第113頁目 きっと上手くいくよね?

 僕、ルウィア・インベルの……違うね。


 インベル家の過去一番の苦境は突然やってきた。


 時折石に穿たれる車輪は鳴り響く雷を直喩する様に僕の身体に衝撃を叩きつける。


「……気持ちの良い雨だな。」

「でも、雷は怖いよ。」


 引き車には操舵席には僕と父さんが座っていた。牽引するのは三匹のエカゴット。その日は翌日の朝からオクルスで重要な取引があるという理由から、無理を承知で危険な夜道を雷雨の中急いで帰る事になっていたんだ。街中ならヤニをよく染み込ませた松明で道を照らしたりもするけど、この道でそれをするのは野盗を呼び込む行為という事もあって明かりをつけずに走る。


 月を覆う雨曇の下では不規則に点滅するだけが夜道の輪郭を捉えさせてくれる。雨はなんて事ない。ウチの家族は皆水が大好きな種族だから、妹なんて『今日は私がお父さんの隣に座る!』と駄々を捏ねたくらいだ。でも、座ってみればわかる。雷雨降る夜道で引き車を横転させずに走らせるのがどれだけ難しいか。急ぎだからと整備されてない道を通ったせいか、地面は泥と石と枝木で溢れている。そして、エカゴットが後ろに蹴り飛ばす小枝や砂利がガンガンと操舵席のバンパーに当たるのだ。小さい頃は景色が見え難くなるでっぱりが邪魔だなぁ、なんて思ったりもしたけれど、これが無かったら大怪我をしているかもしれない。将来、引き車にはしっかりとお金を掛けようと思ったよ。


『ギュッ!?』

『ギュアッ!?』

『キュアアッ! キュゥアッ!!』


「なんだ!? ……グゥッ!?」


 本当にいきなりだった。前を走るエカゴットが二匹同時に転倒したんだ。父さんは急いでブレーキレバーを引いたけど、勢いの付いた引き車は止まらない。片方の車輪は無慚にも転倒したエカゴットに勢い良く乗り上げてしまう。そして、転倒していないエカゴットがパニックになって自分の意思のまま逃げようとすれば……当然引き車はひっくり返るんだ。


 ……そこからはよく覚えていない。


「……もう死んでんな。商人が護衛も連れず夜道を走るなんてまさかとは思ったがぁ……とんだ肩透かしだったぜ。」

「はっ! ひでぇ事言いやがる! 魔法が使えても頭を貫かれちゃベスも人も変わんねえよ!」

「それもそうか。まぁいい、荷台の方はどうなってる!」


 頭……貫く……。


「なんだこりゃ? 荷台の中に根の付いたでけぇ花が落ちてやがる。」

「そりゃきっと植人種だ。気を失ってんだろ。捌けやしねえ。起きる前にズタズタに引き裂いとけ。」

「勿体ねえ。奴隷にすりゃいいじゃねえか。植人種ってのは水だけやってりゃ生きられるんだろ?」

「商人をやってるってこたぁ、それだけ頭がキレるって事だ。馬鹿な俺等にゃどうにも出来ねえ頭で歯向かって来るリスクを考えたら殺しちまった方が楽だぜ。」

「……ま、おめぇがそういうならそうすっかぁ。ほいっと。」


 ダンッ、ダンッ、と何かを突き立てる音……。


 その音を掻き消すように落雷が爆音を響かせる。


「おぉー、近くに落ちやがったな。」

「ふぅっ……こんだけバラせば死んだろ。」

「この王国で可変種如きが商売なんてやったのが運の尽きだ。馬鹿な判断しちまったなぁ。」

「この引き車は持ってくのか?」

「いるかよ、こんなかボロいモン。」

「お頭ぁ! 量は少ねえけど、品は上質だぜ!」

「そりゃ上々。量も多けりゃ良いってもんじゃねえ。さっさとかっぱらってくぞ! 身体が冷えちまう!」

「だとよ! 急いで積み込め! 我らがお頭が風邪引いちまうぞォ!」

「ハハッ! そりゃ大変だぁ! 感染うつされたらたまんねぇ!」

「んだとこら! 俺がぶっ倒れたらシノギが減っちまうぞ?」

「そりゃ勘弁だ!」


 まるで悲劇の舞台上とは思えない和やかな雰囲気が更に僕を現実から遠ざけた。


 これは悪夢。


 手の届かない所に置かれたおぞましく、汚らわしい不浄の何かなんだ。


 そうじゃ……なきゃ……。



*****



「ルウィア? 顔が青いわよ? やっぱり不安かしら?」


 引き車の横を並走するテレーゼァさんが僕の心配をして下さっている。なんとか気をしっかり保たなくては……。


「そんな心配しないで大丈夫だよ。ルウィアなら出来るって!」


 操舵席で隣に座っているアロゥロが僕の顔を覗き込んで励ましてくれる。


 ……凄く、いい子だなって思った。


「す、すみません。ご心配をお掛けしているみたいで……。」

「今回は心強いテレーゼァ様という味方が付いて下さってますが、次回からは一人でやりきるのですよ?」

「そう……ですよね……。」

「あ、い、いぇ、落ち込ませたい訳ではないのですが……。」


 そうアメリさんが慌てふためいた直後、谷の下から淡い緑の甲殻を纏う刺鏖竜族の方が這い出て来ました。僕は知っています。彼がイムラーティ村の村長さんです。とりあえず、近くまで近付こうとローイス達を誘導しました。


「……久方振りだな。テレーゼァ。恋しさが抑えきれなかったか。」

「色々と事情があるのよ。」


 どうやらテレーゼァさんとも知り合いの様です。とにかく、失礼にあたらないよう操舵席から降りましょう。アロゥロも……降りましたね。


 ま、まずは挨拶……!


「お、おお、お久しぶりです。ル、ルウィア・インベルです!」

「んん……? ローイスの子だろう。ローイスはどうした。息災か。」

「父は…………!」

「……。」

「ち、父は…………っ!」

「…………。」

「去年、亡くなりました……!」

「…………そう、か。」


 こんな時に、緊張のせいか薄っすらと眼に汗をかいてしまう。やり遂げなければ。これは、本番なのだから。


「……オリビエと、妹君はどうだね。」

「……同じく……!」

「ふむ……ご苦労……。」

「はいっ……!」

「……今後はルウィア、お前が来るという事だな?」

「……はいっ!」

「わかった……知っているだろうが、私はクリューゲラル・ブランチェルノ・レスタロッツァ。今後は宜しく頼もう。引き車を確認していいだろうか。」

「ど、どうぞ!」


 予想よりも柔らかい村長様の対応に心が落ち着いてくる。そして、村長様は翼を使い手慣れた動作で荷台の固定具を外した。開く側面、中には大量の木箱。


「ほほぅ……これ程の量は初めてだ。品の一覧はあるかね?」

「は、はい! こちらを!」


 ここからは普通の商売と変わりません。品の検収、支払い、確認。そして、この取引はここの近くで取れる価値の高い鉱石で支払われます。ここの村の人達は社会と殆ど繋がりのない人たち。なので、貨幣を用いて取引をしないのです。


「今回は初仕事記念だ。多めに支払わせて貰おう。」

「え、そんな……!」

「(ルウィアさん、いけません。それを断るのはどの面から見ても悪手ですよ。)」

「うっ……あ、ありがとう、ございます。」


 アメリさんの助言に従って村長様の好意を受ける事にしました。確かに信用は重要ですが、これを断るというのは村長様の顔を潰す事にもなりかねません。アメリさん、ありがとうございます。


「して……ルウィアはともかくだ。他の者は?」

「あ、あっ、し、紹介が遅れ申し訳ございません!」


 あぁっ! 僕の馬鹿! 商談ばかりに気が向いてアメリさんやアロゥロの事を紹介し忘れてたぁ! 順序がめちゃくちゃだよ!


「友人の、アメリさんと、…………ゆ、友人の、アロゥロさんと同じく友人のファイさんです!」

「よ、宜しくお願いします!」

「宜しくお願いします!」


『チキッ。』


「友人、か。」

「は、はい! 今回は初めてという事もあって、えっと……未熟な僕を手伝って頂きました!」

「つまり次回からは来ないと?」

「え、ぁ……多分、はい!」


 うぅ……上手く話せない……!


「いえ! 次も、その次も私は付き合います! それとファイも!」


『チキッ!』


「ア、アロゥロ!? ファイさんも!?」

「ほう。……オリビエを思い出す。しかし、私としては誰が来ようと構わん。好きにするが良い。しかし……ゴーレムとはまた珍しい友人がいるものだ。昔、争った事が一度だけあるが……。」

「長くなる昔話はやめなさい。年寄りの悪癖あくへきよ。」

「……テレーゼァ、そうだ。何故お前がここにいる。お前はここを捨てたはずだ。」

「そうよ。別に私だってこの村に用があった訳じゃないわ。用があるのはゲラル、貴方よ。」

「私に……? ふんッ、まさか今になってよりを戻そうなどと……。」

「やめて、反吐が出るわ。」

「なにぃ……?」

「……よりを……?」


 思わず疑問が口から漏れてしまいました。それじゃまるでテレーゼァさんと村長様が……。


「はぁ……別に隠していた訳じゃないわよ。彼は私の元旦那。」

「「えぇっ!?」」

「ほぅ。」

「ふんッ……お前がそれほどしおらしい女だとは思っていない。だが、微かでも思い浮かぶ可能性は否定されてしまった。ならいったい何が目的だというのだ。」

「サフィーの事よ。」

「……!? 何? 今更サフェーウィッラの何が知りたいと言うのだ。」


 そう言えばソーゴさんはテレーゼァさんに白銀竜についての情報を聞いて貰うって言ってました。白銀竜とソーゴさんの母親が友人って言ってましたけど……白銀竜に会って大丈夫なのかな……? オクルスに住んでた時は怖い噂しか聞かなかったし……。


「奴は……。」


 と、口を開いた村長様は周りを見回して何かを探しています。


「ここでは答えられん。あまり良い環境とは言えないが、来客用の間へ案内しよう。」

「あら、丁寧ね。」

「貴様ではない。ルウィア達に気を使っているのだ。」


 村長様はそう吐き捨てる様に言うと顔を空に向けます。そして……。


「村の者よ! 友が食に美をもたらした! 謝意を示し迎えるのだ!」


 強い風も吹き飛ばすような号令が谷の奥底まで落ちていきます。……雪崩が起きたりしないですよね?


 すると、谷の底から複数の羽ばたく音が聞こえ始めました。薄水色の羽毛を纏う獣人種の様な六翼の竜人種、テレーゼァ様より少し黄色がかった鱗を連ねた長い身体に四脚が生えている竜人種等々、様々な種族の竜人種が現れました。それぞれ僕達の近くまで来ると軽くデミ化をして二足歩行に適した姿へとなり引き車の積荷を運び始めます。この迫力満点なさま、なんだか久々に見た光景です。


「荷降ろしは任せたぞ! さぁ、こっちだ。」


 気付けば既に小さくなりしっかりとデミ化していた村長様に案内され、後を付いて行きます。村長様のデミ化した姿は、顔以外が全て鎧の様な鱗で覆われているので騎士の様にも見えます。中年らしき皺の深い顔もその服装のせいか何処か引き立てられているようです。父さんからこの村の村長様は歴戦の戦士だと聞いた事があるので、戦闘用とも思える服はそこから来ているのかもしれませんね。


「ここだ。ルウィアは何度も入った事があるだろう。」

「は、はい。」


 こことは、引き車の側にある氷塊の下の洞穴の事です。一応引き車やオリゴ姿の村長様も入れるくらいの深さに掘られていて広さは申し分ないのですが、特段何か来客の為の家具などが置いてあるという訳でもなく、用途のわからない干し草や壺や縄が壁際に寄せてあります。昔からこの村で一晩過ごす際にはここを借りていました。ここで父さんや母さん、リエットと……。


 また、ここに来れたんだ。


 絶対無事に帰って立派な商人になるよ。だから、見守ってて。


 







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