第158頁目 誰が守るんだ?

「な……! ミィ!!」

「何?」


 俺はまた間違えた。考え事ばかりで雑な返答をしたせいだ。地面にぶちまけられる水の音とガランと転がる濡れた木材の音。死と同時にデミ化が解かれたエルーシュは小さな木片の山と成り果てる。ミィが、エルーシュを殺したのだ。


「ッ……ミィさん……。」


 何かを言いたげなマレフィム。しかし、それを明確に口にしないのは配慮か賛同か。


「わかるでしょ。コイツを野放しにしたってリスクしかない。」

「……でもなァ!」


 ミィの弁明に俺は発作的に反論しようとした。だが、ミィの言う事もわかる。この世界で俺は法にも警察にも守られない。


「……わかったならほら行くよ。」


 ミィは極小の水分となってまた俺の身体へと付着した。アロゥロはエルーシュの不意打ちで身体に穴を開けられたんだ。先程のエルーシュは怯え、後悔ばかりしている様な表情だったが、俺達との生活も全て演技だった事を考えるとそれらは全て信用たる材料になりえない。もし、エルーシュが不意打ちで仲間の命を奪っていたなら、それでも俺は”殺すな”だなんて思えただろうか。


 また……。


「うゔっ……!」

「ソーゴさん!? 具合でも悪いのですか!?」


 鮮明なだいだいに消えていくウィールの影を思い出して吐き気に襲われる。


「……な、なんでもない、アメリ。」

「無理はしないで下さいね?」


 心配そうなマレフィムの声。そうだ。こいつを危険な目に合わせてはいけない。エルーシュがもしマレフィムを殺そうものなら俺は”絶対に”人を殺していた。


『ゴトッ。』


 意識の外から聞こえた異音。一瞬身構えたが、その音を出したのは今にも死にかけていそうな風貌の奴隷だった。虚ろな目で横向けにこちらを見つめている奴隷。耳が長い……兎だろうか。所々毛が抜け落ちて生肌が露わになっている部分がある。そして、毛皮の上からでも肋骨が浮いて見えるくらい痩せこけてるな……。俺達を助けだと思っていないんだろうか。


「ま、まだ生きてるみたいですね。」

「みたいだな。おい、今首輪を外してやるからな。」


 俺は首輪の接合部に金属で出来た南京錠らしき物を見つけた。これを壊すのは骨が折れそうだ。仕方ない。鎖を分断するか。そう思って鎖を手にした時、ルウィアが言った。


「ソーゴさん……大丈夫です。」

「何がだ?」

「この方……今、亡くなりました……。」

「…………そう、か。」


 何もかもが遅い。なんでこうなる。この奴隷とは喋ってすらいない。つまり、俺にとっちゃ人じゃないのに……! なんでこんなに……!


「クソォッ!!」

「ソーゴさん……。」

「大丈夫だ、アメリ。ちょっと……ちょっとだけ辛いだけだから。」

「……この奴隷。『奴隷首輪』をつけられてます。」


 ルウィアが奴隷の亡骸を見てそんな感想を漏らした。だが……。


「見りゃわかる。」


 奴隷の首には無骨な金属の首輪がついている。それの事だろう。


「……違いますよ、ソーゴさん。」

「何がだよ。」

「こちらは魔巧具です。作動させると喉が潰れる物ですよ……。」

「……喉を潰す? 声が出なくなるのか?」

「……はい。」

「ま、まさか、それでベス扱いをするって訳じゃないよな?」

「そのまさかですよ。しかも、その魔巧具は必ず成功する物じゃないそうです。」

「……失敗すると、どう、なるんだよ。」

「気管が焼けて……死にます。」

「……。」


 この世界じゃ様々な生物が賢さを持ってしまっているが為に、話す事が人権を持つ条件とされている。理屈はわかる。前世でも似たようなモンだった。馬鹿や阿呆はお荷物で、無能で……”仕方なく”隔離所へ送られる。それを建前で人間扱いしてるって事にしていた。でも、手話があったし、筆談だってあったぞ……?


「……話せなきゃ全部ベスなのか?」

「はい。」

「故意に喉を潰しても?」

「はい。」

「話せなきゃこんなベス虫けらみたいに――。」


 ハッとした。俺は今なんて……? 虫けらって言った。でも、この世界は虫だって人権を持っている可能性がある。だからこそ、人以外という、”ベス”という言葉があるのだ。俺は今、話せなきゃベスみたいに殺されてもいいのか? って言おうとしたんだ。でも、それはおかしな事なんだろう。ベスはベスみたいに殺されてもいいのか? っていうのと同じ事を言おうとしているのだから。


「……悪かった。今はシィズを……アロゥロを追おう。」

「……はい。……遺体は――。」

「いい。わかってる。行くぞ。ルウィア、乗れ。」

「う、うぅ……。」


 ほんの少し葛藤の処理をしたかと思えば、ルウィアはうずくまって腹部を抑えていた。


「お、おい! お前……! 血……!」

「大丈夫。私も手伝う。ちょっと精神的ショックで身体変化の魔法に揺らぎが出たみたい。」

「す、すみません。ミィさん。」

「いいから。ゆっくり、えーと……ソーゴの上に乗って。」

「わ、わかりました。」

「ここの天板ぶち抜いたら結晶が落ちてきて危険だろうから、出るなら入ってきたスライムの穴が良いと思う。」

「おう。」



 それから身体を大きくしたミィがスライムを押しのけ俺達を地上まで送り上げる。



「ぶはっ! うぅ……寒いです……。」

「今すぐ温める。」

「お願いします……。」


 気温は低い。濡れた身体はミィの分身体によって体温調節をして貰うしか無いだろう。俺も体温が下がると眠くなるから……。


「ぐっ……。」

「だ、大丈夫なのか、ルウィア?」

「大丈夫……です。運転くらいなら……早く、アロゥロを見つけないと……!」


 無理はすんなよ? って言いたいけど、もう既に無理をしている状態だ。なんて声を掛けたらいいか考えた結果出た言葉。


「ルウィア……死ぬなよ。」

「も、勿論です……!」

「あぁ……温かくなってきました。ミィさん、ありがとうございます。」

「私が覆ってない部分は何かで拭いて。強く風が当たると凍っちゃうよ。」


 ミィの忠告を聞きながら俺達は引き車に乗り込む。


「神壇がいる方角はわかるのか?」

「え、えーと……。」

「いや、わからないならそれでいいんだ。俺が空からお前等を誘導する。」

「なるほど。それは良いですね!」


 空を飛べるようになっていてよかったと思える瞬間だ。


「で、でも、それ、下から見失わずに追える自信がないです……。」

「それなら、私が中継となりましょう。遠く先へソーゴさんが飛び、それを私が目で捉えてルウィアさんにお伝えします。そうすればソーゴさんもより遠くまで探せるのではないでしょうか。」

「そ、それならなんとか……。」

「よし、それでいこう。」

「私がソーゴさんを見失っては意味がないので可能であれば高く飛んでいて下さい。」

「わかった。あ、そういやブレーキ……。」

「それも私がなんとかします。」

「わりぃ、でも無理すんなよ?」

「当然です。任せて下さい。」


 無駄に時間を食っちまった。急がねえとアロゥロまで彼奴等みたいに……!


 俺は再び荷台から降りて翼を拡げてストレッチでもするように羽ばたかせる。そして、アニマを翼の下に配置。後は、風を翼の下に当てるだけだ。


 マレフィムは……離れてるな。


「それじゃあ頼んだぞ!」

「お気をつけて!」

「そっちもな!」


 そう叫んで空気を圧縮するようにして周囲の空気を翼にぶつける……!


 浮かぶ身体。まだ効率の良い飛び方は把握していない。身体をグラつかない浮遊の仕方だってまだわからないんだ。慎重に、でも、可能な限り早く……!


 俺の身体は風力を受けて空へ落ちていく。途中からアニマを伸ばして身体全体を風に曝した。だが、何度も身体を回転させてしまい落ちそうになる。今思えば、初めてやった時はよくもあんな上手く飛び上がれたもんだ。


「大丈夫!?」

「あぁ! 魔力ならくれてやるさ!」


 だから強く風を! もっと風を!


「こ……! こうか!? クソッ! 今日は身体が揺れる!」

「風を無造作に当てすぎなんだよ! それじゃあ身体が回転しちゃう!」

「やっぱ力技じゃ駄目か!」


 もっと局所的で効果的な当て方をしないと姿勢が制御出来ない! でも、ドラゴンの広い視界と地面のおかげで上下がわからなくなったりはしてないぞ!


「翼を広げて! 風を一回止めるの!」

「滑空だな!?」

「そう!」


 ミィの助言に従い翼を広げる。強い翼への抵抗感。そうだ、風を掴め。回転しないように……!


 落ちている。


 落ちてはいるのだが……まるで風に捕まってぶら下がっているみたいな感覚だ。鱗が風を斬っていくような感触が全身から感じる。


「いい感じ!」

「神壇は!?」

「左斜め前!」

「あれか! って何だあれ!」


 俺が目を向けた先には大河の隣に生える九本の柱とそれに囲まれた円盤。……タラバガニみたいだ。三本セットが円盤を囲むように等間隔で三箇所から生えている。扇状にひろがった三本の脚を半分の所で折り足の先を地に降ろした姿はさながら神殿だ。『神壇』と呼ばれているのも納得できる。しかし、この距離から見てアレほどの大きさだなんて。どれだけの大きさなのだろう。それに驚いたのは神壇に対してだけじゃない。その隣だ。


 神壇の横には、日除け、または屏風びょうぶのように薄く高い壁の様な木が生えていた。見たこともない形の大樹だが、最上部にある葉が神壇の膝の高さにまで届いている事からそこらの大樹と比較してもありふれているとは言い難い。


「アレは”本棚”だよ。」

「本棚?」

「ただの古代樹。フマナ様の本棚って言われてるふるーい大木。なんで本棚のもとに神壇が向かったのかはわからないけど、今は関係ないね。急ごう。」

「そうだな。」


 景色に目を奪われてる場合じゃない。俺は後方を見てマレフィムの位置を確認すると、神壇のある方に向けて魔法で水を放った。これで意図は通じてくれるだろう。


「じゃあ、行くぞ!」


 自分とミィにそう言って翼を広げながら滑空を続ける。翼の角度を微妙に変えるだけで抵抗感が大きく変わるんだよな。俺は丁度良い角度ってのを明確に把握しなくちゃいけないんだ。そう考えた瞬間だった。


 神壇の手前にある木々が何本もの鋭利な土柱で薙ぎ倒された。轟く地響きの音と舞い上がる土煙。只事じゃないぞ……!


「何が起きてる……!」

「急ごう!」

「止まる時は……!」

「受け止めてあげるよ!」

「頼んだ!!」


 俺はありったけの魔力を使って前方向に風を吹かす。その直後ブレる身体。もう姿勢は制御不能だ。俺は目的地だけ見失わないようにだけ気をつけながら今度は横に落ちていく。


「ぐうぅ……!」

「魔力使いすぎだよ!」

「アロゥロに死なれるよりいい……!」


 こんな時の為の”空腹”じゃねえか! 


 待ってろ! アロゥロ!



 

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