第5話 これが好きってことなんですね

 学校に行くことが、こんなにも楽しいと思ったのは初めてだった。学校に行けば、望月先生がいる。望月先生に会える。そう思っただけで、自然と学校に向かう足も早足になっていた。




 今日の朝の会は望月先生が担当していた。慣れない様子で俺達生徒に連絡事項を伝える様子は、見ていてとても可愛らしくもあった。一週間前の俺なら、女性に対して『可愛らしい』という感情は抱かなかっただろう。きっと、これも望月先生に出会ったことがきっかけなんだと思う。


 国語の授業は、相変わらず担任の熊谷くまがや先生が教壇に立っている。望月先生はアシスタントととして俺達のノートを見て回ってくれている。俺は、早く望月先生に授業をして欲しいと思っている反面、こうやってノートを見て回ってくれている方が近くに来てくれるからこのままでもいいやという葛藤がある。


 熊谷先生が出した問題の解答をノートに書き、出来たら手を上げる。すると、望月先生がその人の所に行って、解答をチェックしてくれる。早く書けば書くほど、俺の所に一番に来てくれる。最近の俺は、そのために授業に集中していたりする。


 そんな感じに、望月先生が俺達のクラスに来てから、俺は少々浮き足立った気持ちで生活をしていた。それが、不味かったのだろう。その日、俺は放課後の部活動の時間で足をくじいてしまったのだ。普段ならミスは犯すこともないのに、この日は気持ちが昂っていた。何故なら、その日の練習には望月先生が見学に来ていたのだ。




「フットワーク!」


 長瀬ながせ部長の掛け声の元、体育館後ろ側のコートで練習をしているバドミントン部員はフットワークを始める。今日は、俺達のバドミントン部と、男子バスケット部が体育館を使用している。男子バスケット部と言えば、富田はもちろん、部長である長瀬さんの彼氏矢口が所属している部活だ。男バスの愛称で親しまれ、女子から人気の高い部活の一つになっている。バドミントン部はというと、そんな話は聞いたことがない。


 そんな男バスと一緒の練習日とあって、長瀬さんも一層気合が入っていた。長瀬さんはクラスでは比較的大人しい部類の子に属するが、この間話してみて実はそうでもないのだと知ることが出来た。実際は、とても表情豊かで笑顔の素敵な女の子だった。それまで、俺が女子を見てこなかったからなのかもしれない。俺はあの時、初めて長瀬さんと出会うことが出来た気がする。


「声出してこぉぜー!」


 一年生の少々小さい掛け声をきっかけに、バドミントン部一同が声を上げる。男バスに比べれば、人数は劣るが、声の大きさでは負けてはいなかった。


 普段通りにフットワークを行っていると、体育館後ろ側の扉がゆっくりと開くのが見えた。顧問でも来たのか、そう思い一瞬モチベーションが下がったのも束の間、そこから姿を現したのは、なんと望月先生だったのだ。


「あれ?望月先生?!どうしたんですか?」


 突然の訪問に、部長の長瀬さんが声を上げた。部長がフットワークの最中に足を止めて、そんな事をしていいのかと思ったりもするが、俺も長瀬さんと同じ足を止めていたのだ。


「時間が出来たから部活の見学をしようと思ってね。見ていっていいかしら?」


 五月だというのにむしむしとした気温。そのせいか、望月先生は白いブラウスにスカートと、とても涼し気な格好をしていた。朝の時も授業中でさえスーツの上着を羽織っている望月先生が、上着を脱いでいるのだ。身体のラインが際立つその格好にドキドキしているのが分かった。


「いいですよ!あ!そしたら、今椅子出しますね!」


「いや、そんな、私はただ見学しに来ただけだから───」


「そんな、先生が気を使わないでくださいよ!」


 そう言って、長瀬さんはステージしたの台車を引き出すと、望月先生に椅子を用意した。その間、他の部員は珍しい物を見る目で望月先生のことを眺めながらフットワークを続けていた。実際、他の人からしたら教育実習生である望月先生は物珍しいものなのだろう。三年なら国語の授業で見た事はあるにしても、他の学年はほとんど関わりが無いだろう。一年と二年がぽかんとした顔でフットワークをしているのがそれを物語っている。


「おい、田所。何さぼってんだよ」


 同期に声を掛けられふと我に返る。そう言えば、望月先生を目にした瞬間から足を止めていた。こんな所を顧問に見られたならば、怒鳴り声が体育館中に響いていただろう。俺は仕方なくフットワークを再開する。しかし、フットワークの最中も望月先生から目を話す事は出来なく、先生と楽しそうに話している長瀬さんがとても、羨ましかった。


 休憩を挟んで、基礎打ちを始める。休憩中もなかなか望月先生に話し掛けることが出来ず、何となくモヤモヤしていた。俺だって、長瀬さんみたく望月先生と話がしたいのに、なかなか自分から声を掛けることが出来ない。ならば、まずは望月先生に見てもらえるようにしよう、俺はそんな事を考えた。そのためには、目立つしかない。練習を頑張っている姿を見せれば、望月先生だって俺のことを見てくれる。


 俺はバドミントンシューズの紐を固く結び直すと、キュッキュッと床を擦った。


「始めるよー!」


 長瀬さんの掛け声を合図に、一年生がプログラムタイマーのスタートボタンを押す。すると、体育館中にブザーの音が鳴り響いた。


 普段なら体を慣らす程度で、程よく手を抜いている。けれど、それでは望月先生の目に付く事はないだろう。俺は、出来る限りの速さでシャトルを打つことにした。


「おい、どうした田所?今日はやけに気合入ってんじゃん。やっと、大会に向けてやる気が出たのか?」


 同期はそんな俺をからかうように、シャトルを同じ速さで打ち返してくる。ゲームでもなかなか見ないシャトルの速さに、目では追えなくなってきていた。


「うるさいな。別に何だっていいだろ」


 簡単なコース打ちなら順調にやれていた。しかし、クリアやロブになると話は変わってくる。


 クリアとは、シャトルを相手コートの奥に打ち返す打ち方の事で、奥に飛ばせば飛ばすほど相手は動かざるを得なくなる。また、ロブとは、クリアの逆でネット際にシャトルを落とす打ち方の事である。そのため、ネット際ギリギリに落とせば、それだけ相手は身体を伸ばして打たなくてはならなくなり、基礎打ちの中でもハードな時間となっている。


「すげぇじゃん。コートギリギリまで届いてるぜ。ゲームでもこうやって打てばいいのに」


「はぁはぁ・・・うるさい・・・、はぁ・・・ジャッジミスしてないでさっさと上げろ・・・」


「おい・・・、お前ばて過ぎじゃね?無理しすぎだろ?」


「いいから、気にすんなよ・・・」


 毎回ホームポジションから動いて左右のクリアに対応するとなると、それなりに体力を要する。自分の体力の限界は知っている。だから、後もう少しで終わるこの基礎打ちの時間だけでも全力でやろうと考えていた。


 俺が頑張って練習をしていれば、きっと望月先生が見てくれる。そう思っただけで、やる気だけは満ちてきたのだ。


 けれど、やる気だけでスポーツが出来るわけもなく。俺は、やらかしてしまう。


 サーブから、クリア。クリアから、ロブのコース打ちの時。相手が打ったロブがネット際ギリギリの所に落ちてくるのが分かると、俺は全力で走ってそのシャトルを取りに出た。しかし、最後の一歩を大きく踏み出した瞬間、腿の裏に激しい痛みが走ったのだ。


「いっでぇ!!」


 あまりの激痛に、俺は脚を大きく開いた状態でその場でばたりと倒れてしまった。


「田所くん?!」


 騒然とする体育館で、いの一番で俺に声を掛けてくれたのは望月先生だった。


「どこやっちゃった?膝?足首?」


 望月先生はすぐ様俺の所に駆け寄ってくると、真剣な表情で俺のことを気にかけてくれた。


 俺が思っていたのは、こういう形ではなかった。もっと、かっこいい姿を見て欲しかった。それなのに、現実はその真逆。頑張ろうと気張ったが為に、俺は怪我をしてかっこ悪い姿を晒してしまった。そんな姿を望月先生に見て欲しかった訳じゃないのに。


「どうしよ・・・。取り敢えず保健室行かないと・・・。田所くん、歩ける?」


 幸い、歩けない程の痛みではなく、脚を引きずりながら歩く事は出来た。


 俺は望月先生の肩を借りて、体育館を後にした。



*****



「肉離れではないと思うよ。いきなり無茶をしたから、筋肉が悲鳴をあげたんだろうね」


 保健室の先生は、俺の脚を見ると氷がぎっしり入った氷嚢を渡してくれた。少し空いた窓の向こうからは、外部活の連中の声がよく聞こえる。


「ちゃんと冷やさなきゃ駄目だよ?」


 望月先生はというと、俺を保健室まで送ってくれると、一度職員室に戻り顧問に怪我の報告をすると、直ぐにまた、保健室に戻って来てくれた。


 望月先生が向ける俺への眼差しが、あまりにも苦しくって、とても惨めに思えてきた。


「ちょっと私職員室に用あるから、何かあったら呼んでね。それまで、望月先生に見てもらってなさい」


 そう言うと、保健室の先生は保健室を出ていってしまった。


 残された俺と、望月先生。消毒液独特の匂いが漂うこの部屋に、二人きり。さっきまでの練習のせいか、それとも他の理由か、心拍が鼓膜まで響いていた。


「田所くんって、練習頑張ってるんだね」


「えっ?」


 突然、望月先生はそんな事を呟いた。それまで、心配そうに俺を見たいて瞳が、いつの間にか優しい瞳に変わっていた。そう、俺が初めて望月先生を見た時と同じ目だ。


「でもね、無理はしちゃ駄目だよ?ただでさえ、バドミントンは怪我の多いスポーツ何だから。それに、もうすぐ最後の大会でしょ?ここで体を壊しちゃったら勿体ないよ?」


 それは、先生というより優しいお姉さんの優しい言葉だった。俺に笑いかけるその笑顔が、あまりにも綺麗で、俺は少しの間何も考えられずにいた。


「田所くん?私の話・・・聞こえてた・・・?」


「あ!はいっ!ちゃんと、聞いてました!」


 そう言われ、はっとして、早口に答えた。すると、その様子が可笑しかったのか、望月先生は笑い出してしまった。


「もう、田所くんったら」


 初めて見るこんな笑い顔に、俺の心は完全に魅了されていた。今まで見てきた笑顔のどれとも違う、心が締め付けられるような、ずっと見ていたくなるようなそんな笑顔。


「ははっ、すいません」


 ああ、ずっとこうしていられればいいのに。俺は、ふとそう思ったのと同時に、長瀬さんの言葉を思い出した。


『この人と一緒に居たい』


 そうか、この気持ちが『好き』ってやつなんだ。




 放課後の保健室。俺は初めて『好き』という感情を知った。

 

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