第五話 影霧パラケルスス

 ロビーに着くと、さっき――いや、三日前か。とにかく僕が目覚める前と、そう風景は変わっていないようだ。乗客はみんな黒っぽいローブを羽織っているせいか、全体的に雰囲気は暗い。

 しかも、ぼそぼそと小声で談笑しているので、さらに雰囲気は重苦しい。それとは対照的に、テーブルとその上に乗っている白銀のリンゴ酒、そしてアンブロシアだけが、妙に鮮やかに輝いていた。

 ハッキリ言って、みなさんとはこれ以上お近づきになれそうにないオーラが放たれている。その上人型の生命体が全くいない。彼らとは、どうコミュニケーションを取ればいいのだろうか。

 僕はひとり、もじもじしていたが、エディルは話す気満々らしい。取り敢えず、ここはこいつに任せよう。エディルが宇宙人たちの集まっているテーブルに近付くと、彼らは、親切にも席を二つ分、開けてくれた。エディルと、僕の分だ。

 僕たちがテーブルに近付くと、さっきのウェイターが素早く黄金の肘掛椅子を二つ、持ってきてくれた。

 僕は宇宙人とウェイターにぼそぼそと日本語でお礼を言うと、エディルと一緒に席に着いた。

 僕が彼らのローブの下の『顔』を、まじまじと見つめると、顔に緑色の瞳を七つも付けた(これひょっとして複眼?)怪物みたいな奴や、一つ目の真っ赤な瞳を明滅させ、頭部の触手をなびかせている奴、全身に青い吹き出物みたいな『いぼ』がある、真っ黒なサツマイモのような奴――が黄金の飲み物を口にしていた。誰も彼も、地球ではなじみのない顔ばかりだ。

 僕はかなり緊張しながら、エディルとそいつらの会話を聞いていた。

「レグランという惑星を知らないか」

「あの第四階層宇宙の辺境にある、歪み宇宙のことか?」

「ああ、そうだ。超重力封印波によって、今も封印されている星だ」

「確か、かつてのギナ・クージャたちの楽園だったか」

「よく知っているな」

「なに、吾輩の故郷の星系の端に位置していたのでな」

「それは幸運だ。実は、私達はこれから『試練』に向かう途中なのだが――レグランの歴史の真実が知りたいのだ。力を貸してくれないか」

 ……あれ? なんか……何喋ってるのかわかるんですけど。何このひとたち? 日本語喋れたの? 

 僕はおずおずと上目遣いに緑色の複眼の宇宙人を見つめると、彼はニヤリと笑った。

「ふうむ……なるほど、そちらが噂の――『挑戦者』か。まだ翻訳口(レンダリング・マウス)も知らないようだが……大丈夫か? 形態も乗り込んで来た時とさして変わっていないようだが……。そんな肉体で試練を乗り越えることが出来るのか?」

「問題ない。すぐ慣れるさ」

「そうか、ならば何も言うまい」

……レンダリング・マウス? なんだそりゃ?

「おい、エディル」

 僕は普通の声の大きさでエディルに話しかけた。すると、周囲にいる異生物たちが一斉にこちらを見つめた。エディルはとっさに僕の口を手のひらでふさぐと、慌てて僕の耳元に口を寄せた。

「ケイ、ここでは『レンダリング・マウス』を使え。思っていることを、このような旋律に乗せて口に出すんだ」

「な、何だよそれ? んなことできるわけ――」

「いいから‼ こうするんだ」

 エディルはそう言うと、口から微かにひゅうひゅうと言う気管支を鳴らす様な音を立てた。そうしながら、言葉を乗せる。

「聞こえるか?」

「あ、ああ」

「やってみろ」

 僕は入院時代を思い出しながら、一生懸命気管支を鳴らそうとした。ああ、大丈夫だ。なぜかまだできるらしい。

「こうか?」

 僕は、自分の気管支がひゅうひゅうと音を立てながらも、別の旋律を奏で出すのを感じた。今まで一度も聞いたことのない音だ。僕の初、レンダリング・マウスを聞いたエディルは、満足そうに頷いた。

「初めてにしては中々うまいじゃないか。天磐船内では、レンダリング・マウスを使うのが暗黙のルール……つまり、マナーなんだ。これからは私ともこれで会話しよう。良い練習になる」

「レンダリング・マウスってつまり、『宇宙共通語』のことか? すごいな。僕にも聞こえるし、喋れるんだ」

「当たり前だ。お前は既に『覚醒』している。だからここへ連れて来たのだ」

 エディルの言葉に、僕は何だか嬉しくなった。

「話し中のところ悪いが、先ほどの話の続きをしてもいいか?」

 緑色の複眼の宇宙人が、僕達に話しかけてきたので、エディルははっとして顔を上げた。

「済まない、続けてくれ」

 彼はゆっくりと頷くような動作を見せる。

「――レグランに寄生型宇宙人ラギニが『休息』しにきたことは知っていた――。だが、あの星に何が起こったのかは、正確には誰にもわからなかった。何しろラギニは知能的で狡猾で、その生態はいまだ謎に包まれていたからだ」

「ラギニがレグランへやって来た真の目的を知らないか?」

「さあな。ただ吾輩の星系ではラギニの動向を常に警戒していた――。ラギニはそれほど、危険生命体として把握されていたからだ。特に、クイーン・ラギニのベル……と言ったか。……奴は『特別要注意生物』だったと記憶している。奴にかかれば星の数十は軽く制圧されていただろう。まあ、当時の我々仲間内の間では、そこそこ有名な話題だったな。もちろんレグランが滅びるまでの話だが」

「クイーン・ラギニのベル⁉」

 今度は、一つ目の真っ赤な瞳を明滅させている、イソギンチャクみたいな宇宙人が口を開いた。(……と言っても、どこが口なのかはわからない)

「それはもしや、『傀儡漂民ラギニ』の女王のことか?」

「ああ、そうだ」

 緑色の複眼が答える。赤い一つ目は頭の触手をざわつかせながら言った。

「それなら我も聞いたことがあるぞよ。なんでもアッシャー界にはラギニ=ザ・マリオンと言われる、様々な生物の『進化』に関わったと言われる特殊希少生命体がいるとか。中でもクイーン・ラギニのベルは有名な傀儡師だったと聞くが――。大層気まぐれで、遊び好きだったと聞いたことがある……。まさかレグランという惑星で滅びていたとは」

「彼がその、ラギニの最後の末裔なんだ」

 エディルがそう言うと、宇宙人たちは驚いて互いに顔を見合わせた。僕は、

「は、はい。そうらしいです……」と呟いて、顔を赤くする。なんだか見世物みたいでやだなあ。しかもこの方々、僕の姿が変化してないことを不信がっているようだ。ちゃんと信じてくれんのか?

「それは……本当なのか? それにしても貴様、なぜそんなひ弱な形態をしている?」

 青いいぼいぼの、真っ黒なサツマイモ型宇宙人が尋ねる。僕はむっとして、ひ弱で悪かったな、と言いかけたが、エディルがそれを遮った。

「やむにやまれぬ事情があるのだ。この結果は決してラギニの本意ではない」

なに? おいおい、僕ってそんなに残念な結果なの?

「……そうか。貴様も苦労したのだな。まさか、ラギニのなれの果てが地球の人類だったとは。『覚醒』が進めば、じきに我らのように『進化』できるさ」

 え? マジで? 覚醒が進んだら僕もこんな風になるの? いや、でも彼らとは明らかにベースの形態が違うような気が……。

「あのー、みなさんは進化前はどんな姿だったのですか?」

 その瞬間、シーンと静まり返る。……え? なんかまずいこと言った? 僕。

「あ、あの……」と僕が言い掛けた時、エディルが僕の口をさっとふさいだ。

「ケイ、それ以上喋るな」

「なんでだよ?」

 小声で僕は言い返す。エディルは「いいから」とだけ呟き、「すまない、他にラギニやレグランのことを知らないだろうか?」と尋ねた。しかし、それ以上言葉を発する者はいない。なにやら気まずくなった僕たちは早々に席を立った。僕は、そっとエディルに尋ねる。

「僕、なんかしたか?」

「した」

「なんだよ? どっちかって言うと、失礼なのはあいつらの方だと――」

「すがたかたちで我々を詮索することは許されない!」

 エディルは突然、日本語で怒鳴り散らした。僕は突然のことにびっくりしたが、すぐにかっとなって日本語で言い返した。

「何言ってんだよ! すがたかたちを詮索してきたのはあいつらの方だろ! 僕の姿が人間だっつってさ!」

「お前の姿が人間なんだから仕方がない! 人間は高等生物の中で最も劣等、最弱の存在なのだ! 我々とは知能も思考もまっったく違う! 」

「はあ⁉ ワケわかんねえ。お前だってほとんど人間だろうが!」

「なッ……今度は私の姿を愚弄する気か!」

「誰も愚弄してねーよ! 頭おかしいんじゃないの⁉ お前ら」

 僕達はひとしきり怒鳴り合うと、じっとお互いににらみ合った。エディルと僕の間に、激しい火花が散る。こんなに頭にきたのは、生まれて初めてだ。今まで自分の運命を呪ったことはあっても、怒ったことはなかった。だって、怒る相手がいなかったのだ。

「……お前、人間見下しすぎ。そこまで言うなら、もうこれ以上僕に関わるな。試練は、『人間』の――僕ひとりの力で、やり遂げてみせる! 宇宙人のお前なんか知らねえ‼ どっかいけ、バーカ‼」

 僕は感情に流されるままに、興奮して思ってもいないことを口にした。するとエディルはわずかに怯んだのか、きゅっと口を結んで僕を見据えた。その直後、声を震わせながら言い返す。

「それは……できない。私はお前の相棒だからだ。オーナーからもそう命じられている。」

 その言葉に、僕はオーナーに対してただならぬ嫉妬心が芽生えるのを感じた。

「はっ! オーナーの命令? お前に自分の意思はないのか? かわいそうな奴だな」

 これは言い過ぎたと思った時、エディルの瞳から大粒の涙がこぼれていることに気付いた。

「私は……どうやらお前を買いかぶっていたようだ」

 僕は何か言おうとしたが、そうする間もなくエディルは颯爽とロビーを突っ切り、広間から姿を消した。

 僕がふと辺りを見渡すと、いつの間にか、広間にいっぱいいたはずの宇宙人がいなくなっていることに気付いた。恐らく僕らのマナーの悪いケンカに、みんな気を悪くしたのだろう。あの営業スマイルのウェイターすらいない。僕は「ちくしょう」と言いながら、近くにあった肘掛椅子にどかっと座った。……その時。

「白銀のリンゴ酒はいかがでしたかな?」

 背後から、しわがれた男の声が聞こえてきた。共通語だ。僕は振り返ると、僕がいるのとは反対側の椅子に、黒い影のような、霧のようなモヤ(・・)が揺らいでいるのを見つけた。よく見ると、なんだかそれはひとのかたちをしている。そのモヤは再び、「白銀のリンゴ酒はいかがでしたかな?」と尋ねてきた。

「あなたは……誰ですか?」

 僕は共通語で聞き返すと、『彼』はただのモヤから黒色の煙のように形を変え始めた。

「私は――パラケルススと申す者です。なに、『影霧』とでも呼んでくだされ、ケイ殿」

『影霧』は、煙のようにもくもくと身体を立ち昇らせる。僕は、「僕の名前を知っているのですか?」と尋ねた。すると影霧は答える。

「『挑戦者』の名はあらかじめ乗客に知らされるのですよ。とは言え、その名を覚える者は少ないですが。なにしろ、何百、何千という『挑戦者』が日々乗船しますからなあ」

「……毎日そんなに『挑戦者』がいるんですか? ってことは『契約者』の数も相当――」

 僕が言い掛けると、影霧は静かに首を横に振った。――ように見えた。

「挑戦者が『試練』に合格する確率は百分の一、更に合格者が無事『契約者』となる確率はその三分の一です」

「……え?」

「『挑戦者』には、必ず『監視役』となる相棒――『仮契約者』が付きますが、その相棒の優秀さによって合否は大きく分かれます。相棒は『挑戦者』が試練をクリアしなければ、『契約者』にはなれません。受ける試練の難易度にもよりますが、相棒の力量によるものが大きいでしょう」

「だからエディルはあんなに張り切っていたのか。本物の契約者になるために」

 僕は思わず思っていたことを口にした。

「……それだけではありません。彼女は、人間が好きなのですよ。幼い頃から人間に囲まれて育ったのですから」

「⁉ ど、どーゆうことですか⁉」

 僕はとっさに影霧の顔を凝視する。影霧は、いつの間にか男性の老人のような姿をしていた。縮れた長い髪の毛に高いわし鼻、長いローブを羽織っており、まるで童話に出てくる魔法使いのおじいさんのようだ。影霧は楽しそうに答えた。

「彼女の故郷は第三階層イェツラー界第四宇宙にある、惑星エリュシオンです。その惑星には、様々な種族がおりました。もちろん、人間も。彼女の育った隠れ里は、戦闘獣族『パン』の治める小さな集落だったと聞いております。パン族は代々、人間の娘をさらって結婚する風習があった。しかも産まれる子供はみな男子だったそうです。しかし、彼女の母親は女である『彼女』を産んだ。そう、母親もまた、『人間』ではなかったのです」

「エディルの……お母さんが?」

 僕がぱちぱちと目を瞬かせると、影霧は淡々と語り出した。

「はい。彼女の母親は、惑星エリュシオンの星系の星に古来から存在していた、『天女』と呼ばれる植物型宇宙人だったそうです。『天女』は自分の子宮に、交わった雄の遺伝子を操作する『羽衣』という特殊エナジーを秘め、性別を自由に産み分けることができるそうです。とは言え、『天女』のほとんどが、女性だそうですが」

「じゃあエディルが……半植半獣というのは」

 影霧は静かに微笑む。

「彼女は心優しい人間の娘たちに囲まれて育ち、人間を心から愛していた――。しかし十歳になった時、彼女の父親が、で構成された違法見世物興行団に彼女を売り渡し、彼女はそこでひどい扱いを受けた。それを知った母親は怒りに任せて、その『サーカス』を里ごと滅ぼしたそうです。その母親を、『覚醒』した彼女が殺しました。そして孤児になったところを、オーナーに拾われたのです」

饒舌な影霧を見て、僕は僅かに不信の念を抱き、「……やけにお詳しいんですね」と尋ねた。しかし影霧は僕のそんな疑念を簡単に払しょくする。

「なに、彼女は仮契約者の中でも珍しい、シード・チャレンジャーでしてね。オーナー主宰の『ウロボロス・アカデミー』という契約者候補生特別訓練施設を首席で卒業し、第一試練の免除を受けた超優等生なのです。いまどきカンパニーで彼女のことを知らないものはおりませんよ」

「えっと……カンパニーって、時空間鉄道会社のことですよね? なぜオーナーはカンパニーを創ったんです?」

 そんな影霧の回答に、僕は思わず今まで気になっていたことを口にした。

「……オーナーの母親を探すためですよ」

「オーナーの……母親……?」

「はい。『賢者の石』のつくり方を知ると言われる唯一の存在です」

影霧の言わんとしていることがわからなくて、僕は、「賢者の石とは?」と首を傾げた。

「飲めば永遠の命を得られ、肉体を強化し、物質を変化させ、死者をも復活させる究極の薬品です。神々の『血』のことだとも言われており……『賢者の石』を食べれば神々と同等の力を得ると言われてもおります。……あなたもその『まがいもの』でしたら、既に口にしておりますよ」

「? どういうことですか?」

「三日前にあなたが食べた、金銀の食物のことです。あれらには『エリクシィ』と呼ばれる若返りの成分が入っている。とは言っても人間には効きませんがね。あれらを食べれば食べるほど時空間移動の負担が減る一方で、異生物たちはその味から離れられなくなっていく。結果、彼らは若返るためにこの鉄道を利用せざるを得なくなる……そういう仕組みなのです。あなたは……まだ半分『人間』のようだ。まだ『ラギニ』の意志が弱いようですからね。エリクシィの効き目は薄いでしょう」

その時、僕は「え? ラギニの意志って……?」と言いかけたが、影霧はそれには答えずに続けた。

「……哀れな異生物たちはその真実を知らない……。それどころか、自分たちが人間より圧倒的立場に立ち、カンパニーに優遇されていると思っている。しかしその実、オーナーに利用されているのです。本物の賢者の石は、使うと『人』にも絶大な影響を与える。当然ですな、『本物』なのですから」

「あなたは、賢者の石について何か知っているのですか?」

「……私は『賢者の石』の開発者なのですよ」

 影霧の思い掛けない言葉に、僕は「え?」と驚いて目を丸くした。影霧はそんな僕の様子を見て、「ふふ……」と苦笑いする。

「何を隠そう私は、元は人間の魔術師だったのですよ。私は地球でオーナーに雇われ、この天磐船と角の地の開発に携わった……。そしてその過程で本物の『賢者の石』を生み出した。私は嬉しさのあまり、オーナーに内緒で『それ』を食べてしまったのです。そのせいで私はこのような姿に成り果てた、というわけです」

こ……この人が――『影霧』が、『賢者の石』を開発して、自分でそれを食べたって⁉ しかもこのUFOや角の地を開発したって……ほんとかよ?

 僕は信じられない、という眼差しで影霧の目を見つめた。その目は黒煙――黒いモヤで表現されているとは思えないほど、美しい紫色だった。僕はその目を見つめ、「そ……そのことをオーナーは知っているのですか?」と遠慮がちに尋ねた。影霧は、静かに首を横に振る。

「私は現在行方不明者扱いになっています。賢者の石の完成を知るものは私以外、誰もおりません。もちろん、オーナーでさえも」

「ならば……あなたは、ここで一体何を……?」

 僕は眉をしかめ、更に影霧に問い掛けた。影霧は寂しそうに笑う。

「――私は、もはや人間ではありません。かと言って異生物とも違う。私は全てを超越してしまった――。だから、この世にあまり干渉してはいけないのです。私の役目は、『見守る』こと――。いつか誰かが、この悲しい現実を変えてくれるまで、ずっと見守ることなのです」

悲しい……現実……。

 その時、僕は一瞬、影霧と自分が重なったように感じた。……だって僕も、同じだったから。――いつからだろう? 生きることに絶望するようになったのは。いつからだろう? 全てのことに後ろ向きになり始めたのは。僕はいつから――現実から逃げたい一心で、未来に踏み出す勇気がなくなったのだろう?

「……こわい、ですよね」

「え?」

 今度は影霧が目を瞬かせる番だった。

「何か予期せぬ悪いことが起こった時、……いや起こった後に、どうやって生きていくべきなのかわからなくて。……将来に対する不安だけが募って、周りと比べて自分が失ってしまったものばかりが気になって。最後には『これからも生きていく』ってこと自体が、すごくこわくなるんです……。あ、まだ言ってませんでしたけど、実は僕……心臓の病気だったんです。一刻も早い心肺移植が必要だったんですけど、移植ってドナー不足の日本では殆ど可能性が見込めなくて。おまけに三年前の震災で保護者である両親も亡くなっちゃって。僕はほとんど病院の――モルモットでした。こわかったですよ、毎日が。死んでしまうのも怖かったし、かと言ってこのまま生き続けるのも怖かった――。どうせ生きてたって、何に効くのかわからない薬を、毎日注射されるんですから。でも自分の体が人間として『欠陥品』なんだから仕方ないのかもしれない、なんて考えたりして。……笑っちゃうでしょ?」

 影霧は戸惑うような眼差しで僕を見つめている。

「影霧さん……僕はほんとは――『普通』に生きたかったです。だからいもしない神様を恨んでた。まあ、当たり前のことなんですけどね。普通に学校に通って、勉強して、部活して、友達と遊んだり、恋……ってやつをしたり。でも、そんなことは大きな問題じゃなかったんです。本当に大事なことは――過去は変えられない。人間は、過去には戻れないってことなんです」

「人間は過去には戻れない……」

 影霧がゆっくりと噛み締めるように僕の言葉を繰り返す。僕は頷いて微笑んだ。

「はい。それが人間なんです。だからこそ、人は未来を諦めちゃいけないんです。生きてれば……生きてさえいれば、今を……いえ未来を意味のあるものにできるから。例え、僕が何の力もない実験体のモルモットだったとしても、僕に悲惨な未来が待っているだけだとしても、僕が諦めない限り、人生は意味あるものになるんです。僕は今までずっとそのことを忘れてました……。いえ、自分の人生に向き合う勇気がなかったんです。だから影霧……いや、パラケルススさん」

 僕は、ゆっくりと彼の紫の瞳を見つめた。

「もう一度、僕と一緒に人生の意味を作りませんか?」

「……⁉」

 影霧は驚いた顔で僕の目を見つめ返す。僕は黒煙でできた彼の手を取った。

「今度こそ悲しい現実をぶち壊して、『運命』の支配権を奪還しましょう」

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