帰領




 ウィンドリー侯爵一行が領地に着いたのは真夜中のことだった。

 町中まちなかを通って来たが、領民は寝静まっているようで灯りはなかった。

 そうして暗闇の中道を進んでいくと、見えてきたのは邸だ。


「お帰りなさいませ」


 馬車が止まり、馬車の馬に並べるように止めたリュークが馬から降りると、先に戻っていた従者が駆け寄ってくる。

 持っている灯りが、ぼんやりと彼らを照らす。


「片付けは」

「リューク様の執務室以外は全て」

「ご苦労」

「とんでもございません」


 こそこそひそひそ。

 リュークが開口一番尋ねたのは従者を一足先に帰らせる所以となったこと。邸内の武器装飾の解除だ。

 簡潔な返答に、それに関しては心配することがなくなったリュークはちょっとほっとする。


「しかしですね」

「なんだ、他に問題があるのか」

「あれらは壁にかけていたものがほとんどだったではありませんか?」

「ああそうだ」

「壁にかけるためには――」

「全部言うな、分かった」


 壁に絵画をかけるにしろ剣をかけるにしろ、必要なのはそれらを下に落とさずに固定するものだ。

 壁に打ちつけて使用する金属を思い出して、リュークはさっと手のひらを従者に向けて言葉を止めさせる。

 絵画は取り除く必要ないのでそちらの金具はさておき、問題は剣を支える金具だ。

 かなりの重さがある剣を支えていたものもある。かなり頑丈、深く突き刺さっているものがあるに違いない。加えてかなりの数がある。


「埋める作業が間に合うか不明でしたので、武器類は取り除きましたが金具は全て取り外すことはしませんでした。ディアナ様のお部屋周辺、お入りになる可能性のある部屋及び廊下を優先して取り除きと埋め立てを急ぎましたが、一部残ったままです。とりあえず苦し紛れですが、絵画をかけてございます。申し訳ございません」

「いいや、よくやった」


 それならしばらくは問題ない……だろう。

 謝る従者に首を振り労ってから、声を届けぬように背を向けていた馬車に向き直る。


「リューク様、本当に馬に乗って帰っていらっしゃったのですね」

「言っていただろ?」

「はい。ですが、道中はチャンスだったのではないですか」

「なにが」

「会話ですよ。お聞き致しますが、婚儀からこちら――婚儀前も含めてくださって構いませんが、儀礼的なこと以外でディアナ様いえ奥様とお呼びするべきですね。奥様と言葉を交わされましたか?」

「……いや、ひとつも」

「リューク様、時間はあると申しても会話くらいは急いでもらっても構いません。いえ、会話はしてください。結婚を仕組んだのはリューク様の方です。歩みよりもこちらからしなければ、おそらく奥様は不安が晴れません」

「……善処する」


 耳に痛い限りだが、馬車の中にはその彼女がいるのでどういう顔をすればいいのか手が連動したように勝手に躊躇する。

 しかしここでぐずぐずしていると情けないので、馬車のドアにひと思いに手をかける。


「――」


 で、かけようとしていた言葉はあったのに、中の様子を目にして固まった。


「お疲れでいらしていたようですね。これなら一人にして差し上げてよかったかもしれませんねリューク様」

「……おいそれどういう意味だ。というか見るな」


 ディアナは目を閉じ、眠っていた。

 用意させた溢れんばかりの柔らかふかふかのクッションのひとつを抱きしめ、残りのクッションに埋もれ、穏やかとは言い難い寝顔であるが仕方ないことだ。馬車は寝苦しい。

 よほど疲れていたのか、一人の空間で糸が切れたみたいに眠っていて、ドアが開いても瞼をぴくりともさせない。

 その寝顔に引き寄せられたがごとくリュークは手を伸ばす。

 クッションを除けて、白い頬に触れると滑らかで温かい。顔にかかる月光の髪はさらさらと手触りがいい。瞼の下にはあの宝石よりも美しい輝きが秘められている。

 この姿を目にして、惹かれないでいられようか。


 妖精は、それでも眠ったままだった。


 婚儀からこちら、これほど近くにいて直視できたことはなかったので、思わず見とれていたリュークは我に返る。


「リューク様、聞いていますか? 見ないのはいいのですが、もしかして触れられなくて困ってますか」


 従者は律儀に明後日の方向を向いていたようだった。


「……俺をヘタレ扱いするな」

「普段のリューク様であればしないというよりできないのですがね」


 従者の声を背後に、深く眠っているディアナの身体の下に手を差し入れそっと抱き上げる。

 彼女が起きないように。壊れ物よりもっと気をつけて。

 まあリュークは性分的に壊れやすい物であれ気をつけて扱う性格ではないので、とにかく、どれくらい気をつけるといいのか分からないくらいに慎重に抱き上げた。


「邸に入るぞ」

「おおリューク様さすがです。軽々ですね」


 灯りで足元を照らす従者の後ろから邸へと歩みを進める。

 ここを出発したときは、まさか自分がこうして帰るとは思ってもみなかったと、感慨に似た感覚があるのは、たぶん腕の中に彼女がいるからだ。

 そうしてリュークは当初予定していた期間を大幅に延長して邸に帰ってきた。







「あら? 寝室は別なのですか?」


 心底驚いた顔をされて、聞かれた場所は廊下の分かれ道。右か、左か。

 右に行けば、もれなくリュークの私室及び寝室に繋がる廊下。左に行けば、ディアナ用にしつらえ直した部屋が。あるはずなのだが。


「てっきり一緒の寝室かと思っておりました。申し訳ありません旦那様」

「マーサ、そんなに気にするな。急だったからな」


 ティムの母で、使用人をしているマーサがリュークが入ってきた瞬間は顔に大きな歓喜を浮かべていた(声をあげようともしたが、すぐに止めさせて未遂。他の使用人も同様)が、今は不備があったことに表情を変えている。

 マーサには強く出られないもので、リュークは首を振り宥める。普通はそう思う。


「ティム」

「至らず申し訳ございません」

「……いや、おまえも武器類どうにかしていてくれていたからな……」


 全てを知り、それに思い当たることのできる人物はそういえば忙しかったのだった。

 それに、従者が邸に手紙を出したのは婚礼前。リュークの致命的ミスが明らかになる前だ。

 そもそもリュークの心構え的に、まだ段階を踏みたいのが本音だった。

 うっかりこのまま一緒の寝室になって、果たして自分はどうなるか。まず、満足に寝られる自信はなかった。


「ご夫婦になられたのですから、よいと思うのですが。うふふふご結婚あの坊ちゃまがご結婚を」

「マーサ落ち着け。無理なんだ」

「母さん、リューク様はこれから段階踏むおつもりだから。ひとまず言うとおりに」

「失礼致しました。嬉しさのあまり……すぐに奥様の寝室を用意致します」


 基礎の用意はいつでもできているのでそれほど時間はかからないはずだ。一礼してマーサはさっと歳に似合わぬ速さで左に去って行った。早足のわざがすごい。

 残ったのはディアナを抱き上げたままのリュークと従者。


「部屋で待ちましょう。リューク様もお疲れでしょう」

「そうだな」


 右へと足を向けた。

 入ったのはリュークの私室。執務室とは異なる部屋だ。

 この部屋にも壁に剣、端に甲冑……に持たせた槍が飾ってあったのだが、綺麗さっぱりなくなっている。

 ここの埋め立ては、ディアナが入る可能性があるため間に合っているらしい。金属が埋まっていたはずの跡が、遠目であれ、目がいいリュークでも分からない。

 これはティムがしたのだろうか。腕が良すぎる。


「上着は……」

「あとでいい」


 ディアナを腕で支えた状態で座る。余計な動作で起こしたくないと首を振ると共に言った。


「リューク様、明日なのですが」

「なにかあるのか」

「勝手ですが、奥様のドレスが入り用かと考えお任せで作って頂きましたので明日早朝到着します。そのことのご報告を」

「ティム、おまえ有能だな」


 全く思い至っていなかった。

 側に立つ従者に素直に感心する。


「後日改めまして採寸に来て頂く必要があります」

「そうだな」

「それから、奥様の侍女にひとまずミアをつけたいのですが、よろしいですか?」

「歳も近いしな。ミアに採寸の日程をにおわせるように言っておけ」

「はい」

「明日からが勝負だ」

「なにがどうすると負けになって勝つのですか?」


 とりあえず今のところ新妻の寝息が聞こえることにリュークはある意味負けそうだった。




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