幻想と百鬼夜行の観測者達

ジーコ

第1話






熊本県立のとある高校の本校舎二階の廊下の突き当たりにある空き教室。生徒はおろか教師や用務員ですら滅多に立ち入らないその魔境はイメージとは違い、大変綺麗に整頓が成されていた。

乱雑されている筈の椅子や机は教室の隅に陳列され、中央に空いたスペースには長机を囲むようにパイプ椅子が何脚か置かれている。深緑色の黒板にも手入れは行き届いており、何やら白チョークで細々と文字が刻まれていた。

長机を挟んで対面するような形で配置されたパイプ椅子に腰掛けているのは二人の男女だった。二人はいずれも、この高校の制服を身に纏っていた。

その中の片方の男子生徒は分厚い本の古ぼけたページを捲りながらもう片方の女生徒に尋ねた。


「なぁ、芽衣良めいら


自分の名を呼ばれた女生徒、伊駒 芽衣良いこま めいらは怪訝な表情を浮かべて男子生徒の顔を見る。


「何?哲也てつや


男子生徒、熊埜御 哲也くまのみ てつやは本から視線を芽衣良に動かすと、目を細めた。


「ちょっと奇妙な話をしていいか?」


「う、うん。別にいいけど……」彼女は若干困惑したように許可を出した。


芽衣良からの了承を得た哲也は今まで読んでいた古文書の複製本『佐渡ヶ島団三郎狢』を閉じて机上に置くと、ゆっくりと語り始めた。


「不老不死って、どう思う?」


それは通常生活の中では滅多に話題に上がらないような単語だった。不老不死、それは人間が生への渇望を描いた空想上の存在だ。永遠に老いず、決して絶命する事も無い。だがそれは、死への恐怖を無くすと共に自ら永久という牢獄に囚われる事を意味していた。

当然芽衣良は目を張った。しかし、哲也はそれを気にする素振りを微塵も見せずに話を続ける。


「不老不死ってのは、永遠に年を重ねないし永久に死ぬ事も無い。言うなれば全人類が渇望する夢、だな。誰もが老けたくないと思うし、誰もが死にたくないと思う。今を噛み締めたいからな」


哲也は長机の下に置いてあった自らのスクールバッグを手に取ると、その中から数冊の本を取り出した。いずれも年季が入っており、下手したら壊れそうな程脆弱になっているようだった。


「これを見な。世界各国の人々が追い求めた不老不死に関する研究結果さ」


芽衣良は机上に置かれた分厚い古書の中から色褪せた緑色の表紙を持つ一冊の本を抜き取った。彼女はその本の題名を声に出して読んだ。


「『PROSCRIBED GRIMOIRE禁じられた魔道書』…?」


哲也は頷いた。


「それは15世紀……つまり魔女狩り全盛期に記された魔道書だ。まぁ、複製本だけどな。その他の本も似たような物だ。南アフリカ原住民の呪術書、室町時代の薬剤……」


その話に芽衣良は疑問を覚えた。彼女は思わず哲也の話を遮って疑問を口にした。


「あれ?ちょっと待って。魔女狩りって本当は無実の人が殺されただけじゃなかったの?」


本来、魔女狩りとは自然災害や飢饉などが発生した場合、それを魔女の仕業と決め付けて罪の無い女性を処刑したとされる人間の集団心理が具現化したような悍ましい習慣だった筈だ。また、その他にも精神疾患者などの精神異常者を魔女狩りという名の下に処分していたという話があるが、それでもその宗教を後ろ盾とした疑心暗鬼のリンチは許されざる行為だろう。

彼女の問いに哲也は静かに答えた。


「ん?あぁ、九割方・・・はそうだった」


「九割方……?」


そうだ、と言って彼は芽衣良の白く華奢な手から魔道書を引き抜くと、あるページを開いて彼女の眼前に差し出した。その一面には細々とした字がまるで荒縄のように連なっており、その下には古めかしい挿絵が描かれていた。


「この本を書いたのは魔女狩りで迫害を受けて処刑された正真正銘の『魔女』だ。魔術や魔法を使ったりするアレだよ」


挿絵として描かれていたのは、黒い尖った帽子にそれと同じ色をした外套を纏った金髪の女性だった。それを取り囲むように地面に刻まれた複雑怪奇な魔法陣と呪文が不気味な雰囲気を醸し出していた。

芽衣良が挿絵を眺めていると、哲也はニヤリと口元を歪ませて言った。


「驚いたか?俺も初めてそれを読んだ時には度肝を抜かれたよ。今まで俺はお前と半径300km以内に居る誰かの視線を念写出来る映写機とか満月の夜にしか現れない幽霊港とか見てきたけれども……流石に魔術とかは初めてだもんな」


「肉しか斬る事が出来ない日本刀とかね」


芽衣良が付け加える。そうだった、あの妖刀は彼女の大のお気に入りだったのを哲也は思い出した。


「それと……何か無かったっけ?」


「そうね………あっ、付喪神ばっかり売ってた『ここのつ亭』とかこれからの人生で起きる幸福を先取り


「あぁ、あの祟り神の使者に会った帰りでのアレか……」


「本当に祟られそうでビビってたもんね、哲也」


「あれは忘れてくれよ……」


その会話で挙がった通り、哲也達は普通の高校生とは比べ物にならない程濃密な日々を送っている。それは彼等が所属している部活動、というより同好会が原因なのだろう。

彼等が所属しているのは『妖霊神魔研究会ようれいしんまけんきゅうかい』だった。この同好会には顧問も活動する部室も無い。この高校に通っている約九割の生徒がこの研究会の存在を認知していないのもこれが原因だろう。部長である哲也と副部長の芽衣良、会員が二人だけの部活動。この会の活動内容は『この世に存在するありとあらゆる怪奇現象を調べ尽くす』事だった。平日の放課後はこの空き教室に秘密裏に集まり、秘密裏に会話を繰り広げる。休日になれば怪奇現象が発生、又はその禍根がある場所に赴き情報収集をする。


そんな生活を続けて気付けば一年が過ぎていた。


哲也はふと、思い出したかのように芽衣良に尋ねた。


「あ、因みに………魔術と魔法の違いは解るか?」


その質問に彼女は首を横に振った。


「よし、んじゃあ……先ず魔術の説明からしよう。魔術ってのは簡単に言ったら“錬金術”なんだ。錬金術は鉄や金とか貴金属を化学的に作ったりする事を言って、魔術の基礎になってるんだよ。魔術は言うなれば錬金術の延長、薬物や宝石だって作る事が出来るんだ。まぁ、材料が珍しいから作るのは難しいんだけど」


一つ息を吸うと、哲也は話を再開する。


「そして魔法。これは一般人が想像してるような火や水を操る物じゃない。それは魔法とは言わないで超能力に分類される。俺はそういった物は専門外なんでね。本当の魔法っていうのは『呪い』だ」


「『呪い』?」芽衣良が聞き返す。


「そうだ。呪詛とも言うけどな。『アイツの事が気に入らない』、『自分の男を奪ったあの女が憎い』、『大好きだった彼にフラれた』……そんな感じの怒りや悲しみ、嫉妬や憎悪が魔法を発動するトリガーになる。魔法ってのはゲームみたいに一瞬で詠唱が完了して一瞬で効果が発動する物じゃない。例えば……」


そう言って哲也は机上に開かれた魔道書の黄ばんだページを何枚か捲り、その記述を芽衣良に見せつけた。


「このページに書かれてるのは『対象者を治療不能な感染症に感染させる魔法』なんだけど………その下と次のページに書かれてる文字、それ全部が呪文だ」


円の中に複雑怪奇な模様が描かれた魔法陣の下に書かれた幾何学的に並んだ文字の羅列、それらは全て魔法を発生されるトリガーとなる呪文なのだった。

芽衣良は驚き、哲也に聞き返した。


「………本当?」


「俺がお前に嘘を言った事があったか?」


彼は飄々とした表情を浮かべて言った。


「まぁ…無かったわね。まぁ、惑わされた事はあったけど…」


確かに哲也は芽衣良に嘘を言った事は今まで無い。しかし、嘘とも本当とも取れない話術で芽衣良を翻弄させた事は彼女が覚えている限り十数回はあった。

しかし、彼女はそんな哲也を憎む事が出来なかった。それは彼が芽衣良の無二の友人であり、想いをお互いに寄せ合う恋人同士である為なのだろう。


「ははは、そうだったな。ま、それは置いといて……こんな長い詠唱をするなら多分二時間……いや、それ以上掛かるかもしれないよな。あんな三文字四文字で終わるような簡単な呪文だったら昔の魔女さん達も苦労しなかったのに…」


「そ、そうなの……?」


「あぁ。二時間の詠唱の中で一秒でも途切れれば最初から、詰まっても最初から。こんな地獄を経験しても誰かに魔法を掛けたい理由があったんだろうな、当時の魔女達は」


それは執念なのだろう。異常なまでの愛、憎悪、憎しみが、形を変え、人を呪う。それはさながら『魔法』であった。

芽衣良は苦笑いを浮かべて言った。


「い、今も昔も嫉妬って怖い物なのね……」


「当たり前だ。幾ら文明が発展しても人間自体は変わってないもんな。根本にある感情やらは人類誕生時から一切変わってないだろうよ」


彼女の呟きに哲也は魔道書のページを捲りながら応えた。


「その他にも魔法は有るんだ。『対象者の四肢を壊死させる魔法』、『対象者の身に厄を纏わせる魔法』、『対象者の愛する人を殺す魔法』とかな……如何にせよ、人のドス黒い感情が形になった物が魔法って事だ」


フッと息を吐いて長い説明にひと段落付けた後に彼は言った。


「……まぁ、こんな物で魔術と魔法の違いの説明は終わりだな。質問は?」


芽衣良はフルフルと首を振った。訊きたい事は無いらしい。哲也はニコリと笑みを浮かべると鋭い眼光を放った。


「よし、んじゃあこれからが本題だ。今回は不老不死に逢いに行く・・・・・・・・・


ゾワリ、と芽衣良は自分の背に悪寒が走ったのを感じた。彼女はこれまで様々な歴史や伝承に名を遺す超常現象や怪異に真っ向から立ち向かい、その度に様々な記録を残してきたが、不老不死という全世界の人間が持つ夢の具現化である者に出逢う事は初めてなのだ。

彼女は思わず尋ねた。


「………本気なの?」


「あぁ、本気だ。事前に情報は粗方集めてる」


そう言って哲也は机の下からA4サイズのスクラップブックを取り出し、芽衣良に差し出した。彼女はそれを受け取ると、付箋が貼られたページを開いた。そこに所済ましと貼られていたのは熊本限定で発行されている日刊新聞の記事の切り抜きであった。数十年前の物からつい一ヶ月前の記事と、書かれた時期はバラバラだったが、其れ等の記事の内容は一貫して、ある女性の事を紹介している物だった。

芽衣良は無意識に中央に貼られた切り抜き記事の見出しを声に出して読んでいた。


「『阿蘇あその世捨て人』……?」


阿蘇、というのは熊本県の西部に位置する自然豊かな土地の事だ。未だに活発な火山活動を続ける阿蘇山とそれを囲い込むように古代に形成されたカルデラを中心に緑が溢れ、観光スポットとしても人気がある。つい数年前に発生した地震による被害は大きかったが、少しずつ復興を遂げている街であった。

何故そんな記事を?芽衣良は疑問に思った。それを口にしようと思ったが、彼女は思い留まった。哲也は自分の疑問を解消してくれる、そう感じたからだ。

芽衣良の予想通り、彼はこれに関する説明を始めた。


「その世捨て人は俗世を離れて山奥で暮らしてるんだけどな……右上にある一番古いのと新しいのを見比べてみな。異変に気付く」


その言葉通り、彼女は先程の四十年前と一ヶ月前の切り抜き記事を見比べた。 二つとも女性が森林の中で森林浴をする姿の写真が掲載されており、その周囲を囲うようにして文字が印刷されている。

女性は自分の容姿にある程度自信がある芽衣良の自尊心さえ砕いてしまう程美しかった。欧米風の顔立ちに餅のように白い肌、黄金色に輝く長髪はさながら小麦だ。此方を真っ直ぐ見据える藍色の瞳は吸い込まれそうな程綺麗だった。


芽衣良は女性の容姿の良さを認知したと同時に、驚愕し、動揺した。


「………え……………?」


世捨て人として紹介されている女性は顔が一切変わっていないのだ・・・・・・・・・・・・・。四十年前と現在の間には殆ど顔に変化が見られない。勿論、同じ写真を使っている訳でも無い。周りの風景が違う事がそれを表している。

芽衣良は恐ろしくなり、哲也に尋ねた。


「も、もしかして………この人が不老不死の人?」


彼はニヤリと、その瞳に好奇心の光を爛々と灯しながら答えた。


「そうだ。彼女が今回俺達が調査する“クォース・S・マクタガーダー”さんだ」


芽衣良は冷たい雫が自分の頬を伝うのを感じた。彼女は唾をゴクリと飲み、スクラップブックの開かれた面を見下ろした。


先程美しく見えた女性、マクタガーダーさんの瞳が何故か恐ろしく見えたような気がした。








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