第二十四話 奴隷収容施設

 二十分後、僕たちは巨大な施設をぐるりと取り囲んでいる、高い鋼鉄の塀の前に立っていた。厳密に言うと、塀の前にある、深い堀の外側の草むらだ。長方形型の堀には、正面に一ヶ所だけ橋が架かっており、そこには兵士と思われる人間が二人、見張りについている。顔全体を覆う兜のようなものをかぶっているので人相はわからないが、あの厳重な装備からして、十中八九門兵だろう。橋の奥の塀には、唯一の出入り口と思われる鋼鉄の扉が取り付けられている。

「よし、じゃあ行こう」

「お待ちなさい! 何が『よし』なの? あんたこの状況、わかってる? 門の前! 兵士が二人!」

 僕のセリフに、リディーが猛然と突っ込みを入れる。

「わかってるよ。でも、虎穴に入らずんば虎子を得ずって言うだろ?」

「全然わかってないじゃない。虎子を得る前に死ぬわよ? ケイビー、あんた自分のオーラが切れてること忘れてるでしょ」

「あ」

 ――そうだった。すっかり忘れてた。

「『あ』じゃないわよ、『あ』じゃ! オーラがあってもあんな強敵ケイビーには荷が重いってゆーのに。いい? 今回、あたしたちはあまり表立って動きたくないの! だから、戦闘とか絶っっ対にできないから、そのつもりで! やるならケイビーとエディルちゃんだけでおやりなさい。いいわね?」

「ケチ」

「ケチとは何よ。あいつら、相当ヤバいわよ。近付かない方が身のため――ってちょっと!」

 リディーの忠告を無視して、僕は橋の方へと向かった。

 センパイめ、荷が重いとは何だよ。こっちには闘う以外にも方法があるっていうのに!

 ……そう、すなわちコミュニケーションだ。口があるんだから、話せばいいじゃないか。

 橋の前に立っている獣人の男兵士二人に、僕は静かに歩み寄る。すると、僕の気配に気づいたのか、兵士たちはそれぞれ武器を構えた。……槍のようだ。兵士の一人が、叫ぶ。

「……それ以上近付くな! 貴様、何者だ!」

「驚かせてしまってすみません。実は僕、旅の者なんですけど、あの、この建物は一体何の施設なんでしょうか?」

もう一人の兵士が、「旅の者だと?」と言い、さっき叫んだ兵士と顔を見合わせる。兵士たちはしばらく沈黙した後、「いいだろう。教えてやる」とゆっくりと答えた。

「ここはな……――『奴隷収容所』だ!」

「伏せろ! ケイ!」

 その言葉と同時に、エディルが突然、僕にタックルしてきたので、僕は地面に倒れ込んだ。

 次の瞬間、兵士達の槍の穂先から紫色の霧が噴射された。僕は何が起こったのかわからず、地面の上で呆気に取られていたが、『それ』はすぐに始まった。

 焼け付くような、何かが腐ったような、強烈なにおい。そのうえ息が、できない。顔が、手足が紫色に変色し、ぶくぶくに腫れ上がっていく。痛みで筋肉が痙攣する。目から、耳から、鼻孔から血が流れる。

「――エディ……!」

 僕の上に覆い被さっているエディルに呼び掛ける。エディルは片目を閉じ、「うう」とうめいてこちらを見上げた。エディルの顔はどす黒い紫色に腫れあがり、その目から、鼻から、血が流れ出ている。

「げ……がはっ、ごぼっ」

エディルが喀血かっけつしたので、僕は慌てて起き上がった。その様子を見て、兵士の一人が不審そうに仲間に尋ねる。

「なんだ? おい、こいつまだ動いてるぞ!この毒、ほんとに効いてんのか?」

「そのはずだが……ん? 待てよ、この娘――パン族じゃねえか?」

 兵士たちがそんなことを言っている間に、僕はエディルを抱きかかえた。その瞬間、真っ黒な闇の霧が、僕たちの周囲を覆いつくした。兵士たちが慌てて叫ぶ。

「なんだ⁉ これは――!」

「『闇』だ! 気を付けろ! こいつら、仲間がいるぞ!」

 ――これは、ラギニの『闇』の霧だ。

 僕がそう思った瞬間、メリフィアの声が響いた。

「ケイ! こっちだ!」

 とっさにメリフィアの声がした方に、僕はエディルを抱きかかえたまま走った。背後で兵士たちが、「パン族だ! パン族の娘を捕えろ!」と大声で叫んでいるのが聞こえる。

 メリフィアと共に、リディーたちの隠れている茂みに辿り着くと、僕はリディーに一喝された。

「ほら見なさい! 言わんこっちゃない」

「ごめんなさい、センパイ」

「おい、そんなこと言ってる場合じゃねえぞ! あいつら、追手を呼びやがった! 早くここを離れねえと――」

 ノダックがそう言っている途中で、「いたぞ! そこの茂みの中だ!」という兵士の声が聞こえてきた。レオナルトが茂みから外の様子をうかがう。

「とりあえず北に向かうぞ。走れるか? ケイ」

「ああ」

 僕がエディルを抱きかかえたままうなずいた直後、みんなはいっせいに走り出した。追手の数は、一人、二人、三人……合計八人か。それに対してこちらは九人。あの毒槍を近くで使われれば、一巻の終わりだ。ここは、逃げるしかない。――しかし、あの槍は一体どういう仕掛けになっているのだろう?

「……あいつらは、恐らく水のオーラの使い手だ。槍の穂先に塗った毒を霧状にして拡散させたのだろう」

 走りながら、余裕そうにレオナルトが考察する。雪が降り積もった山林の中、僕は毒と足場の悪さのせいで息を切らせながら、レオナルトの後ろを走る。やばい。苦しくて肺が張り裂けそうだ。

「どうやら村を襲った水のオーラの使い手は、彼らのようですね」

 オルジェも余裕で、僕の少し前を走る。走っている順番としては、リディーが一番先頭で、その次がノダック、ジュリー。(ノダックは飛んでいる。)その後ろを、レオナルト、オルジェ、僕、メリフィアという順で、ダムがしんがりを務めていた。

「おーい、みんな。このままじゃ追いつかれるから適当に分散するぞい」

 ダムの言葉に、僕以外の角の者たちはみんな、多方向にいっせいに分散した。

「――え?」

 気がつけば、辺りは開けた林になっている。エディルを抱えて走っている僕は、みんなのように右に曲がったり左に曲がったりする余裕がなかったので、まっすぐ正面に向かって走り続けた。出来得る限りの全力疾走だ。肺が悲鳴を上げる。全身の筋肉が、痛い。でも脚だけは止められない。今は逃げることだけを、考える。追手は今、どのあたりだろう? 振り返って見る余裕もない。

 ああ――また僕のせいで、エディルを危険な目に遭わせてしまった。だからせめて、これ以上はエディルを危険に巻き込みたくない。

「うおおおおおお! とりあえず北! とりあえず北!」

 僕は血走った眼で更に加速した――。と、その時。目の前に、素早く疾走する小さな黒い影が目に入った。僕がそれに目を取られた次の瞬間、横から別の小さな黒影が僕の脚に飛び掛かってきた。

 僕はとっさによけようとしたが、エディルを抱えているせいでうまくいかず、そのまま横倒れになり、地面に転がった。瞬時にエディルを、かばう。転がった先には、ちょうど地面にできた巨大な亀裂――天然の井戸のようなもの――があり、僕はその奥へと、エディルを抱きかかえたまま、転がり落ちって行った。

「わああああ!」

 ――落ちる、落ちる。まるでこの星の裏側につながっているのかと思うほど、深い穴だ。

 僕はエディルの身体をぎゅっと抱きしめ、衝撃に備えた。

 落とし穴の、底が見える。穴の底は明るく輝き、その奥――地底には正方形の、薄いグレーの巨大な石板が何十枚も埋まっているのが見える。その石板には、一枚に一文字ずつ、何かの文字が刻まれているようだ。その文字のようなものは、とても強い光を放っている。やがて、石板に刻まれた文字列から光が飛び出し、それが僕とエディルの身体の中に入り込んで来た――。瞬間、僕は自分の体が徐々に減速していき、体が浮き上がってきたことに気づいた。どんどん、どんどん落ちるスピードが落ちていく。

「……止まった?」

 気が付くと、僕はエディルを抱えたまま、今はもう輝きを失ったただの巨大な石板の上に、立っていた。

 その時、共通語で、「何者だ⁉」という声が聞こえてきた。僕が声のした方向に顔を向けると、褐色の肌の、頭の大きな四頭身ぐらいの小さな人間がいることに気づいた。――あれは……ひょっとして。

「貴様、何者だ⁉ なぜ我々の通行証を持っている⁉」

「……通行証?」

 恐らく土小人であろう、そのひげ面の男は、僕とエディルの顔を見た瞬間、「ひいっ」と小さく悲鳴をもらした。毒で腫れあがった僕らの顔に、驚いたのだろう。

「通行証って何の――あ」

 僕は、ズボンのポケットに入れた、あの四角い象牙のプレートのことを思い出した。

「ランブール、心配は無用じゃ。その方たちは敵ではない」

「その方が抱いてる娘はパン族の子だよ」

 突然、僕の後方から、小さな人影が二つ、現れた。一人は白髪のおじいさん小人で、もう一人は目のくりっとした、誠実そうな青年小人だ。ランブール、と呼ばれた男は、「村長! それにヤーマじゃねえか!」と小さく叫んだ。

「だが、パン族だと? この娘っ子がか?」

「ああ、この特徴的な角を見てくれ。間違いない」

 ヤーマと呼ばれた青年小人にそう言われたので、ランブールは穴があきそうなほど、僕とエディルを見つめた。

「おっでれえた! ほんとにパン族かよ!」

「うん。僕たちも最初に見た時は驚いたけど――。間違いない。彼女はローグㇽ族長の姪御さんだよ」

「い⁉ あの族長のか⁉」

「ああ。さあ、ランブール。ここを通してくれ。彼らは毒に侵されている。急いで手当てしなければ」

 青年小人にそう言われたひげ面男のランブールは、慌てて門のところへ戻って行った。

「開門! 開門!」

 ランブールが叫ぶと、周囲の土壁と不釣り合いな真っ白な象牙の扉が、ゆっくりと開き始めた。

 青年小人が僕を見上げ、にっこりと笑う。僕はお礼を言おうとしたが、毒のせいで口の中もしびれているらしく、ろれつが回らなかった。

 あ……やばい。今ごろ毒がまわってきたかも……。

 そう思った瞬間、僕はエディルを抱えたまま、地面に倒れ込んだ。青年小人と老人の小人が驚いた様子で何か叫んでいるのが聞こえたが、僕の耳には、もう何も届かなかった。


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