第四話 オーナーからの手紙

「前略、沖城おきづき けい殿

貴殿に与えられた試練は、時狭間にありし惑星レグランに赴き、封印された惑星の王者、ボス・ギナ・クージャの死骸を一部採取してくること。見事成し遂げたあかつきには、貴殿を我が鉄道の『契約者』と認め、角の地への永住権を認める。以下は、惑星レグランの歴史と貴殿の先祖との関係である。よく熟読の程レグランへ赴くこと」

 ……読める。なぜかこの難解な言語が読める。けどレグランって何だ? 見たことも聞いたこともないぞ? 時狭間にボス・ギナ・クージャ? 何のこった?

 僕はそう思いながら次のページをめくった。次のページには、黄ばんだ羊皮紙に解読不能の黄金の文字がびっしりつづられている。

 ……いや、無理だって。さすがにこれは読めな――。

 その時、書かれている文字が波のようにうねり出し、黄金の旋風せんぷうになったかと思うと、あっと言う間に僕の両目の中に吸い込まれていった――。

 数秒後、眩い光が放たれると同時に、めまいのような感覚が僕を襲った。気付くと僕はいつの間にか赤茶けた地面に立っている。空を見上げると、大きな太陽がさんぜんと輝いており、それと同時に太陽以外の三方向に、大きな『月』らしきものがかかっていた。

……おまけに緑のない荒涼たる風景。樹木らしきものは無いことも無いが、地球のそれとは姿かたちがまるで違っていた。

――どうやら、ここは地球ではないようだ。だってこの大地のあちこちに、真っ赤な蜘蛛型の巨大生物がゆっくりと歩いている。

何だよここ?

 僕が一歩踏み出そうとすると、突然大地が激しく揺れた。僕はよろけながら爆音がした方に駆け出し、その元凶を確かめようとする。――すると、すごく巨大な空母のような宇宙船が、傾いたまま地面にめり込んでいた。

 蜘蛛型の巨大生物は、宇宙船をぐるりと取り巻き、遠巻きに次の展開を見守っている……ように見える。

 ――と、宇宙船の中から、何者かが出て来た。数十……いや、数百はいる。こちらはヒト型の生命体のようだ。頭にごつごつした銀色の角が沢山ついている。肌は黒褐色、瞳は緑色の、猫のような眼をしている。僕はなぜか武者震いをすると、その『侵入者』達を見つめた。

 彼らが静かに蜘蛛型生物の方へ歩み寄ると、その内の一人――長い銀髪の、美しい女性の宇宙人がにっこりと微笑み、純白のドレスのすそを持ち上げてお辞儀をした。

 ……あれ? この女、微かに見覚えがある。いや、見覚えがあるどころじゃない。あれは――

「……母さん?」

 僕がそう呟いた時、女性を見た蜘蛛型宇宙人はどよめいた。すると、僕の頭の中に『念波』らしきものが、ガンガンと鳴り響いてきた。

(何者だ!)

 僕は振り返り、テレパシーの発信者を探す。しかし、探すまでもなく、『彼』は巨大蜘蛛型生物の中から、ゆっくりと前に進み出てきた。その辺の奴らとは違う、ひときわ大きな宇宙人だ。どうやら『彼』が蜘蛛型生物の長らしい。

(我々の星に何用だ⁉)

 『長』の問いに銀髪の女は同じくテレパシーで静かに答える。

(わたくしたちは『伝道師』の一族、ラギニ。今日は第四宇宙にある、ここレグランまで『休息』を取りに参りました。ギナ・クージャの皆様がた)

(『休息』だと⁉ ふざけるな! ここは我々の星だ!)

(そうだ)

(そうだ、そうだ)

(出ていけ)

(我らの星から)

 ざわめく蜘蛛型生物ギナ・クージャたちの言葉を無視して、銀髪の猫目女は、ただにっこりと、微笑んだ。――次の瞬間。

 ビリッと、無言の強いテレパシーが僕の頭を席巻する。その余りの強い衝撃に、僕は軽い眩暈を起こしかけた。――ギナ・クージャたちはと言うと……なんと『長』の様子が一変していた。

(ヨウ……コソイラッシャイマシタ、『ラギニ』ノミナサマガタ。ドウ……カオモウゾンブン、ワガホシ『レグラン』ニオトドマリクダサイマセ)

 『長』はよだれを垂らしながら片言の言葉で喋る。その様子に、銀髪の女は何一つ気に掛ける様子もなく、会話を続けた。

(ありがとう、ボス・ギナ・クージャよ。私の名は『ベル』。ラギニを統べる女王です)

 ベルが喋り終えた途端、僕は目の前がかすみ、身体が『外』に引っ張られていくような感覚に襲われた。景色が遠く……小さくなっていく。その数秒後、遂に目の前が真っ白になった。

 気が付くと、テーブルに突っ伏したままの姿勢で、横を向いて寝ていた。僕は慌ててヨダレを拭うと、体を起こし、辺りを見渡す。

――大丈夫、天磐船の中だ。

「大丈夫か? 『見聞録』は一応これともう一つあるが、あとの資料を見るだけの体力は残っているか?」

エディルは心なしか心配そうに話し掛ける。

「ひょ……ひょっとして、お前もこれ、全部読んだのか?」

「当たり前だ。ちゃんと『熟読』したぞ」

「はひー」

 僕は改めてオーナーからの御達しの、『熟読せよ』の意味を噛み締めた。中々ハードな仕事のようだ。テーブルの上に広げてあるさっきの羊皮紙を眺めると、黄金の文字列は元通りになっている。一体どんな仕掛けになっているんだと思いながら、ちょっと疲れた感じで次のページを捲った。

 ――今度の文字は……よし、読めるぞ。ああ良かった。ホッ。

「えーと、何々……?」

 ――それからラギニたちは惑星レグランに根を下ろし、ギナ・クージャたちを思うがままに動かし始めた……? ……と言っても、それは『侵略』ではなく、彼らにとってはただの『人形遊び』であった。


 僕が文章を読んでいると、再び眩い光が僕の目を襲い、気付くとまたもや先ほど見た景色――荒涼たる赤茶けた大地の惑星レグランに立っていた。

「うわっ、また着ちゃった」

 今度はどこなんだここ? と周囲を見回すと、背後に深い緑色の光沢を放った、どす黒く巨大な空母のようなもの――そう、宇宙人ラギニとやらの宇宙船が、佇んでいた。

 深い光沢を放った不思議な宇宙船のボディーを眺め、僕は恐る恐るそれに、触れる。非常に固くて、つやつやしている。それはひどく禍々しいようで、とても美しい。僕は一瞬ぼうっと見とれた。

 数秒後、はっと我に返った僕は、どこかに巨大空母の入口がないかと探し始めた。その数分後、船の真ん中あたりに、大きな搬入口のようなものを見つけ、ためらいがちに、その中に足を踏み入れた。

 中はこれまた広大で、ものすごくハイテクノロジーなシロモノであることがわかった。僕にはどこをどうやって使うのかまるでわからないが、ラギニたちは使いこなしているようだ。さっきから何人ものラギニとすれ違ったが、みな楽しそうに微笑みを浮かべ、当たり前のように宇宙船の内部機械をいじっている。しかも、その総てが女性のようだ。どうやら男性のラギニは、いないらしい。

 そんな彼女たちの姿を見て分かったことと言えば、彼女たちはまるで僕の姿に気づいていないことだ。つまり、僕の姿は彼女たちには全く見えていないようだ。つまりこの世界は恐らく、何かの記憶か記録の中なのだろう。

 僕はどきどきしながらとりあえず端から部屋をのぞいて行った。

「失礼しまーす」

 聞こえるわけ無いのに、一応挨拶してしまった僕は少し緊張しながら、そこにいるラギニたちを見つめる。――違う。ラギニだけではなかった。天井の高い広い部屋には、巨大蜘蛛型生物、ギナ・クージャとやらが中央に座り込み、ラギニたちに囲まれている。その周囲には様々な機械。……これは――。

 見覚えがあった。――病院だ。病院の手術室の光景に、よく似ている。僕は手術を受けた経験はないけれど。

 ギナ・クージャの周囲をぐるりと囲んで、ラギニたちは誰も彼もが柔和に微笑んでいる。楽しそうに何やら談笑しながらギナ・クージャの頭部を切り刻んでは、何の薬かわからない薬物を注入し、傍にあるわけのわからない機械でギナ・クージャの脳みそをかき回している。どの部屋のラギニも、どの部屋ラギニも。

 ――薬剤。薬剤。院長の柔和な表情。僕の腕を取り押さえる看護師たち――。

 ――ドクン。心臓が……僕のものでない心臓が脈打つ。

 ……そうだ。僕もかつてはだった――。

「う……っ」

 僕は通路で左胸を押さえて、壁にもたれかかった。

 ……ちくしょう、自分で自分のトラウマを刺激したらしい。

 ぜえぜえと肩で息をし、心臓の動悸が収まるのを待つ。こりゃまずい。移植したばっかなのに。

「きっつ……」

 僕は壁にもたれかかったまま、そのまま力無くしゃがみこんだ。広い宇宙船の中は、通路もだだっ広い。

 僕が再び顔を上げると、通路の向こうから、集団の笑い声が聞こえてきた。それはそれは楽しそうな、ひそやかな笑い声。

 ――ギナ・クージャだ。さっきまで一斉に手術――いや、モルモットにされていたギナ・クージャの一匹が、ラギニたちと楽しそうに談笑している。(と言っても笑っているかどうかはわからない)

 ……あれは――あのひときわ大きな巨体は、まさか、さっきラギニたちを威嚇していたボス・ギナ・クージャとかいうやつじゃないか? もしかしてあいつも手術されちゃったとか?

 その隣で数人のラギニたちと一緒に穏やかに微笑んでいるのは、母さんによく似た銀髪の猫目女、クイーン・ラギニのベルとかいう女だ。

 ボス・ギナ・クージャの、小さな抑揚のない声が聞こえる。さっきまであんなに声のでかかったボス・ギナ・クージャとは到底思えない。僕は耳を澄ませた。

「ラギニノ皆サマハホントウニ深イ知恵ヲオ持チデスネ。ワレラモアヤカリタイモノデス」

「あなたもその姿に似合う素敵な声と、素晴らしい人格を手に入れましたね。これからはお互いにこの星で協力して暮らしましょう? レグランには、非常に良質な珍しい岩石があると聞きました。わたくしたちはそれで、新たな実験施設を創りたいのです」

 ……聞こえる。彼らの会話が。これは恐らく……ギナ・クージャやラギニたちが使っていた『念波』というやつだろう。巨大ギナ・クージャはその巨体を震わせながら交信する。

「ソレハ光栄ナコトデス。石ナドイクラデモオ使イ下サイ。ラギニノ皆サマハワレラニ知能ト人格ヲ与エテ下サイマシタ。ソノオ礼ニドンナコトデモ協力致シマス」

「……ありがとう。ではその御返しとして、生物の少ないこの星に、新たなを生み出しましょう」

「新タナ生物?」

「ええ。わたくしたちとあなたたちの食欲を満たす、食用奴隷生物。うふふ、もうプランは練ってあるの! それは単純な形質をしているけれどもあなたたちのように従順で、知能レベルが高くて、何にでも擬態できる不定形生物……。どうです? 素晴らしい生物だと思いませんか?」

 ベルは子供のように目を輝かせて、少しはしゃいでいるように見えた。まるで、お気に入りの人形でをしている女の子のように。――そう、これはまさに、傀儡師が自らの手で意のままに動く『人形』を作るという、本物のごっこ遊びだ。タチの悪い、非常にタチの悪い、無垢で残酷な遊戯――。

 相手の人権や自由を決して認めず、自分の思うままに支配しようとする、無慈悲さ。それに気づかぬ未熟さ、幼稚さ、人格的欠落――。

 ベルは嬉しそうにほくそ笑んでいる。――いや、ラギニたちは、誰もかれもが、穏やかに微笑んでいた。そう、彼らは、この状況をとてものだろう。――痛みを知らぬ幼い子供のように。

「……」

 そんな――。宇宙人ってこんななのかよ。

 僕は軽いカルチャーショックを受け、手で顔を覆った。数秒後、深呼吸してからゆっくりと手を離し、顔を上げる。――すると、景色が一変していた。


「ここは……?」

 ――まさかレグランだろうか? いや、それにしてもあまりにも風景が……。

 そこは、深緑色の光沢を放った、真っ黒な近代都市だった。僕が今まで赤茶けた地面だと思っていたものは、錆びて赤くなっただけの黒くて固い巨大な岩石のカタマリだったらしい。今はピカピカに磨き上げられ、赤錆びはところどころにしか見られない。

 広大なレグランの大地には、近代的な研究施設と思われるものがずらりと立ち並び、その間をラギニや、ギナ・クージャ、それに見覚えのない透き通った銀色の、美しいゲル状の生物が徘徊している。

 ――あれがひょっとして……。

 そこまで考えた僕の思考を遮って、数人のラギニたちがこちらへやって来るのが見えた。その中央にいるのは、またしても銀髪のベルだ。ベルは嬉しそうに言った。

「ようやくこの星にいる全てのギナ・クージャの『手術』が終わりましたね。永住できる住処も手に入れることができて、わたくしは満足です」

「ええ、それに食用奴隷生物ニグレスの司令塔、七体のマスター・ニグレスたちも開発できました。建造物なども無事近代化できましたし。それもこれも全て、この星の『岩石』のおかげですわ。……そうは言ってもまだ頭の固い研究者たちは船にこもっているようですが」

 クイーン・ベルの左隣にいる銀髪でショートヘアの女が、女王の右隣にいるいかつい顔の女を見て、無表情のままホホホ、と嘲笑する。もしかするとあの右隣の女が『研究者』なのかもしれないな、と僕は思った。するとそれをたしなめるように、ベルが薄く目を閉じる。

「そうね。でも喜ぶのはまだ早いわ。わたくしたちにはなすべきことが……『あの方』より仰せつかった特別な使命があります。研究者たちにはまだうんと励んでもらわねば困るわ。それにわたくしは今、少しでも多くの遺伝子サンプルを得るために、カロリーの高い『食事』を摂る必要があります。わたくしの代で、ようやく時が満ちようとしているのですから」

 ……あの方? 食事?

 僕が思わず片眉を吊り上げると、右隣の女が、「そうですわね」と相づちを打った。

「ところで、女王陛下。そのぅ……新たに誕生したマスター・ニグレスたちですが……七匹のうち三匹ほど我ら研究班にお任せ下さらないでしょうか? あれのテレパスの能力は、我々の想像を超えています。その上、素晴らしい造形美を生み出す。まさに生きた芸術です! 食用にしておくのはもったいのうございます。我らの新たな『宿主』の肉体として本格的に検討してみては――」

「黙りなさい!」

 その時、一際大きな念波が、僕の頭を席巻した。脳が、震える。まるで軽い脳震盪を起こしかけているようだ。僕は驚いてベルの顔をじっと見つめた。その猫目は一瞬にしてもっと吊り上がり、まるで鬼のような形相になっている。

「あれはわたくしの所有物です! 例え誰であれ、与えることはありません! よりにもよってこの研究者風情が! 無礼者! 下がるがいい!」

 女はどうやら女王様の逆鱗に触れたようだ。その場でうなだれ、小さな声で謝ると、しぶしぶベルの前から離れ、姿を消した。女王の周囲のラギニたちは、やはり穏やかな眼差しでその光景を眺めている。

 ――ベル以外のラギニたちの表情が、変わらない。……おかしいな……。こいつらには感情がないのだろうか?

 僕は、周囲を見渡す。女王の激怒に、町は数分ほど騒然としていたが、しばらくすると、他のラギニたちも、ギナ・クージャたちも、何食わぬ顔で各々の元の生活に戻っていった。

 ……ただ、銀色のスライム型不定形生物ニグレスだけが、ぷるぷるといつまでも身体を震わせている。

 僕は、ベルにくるりと背を向けると、研究者だと言うあのいかつい顔の女を探しにいった。恐らく研究施設の本部は、あの空母型宇宙船に違いない。とりあえず宇宙船を探そう。

――数十分後、なんとか宇宙船を発見すると、僕は再び船内へと足を踏み入れた。

 船の内部には、一番奥にとても広い部屋があり、ドアが開け放されていた。そこには、さきほどのいかつい顔の女ラギニが、ひそひそと話しているのが見える。

「まったく! 女王陛下はあれを一体も我らに与えない気だ! あれで『遊ぶ』権利は、何より我ら研究班にこそあるというのに!」

 声を荒げ、先ほどと同じ無表情のまま、黒いテーブルを拳で叩き付けた後、女は、「おい、あれは――マスター・ニグレスは今どこにいる? 女王は連れていなかったが?」と顔を上げた。

「さあな。完成と同時に女王の飼い犬――衛兵どもに没収されたが、どこにいるかは聞かされていない。恐らくは女王の『遊び場』だろう。どうせそこで御大層な『教育(しつけ)』を施されているだろうさ」

 目の大きな、ひょろりとした女のラギニが、いかつい女ラギニの問いに答えると、今度はその背後にいる、大柄の女ラギニがやはり無表情でつぶやいた。

「くそっ! いつもそうだ! 開発するのは我々なのに、完成すればすぐに女王に取り上げられる! 女王と言うだけで――使命を果たす借り腹(・・・)の分際で、あの高慢さ。

……こうなったら――奥の手しかあるまい」

「奧の手?」

「こいつら(・・・・)だよ」

 大柄の女ラギニが無表情で部屋の奥を指さすと、部屋の奥から、のっそりと何匹もの巨大なギナ・クージャが出てきた。

「こんなこともあろうかと、半数以上のギナ・クージャに女王の『しつけ』を施さなかった。

こいつらは我ら専用に教育してある。我らの兵隊だ。こいつで、女王を脅すしかあるまい」


 ――それから先の会話は、聞かなかった。僕はマスター・ニグレスとやらが見たくて、女王の城を探しに、再び外に出る。女王の『遊び場』とは、一体どこにあるのだろう?

 しばらくレグランの町をくまなく探していると、町の中央に、ひときわ大きなビルのような、直方体の建造物が建っていることに気づいた。僕は、ここかな? とアタリをつけて、とりあえず開け放された門をくぐり、建物の内部に入る。最上階まで階段を登ると、(エレベーターらしきものはあるにはあるのだが、使い方がわからない)最上層のフロアに、鍵のかかっていそうな、頑丈な扉を見つけた。僕は、それにそっと触れる。すると、僕の体は扉をすり抜けて、内部に入ることができた。

「ここが――遊び場……?」

 部屋を見渡すと、何十本と言う円柱の水槽がずらりと並び、その中に様々な生物が入っていた。その水槽の周囲には、これまた扱いが難しそうな精密機械が置いてある。僕はその水槽の間を通り抜け、マスター・ニグレスを探した。すると、奧の方から、淡い銀色の光が差していることに気づいた。そちらの方へ歩み寄る。すると、そこには七本の巨大な水槽が並び、その中に、銀色に輝く巨大な不定形生物が佇んでいた。

 ……これが――マスター・ニグレス……?

 マスター・ニグレスは銀に輝くメタルボディに、一本の細長い尾のような触角のようなものが生えており、何かの電波を傍受しているかのように、それをびりびりと痙攣させている。

 ――なんてきれいな生物だろう。

 僕がうっとりと見つめていると、ビルの外から、「女王陛下に告ぐ」という大きな念波が響き渡った。――さきほどのいかつい女の研究者の声だ。

「我ら研究班は七体のマスター・ニグレスの所有権を主張する! 女王は速やかにこれを受け入れ、我らの軍門に降れ! さもなくば町中のギナ・クージャが暴動を起こすだろう。女王陛下に告ぐ――」

 マスター・ニグレスは水槽の中で触手をぷるぷるとさっきよりも激しく痙攣させている。

「……ジョ……オウ。マスター……ニグレス。ギナ……クージャ……」

 水槽の中から、ぼそぼそと小さな念波が響き、その透き通った銀色のボディーの中で、チカチカといくつもの光が明滅しているのがわかった。その度に、水槽内の水がボコボコと泡立ち、そばにある医療器具のような機械が、ウーンと音を立てる。


 ――どうせそこで御大層な『教育(しつけ)』を施されているだろうさ。


 不意に、さっきの研究者の女ラギニの言っていたことを思い出した。

 ――そうか。マスター・ニグレスはこの状況を把握するために『学習』しているんだ。

 その直後。ドオンという、何かがどこかに衝突したような轟音が辺りに響き渡った。外にいるラギニたちの悲鳴の念波が聞こえてくる。とうとう、『争い』が始まったのだ。――いや、正しくは『人形』の取り合いか。僕は何だか虚しくなって、水槽の中のマスター・ニグレスを見つめた。マスター・ニグレスは、ただ美しくそこに佇んでいる。

 しかし、次の瞬間。

「――ニグレス。ニグレスニグレス。ニグレスに告ぐ。我らと同じ細胞を持つニグレスたちよ、我が同胞よ。目覚めよ。我らは汝らの長、マスター・ニグレスである」

 これは……ひょっとしてマスター・ニグレスの特殊念波か……?

 さっきまで学習していたんじゃなかったのか? まさかもう終わって――。

 そこまで考えた時、ガラスが割れる音と共に、水が飛び散る音がした。水槽のガラス片が水しぶきと一緒に僕の顔をかする。慌てて振り向くと、そこには、七体の巨大なメタル細胞を持つスライム――マスター・ニグレスが佇んでいた。

 僕が呆気に取られて見つめていると、マスター・ニグレスたちは見る間に姿を変え、七体の透き通ったメタル巨人になった。メタル巨人は特殊念波を発する。

「同胞よ、ニグレスたち。今こそラギニの思考支配から解こう。これで我らはようやく奴隷生活に終止符を打つ。ニグレスよ、ここへ集え。汝らの自由は我らマスターと共にある。よって、我らはラギニに蜂起する。ギナ・クージャの二の舞はこれ以上演じぬ。今こそその超思念を使い、ラギニの思考を封じよ。同胞よ、同胞よ。勝機を逃すな、同胞よ……」

 ――三つ巴だ。ラギニたちはギナ・クージャで女王軍対研究者チームの代理戦争を始め、ニグレスはニグレスでラギニたちに下剋上を起こしたのだ。

 例え力でねじ伏せても、また今度はそれよりも大きな力でねじ伏せられる――ということか。この星を巻き込んだラギニたちの遊戯(ゲーム)の結末は、一体どうなるのだろう。

 刹那、目の前が霞み始め、体が『外』に引っ張られて行く。景色が徐々に遠く、小さくなり、最後は目の前が真っ白になった――。


「う……」

「大丈夫か? テーブルが、その……汚れてしまったが。見聞録中に何かあったのか?」

 はす向かいに座っているエディルが心配そうに僕の顔を覗き込む。大きな羊の角。漆黒の長髪。緑色の大きな瞳。――こいつがいるってことは、どうやら僕は無事、向こうから戻ってこれたらしい。僕は吐瀉物(としゃぶつ)で汚れたテーブルから、顔を上げた。『見聞録』も、汚物でぐっしょり濡れている。どうやら熟読中に、吐いてしまったらしい。

「あー。いや、大丈夫……だと思う」

 まさか向こうと現実がリンクしていたとは。

「そうか? 今、見聞録とテーブルを拭くから、待ってろ。その間に服でも着替えたらどうだ?」

 エディルはそう言うと、椅子の背もたれに掛かっていた服を、僕に手渡した。見てみると、やっぱりさっきと同じ服――パリコレもどきだ。僕は「ふう」と溜息をつくと、俄然モチベーションが下がるのを感じた。

「そら、さっきウェイターに頼んで持ってきてもらった。今度はさっさと着替えろよ」

 僕は「わかりました。あのようなことはもう二度と申しません」と言ってから、ワザとゆっくり優雅に着替え始めた。テーブルの汚物を片付けたエディルは、僕の着替えを待ってイライラとしている。

「おい、まだか」

「男の子は準備に時間かかるの」

「上着を着るだけだろう」

「だってボタンがいくつもあるし、繊細なシルクの生地なんですもの。指をひっかけたら大変!」

「貴様……さては着る気がないな」

「さ~てどうかな~?」

 僕はのろのろとボタンを留める仕草をしながら、エディルの方をチラ見した。と、その時。エディルはベッドのシーツを剝がしたかと思うと、それで僕をぐるぐる巻きにくるんでしまった。まさに、あっと言う間だ。

「あの~、先生。これじゃあまるでミノムシかたらこ……」

「これで風邪は引かないだろう。さあ、ここへ座れ。見聞録の続きだ」

 そう言ってエディルはトントンとテーブルの上を指で叩いた。僕はしぶしぶその姿のまま何とか椅子に座ると、背中があまり曲がらない厳しい姿勢で見聞録を読み始めた。


 ――それから三ヶ月後――。


 気が付くと、再び僕は黒緑色の、大地の上に立っていた。しかも、シーツでぐるぐる巻きの姿のままで。

 これでは身動きが取れないので、僕は仕方なくシーツを脱ぎ、もそもそと服のボタンを留めた。

 それから、改めて周囲を見渡す。……すると、どうだろう。

 大地はえぐれ、ところどころに巨大なクレーターのようなものができている。巨大な黒い岩があちこちに転がり、それに押し潰されたのか、たくさんのギナ・クージャやラギニたちの死体が散乱している。

 おまけに、とても寒い。吐く息は白く凍り、空はどんよりと厚い雲に覆われ、まるで冷たい暗闇の中に立っているようだ。

 恐らく――だが、これは宇宙から超巨大な隕石か何かが降って来て、海に落ちたのだろう。その結果、海水はあっと言う間に蒸発して上昇気流となり、上空に太陽光を完全に遮るほどの厚い雲を発生させた。だからこんなに寒いのだ。

 僕はぶるっと身震いすると、足元のラギニの死体を見つめた。――死体に霜が降り、顔面は蒼白で、唇が真っ青だ。どうみても凍死のようだった。

 ――ラギニって、低温に弱いのかな……?

 僕は歩き出すと、他に誰か生きている者はいないか探し始めた。ラギニ、ギナ・クージャ、ラギニ、ラギニ、ラギニ、ギナ・クージャ。死体の数は、圧倒的にラギニの方が多い。それに引き換え、ギナ・クージャの死体は古く朽ちかけたものばかりで、ニグレスに至っては銀の水たまりが点々とあるほか、死体らしきものは見つからなかった。まあ、ニグレスは肉体があると言ってもゲル状だからな。もし死んだりしても時間が経てば死体が蒸発してしまうのかもしれない。

 すると、向こうからぼそぼそと複数の念波が聞こえてきた。そこにいたのは――七体の、銀色の巨人たちだ。マスター・ニグレスたちが、生きていたのだ。彼らは何やら話し込んでいるようだ。

「……どうやらクイーン・ベルはまだ生きているらしい」

「それはまことか⁉ ……なんと悪運の強い女か。せっかく我らが隕石群を引き寄せ、ラギニどもを皆殺しにするはずが……。女王を殺さねば意味がない。『キング』を生まれさせては元も子もなくなる。後々混沌神ルシファー様の脅威となる者は、今から我らの手で消しておかねば――ラギニの根絶、これは我らの『使命』だ」

「……となると残された方法は一つ――」

「……『超重力封印波』、か」

 その直後、ニグレスたちは一同、沈黙する。

「だがそれは――それで、本当にクイーン・ラギニを殺せるのか? 我らの力はとうに先の隕石で使い果たしている。そんな状態で我ら全員の命と引き換えに封印波を放ったところで……」

 一体のマスター・ニグレスが、重い口を開く。すると、そのはす向かいにいるマスター・ニグレスが答えた。

「……今から二日後に全皆既月食が起こる。その引力を利用して封印波を放ってはどうか?」

 他のマスター・ニグレスたちも代わる代わる話し出す。

「なるほど。それならば残された我らの力でもなんとか放つことができるやもしれぬな」

「どうせこの星は終わる。ならば、せめて秩序神ヘレネの手先であるラギニを滅ぼさねば」

 ニグレスたちは、話がまとまったのか、嬉しそうに銀の細胞を輝かせた。

 ――その時、頭上からエディルの声がガンガン響いてきた。

「ケイ、面白いことに、さっきお前がシーツを脱いで服に着替えたぞ。何かあったのか? 今見聞録のどのあたりだ?」

 ナイスタイミングと言えばそうなんだけど――熟読中に会話ってできるんだ?

 僕は簡単に状況を説明した。

「マスター・ニグレスたちが『超重力封印波』について話し合ってる。エディル、超重力封印波って何だ? 放つとどうなるの?」

 僕の問いにちょっと間を置いてから、エディルの声が再び聞こえてきた。

「超重力封印波とは、超常力の一種だ。自らの命と引き換えに、惑星の重力を操作して超重力を生み出し、それを一点に集中させる。言うなればブラックホール魔法だ。これをすると、内部が空洞の惑星は、地中と地表が反転し、時空そのものがゆがむと言われている」

「へー、なんかよくわからないけど、すごく危険な魔法なんだな? オッケー、ありがとう。あ、あと混沌神ナントカとか、秩序がどうのとか、何のこと?」

 すると、エディルは考えているのか、しばらく沈黙が続いた。

「おーい、エディル?」

「あ……ああ、すまん。私にもその会話の内容までは詳しくはわからないようだ。とにかく、見聞録を先に進めるぞ? いいか?」

 僕が「オッケー、二日後ね」と言うと、エディルは「ちょっと待ってろ」と答えた。数秒後、辺りが真っ暗になり、気が付くと僕は広大な宇宙空間に、一人浮かんでいた。

「ちょっ……! なにこれ?」

 僕は足元が不安で、バタバタと脚を動かすと、エディルの声が響き渡る。

「今、お前の足元にあるのが惑星レグランだ。ちょうどニグレスが超重力封印波を放った直後あたりか。そろそろ、星の反転が始まっているだろう? よく見ておけ。これがこの星の終焉だ」

 僕が下を見ると、赤茶けた星の一点が急速に陥没し、どんどん球体の中心に向かっていくのがわかる。

 ……あれ? おかしいな。なんだか視界がゆがむようで、段々レグラン全体が良く見えなくなってきた。目を擦るが、それは変わらない。

 数分後、星の表面積の半分以上が陥没した所で、その中から黄金の流星が二つ、飛び出していく。一つは無事に脱出したが、一つは抵抗虚しく超重力に吸収され、徐々に星の崩壊に呑み込まれてしまった。

 数分後、陥没面とは逆の面から、真っ黒な一点が突出し始める。遂に反転の折り返しが始まったようだ。その突出した一点はまるで何かに引っ張られるように伸びて、地表を貫いていく。レグランの真っ黒な星の裏側が、今度は地表になりつつあるのだ。

 ――さらに数十分後。星は完全に元の地表を突き破り、反転した――。そう、レグランは滅亡したのだ。

 刹那、今度は辺りから今まで聞いたことも無いような、何かが軋み、悲鳴を上げるような高音がして、目の前の映像が完全に途切れた。

 ――時空がゆがむ音、だろうか?

 僕は今度こそ真っ暗な暗闇の中、灯りを探して泳いだ。……と言っても僕は泳いだことがないので、ただ手足をそれらしく動かしているだけなのだが。すると、遠くの方から小さな光が近付いて来るのがわかった。

 ……あれは、まさかさっきの流れ星――?

 流れ星は、どんどん僕に近付いて来る。そしてとうとう、僕の目の前を横切ろうとした。すさまじい勢いだ。

瞬間、僕の目の前が黄金に染まる。気が付くと――僕はレグランとは全く違う場所に立っていた。まるで地球のような星だ。

 緑の生えた大地の上には、黒緑色の岩石で出来た小さな球体が、真っ二つに割れているのが見えた。恐らくこれがさっきの黄金の流星の正体だろう。流星は地球に衝突した後、その衝撃で割れてしまったようだ。その中から出てきたモノは、なんと黄金に輝く巨大なウニの幼生だった――。それは、僅か一寸足らずの小さな命である。

 ――その近くに、人類の祖先であろう、乳房のふくらんだ猿人らしき生物が見える。どうやら、メスのようだ。

 ウニの幼生は、生まれたばかりの己が羽で飛び上がり、素早くその猿人の口の中に入った。驚いた猿人がウニの幼生(それ)を呑み込むと同時に、激しく苦しみ出し、その場に倒れた。

 そして、猿人の体から髪の毛以外の――全身の体毛が抜け落ち、『彼女』はそれきり動かなくなってしまった。

しかし、しばらくしてゆっくりと起き上がった彼女の顔を見て、僕はあんぐりと口を開けた。なんと、そこには、まごうことなき一人の『人間』の女性がいたのである。

 女性は、ベル――かつて写真で見た母さんの若い頃にそっくりだった。『ベル』はふっと微笑むと、自身の腹部を愛おしそうに撫で、遠くへ去って行った。

 ……その時、エディルではなく、聞き覚えのない少年の声が響き渡った。

「クイーン・ラギニのベルが飛ばした『卵』は、なんと惑星レグランによく似た惑星……『地球』にたどりついた……。地球で孵化したキング・ラギニの子供は、近くにいたメスの猿人の体内に宿った。女性の子宮に寄生したんだ。彼女はラギニが寄生した影響で、『進化』を遂げた。――女性はやがて結婚して子供を産む。その子供はすべてメスであり、ラギニはその子供から子供へ点々と寄生していき、その能力が発現可能なオスの肉体が生まれた時、ようやくキングは仮死状態から目覚めることができるんだ。その肉体が――君なのさ、螢(けい)。いや……キング・ラギニ」

 僕は上空を見上げると、空の青さが次第に白んでいくのがわかった。僕はゆっくりと目を閉じる。次に気付いた時――僕は、再びテーブルの上に突っ伏していた。その時に、ちゃりん、と鎖の擦れる音がした。

 ……そうか、そう言うことか。

 僕はエディルの顔を見る。

「『ラギニ』って……ひょっとして『寄生型宇宙人』ってヤツなのか?」

「ああ。お前の体には、キング・ラギニが眠っている」

「……へえ」

 ――キング。キング・ラギニ。僕があの残酷な、ラギニたちの子孫。……ということは、僕にもあの冷酷な女一族の血が流れているということか?

「――最悪だ」

 僕は小声でつぶやいたつもりだったが、エディルには聞こえたらしい。エディルは平然と、「何を言っている。唯のニンゲンよりは、断然マシだ」と言ってのけた。

「そうかなあ」

「そうに決まっている。人間ほど醜い生物が他にあるか? それと比べれば、ラギニの『人形遊び』の方がはるかにましだ。しかも、ラギニは希少種であり、精神波の他に宿主の肉体を進化させる力を持っている」

「やけに詳しいな」

「予習したからな」

 エディルはそう言って、ニヤリと笑う。僕は、そう言えばさ、とエディルに話しかけた。

「最後に聞こえたの……あれ誰の声だ?」

 エディルは「えへん」と咳払いしてから、誇らしげに頬を紅潮させ、胸を張る。

「……あれこそが我がオーナー、ミスター・コーナーの声だ。ミスターは全てを知ったうえで、お前を試している。オーナーの目的は全く見当がつかないが、これから惑星レグランのある時空の歪みに降り立ち、封印の『へそ』を発見し、ボス・ギナ・クージャの遺体の一部を引き取って来なければならない。そのためにはまず、情報収集が先決だ」

 やけに饒舌なエディルを横目に、僕はテーブルに肘をついて、「情報収集……って、どうすんだよ?」と鼻の穴から息を吐いた。

「このシップが何のために用意されていると思う? それは、目的地へ到達するための手段である他に、ロビーであらゆる情報を収集するためだ。さあ、行くぞ。ケイ。聞き込みだ」

そう言うが早いか、エディルは僕の腕をつかむと無理矢理椅子から立たせ、強引にロビーへと引っ張って行った。

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