第十七話 氷鬼ミグシャ・アイエリウス
「ここは、惑星エリュシオンの兄弟星、惑星ブリエの近くにある時空のひずみよ。もとはブラックホールだったのだけれど、その役目を終えて内部にあるワームホールだけが残り、ひずみ世界として形成されたものなの。ここの星系は、太陽の他にエリュシオン、ブリエ、ヒョウガという惑星があったのだけれど、何万年も前にできたブラックホールに、氷の惑星ヒョウガが吸収されて、その大地と時空の一部がワームホールに蓄積されたわけ」
「……ってことは……エリュシオンもこんな気候なのか?」
僕は雪の上を歩きながら、歯をガチガチと言わせた。
「いや、私の星はこれほど寒くはない。確かに雪や氷に覆われている所はあるにはあるが、ごく一部のはずだ。そんな場所にほとんど人は住んでいない。居住地域の大部分は春になると、雪や氷が溶けていくから、比較的暖かいはずだ。まあ、地球と似たりよったりの環境だな。むしろここと似ているのは、惑星ブリエの方だろう。あそこは一年中寒い土地だと聞く」
「へえ。だったら早くエリュシオンに行きたいよ」
――とんでもなく、寒い。いや、寒いを通り越して、しばれる。……ってこんな感じかな?
元気な僕でさえ、あまりの寒さに力が入らないのだから、弱っているメリフィアはもっとこたえているに違いない。
僕は、抱えていた鳥籠に話しかけた。
「大丈夫か、メリフィア」
「ああ、なんとかな。まだあと少しなら、体力がある」
「そうか。頑張ってくれよ」
「……」
メリフィアが沈黙しているので、僕は「どうした?」と尋ねた。
「……ケイ、お前は――なぜここまでする?」
「へ?」
「なぜ、敵だった妾にここまで尽くすのだ?」
メリフィアの言葉に、僕はエディルと顔を見合わせた。
「なぜって――メリフィアの声を、聞いたから」
「なに?」
「『生きたい』って……言ってただろ?」
「わ、妾はそんな言葉など――」
「聞いたよ、確かに。メリフィアの心の声」
僕は鳥籠に向かって微笑んだ。あまりにもすごい雪なので、メリフィアの表情をうかがうことはできない。僕は続けた。
「……僕さ。エディルが心臓と肺を移植してくれるまでは病気だったんだ。いつもいつも、明日になったら死んでるかもって考えてた。そんな毎日が嫌で、自分の人生から逃げ出したくもなったけど、でも――……やっぱり、僕生きていたいんだなって。どんなに毎日が辛くても、苦しくても、僕は生きたいんだなって。例え僕のことを待ってる家族なんていなくても、例えたった一人でも、ずっと生きていたい――。最近になって、そんな自分の気持ちにやっと気づいてさ。だからメリフィアも、僕と同じだなって。そう思ったら、体が動いてた」
「……」
「メリフィアにとっては余計なお世話だったかもしれないけど、僕はやっぱり、君をほっとけなかった。だから……ごめん」
僕はメリフィアに謝ると、メリフィアが鳥籠の中で、僅かに震えたのがわかった。
……まさか――寒いのだろうか? 僕がそう尋ねると、メリフィアは、「ち、違う。何でもない」と言ったきり、黙り込んでしまった。
「……着いたわ。この先よ」
リディーがそう言うと、僕らの目の前に小さな洞窟の入口が見えてきた。……と、その前に大きな人影が見える。――誰かいるのだろうか? 僕が目を凝らすと、それはやがてくっきりと見えてきた。――あれは……。
「鬼……?」
――鬼だ。頭に大きな二本角がある。真っ白な、鎧のような皮膚をした、首の長い『鬼』だ。その姿は威厳に満ちていて、どこか気品があった。手には透明のクリスタルのような、美しい装飾が施された剣を携えている――。
「あなたは……?」
僕が言いかけると、リディーが前に進み出て、「待たせたわねミグシャ、今帰ったわ」と言った。ダムも、「ただいま」と声を掛ける。ミグシャ――と呼ばれたその白銀の『鬼』は、ゆっくりと下を見回した後、やがて僕の方に視線を向けて、じっと見つめた。
「……あなたは――」
「?」
――なんだ? この鬼は、僕のことを知っているのだろうか? その時、僕の左肩がチリチリと
「――そう。彼が『ホルス』の
「え?」
……ホルス? ナイト? 何のことだ?
「なるほど、道理で手のひらの『呪印』が疼くと思いましたわ」
「ミグシャ、色々と積もる話があるの。とりあえず中に入れてくれる? あ、あなたも一緒に来てちょうだい」
「御意に。ネルトゥス様」
?? ネルトゥス? 何言ってんだ?
混乱しかけた僕を尻目にミグシャはその場から退くと、先に僕らを洞穴の中へと通した。リディーとダムを先頭にして洞窟の中を歩くと、洞窟の中にはまたもや大きな扉があり、出入り口になっていることに気づいた。二人は迷わずそこを抜けると、僕たちに向かって手招きした。どうやら中は明るくなっているようだ。恐らく、ヒカリゴケの一種が壁一面に生えているのだろう。レオナルト、ノダック、オルジェ、ジュリー、僕、エディルの順に中に入っていく。最後は白銀のミグシャが通ると、そのまま扉を閉めた。扉の先は――さっきまでとは別世界だった。洞窟の中なのに天井がとても高く、草木も生い茂り、何と言っても、すごく暖かい。まるで暖房が効いているかのようだ。
「ここには温泉が湧いているから外とは大分気候が違うのよね。ヒカリゴケもあるし、おかげで外の世界とは違う生態系もできてて、ちょっとした異世界みたいになってるわ。結構楽しいわよ?」
「すごい……ここなら上着なしでも十分だよ」
そう言って僕は防寒具を脱いだ。エディルやレオナルト、オルジェも上着を脱ぎ、それぞれの霊魔たちのぶんも脱がせた。どうやらメリフィアも自分で脱いだようだ。気が付くと、レオナルトは片手にメリフィアの宿主だった女の首をぶら下げている。
リディーはパンパンと手を叩くと、「ハイ注目~!」と言ってミグシャの前に立った。
「……さて。時間もないことだし、改めて紹介するわね。彼女はミグシャ・アイエリウス。惑星エリュシオンのお隣のブリエ星からやって来た、『
リディーが僕たちの名前をミグシャ、と呼ばれる鬼女にそれぞれ紹介し終えた頃、僕はおずおずと質問した。
「ブリエ星……って、さっきエディルが言ってた一年中寒いっていう、あの……?」
「そうじゃ。ミグシャは昔その星に住んでおった秩序型宇宙人『氷鬼一族』の女王でのう。ある理由があって、故郷を捨ててわしらについてきてくれたんじゃ」
「ある理由?」
ダムがふんわりと誤魔化そうとしたのを、僕は見逃さなかった。
「……一族が、滅びたためです」
「!」
おっとりとした共通語で、ミグシャは話し出した。僕ははっとした顔で氷鬼の女王、ミグシャの顔を見上げる。
「わたくしの一族は秩序神である、女神ヘレネを篤く信仰していました。惑星ブリエには人間もおり、わたくしたちは信仰に則って人間達と共存しておりました。……しかし――人間達は次第に力を持ち、混沌神を崇拝するようになり、私たちの住みかを侵略し始めたのです。――そんな時です、空から『死の灰』が降って来たのは――。それから、わたくしの一族は、わたくし以外の全員が滅びたのです」
「死の灰とは……何です?」
他にも気になるワードはあったが、とりあえずそれを聞くことにした。
「恐らく、混沌神が人間に与えた兵器の一つでしょう。ブリエには、混沌神が度々降臨していたようですから」
「……神が――人間に兵器を与えた? しかも降臨って……! 嘘ですよね? 神様なんてこの世にいるわけ――」
そう言い掛けた僕に、ミグシャは静かに答えた。
「……可哀想に。あなたには信仰心がないのですね、ケイ」
「え――?」
「信仰とは根源の力です。あなたは、自ら力を拒んでいる」
ミグシャはそう言うと、それきり黙ってしまった。僕は困ったようにリディーセンパイに視線を投げ掛けた。助けて、センパイ。しかし、リディーは僕の視線に気付いているのかいないのか、じっと沈黙している。すると、レオナルトが助け舟を出してくれた。
「氷鬼一族は、篤い信仰心を持つことで知られている。特に、秩序神ヘレネを主神として崇め、厳しく己を戒める生活を送っていたそうだ。ミグシャ女王は一族が滅ぼされた後、地球へ渡り、リディー様とダム様のもとへ身を寄せた」
「へえー地球に……。 ってかセンパイたちって地球にいたの?」
「ああ。わしらはもともと地球生まれじゃからな」
「えっ」
僕とエディルは同時に顔を上げると、リディーとダムの顔をまじまじと見つめた。
マジで⁉ センパイたちが、地球生まれ⁉ そんなの初耳なんですけど!
「その時のわしらは、自然神ネルトゥスっていう女神じゃったんじゃ。どうじゃ! すごいじゃろう! 神じゃぞ神! おまけにヘレネ神の孫神じゃ!」
「へー、そうなんだ。ダムセンパイが女神――……っていやいやいやいや! わけわかんないんだけど! 一体どーいう意味⁉」
「どうってそのままよ」
「へ?」
「あたしたちは、昔秩序の女神ネルトゥスだったの。話せば長いけど、色々あってネルトゥスは死んで、あたしたちに生まれ変わったってワケ」
「神……」
――ってイキナリそんなこと言われても。でも確かに、リディーとダムに初めて会った時も、自分たちは『神様』だとか言ってたっけ。僕はてっきり、冗談か何かだと(あるいはレオナルトの思い込みかと)思ってたんだけど……。
「ケイ、エディレイド。お前たちは過酷な人生を歩んできた。その際に神による救済を求めたが、得られなかった。だからこそ神の存在を否定したのだろう。つまりお前たちの現実主義は――単なる神からの自立心の表れなのだ。だが、だからと言って神の存在そのものを否定するのは間違っている。なぜなら神とはお前たちが考えているような存在ではないからだ。つまり、神は――お前たちを救わない。神もお前たちと同じように生きているからだ」
「生きてる? 神様が……?」
レオナルトのせりふに、僕もエディルも言葉を失った。レオナルトは続ける。
「神々も我々と同じように迷い、嘆き、死んでいく。ただ私たちが一見すると、彼らがその輪から外れているように見えるだけだ。神は我々と同じように、不完全ないきものなのだ。例え圧倒的な超自然の力を持っていたとしても、その力は決して万能ではない。そしてそれを操る神々の人格もまた不完全だ。その力は決してお前たち一人一人のために振るわれない。彼らは一個の、超生物でしかないのだ」
「……」
――それは、僕たちが思い描いている神様とはずいぶん……。
「……だが、彼らは間違いなく『神』なのだ。この宇宙の創造者――『超越者』の系譜だ」
レオナルトがそう言い終えると、ようやくリディーが口を開いた。
「……確かに、あたしたちはある程度の未来の選択肢――様々な『運命』が見えるわ。だってあたしたちは、この根の国宇宙というゲーム盤を作ったヘレネおばあさまから、最上位に近いピースとして選ばれたんだもの。でも、サイコロを振った時に出る目の数までは、誰にもわからない。あたしたちにも、確実な未来なんてわからないのよ。わかるのは、様々な可能性と、現実と――断片的な過去の光景だけ。あたしたちにはものごとの真実なんて、見えないのよ。なぜおばあさまがこの宇宙をつくったのか、一体何が目的であたしたちが生まれたのか。あたしたちにはそれすらもわからないの。あたしたちがなぜこのゲームのピースに選ばれたのすらね……」
ゲーム盤……? ピース?
「センパイたちは……何かに巻き込まれてるの?」
僕が首を傾げて尋ねると、リディーとダムは一斉に口をつぐんだ。すると、今度はオルジェが口を開く。
「とにかく、今は他にも優先してやることがあるのでは?」
「ああ。そうだぜ。メリフィア嬢のカラダをずずいとつくるんじゃねえのか?」
ノダックも口を挟む。僕は、「ああ、そうだった。で、どうすればいいんだ?」と尋ねた。リディーがはっとしたように「そうね、ミグシャにその説明をしなきゃ」とつぶやく。ミグシャは、「なんのことでしょう?」とおっとりと尋ねた。
「実はね、ミグシャ。かくかくしかじかの理由があって、ここにあるアレを使いたいのよ」
リディーはミグシャに今までの経緯を説明すると、ミグシャは、「かしこまりました。ではみなさん、こちらへ」と言って、洞窟のさらに奥へと足を踏み入れた。僕たちはミグシャの後について、再び歩き出した。
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