本音




 ウィンドリー侯爵の渋面が解かれたのは、屋敷に戻ってからだった。

 従者は主人のために扉を開ける。

 そして、扉を閉めつつ声をかけるタイミングを窺う。

 王太子の部屋に入る前は「受けよう」と乗り気だったリュークなのに、王太子に対しては渋い顔をしていた。

 従者は確認してみることにする。さすがに結婚まで飛ぶのはまずかったのではないか。


「リューク様、やはり結婚まで話が飛ぶとは……」

「ラッキーだったな」

「え?」


 耳を疑った。振り向いたリュークの口元は緩んでいた。緩みっぱなしだ。だらしない笑みが表れている。精悍な顔が台なしだ。


「もしかして、嬉しいのですか?」

「ああ嬉しい」


 それが何か? という感じの返事。

 従者は呆けて、我に返る。


「射止めるという話はどこにいったわけですか、あんた」

「馬鹿野郎! 熊だってうさぎだって射止める前に奪われたら仕舞だろうが!」

「狩りと一緒にしていいのですか熊とか言ってもいいのはいそうですね構造は一緒ですね」


 どうにでもなれ。従者の口からはなんだ、という息が洩れ出ることをおさえられない。本当になんだ、だ。


「てっきり私はリューク様がディアナ嬢に結婚話――もしくは婚約話を持ちかけずアプローチなさるのは、まずご自分でディアナ嬢のお気持ちを向けさせてから結婚を勝ち取りたいからだと思っていましたが……」

「まず結婚を? いや、思いつかなかった」


 本当にディアナ嬢の心を射止めること、それのみしか考えていなかったようだ。

 そうだとしても、今回出た話。見合いはさておき婚約まですっ飛ばし、結婚なのにいいのか。いいらしい。


「言われてみると先に婚約くらいはしておけば安心だと思ってな。俺だって結婚話に飛躍するとは思わなかっ……いや、婚約するからにはもちろん将来をひっくるめて幸せにするつもりだったが」


 横取りされる危険を防ぐ。ということらしい。

 あとの状態は自分次第。何と男らしいと言いたいところだが、実際は王命――を利用しての結婚だ。

 それも自分がアプローチしている間に他の男にアプローチされるという不安を除き、安心して口説けるようにするため。つくづく発想が理に叶っていると言うべきなのか……。

 それにしても順番が一気に逆になったな、と従者は本気かと浮かれっぱなしの主人を見る。

 本気かどうかでは、間違いなく本気だ。

 どうもまだこの主人のことを理解しきれていなかった。否、今回に関してはまったくもってイレギュラーか。予想不可能だ。


「それにしては殿下の前では渋られてましたね」

「おいおいティム、殿下の前で嬉しがれるか? 提案をすんなり受けるのも癪に障るだろ」


 意地でも必要以上の恩は売りたくなかったようだ。嬉しがるところも見られたくなかったので、事実渋い表情だったのは頑張って作っていた様子。

 本当は急な話とか殿下への情報流出とか衝撃的なことがあったが、話自体はかなり嬉しかったのだろう。素直でない。


「そうだ!」

「……どうされたのですか?」

「ディアナ嬢の部屋を用意しなくては」

「本邸にですね?」


 そういうところは気が回る。

 はっ、として真剣な顔つきになり重要案件さながら考え込み始めた結婚を控える侯爵はたぶん慌てている。

 そこで慌てるのかというタイミングだ。確かに重要ではあれど、慌てるのならもっと前にそうなるポイントがあったはずなのだ。

 従者とは感覚が外れていて、困る。


「模様替えをした方がいいか? 今すぐディアナ嬢の好みを調べて邸に触れを出せば間に合うか」

「母がそつない程度に整えますよ。模様替えはディアナ嬢が邸にいらっしゃってからご本人の意見を聞いて手をつけた方がよろしいのでは?」

「それもそうだな」


 従者の母はリュークの元乳母でウィンドリー領の本邸にて現役で働いている。

 見たところリュークは落ち着いた。


「東のお部屋でよろしいですか?」

「ああ、それがいい」

「ではそのように」


 従者は結婚云々とそれに付随する部屋云々の話をウィンドリー領の邸へ伝えるための手紙をしたためるために、一旦部屋を辞した。

 どれほどの長さの手紙になるか分からない。一度頭でまとめなければ、従者自身何から書けばいいか節々で手が止まる予感がする。

 邸の使用人は狂喜乱舞するかもしれない。

 仕える主人が結婚することなど、もう可能性はゼロだと思っていたのだ。養子発言まで聞いていたので、従者とてもう邸に女主人は現れるまいと思っていた。

 主人が領地に戻る頃には領民にまで話が伝わっていることは確実だろう。


「こんなに簡単に結婚されるとは……」


 今までの「跡継ぎとか養子取ればいいだろ」的なやり取りは何だったのか。喜ぶべきだろうが、何だか従者の方がまだ事態を飲み込めていないのだった。




 リューク・ウィンドリー侯爵とディアナ・フレイア嬢の結婚が正式に決まった。一日でまとまったと言って良いほどだ。

 ディアナ嬢は廃れる一途を辿る没落貴族の子女であった。両親の喜びは激しいものだっという。

 それからあれよあれよという内に、ウィンドリー侯爵とディアナ嬢の結婚の日取りも決まった。

 恐れ多くも王太子殿下が仕切っているようだ。あの方も本気である。

 王太子業はどうしたのか。侯爵の退路は念のため早い内に断つつもりか。純粋に結婚してもらいたいのか――後者はない。純粋はない。

 日取りは見世物になることを避けて、この機会にと連日夜会を催す貴族たちがあらかた領地に帰ってしまってから。

 表向きは忙しい侯爵が王都にいる間にということになっているが、それでも早いことに変わりない。

 世間一般での婚約の儀式、結婚の日取りが決まるであろう普通の時間が経っていないのはもちろん、話が出てからでさえも長い日が過ぎたとは言いがたいのだ。

 王族と貴族の本気怖いと従者は思った。



 ――さてはて、この時点で侯爵はディアナ嬢を手に入れることに実質成功したと言えるが、目先のことに目が行き過ぎではないか。花嫁はどう感じているのか――

 この先もまた、ウィンドリー侯爵次第である。



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