだが」


 正詠はノートを取り出した。ノートを覗いてみると正詠らしい神経質な文字がびっしりと書かれていた。その中には僕や遥香、平和島や日代の名前が見えた。


「なぁ正詠。少し悲観的過ぎないか。もっと僕らのこと信頼しろよ」


 そんなことを言うと、正詠は顔を上げて僕らを見た。一人ずつ顔を見ると、正詠は口元を僅かに緩めた。


「そうだな、すまん」


 うん、と正詠は頷いてノートを捲る。


「というわけで作戦会議だ」


 今度は僕らが頷いた。


「校内大会のルールは……把握していないよな、太陽?」

「ふふん、勉強してるから無問題だ。校内大会は公式大会とは違って、試合開始位置は決まった五か所からランダム。戦闘フィールドは一回戦毎に変更だけど、事前に通知される。どうだ、ちゃんと調べたぞ」


 少しの沈黙の後。


「明日は嵐かもしれない。明日は雨具を持つように」


 あの平和島すらも驚きを隠さず、みんなが僕を何とも言えない表情で見つめてきた。


「僕だって迷惑かけてる自覚はあるんだぞ」


 というよりも、自分だけが馬鹿にされたりからかわれるのはともかく、何も悪くないテラスまで出来ないように思われるのが、正直嫌だったというのが本音だ。


「いや。かなり時間短縮ができた。これからも最低限のことは調べてくれよ。わからないことは教えるから」


 正詠はノートに長方形を描いて、その左右の短辺付近に、丸を十個描いた。


「一回戦のフィールドは市街地。相手の構成は三年生が三人、二年生が二人だ。三年に関しては多少の情報があるんだが、二年はどうしようもない」


 チーム・チェックメイト。三年生の名前と各ス キルをノートに書いた。


「この三人のスキルで特に注意しないといけないのが、大将の『一気呵成』、『二重役者』の二つだ」


 正詠はその二つのスキルをノートに書いた。それを見て平和島が口を開く。


「確か『一気呵成』は味方全員の攻撃と機動を上げるスキルで、『二重役者』は……」

「自分のスキルと味方のスキルを複合して使用できるスキルだ。一気呵成もそうだが、レアなスキルだな」


 平和島が途中で切った言葉の続きを、日代が口にした。


「相棒のスキルは最低でも二つある。単純計算で大将は合計十種のスキルを使えると思っていい」


 最低でも十種類のスキルを持つ相手。

 こういうゲームは多くの作戦を立てられる方が有利なのは言わずもがなだが……敵になると面倒なのも言わずもがなだ。


「ま、こっちは十八種以上のスキルを使える奴がいるけどな」


 正詠はペン先をこちらに向けた。


「もっと言うなら、敵味方九人のアビリティも詳細さえわかれば全部使えるんでしょ? 最強じゃん!」


 遥香は楽しそうに笑って、平和島は頷いた。


「とはいえ、太陽のスキルは隠しておきたい。最初からはっちゃけると後々警戒されるからな」


 こめかみに指を当てて正詠はまたノートに視線を落とした。そこからは少し下沈黙が場を制する。僕ら全員も彼に倣うように黙ってしまったが、相棒たちはそんなことも気にせずにまた机の上で遊びだした。

 テラス、セレナ、リリィは手鞠で遊び、ロビンとノクトは何か書物を出して話すような仕草をしている。

 僕は戯れでテラスの頭を指で撫でてみた。満面の笑みを浮かべてそれを受け入れるテラスに、言い表せない感情を抱く。


「なぁ正詠。出し惜しみとかなしで行こうぜ。テラスのスキルを警戒してくれるならそれでいい。僕たちの作戦通りじゃないか。強かったり珍しいスキルを相手は使わないってことはさ、僕らの作戦通りだ。情報熟練者エキスパート情報初心者ルーキーの舞台に引きずり下ろす。充分だと思うよ。面倒なことはあとで考えよう。とりあえず今はさ……」


 テラスは僕の指を付かんで、頬ずりしてくる。その様子に、僕の心の中はとても温かくなる。


「みんなで楽しもうぜ」


 正詠は困ったように微笑んで肩を竦めた。


「そうだな。楽しむのが一番大切かもな」


 正詠はノートをぱたりと閉じると、頭を掻いて紅茶を一口飲んだ。


「よし、じゃあ難しい話はここで一旦やめよう。来週の水曜日の練習の時に基本的なやり方を覚えることにしよう」

「大賛成」


 僕が片手を上げると、平和島と遥香もそれを真似るが、日代だけは腕を組んでふんと鼻で笑っていた。


「そんなわけで日代大先生。もう一回正詠に昔話をしてくれよ」

「……絶対にイヤだ」


 さすがの日代大先生も、二度も同じ話をするのは嫌らしい。


「じゃあ僕が代わりに話してやるよ、セレナーデ王女とノクターン卿の昔話、出会いの章ってやつをさ」

「そいつぁ楽しみだ」


 正詠は肩を竦めて日代へと笑みを向けていた。

 平和島の一件以降、日代への苦手意識というか敵対意識というか、そういったものは完全になくなっているらしい。対する日代も正詠に対して態度も柔らかくなり、前のような険悪な雰囲気はすっかりと無くなっていた。

 しかし、日代の昔話をする僕に対して、二人の態度はいつになく厳しかった。特にダメ出しをしてくる日代には、少しだけ苛立つほどに。


   ***


 そして僕らのバディタクティクス唯一の練習日でもある水曜日が訪れたのだが、ここで一つ事件が起きていた。


「なんで今日に限って地下演習場が使用できないんだ!」


 声を荒げたのは正詠だった。放課後の二時間が使用できるという話だったが、当日僕らが地下演習場に向かうと、「使用禁止」の札が張られていた。


「悪いとは思ってるんだよ、俺らも」


 地下演習場の受付をしていた海藤が、頭を抱えながら答えた。


「でもよ、動かないもんは仕方ないんだ。お前たちにはその……ぶっつけ本番でやってもらうしかない」


 海藤も相当参っているのだろう。きっと僕らみたいな文句を何度も聞いてきたのだろう。


「けっ。何が規則の中で守れ、だ。規則を守ってりゃあこんなんばっかりだ、くだらねぇ」


 日代は悪態をついて、去って行ってしまった。


「おい日代、待てって」


 それを正詠は追いかけ、残ったのは僕と遥香と平和島だ。


「ごめんな、海藤も大変なのに。あいつらには適当に言っておくよ。流れ的に一応恨むがな」

「恨むな。それとそんな流れはノーサンキュー」


 海藤は大きなため息をついたが僕の言ったことが冗談だと理解してくれたのか、その顔には笑みが浮かんでいた。

 僕ら三人は教室には戻らずに、ホトホトラビットに向かった。何となくだけど、そこにあの二人はいると思ったからだ。予想は外れることはなく、いつもの角の席に正詠と日代はいた。遠目からでも険悪で、大声を上げてはいないが何かを言い争っているのはわかった。


「……だから……そんなん……!」

「いいから……落ち着いて……!」


 おっちゃんと目が合うと、肩を竦めた後に顎をあの二人に向けた。どうにかしろということなのだろう。


「おーい二人とも」


 なるべく気さくに、なるべくいつも通りに声をかけたつもりだったけども、そんな気遣いは意味がなかったみたいだ。僕一人がそんなことをしたところで、二人の険悪な空気が直ることはなかった。


「なぁおい天広。こんなんで勝てるのかよ。勝てなきゃ何も楽しくないぜ」


 ぎろりとこちらを睨む日代の瞳は、確かな苛立ちが見て取れる。

 彼の言うことはもっともで、僕らが言わないようなことを日代が代弁してくれているような、そんな気持ちになる。


「日代が言っているのも理解できる。でも出来ないものは出来ないんだ。だったら、やれることを最大限にやるだけ。そうだろ、正詠?」


 席について正詠に声をかけるが、予想を外れて彼は重いため息をついた。


「そう……なんだけどな。すまんが、最大限にできることがデスクワークしかないんだ」


 僕に続いて遥香と平和島が座ると、おっちゃんがタイミング良くお茶を淹れてくれた。いつもいつも、このおっちゃんはタイミングが良すぎる。しかもおっちゃんが勝手に淹れてくれるお茶は無料という気の利いたサービスだ。


「えっとさ、どういうこと正詠?」


 遥香の笑みは引きつり、それを心配そうに平和島は見つめ、日代は頭を振っていた。


「このあたりで代わりにフルダイブできる施設を探してみたけど、どこも予約が一杯で抑えられなかった。他の人たちは学校以外でも施設予約とかして練習しているみたいだが、俺たちはそれができないってことだ」


 ふむ。つまり、僕たちは本気のガチで、ぶっつけ本番という素人ではやってはいけない事案が発生しているわけだな。だが、練習しても素人は素人。それに変わりはない。


「確かに練習できないのはキツいけど、もうそれでやるしかないんだろ? それに初戦を勝てばかなり練習日が増えるみたいだし、低い可能性に賭けるしかないか」


 日代はがりがりと不愉快そうに頭を掻いて、紅茶を飲んだ。


「あのなぁ……!」

「蓮ちゃん、そんなにカリカリしないで……」


 喉まで出かかっていた言葉を、日代は紅茶で流し込んだ。


「いいか……とにかく俺は負けるのは嫌だからな!」


 カップを乱暴に置くと、日代はお店の奥へと消えていった。鶴の一声というには少し違うが、場が良い意味でも悪い意味でも落ち着いたのは事実だ。


「さて、どうするかね」


 妙案が浮かばないので正詠を見てみるが、正詠は正詠で頭を抱えていた。遥香からは……打開策は出ないとして、平和島を見てみたが。


「ごめんね、蓮ちゃんが心配だから」


 平和島は鞄を持って日代を追いかけた。


「あいつら本当に付き合ってないのかよ」

「幼馴染ってそんなもんでしょ」


 おどけながら遥香は答えるが、こいつが言うせいで圧倒的に現実味を失っている。幼馴染という我ら三人の唯一の女子が言うことで、更にだ。


「幼馴染同士の恋とか憧れるわ、正直」


 そんなことを呟くと、二人の視線が僕に向けられた。


「遥香に恋はしない、安心しろよ二人とも」

「そういう意味じゃないんだが……まぁいい」

「うん、まぁいい」


 正詠がカップに手を伸ばしたが、すでに空になっていた。さすがにおっちゃんのサービスは終了してしまった……というか、息子を気にしているのだろうか。


「太陽、すまんな」


 正詠らしからぬ声色で謝罪をされては、僕としては何も言えない。というか、別に謝られるようなことはされていないのだが……。


「何に謝ってんだよ、正詠」


 ここまでやってくれただけでも充分だってのに。これ以上何かさせたらバチが当たるよ。


「とりあえず明後日の金曜日だ。イメトレだけはしっかりしとこうぜ。テラスも、みんなの相棒も全力を尽くしてくれるだろうしさ」


 テラスはいつの間にか正詠のカップに入って遊んでいた。


「テラス、明後日は頼むぜ?」


 テラスは力強く頷いた。

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