気づいたときにはもう遅い
結婚式は、王都の教会で挙げられた。
儀礼服に身を包んだリュークはまさに今、祭壇の前に立っていた。
その表情は輝かしい外面こそないが、リュークは結婚の儀式自体には緊張はしていなかった。
ただ、人の目に見世物のように晒されるのは嫌だった。
本当を言うと儀式など飛ばしてしまえばいいとさえ思うが、結局口添えどころか王命にした陛下とか瞬く間にいつの間にか、本当にいつの間にか整えられていった準備とかそこら辺のことを考えるとこれくらいは……と思わないでもない。
そうしてまもなく儀式が始まるという直前、荘厳な空気の中、過程が過程であるので最低限にされた少ない参列者の中に違和感を覚える。
規則的に並べられた、協会と同じく年季が入っているがボロくはない木の長椅子。座っているのは数人だ。
花嫁方の両親。
引っかかったのは彼らではない……彼らと通路を挟み反対側の方に座っている数人だ。
目はいいので、凝らすことなく注意を向けただけで正体に気がついた。若干変装した王太子、彼がいることに気がついたリュークは危うく怒鳴りそうになった。
(どうしてあんたがここにいる!)
聖なる、というように静寂に包まれた空間でするわけにもいかず、声は喉の奥で留めおいて視線では訴えた。
王太子は明らかに視線に気がつき、気がつかれたことにも気がついたようだったが、にこりと微笑んだ。確信犯め。
ではすぐ近くの参列者はと嫌な予感がして目を走らせると、獅子将軍と名高い将軍までがしれっと参列していて凝視する。無論のことリュークの側だ。
(あんたは何枠だ!)
これも叫びたかったができなかったことは言うまでもないだろう。
将軍もまた、気がついたようで、髭を生やした口元をにやりとさせた。
さらに、加えてその隣、一見見慣れぬ男性――リュークは目を剥く。陛下だ。
(あなたは、何をしていらっしゃる……)
立会人をするというありがたいお言葉は丁寧に丁寧にお断り申し上げたはずだ。
そもそも何をしているというのか。
最後の一人が女性であることから、顔を見ずとも誰だかわかった。陛下がいるのならば隣に座するならば、その妃しかいまい。
王族が揃って本当に何をしている、たかが自分の結婚式。何をしに来た。
そこで周りにやけに感じる人の気配が潜んでいるのが、護衛であることを察する。扉を固める兵が多いのもこういうことだ。
嫌なのはそれらほとんどが知り合いであること。
面白がられている感じが否めないわけでリュークは堪えきれず、否、こればかりは堪えようとせずこめかみを引きつらせ、苛々してきていた。
花嫁の姿を目にするまでは。
この国の結婚式は花婿と花嫁が共に入場し祭壇に向かうというものではなく、花婿が先に祭壇の前におり後から現れる花嫁を迎えるという形で行われる。
その形式に乗っ取り両開きの扉が開かれ現れた花嫁は、急にとはいえ贅の限りをつくされた婚礼衣装がよく似合い、ほどこされた化粧もあり本日は美しさの方が勝っていた。
頭から顎までを覆ってしまっている薄いベールによって、浮き世離れした存在にさえ見える。
見とれずにはいられないというものだ。
けれども、不躾に凝視するのは良くないと、ディアナが近づくにつれてリュークは苦労して目を離す。
儀式はつつがなく行われ、気がつけば結婚の誓いを行っていた。
ついにウィンドリー侯爵が結婚し、伴侶を得たのだ。
◇◇◇
領地に帰る当日、花嫁は急に決まったことで婚礼まで絶えず忙しなかったため一度家に輿入れ支度をしに戻るかと思いきや、先に身ひとつで侯爵と共にウィンドリー領に向かうという。
花嫁の両親がよほど嬉しいのかそうやって言っていった。
「諸々の物は後で送られてくるそうです」
「本当に身ひとつで構わないのにな。こっちから言ったことだ」
「世間体があるでしょう」
世間体には勝てないと言わんばかりの従者とリュークが歩くのは城の中。
陛下と王太子に挨拶をするために来ていた。
妻となったばかりのディアナは疲れ云々で誤魔化す予定だ。城に連れてこれば見世物になる可能性があるので連れて来なかったのだ。
仲介をしてもらったとはいえおそらく無礼にはならないはずだ。ただし文句を言う可能性はあり。
「まもなく一緒に生活なされるということですが……」
婚礼が終わってからは侯爵所有の屋敷にディアナがおれど、互いに別の部屋だ。実はリュークはまともに彼女に会っていない状態だった。
「それがどうした。ああ綿密な計画を建てなければならないな。だがこれから時間はある」
もはや手中にあり、という口調のリュークの指には指輪が嵌められている。
この国では結婚した証、既婚者としての証として夫婦で揃いの指輪を身につけることが一般的だ。
リュークが現在はめているそれもまた、急な結婚夫婦で相談できる時間もないわけでとりあえずの臨時品とされながら、一級の職人により作られたこの世に一揃いしかない代物であった。
短期間で作られたとは思えないもので、王太子か王かは知らないがその辺りが例外なく手を回させたのだろうと思われる。臨時品のくせに重い。
請求書はこちらに回させたが、値段も臨時品ではなかった。
絶対戻った暁には作り直してやる。と、職人の努力を無駄にするようなことをリュークは考えた。
「いえ、それは忘れていたのですが」
「忘れていた? これからの最重要事項だぞ」
「はい今頭に入れ込んでおきました。それでですね、今日発つわけではないですか」
「それが?」
「ふと思ったのですが、邸内にある物騒な武器類は片付けられているのでしょうか」
リューク・ウィンドリー侯爵は武器収集家(剣が多い)である。
ウィンドリー領の本邸内は、リュークが家督を継いでから、武器が至る所の壁に飾られている状態だ。実用的に見えないゴテゴテの装飾剣から、実用的なものまで色々だ。
従者の言葉で自動的にリュークの脳内には邸内の様子が浮かび上がった。
いくつにも及ぶ武器収蔵部屋。玄関を入るとまずある装飾剣。あれは確か王都で招待されたことのある一風変わったパーティーで――
「私共にとってはもう見慣れており気にするものでなかったので……手紙に書いていなかったことを思い出しました。ですが……」
「まずいか」
「武道を嗜まれているご家系であれば……多少……」
「ないな」
とても美しい花嫁姿でリュークの目を惹きつけてやまなかった……を越えて必死で目を逸らすほどにまでだった姿を思い出す。
ほっそりした肢体。触れた手は柔らかかった。
見た目からして、武術の気配はまるでない。
「それにあの量は、普通の方であればおそらく許容範囲を超えます。装飾品然としたものもありますが、形は武器であるので異様の領域ですし」
「――先触れを」
「私が行きましょうか」
「たの――いや待てティム、おまえに行かれると俺がこれから相談したくなったときに壁に向かって話さなければならないことになる」
「何それ怖っそんなことしてたんですか」
「してない! 何より領に帰る道中俺はどうすればいい」
「どうすると言われましても、私は馬車内にいないのですから関係ないでしょう!」
「許す。乗れ」
「僭越ながらお断りさせていただきます!」
「俺がどうなってもいいのか!」
「どうなるというのですか!」
「長時間二人だぞ? 緊張する!」
「これから一緒に住まわれるのですが!」
「おまえたちもいるだろうが!」
「ご夫婦の邪魔をしてもよいと?」
「するな。邪魔だ」
「どうぞそのご意気で」
「無茶言うな」
「どちらがですか」
やれやれという風に首を振られるが、リュークにこれは譲れない。どうしたものかとやり取りの境で考える。
思考を巡らせ……顔を上げる。
「分かった」
「何でしょうどうぞ」
「俺が先に馬で帰る」
「論外です。リューク様が先触れして私が残るなどおかしいでしょう! 私が先に帰ります」
「俺の方が速い!」
「そうでしょうね! しかし私とていつもリューク様について行けるようにした結果馬を駆るのは得意な方です!」
「譲らないつもりかティム」
「私が帰り直接指示を出し完璧に点検をした方が安心なさるでしょう?」
言い返す言葉を失った。確かに従者の言うとおりだった。
従者ならば、日々リュークになんとかついてきている賜物で、馬が良ければそこらの使者に負けない早さで帰るだろう。それに、事情を知る者だからこそ、的確に指示も出せるというもの。
だがしかし、
「お困りのようだね」
リュークが再び声を発するという直前だった。
いつの間にか立ち止まり向き合って言葉をぶつけ合っていた主従の間に、涼やかな声が通る。
「――殿下」
光に照らされると輝き増す髪と、煌めく目を持つ王太子が、供を連れて向こうからやって来るところだった。
「すみません、今からご挨拶に向かわせて頂くのでどうぞ引き返してください」
(じっとしてろ!) という意味を込めて、リュークは唇の端を吊り上げて作り上げた申し訳程度の外面で言った。
「構わないよ。挨拶はすることが大事だからね。『ウィンドリー侯爵夫人』は一緒ではないようだ」
「疲労が十分に取れておらず、帰りの旅のこともありますゆえ。どうかご容赦ください」
「いいよ。きみだけでも注目の的であるのに共に来ればよりそれが増す。疲労が増えたことだろう。旅の前に疲れさせてしまうことは私も望まない」
普通であれば何とお優しいお言葉を、となるところであるがリュークはちっともそうは思わない。ので、とっさに作った外面が馴染んできたことで、ことさらにこりとして流しておいた。
「ところで、先ほど耳に声が滑り込んで来たのだが」
何を言うつもりか。
「先触れの人手を貸そうかい?」
「いえ、殿下――」
「それとも鷹を貸そうか?」
「お構いな――」
「影武者を貸そうか?」
誰の。と思ったが、くだらないぼけにつっこむ必要はないと判断する。
厄介になることを避けるために、どうぞ構わないでくださいの姿勢を貫こうとしていたはずだったリュークは考える。
どうも王太子は何でも貸してくれるようだ。
「――ならば馬を貸して頂けますか。なるべく休憩なしで長距離速く走れる馬を」
「いいよ。とびきりの馬を用意しよう。それに貸すなど言わない。あげよう」
「結構です」
「これに関しては借りなどと思わなくてもいいよ。春にした賭け、きみが買ったのに積みに積み上げた戦利品を持っていかなかっただろう? 馬はそれの代わりだ」
「頂きましたよ。現物支給で」
「……春……? リューク様、もしやあのときの金貨……」
口が滑った。
今年の春、建国記念パーティーで王都に来なければならなかったときこの王太子とくだらない賭けをしまくったのだ。
そのとき結局リュークが最終勝負で勝って、戦利品はあらかた断ったのだが、一部現物支給=金で押し付けられた。
ティムには臨時収入とかわけのわからないことを言って誤魔化した憶えが、少しはある。
ちなみに次の日に剣を買って消した。臨時収入であったので無駄遣いではない。
ということで、思わぬところでばれたことになる。
「賭けとは、」
「勝負を吹っかけられたら負けるのは嫌だろう」
酒が入っていたのも原因だ。
なおも何か言いそうな従者にはそう言って話を切り、リュークは王太子に向き直る。
「とにかく、いずれお返し致しますのでお貸しくださると助かります」
「仕方ない、では貸そう」
「殿下、今日だけは感謝いたします」
「この前の結婚式は?」
「感謝しています」
最後の感謝は棒読みになった。こういうところがなければうざくないのに。
わざとだということは分かっているが、どうしようもない。一々こんな細部にまで気を使っていればこの王太子とはやってられないのだ。
王太子はそんなことを思われているとは露知らず――訂正、知っていても同じだろう――にこにこと満足げに微笑んでいる。
「それは良かった。領地で気兼ねなく夫人の心を射止めたまえ」
「言われなくともそのつもりで――」
「少々難儀かもしれないけれどね」
「……それは、どういう意味です」
「女性からしてみれば普通きみみたいなスピード結婚理想じゃないだろうからね」
「は?」
「確かに顔を見たことないということさえもざらにあるだろうけれど、心の準備をさせないというのは、ねえ?」
「……」
「これから不安でいっぱいなことだろう。きみ、儀式の最中夫人の顔は見ていたかい?」
「……」
「打ち解けるところから始めないとね?」
「……」
リュークは途中から完全にだんまりだったが、王太子はにこにこと容赦しなかった。
「リューク様?」
「……ティム」
「……はい」
低く、従者の名前を呼ぶ。
「今の殿下の話は、本当か」
「どの辺りですか?」
「少々難儀、非理想、不安負荷」
「…………一般論ですが、」
「言え。ありのままを言え」
「………………殿下の、おっしゃる通りかと」
いやあのですね、結婚の早さをディアナ様が強引ととって強引さがお好みの可能性もありますし、いえ確かに婚約を踏めば相手のことも分かり適度な距離をもって仲良くなることが可能ですよ。結婚式のときほどになると一緒にドレス決めたりとか醍醐味のひとつで楽しみでもありましょうし、信頼関係もその頃には――あれ? ――いえ、一般論ですよ!
とかいう文字列はリュークの耳には入っていたが、脳に理解されることなく通り過ぎていくばかりであった。
何秒か固まってしたことのないような屍のような目をしたリュークは顔を王太子に向ける。
「うん、分かっていたよ?」
何も言っていないのに王太子は清々しく肯定した。
これが分かっていて、超スピードで結婚を進めていたのか、と言うつもりだった。念押しで聞くまでもなく、完全に予測してその上で認めた。
素晴らしい微笑みで。
だから、狸だと言うのだ――!
「ティム、」
「はい」
「つまりは、俺と彼女の距離は物理的には縮まったが、……心証的な距離を代償にしたということか」
「そうです。それも、おそらく……正直初対面のときより距離は広がってございます」
邸だったら叫んでいた。
リュークは頭を抱え込んでそれを抑えた。
「獲物が逃げてしまったらどうしようもなくなるからね、安心して実家に帰られない程度に口説きたまえ」
「……前半、どこかで聞いた台詞ですね、リューク様」
――――『馬鹿野郎! 熊だってうさぎだって射止める前に奪われたら仕舞だろうが!』
王太子に結婚の話を持ちかけられた日の自身の言葉の記憶が甦ってきて、それが追い打ちをかけてくる。
さながら、仕留められる直前の熊。
腹黒王太子と思考回路が一緒だったとは……物理的攻撃ならまだしも、心理的ダメージにらしくなくよろめきかけたところでティムが囁いてくる。
「大丈夫です。リューク様は腹黒ではありませんから」
「そうか……」
おまえも腹黒と思っていたのかとか思い出させたのはおまえだとか言いたいことはたくさんあったが、もはやそんな元気はなかった。
「それにいいではありませんか。これから綿密な計画を立てて努力なさるのでしょう?」
「ああ」
「じっくりゆっくり時間をかけることもできます」
「そうだな」
「順序が逆になっただけですよ」
「そうだよな!」
「……それが問題なのですけど」
「ではリューク、健闘を祈っているよ。馬はきみが帰る頃には届くようにしておくよ」
「ありがとうございます」
王太子は爽やかに去って行った。
言いたいことだけ言って、反応を見るために来たような印象だ。そうではないことを祈るが、意味はないだろう。
その背中を十分に十分に見送ってから、それでも沈黙したままのリュークに従者が尋ねてくる。
「王太子殿下からお借りになる馬はどうなさるのですか?」
「おまえが乗って帰れ。全速力で戻れ」
「ああ、だからあのような注文を……やっと分かってくださったのですね。リューク様は結局どうなさるおつもりで?」
「俺も馬に乗る」
「……二人で先に帰るという第三の選択肢ありませんよ」
「違う」
リュークは多少復活したが疲れを隠せない様子で首を振り、従者は首を捻った。
結局、女が心全く分からず致命的なミスをしていたことを自覚したウィンドリー侯爵はというと、奥方を伴い領地に帰る道中どうしたのか。
自らは馬で馬車の横についていたそうだ。
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