第十九話 角の者メリフィア

「なあ、リディーセンパイ。天鳥船ってなんだ? 天磐船とは違うの?」

 何の鳥の卵かはわからないが、手のひらサイズの大きな卵を水の張った鍋に入れ、沸騰してしばらく経ったらザルにあげる。それを水で冷やしてから、殻をむく。殻は面白いほど、つるんとむけた。

「天鳥船はかつてミグシャのものだった宇宙船のことよ。ミグシャがブリエ星から地球に来る時に使ったの。その時はまだ時空間鉄道はできていなかったしね」

 リディーはこちらに背中を向けながらそう言うと、大鍋から煮込んでいるスープを少しすくって味見した。

「ふーん……そうなんだ。ミグシャの星は地球と違って技術が進んでるんだな。宇宙船があるなんてさ」

「いえ、私の星は特に技術が進んでいるというわけではありません。むしろ、ブリエ星の歴史はまだまだ神代の中盤と言えるでしょう。しかし、その強い信仰心のために神の加護が得られ、人々は場違いな遺産を手にすることが珍しくないのです。わたくしの宇宙船も、そのひとつに過ぎません」

 大鍋にビーフシチューのような色と香りのスープをぐつぐつと煮込んでいるリディーの後ろで、僕とエディル、メリフィア、ミグシャは、サラダ作りをしていた。

「場違いな遺産?」

「地球で言う、オーパーツのようなものですわ」

「神からの『賜物』……か。生前の父からブリエは原始的な星だと聞いてはいたが、そんな事実が――。あ、いや、すまない。そういう意味ではないんだ。別にブリエを蔑んで言ったわけではなく――」

「ええ、わかっておりますわ。ですが、地球やエリュシオンのような神代から自立し、神から離れた星の方が、この根の国宇宙ではめずらしいようです。現に宇宙は今、秩序神派と混沌神派に分かれて争いを繰り広げています」

 エディルが慌てて言いなおすと、ミグシャはのんびりと答えた。

「ミグシャは宇宙船を、ええとその――どうやって神様からもらったの?」

 いくら神の加護で与えられたと言っても、実際にその手段を聞かないと納得ができない。ミグシャは一体どのようにして、秩序神ヘレネから宇宙船をもらったと言うのだろう?

「そうですね……。あなたがたは『いけにえ』という概念を御存知でしょうか?」

「いけにえ? あの、人を殺して神へ捧げる昔の習わし、みたいな?」

「ええ。その通りです。ただし、今もその習慣はあり、多くの星々で『神々への供犠』は捧げられていると聞きます。なぜなら、神を地上に降ろす依代とするために、神の姿に近い人の肉体を捧げる必要があるからです」

「神の――依代……? でもそれって人を殺して捧げるってことだろ? ミグシャは人間と共存してきたんじゃないのか?」

 僕が驚いて尋ねると、ミグシャはゆっくりとうなずいた。

「ええ。わたくしたちはわたくしたちの信仰に則って人間たちと共存してきました。わたくしたち氷鬼は本来ヒトを喰う人喰い鬼です。ですが秩序神ヘレネへの信仰から、神の依代となるヒトを喰うことを禁じ、以来ずっとヒトを食べずに暮らしてきました。しかし、その聖なる供犠に選ばれた人間は、教義上、とらえて神に捧げます」

「一体何のために――?」

「全ては神を地上に喚び出して、その恩恵を得るためです。この時、神の分霊が実際に降臨して、その肉体を使うこともままありますが――。大抵神が気に入った肉体は、時空の彼方に召し上げてしまいます。その褒美として神は、供物とひきかえに時空間を引き裂き、そこからわたくしたちのためにあらゆる不思議な『もの』を届けて下さるのです。……わたくしたち氷鬼はこの裂け目を太古の昔から『神の目』と呼んでいました。天鳥船は神からいただいた恩恵品の中では最も巨大なもののひとつです」

「……待て。それはひょっとして――神とやらの世界がこの宇宙のどこかにある、ということか?」

 ミグシャの言葉に、メリフィアは思わず、イモの皮をむく手を止めた。(文字通り、『手を』止めた。メリフィアは包丁を上手く使えないのか、メリフィアドールの指を刃物のように鋭く変化させて、皮をむいている)

「神々の世界――というのが正しい表現なのかどうかはわかりませんが、神々がよく身を寄せている時空はあるそうです」

「それは……」

狂夢きょうむ世界のことね」

 メリフィアが言い掛けると、リディーが突然口を挟んだ。

「『始まりの地』が一番最初に産んだ宇宙のことよ。この根の国宇宙より先に生まれた時空間なの。文字通り狂った夢のような世界で、技術レベルが無茶苦茶高いってウワサなのよね。……何を隠そう、行ったことないけど。あそこ受肉した神様じゃ行きにくいって話だし」

 ――狂った夢のような世界……? いったいどんな世界だ? 

「まあ、その話はまたいずれね。それより連中、そろそろ戻ってくる頃じゃないかしら?」

 リディーがそう言うと、ちょうどダム、レオナルト、オルジェ、ノダック、ジュリーが僕たちのいる洞窟にぞろぞろと入ってきた。

「ふーっ。どうにかメンテは終わったぞい。これでいつでも大丈夫じゃ」

「お疲れ様! 食事はできてるわよ! さっさと食べて、さっさと休みましょ! この先どうなるかわかんないし」

 リディーはそう言うと、くるりとミグシャの方に向き直り、にっこりと微笑みかけた。

「ミグシャ、今日はどうもありがとう。もう外に出てもいいわよ。ここは暑いでしょう?」

「……いいえ! この程度の暑さ、どうということはありませんわ。ネルトゥス様のナイトとして光栄の至りです」

「でも、いくらあなたといえど氷鬼の血が騒いでいるのではなくて? さっきからケイビーを見る目が、とてもよ?」

 ……え? 

 リディーがそうきっぱりと言い切ったので、ミグシャははっとしたように顔を赤らめた。

「……申し訳ございません。これでも必死に抑えていたのですけれど――。どうもケイは……いえ、ここにおられる方々は、どなたもで、つい……」

 氷鬼の本能がうずきます、と答えるミグシャの言葉が震える。リディーは小さくため息をつき、「わかるわ。特にケイビーは、おいしそうよね。それも今まで律してきた精神が揺らぐほどに、食欲を掻き立てられる」

 ……は?

 僕は目をパチクリとさせると、リディーの顔を見つめた。リディーは生肉のカタマリを手に乗せたまま、困ったように肩をすくめた。

「忘れた? あたしたち『角の者』は、精霊樹と繫がっている。精霊樹が成長するために必要な生物の生気――血肉というエナジーを常に喰い続けなければ、生きていけない。要は、あたしたちはいつも凄まじい飢餓感を抱えているのよ。それを律しているのは、オーナーの、『命令に逆らうな』『同胞を殺すな』『地球人を殺すな』という『言呪げんじゅ』のみ。ところがこの言呪、経年劣化する呪いなの。だから角の者の中で一番最初に言呪をかけられたレオナルト坊やなんて、もうとっくに解けちゃってる。だから、いつケイビーに襲い掛かってもおかしくない状態ね」

「え……」

「加えてあたしやダム兄さん、メリーは最初から言呪ナシ状態。ホーンちゃんが認知してない角の者だから当然なんだけど、メリーはもうそろそろ時間かしらね」

 リディーが言い終えた時、ちょうどメリフィアの肩が、わずかに震えたのを僕は見逃さなかった。メリフィアが青ざめ、両手で肩を抱く。……どこか具合でも悪いのだろうか?

「メリフィア、どうし――」

 ――僕が手をメリフィアの肩にかけようとしたその時。メリフィアが突然、僕の手に噛みついた。

「……ッ⁉」

「ケイ!」

 エディルが僕の名を叫ぶ中、メリフィアは僕の手を食いちぎらんばかりに喰らいつく。噛みつかれた傷口から勢いよく血が噴き出し、地面に滴り落ちた。

「メリフィア……?」

 ――ダメだ。正気じゃない。

 メリフィアは白目を剥き出し、よだれを垂らしてグルグル唸っている。僕は瞬時に、手を部分的に鋼鉄化させた。メリフィアは驚いてその場から飛び退く。

「……始まったわね。第一関門が」

――第一関門?

 リディーは冷めた視線で僕たちを見つめると、メリフィアを取り押さえようと前に進み出たミグシャを制した。ダムやレオナルト、オルジェも黙ったまま動かない。エディルだけが、次の行動を決めかねている。

 なに? 一体何が起きてる? 

「……ッ! センパイ、これどーなって――」

 言いかけた瞬間、メリフィアの肉体――メリフィアドールが『変化』し始めた。身体が二回り以上大きくなり、全身の細胞がメタル化していく。目の色はそのままだが、髪の色はあっと言う間に黒から銀に変化した。――覚醒だ。それも、完全覚醒。

「血肉を――」

 メリフィアは破れた服の隙間から見える腹部に開いた第三の目をぎょろつかせ、正気を失ったまま僕に襲い掛かって来た。

「よこせえええ!」

 その瞬間、僕はなんとか両腕のみを鋼鉄化し、攻撃を受け流す構えを取った。完全覚醒できない今の状況では、これが精いっぱいだ。メリフィアの腕の刃が僕の体をかすり、皮膚が裂ける。そこから血が噴き出し、僕は痛みに顔を歪めた。身体に力が入らなくて、上手く動けない。

「くそっ」

 メリフィアは目にも留まらぬ速さで連続攻撃を仕掛け、それを僕がなんとかギリギリで受け流す。

 ――この時僕は、この十日間で、レオナルトから学んだことを思い起こしていた。まずは第一に、『敵』に会わないように逃げること。第二に、もしも会ってしまったら、やみくもに戦わず、相手をじっくり観察し、冷静にその攻略法を考えること。この時決して頭に血をのぼらせてはならない。そして第三に、己の体力の限界を知り、適度に休息を取ること。

 あの地獄のような、スパルタ戦闘教育で生き抜くために学んだことは、この三つだ。それ以上でもそれ以下でもない。生き残るためには、敵を知り、己を知る。その上で相手を倒すチャンスを自分で作り出す。

 ――もっとも、我を忘れたメリフィアの攻撃は、一撃一撃はとても強力なものだが、どれも動きが単調で、少し時間が経てば簡単に見切れるものだった。言うまでもなく試練の時のメリフィアとは比べ物にならない。

 段々目が慣れてきた僕はメリフィアの最後の攻撃をやっとのことでかわすと、メリフィアの無防備な第三の目めがけ、メタルアームで強烈なパンチを放った。(とは言ってもかなり手加減したが)メリフィアは身体を屈ませながら、唾を吐いて腹を押さえ、うめき声を上げる。相当効いたのだろう。もっとも、メリフィアに効くということは、同じラギニである僕にも効くということだろうな、と思いながら、メリフィアの歪んだ表情を見つめた。

「う……うぅ……ぐあ……っっ」

「メリフィア――」

 僕が前に進み出ると、メリフィアは手を挙げ、僕の動きを止めた。

「く……来るなケイ……ッ! でないとお前を――」

「ケイ……メリフィアが苦しそうだ。一体どうすれば――」

エディルがその言葉を言い終えないうちに、僕はメリフィアに、「メリフィア、辛いのか?」と尋ねていた。

「……ッ! こんなの……ッ! どうってことないッ……!」

 メリフィアは息を切らせながら、がくがくと身体を震わせ、手で喉を抑える。よほどの飢えと渇きが襲っているのだろう。

「僕の血肉が、欲しいのか?」

「……っ。寄るな……ッ! 寄ればお前を――」

「食べろよ」

「!」

 その刹那、メリフィアの血走った眼が大きく見開かれた。

「ケイ⁉ 何言って――」

 エディルが戸惑うような顔で、僕を見つめる。僕は続けた。

「……そんなに食べたいなら、食べろよ。だって僕たち、仲間だろ?」

「なか……ま……?」

 メリフィアの口が、小さく動く。僕はメリフィアの赤い瞳をじっと見つめた。

「ああ。メリフィアが苦しいなら、僕だって苦しい。エディルだってそのはずだ。メリフィアは僕たちのこと仲間だなんて思ってないだろうけど、僕たちは勝手にそう思ってる。君にとっては迷惑だろうけど――僕の血肉でよかったら、食べてよ」

 気づかなくてごめんな、と僕は謝り、両腕を広げて、メリフィアの方に歩み寄っていく。

 そんな僕の姿を見て、メリフィアの表情は瞬時に怯えたものに変わった。

「く、来るな! くる――」

その数秒後、うめき声をあげて、メリフィアは突然、地面に倒れ込んだ。僕とエディルは驚いて、同時に駆け寄る。

「メリフィア!」

 僕はメリフィアを起こそうとしたが、メリフィアの意識の糸は完全に途切れていた。

 ――ダメだ。完全に気を失ってる。

「……僕のせいで――僕がもっと……」

 僕がポツリとつぶやきかけた時、突然背後から、「どうにか乗り越えられたみたいね」というリディーの声が聞こえた。

「へ?」

「つまり、メリーは第一関門を突破したのよ」

「? どういうことなのだ? センパイ」

 僕とエディルが困惑の表情でリディーを見上げると、ダムが代わりに答えた。

「『飢餓感』は――『角の者』に変化した後にくる、一番最初の禁断症状なんじゃ。これが最もきついと言われておってな。最初の飢餓感を乗り越えられるかどうかが角の者としてこの先『生きていくこと』ができるかどうかの、分岐点なんじゃ」

「生きて……いくこと?」とエディルが少し首を傾げると、ダムはうなずく。

「精霊樹の本能にのまれず、『心』を保ち続ける、ということじゃ。この飢餓感を上手く御さねば、精霊樹に身も心も乗っ取られてしまうんじゃ。例えるなら上司の絶対命令に無理矢理逆らうようなものじゃな」

「まあ、言呪がないぶん他の角の者たちより飢餓感は十倍くらい強かったかもね。呪いは使いようによっては空腹感の緩衝材になるから。呪いって、人工的に植え付ける本能みたいなもんだし」

 リディーの言葉に、僕は「それじゃあメリフィアはその飢餓感――精霊樹の本能に勝ったってこと? 言呪ってやつナシで」とつぶやき、視線を腕の中のメリフィアに移した。メリフィアは微かに蒼ざめた顔で、眠り続けている。

「そゆこと。次に目を覚ました時には、だいぶ飢餓感がマシになってると思うわ。その時はこのお肉を食べさせてあげましょ」

 生肉を人差し指の上でくるくると回しながら、リディーは軽く言った。僕はあっけに取られた顔で、リディーとダムの顔を見上げる。

「……センパイたちも、こんな飢餓感を乗り越えたの?」

「昔ね。乗り越えたっていっても、今もあるのよ? 我慢してるだけで」

「センパイは……その――人の肉を食べたことが?」

 エディルはおずおずとリディーに尋ねた。リディーは少し間を置いてから、「あるわよ」と答える。

「……ホーンちゃんと出会う前は、食べてた。ネルトゥスだった時に。でもホーンちゃんを育てる時に決めたの。もう人は食べないって」

 自然神ネルトゥス――か。センパイたちは、一体どんな神様だったのだろう?

「じゃあ今は一体何を食べて飢えをしのいでいると?」

 エディルが腕を組むと、今度はダムが答えた。

「そうじゃな。大体獣の肉や、薬草、ハーブなんかを食うことが多い。ヒトほどの濃厚なエナジーは望めないにしろ、それなりに空腹はしのげるというわけじゃ」

「なるほど」

「さあ! この話はここまで。さっさとあたし特製の薬草入りシチューを食べましょ! 早く食べないと冷め――……冷めてるわね。温め直すわ」

 こうして僕らはメリフィアが目を覚まさない内に食事の支度を始めた。ミグシャはいつの間にか外に出ていったようで、僕らは輪になって食事をとった。数時間後、ようやくメリフィアの意識が戻り、僕はリディーの持っていた生肉を渡した。 するとメリフィアは、僕の手から肉をもぎ取り、あっという間にがつがつとたいらげてしまった。

 メリフィアは更に、エディルからリディー特製のビーフシチューを皿一杯にもらうと、これもあっという間に完食した。

 食事の後、疲れたのか、地面にうずくまりすっかり眠ってしまったメリフィアに、僕はそっとダムから渡された毛布を掛けてあげると、リディーとダムは、「あたしたちももう休みましょう」と言った。

 外の吹雪とは打って変わって穏やかな洞窟の地面に横たわり、僕は今までに起こったこと思い起こす。

 蕪坂病院でエディルと出会い、病気を治してもらったこと。それから天磐船という黄金のUFOに乗り、見たこともない不思議な食べ物を食べたこと。生まれて初めてのケンカに、影霧との会話。反乱軍ネオ・フィールドへの参入に、辛い修行の日々。惑星レグランでの試練。オナルトとの勝負。そして、リディーとダムとの出会い……などなど。

 それぞれの出来事についての思いや疑問が浮かんでは消え、僕の脳を刺激する。

 「……」

 ――ダメだ。色々考えすぎて、眠れなくなった。

 仕方なく、起きる。そしてきょろきょろと周囲を見渡す。隣ではエディルがすやすやと寝息を立てている。リディーアンドダム、レオナルト、オルジェ、ノダック、ジュリーも眠っている。

 ……そうだ。確か温泉があるって言ってたよな。ちょっと探検してみようか。

 僕は歩き出すと、微かに硫黄のにおいがする方へ歩き出し、洞窟の奥へと進んで行った。

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