第4話 好きってそういう事なんですか


 その日の放課後、俺は体育館で準備体操をしていた。


 今日はバドミントン部の活動日。三年生最後の大会が迫っているという事もあり、部内には少し緊張感が漂っていた。かく言う俺は、いつもと変わらず普通に準備体操をしている。


 バドミントン部での俺の立ち位置は、平部員。所謂、役職の無いただの部員。三年生という最上級生の肩書きがあるだけで、これと言って何かをしている訳ではない。部長は、うちのクラスの長瀬さん。そう、バスケ部の矢口と付き合い始めたと噂されている長瀬さんだ。


 これまで、バドミントン部の部長としか見ていなかったが、矢口と付き合っていると分かると、少し見る目が変わった。具体的にどうということは出来ないのだが、何となく前と同じ様に見れないのは分かった。


「フットワーク!」


 長瀬さんの掛け声で、体育館前ステージ側のバドミントンコート三面に、十数人の部員が散らばる。


 ここ新本北あらもときた中では、体育館を使うなか部活は、ローテーションでその使用日を割り振られている。体育館のステージ側と後側の二面に分けて、毎日二つの部活が使用している。今日は、俺の所属するバドミントン部が前側、後側には女子バレーボール部が活動をしている。


「声出してこぉぜ!!」


 二年の掛け声で、体育館に「おぉー!」という声が響き渡る。勿論、俺も同じ様に声を出す。




 練習は、準備体操、フットワーク、基礎打ち、コース打ち、ミニゲームという流れで行われる。正直、三年間も同じ様なことをやり続けていると飽きてくる。そのため、いくら大会が近いといっても、練習中だれてしまう事もしばしば。それは、何も俺に限った事でもなく、二三年生によく起こる事なのだ。最近はそんな先輩の姿を見てか、入部して一ヶ月の一年生も手を抜き始めている。宜しくない傾向だ。だが、俺は何もしない。


「休憩!次、基礎打ちするから一年生はシャトル出しといて」


 教室では静かな長瀬さんも、部活をしている時はとても生き生きしている。何故、そこまで部活に真剣になれるのだろう。お聞きしたいものである。


 しかし、俺はそれ以上に長瀬さんに聞きたいことがあった。それは、「何故、バスケ部の矢口を好きになったのか」という事だ。


 だって気になるだろ。同じくクラスでもなければ、同じ部活でもない矢口の事をどうやって好きになったのか。だから、俺はこの休憩の時間を使って長瀬さんに声を掛けた。


 体育館の外、蛇口の並ぶ水飲み場。長瀬さんはそこで、ごくごくと水を飲んでいた。肩ぐらいまで伸びた髪を、部活の時だけひとつ縛りにしているのだが、休憩中だからか彼女は髪を解いていた。そのさらさらの髪に水がかからないよう、耳に掛けて水を飲む仕草がとても印象的だった。


「あのさ、長瀬さん」


「ん?どうしたの田所くん」


 思えば、俺は長瀬さんとまともに喋った記憶が無い。確かに、部活の時に掛け声を掛けたり、アドバイスを貰ったりしているが、こうやって改まって話をした事は今まで無かった。


 だからか、少し緊張しているのが分かった。


「な、長瀬さんって、バスケ部の矢口と付き合ってるの?」


 丁度水を飲み終えたところで話しかけたからか、何をどうしたのか、長瀬さんは蛇口を捻る方向を間違え、顔面に凄い勢いで水を浴びてしまった。


「だ、大丈夫?!」


「平気、平気・・・」


 そう言って、持っていてタオルで顔を拭う。せっかく濡らさないようにしていたのに、前髪にはしっかりと水が掛かってしまった様だ。照れる様に前髪も拭いている。


「ふぅ・・・、いきなり何の話かと思ったら、まさか田所くんがそんな話をしてくるなんてね。てか、誰からその話聞いたの?」


「えっと・・・、富田から・・・」


「あぁ〜、富田くんか。そう言えば、富田くんもバスケ部だっけ。そうだよね、田所くんいっつも富田くんと一緒に居るもんね。そりゃ、知ってるか」


 そう言いながら、長瀬さんは恥ずかしそうに頬を掻いた。心なしか、嬉しそうに見えるのは何故なのだろう。


「やっぱり、矢口とは付き合ってるの?」


「まぁ、そういう事になるね」


 どうやら、富田の話は本当だった様だ。いや、富田を疑っていた訳ではないが、本人からの証言を得ない限り、なかなか信じられる話ではないからな。


「でも、珍しいね。田所くんがそんな事聞いてくるなんて」


「そ、そうか?」


「うん。だって、田所くんってこういう話興味無いと思ってたから」


 確かに、よく考えれば俺には全く興味の無い話だ。なのに、何故俺は長瀬さんにこんな事を聞いているんだ?ああ、そうだ。「何故、バスケ部の矢口を好きになったのか」を聞きたかったからだ。


 そう言えば、何で俺はそんな事を聞きたいと思ってるんだ?そもそも、俺は人の色恋沙汰などさらさら興味も持たない人間のはず。それなのに、どうして長瀬さんの恋愛事情など聞こうと考えているんだ?別に、知らなくてもいい事じゃないか?興味の無いことではないのか?


 いや、確かにどうでもいいことなのかもしれない。けれど、知りたいと思っているのも確かだ。きっかけは分からない。ただ、俺は『好き』が何なのかが知りたいんだ。


「あのさ、長瀬さん・・・」


「なに?」


 何故だろう、別にやましいことを聞くわけでもないのに、こんなにも緊張するのはどうしてなのだろう?


「長瀬さんは、何で矢口のことを好きになったの?」


 言った。言ってしまった。顔面の熱が上昇するのがよく分かる。


「田所くんって、面白いね。普通そんなこと女子に聞かないよ?」


「えっ?」


 長瀬さんの一言で我に返る自分がいた。


 確かに、よく考えれば普段から話す訳でもない女子に、こんな質問、しかも「何で好きになったのか」など、聞いている男がいるだろうか。俺の知る限り、そんな奴を知らない。


「田所くんって、女の子に興味が無いんでしょ?」


「え、なんでそれを知ってるの・・・?」 


 突然、長瀬さんは髪をヘアゴムでゆわきながらそんな事を言ってきた。


「そりゃ知ってるよ。よく富田くんと林田くんと話してるじゃん。普通に聞こえてくるよ?」


 そうだったのか。まさか、俺達三人の馬鹿話が他の人に聞かれていたなんて。これは、今後を考えなければならないな。


「そんな田所くんが、こんな事聞いてくるって事は、何あったってことなんでしょ?」


 もしや、俺が望月先生に一目惚れした事もバレているのだろうか。


「そう・・・なのかな?」


「はは、何で自分の事なのに分かってないのよ。ほんと、田所くんって面白いね」


 俺が面白い?そんな事今まで言われてこなかった言葉だ。


「そうだ、『何で好きになったのか』だっけ?こんな事他の人に言うのも恥ずかしいけど、田所くんだから教えてあげるね」


 クラスでは無口で大人しいと思っていた長瀬さんだけれど、こうして改めて話してみると、彼女がどんな人なのか分かってきた気がする。


「一目惚れよ」


 そんな長瀬さんの口から発せられた言葉は、最近よく聞く言葉だった。


「彼バスケ部でしょ?バド部とバスケ部ってたまに同じ日に部活やるじゃない?バスケやってる彼の姿を何度も見ているうちに、なんか好きになっちゃったのよね。だって、特定の人を目で追ってるなんて、それはもう恋でしょ?単純でしょ私」


 そう言って照れたように口元をタオルで隠す長瀬さんは、テレビでよく見る『恋する乙女』の表情をしていた。


「好きになるってそういう事なの?」


「うーん、好きになるって明確なこれ!って事は無いとは思うよ?自分がそう感じたら、それはもう『好き』ってことなんじゃない?ほらあれだよ、『この人と一緒に居たい』ってそう思えたら、それは恋なんじゃないかな?」


 『この人と一緒に居たい』。俺が今そう言われ、脳裏に浮かぶのは望月先生の顔だった。


「長瀬さんも、そう思ったから告白したの?」


 望月先生のことを考えていたせいか、気が付くと、俺はそんな事すら口にしていた。


「もしかして、私から告白したことも聞いてるの?」


「え?あ、うん・・・」


「うわー、何かはっず!流石にはずいな〜」


 おどけた様に長瀬さんは笑っているが、本当に恥しいのだろう。タオルの下の頬は真っ赤になっている。


「あ、恥ずかしかったら言わなくても大丈夫だよ・・・」


「そんな事言ったら、本当に言わないわよ〜?」


 向き合って見ないと分からないこともあるんだな。俺は、長瀬さんがこんなにも笑う女の子とは知らなかった。


「いや、教えてください・・・」


「素直だね〜」


 そろそろ休憩時間も終わる頃だろう。体育館からキュッキュッとバドミントンシューズが擦れる音が聞こえてくる。きっと、一年生が早めに動き出しているのだろう。俺達もそろそろ戻らなければいけない。


「好きな人ともっと一緒に居たいと思ったから、だから告白したの。はい!この話はこれで終わりね!ほら、そろそろ私達も戻るわよ?先輩が遅れてちゃ、後輩に示しがつかないからね」


 そう言われ、俺達は体育館に戻り練習を再開した。




 俺が今、望月先生に対して感じているこの感情は、もしかしたら本当に『好き』という感情なのかもしれない。


 だって、三週間後には居なくなってしまうと分かっていながら、望月先生と一緒に居たいと思えている自分がいるのだから。


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