第153頁目 夢の中でアラームを待ち望む事ってある?

 次の行先は獣人種の国。陸地で最も多く見る種族が獣人種らしい。らしいって言うか経験でもそれが事実だとわかる。何処に行っても目に入る可変種は毛か羽根で覆われたモフモフばっかり。そんな種族の国となるとやっぱりとんでもなく大きい場所なんだろう。だってこの世界では哺乳類も鳥もひっくるめて獣人種として扱われてるんだぜ? 全然違うのに。誰がそんな事を――。


「ああああああああああああああ!!」


 !?


 突然の悲鳴に驚き俺は口に咥えたベスを落とした。日課の狩りから引き車の近くまで戻ってきた所だ。空はまだ薄暗い。聞こえた声は決して悪巫山戯わるふざけで出る声ではなかった。あまりに迫真の叫びに声の主が誰かもわからない。何かに襲われ……?



 ――死。



「うっ……!?」


 最近はシィズ達の騒がしさに洗われ、ようやく薄らいでいたあの嫌な記憶が蘇る。親しかった者がいなくなるという事。もしルウィア達に……いや、それだったらルウィアの傍にもいるミィの分身が何か……そうだ!


「ミィ!」

「うん。わかってる。でも、ルウィア達は無事だよ。今動かないように指示してる。声が聞こえたのはシィズ達の引き車の向こうからみたい。」

「シィズ達の!? そうだよ! ファイは!?」

「だよね……ファイが見張ってるはずだよね。でも……私が霧になって見てく――。」


 ミィが言葉を言い終わろうともしないその時、俺は見てしまった。見つけてしまった。


 悲鳴の主を。


「サイン! サイ゛ン!」

「マインさん、今は逃げなきゃ! 落ち着いて!」

「畜生! なんだってんだよ!」


 叫ぶマインに縋られながら何かを担ぎ走るゼルファルと悪態を吐くシィズ。只事じゃない。


「シィズ!」

「ソーゴの旦那!」


 俺は堪らず叫んだ。彼女達が逃げてきた奥でどんな悲劇が起こったと言うのか。名前を呼ばれてこっちに気づいたシィズ達は止まらずこっちへ向かって走ってくる。色々聞きたい事がある。でも、それを全部並べられる程俺の頭は冴えていなかった。


「な、何があったんだよ! それにそ――グッ!?」


 言葉は拙いながら短く纏めたつもりだった。だが、それすらも全て言いきれず顔面に痛撃を入れられる。全力だとは思わない。手加減はあったんだと思う。でも……理由わけがわからない。


 なんで俺がマインに殴られなきゃいけないんだ。


「ふざけんな! なんで! なんでサインが死ななきゃいけないんだ! おい!」


 その言葉を処理する為に俺の脳細胞が使われ、マインに抵抗するという選択肢は浮かばなかった。何だって? サインが?



 ――死?



 身体が一瞬で硬直する感覚。鋭く脳を抉る様な頭痛が刺さった。


「やめろ! マイン!」

「は、離してギルド長! こいつの! こいつ等のせいで……! うぐふぅ……!」


 泣きながら続けて俺を殴ろうとするマインをシィズが羽交い締めにして引き剥がす。それよりも、俺はゼルファルが担いでいる”何か”を見た。紺碧こんぺきの下の清々しい朝日が木の葉の間から差し込んで不気味な赤を照らしている。その赤は間違いようもなくゼルファルの肩に担ぎ上げられた毛玉から流れ出た液体であって……その毛玉はマインやウィールによく似た姿の……。


「ウブッ!?」


 こみ上げる吐き気。脚がこちら側に向いているせいで顔は確認出来ないが、それが何かくらいは推測出来た。俺だって馬鹿じゃない。


 駄目だ。耐えられない。


「ゴエッ……。」

「だ、旦那!?」

「ウ゛ッ……エ゛ッ……。」


 到底吐瀉物とは言い表わせもしない鮮やかな光の粒が喉の奥から溢れ出す。”お漏らし”だ。


 また死んだのか?


 仲間がまた?


「旦那は関係なさそうだね……ゼルファル、ファイは?」

「まだ来てない。」

「ちくしょぉ……サイン……ふぅぅ……。」


 静かな朝だったはずだ。いつもなら疲れてそのまま荷台の上で寝る。出発の時の揺れで起きるけど、それでも丁度良い疲労感とうるさすぎない賑わいが俺の平和を彩ってまた俺を夢の続きを落とし込んでくれるはずなんだ。こんな……はずじゃ……。


「早く立ちな! 今は動くしかないんだ! ファイが”追ってくる”!」

「……?」


 何を言ってる?


「……ファイが?」

「そうだよ! サインはファイにやられたんだ! 今、アルレとエルーシュが足止めしてくれてる!」

「ファイに!? そんな、馬鹿な話があるかよ!」

「冗談なんかじゃない! 見なよ!」


 シィズが示したのはゼルファルの肩に載り眠るサイン。作り物には見えない。それに演技にだって……。でもファイが? アイツがそんな事する訳がない! と、頭の中で断言した瞬間。頭の中でミィと以前話していた内容が頭を過った。


 ゴーレムは襲う理由があれば襲う。そして、壊れる事だってある。


「ファイは……ッ!」


 俺はその先の言葉が出なかった。壊れている? 壊れてたらどうしなきゃいけない?


「おい! 何立ち止まってんだ!」


 グルグル回る苦悩が投げ掛けられた声で制止する。


「エルーシュ! アルレ! 無事で良かった! ファイは!?」

「無事なんかじゃない! アルレが腕を一本持ってかれちまった! でもファイはなんとかまけたぞ! こっちには来てないんだな?」

「あぁ。ソーゴの旦那と出くわしてね。でも、どうやらファイがなんで襲ってきたのかはわからないらしい。」


 駆け寄って来たエルーシュの顔からはいつもの優しそうな笑顔が消え失せている。共に走ってきたアルレは逆にいつも無表情なのに、寂しくなった肩に手を当てて顔を痛みに歪ませてた。


「ソーゴの旦那が知らないって事はルウィアの旦那等が危険かも知れない!」


 シィズがとんでもない事を言い始めた。そんな事思い浮かびもしなかったが、もしファイが壊れているのだとしたら充分有り得る事で……。


「(ミィ……!)」

「(ううん。こっちには来てない。)」


 なんとか心中で胸を撫で下ろすが、それでも合流はしなくちゃいけない。俺は視線をあまり上げないようにして引き車のある方向を向いた。


「行こう……!」


 引き車はすぐそこだ。騒がしい頭の中を置いていくように駆け出す。この森の大樹の近くには木があまり生えていない。理由は二つ。影である事と、栄養を吸われるからだ。しかし、逆を言えば大樹を避けて小さめの木が密集しているとも言える。だからこそ引き車は主に大樹の下を走る訳だ。つまり、壁の様な密林さえ抜ければすぐそこは……!


「ソーゴさん!」


 アロゥロが俺の名を呼ぶ。隣には険しそうな顔のルウィアとマレフィム。大小の引き車に損傷は見えない。やはりここでは何も起こっていない。


「アルレさん!? 腕が……! それとその、サインさんは……?」


 取り乱すルウィアだが、それ以上にアロゥロの表情は悲痛に歪んでいた。


「あの、う、嘘だよね? ファイが……そんな……。」


 アロゥロは思った事をそのまま口にする。状況はきっともうミィに知らされていたんだろう。それを聞いたシィズは無関係だと悟ったみたいだ。マインはもう暴れるどころか肩を落として怒りを表す気もないように見える。


「なんでもう知ってる? 嘘じゃない。サインは……ファイに殺された。アルレの腕も……。」


 シィズは静かに語る。感情を出来る限り抑えて、あった事をそのまま。



 昨日の夜の見張りをしていたのはエルーシュだった。だが、平和なこの森じゃそうそう異変なんて起きない。これだけの大人数なら尚更だ。そこへ珍しくファイが近付いてきた。いつもは俺達の周りを見張っているファイがシィズ達の所へ迷い込んだのだ。だが、特に警戒はしなかった。当然だ。神聖視すらされているゴーレム族が何もしていない自分達を襲ってくるなんて誰も考えない。胸に痛みが走るまでは。


 エルーシュは突然の痛みに戸惑うが、すぐに何が起きたか理解する。ファイの鋭く無機質な脚が自分の胸を貫いているのだ。自分が植人種でなければ死んでいた一撃だ。信じたくはないがこの痛みは幻じゃない、とすぐにシィズ達の元へ走っていく。何故なら痛みで咄嗟に大声が出なかったからだ。


 大きくはなくとも緊迫したエルーシュの声に全員が起きた。最初は俺達を疑ったらしい。シィズ達には金がある。それだけで理由は充分だ。だからこそ引き車から離れて森の中へ逃げた。だが、ファイは音もなく迫り。無慈悲にもサインの胸を貫いた。エルーシュにしたのと同じ様に。だが、サインは”不幸にも”植人種じゃなかった。


 そこからはエルーシュとアルレが足止めを提案して……別れ、俺と出会う。



 話が進めば進むほどアロゥロの視線は落ちていった。


「……そ……嘘だよ。」

「ファイさんが……ですか……。」

「ふ、ファイさんがそんな事をするなんてありえないです……!」

「あぁ゛!? ふざけんなあ゛! お前! お前それ! サインの顔を見て言えるのかよぉ゛! なあッ゛!」


 ルウィアの否定に悲痛な声を挙げながら再び殴りかかろうとするマインをゼルファルが止めた。それにより決してマインの拳が俺達に届くことはないのだが……切実な言葉は幾らでも俺等の心を殴りつけてくる。


「ゼルファル離せえッ! 残ったたった一人のッ! 妹だったんだッ! 二人でいつか立派な商人になるって……! 言っだのにぃ゛……。クソォ……クソォ…………。」


 またガックリと項垂うなだれて自分の両ももを強く握るマイン。俺だって辛いが、マインの辛さは比べ物にならないはずだ。


「母ちゃんや父ちゃんになんて言えばいいんだ……うぅ……ザイン……。」


 見ていられなくなって視線をルウィアへ逸らすと顔を真っ青にしていた。その表情は俺よりマインに近い度合いの物だ。


「い、妹を……。」


 ルウィアが小さく零した言葉で俺は察した。ルウィアは以前盗賊に妹の命を奪われている。そして、意図せず同じ経験を他人に強いてしまったら? そんな事……想像もしたくない。


 未だに嘘であって欲しいと願う。せめて悪夢であって欲しい。いつもの様に引き車の車輪が地面を蹴る音で目覚める事が出来たら……。


「とりあえず、旦那等はファイがなんで”あぁ”なったのか知らないって事なんだね。」


 こういう状況でも原因を冷静に探ろうとするシィズには脱帽するが、こちら側は正直それどころじゃない。それに、シィズだって仲間が傷付けられた事に対して何も感じない訳ではないのだろう。声からは静かな震えを感じるし、あくまで今出来る限りの冷静がその態度という様子だ。


「一つだけ、心当たりがあります。」


 ルウィアは完全に黙り込み。アロゥロは今までになく錯乱している。俺も頭ん中がグチャグチャだし冷静に対応できるのはマレフィムのみ。


「ファイさんはアストラル障害に掛かってしまったという事です。」

「アストラル障害? でも、ゴーレム族はアストラル体がないとも言われてる種族じゃないか。」


 そうなのか? でも、機械なら魂もないか……だとしてもゴーレムがロボットで生き物じゃないなんて説明しても駄目だし……。マレフィム、なんて答えるつもりなんだ。


「それでもゴーレム族は魔法が使えます。であれば、アストラルはあるのでしょう。私だって専門家ではないので、詳しくはわかりかねますがね。」

「なるほど……? でも、そうだったとしてどうするんだい。ファイはあんた達の仲間なんだ。まさか損失が金じゃなくて命とはね。契約こそないけど、補填はしてくれるんだろうね?」


 絵に描いた様な悪役の台詞だが、今の悪役は俺達の方だ。こんな時でも損益の話なんて、シィズは根っからの商人だな……。


「待ってください。私の推測が正しいのであればファイさんは私達を襲う可能性だってあるのですよ?」

「でも”そんなの”を連れていたのはあんた等じゃないか。」

「その”そんなの”に守られる事を期待して同行を提案したのは貴方達ですよね?」


 挟まれる睨み合い。もう結託をしてこの危機を切り抜けようと提案出来る雰囲気じゃない。


 クソ……なんでこうなっちまうんだよ……! 



『チキッ。』



 聞き慣れた音が睨み合いをさえぎった。


 金属が奏でるこの軽い駆動音を聞き間違えたりはしない。


 真実が、やってきた。


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