第112頁目 ジェスチャーとボディランゲージって何が違うの?

「ガフッ!?」


 穿たれる顎、脳天を突き抜ける激痛、滲む涙。気付きはしたものの、予想もしていなかった反撃に全く対応なんて出来なかった俺は下顎に強烈な痛打を食らった。


「……ッガァ! ぃでぇなチクショオ! 頭が良いやつぁ嫌いだァ!」


 痛みを口から吐き出すように悪態を吐くが俺がやってる事は顎を押さえて雪の上で悶え苦しんでいるだけである。滲んだ先を見てみればシカモドキジモンは見当たらない。耳を澄ませばわかる。生に向かう足音が。俺という死から離れていく鼓動の様な蹄の音が。


「ってぇ……。」


 諦めるか? いや、生きたいよな。アイツ等だって生きたいのかもしれないが、俺だって生きたい。


「なんで俺がベス如きに気を使わなきゃならねえんだ………………やってやるよォ!」


 再び雪を踏みしめる。


 エンジンに火を入れろ。


 音が向かう先に意識を向ける。


 ギアを上げろ。


 身体を低くする。


 ハンドリングの力を緩めるな。



 ――――走れッ!!!



「……ッ!!」


 雪飛沫しぶきも散らさず身体を前に進める最低限の力を全て地面に押し当てる。逃げ続ける音を追い掛け少しずつでも確実に距離を縮めれば、もう視界にはまたあの逃げるジモンが映っていた。さっきは一瞬だけ力を出したのが悪かった訳じゃないと思う。力を出した瞬間に気を抜いたのがいけなかったんだ。まだ、速度は上げられる。


 あとちょっと……!


 イケる……!


 届けぇ……!


 目に見える尻だけを追い続けた結果、俺はいつの間にか梳き木ではない針葉樹も生える林の様な所まで来ていた。しかし、そこに危険性や異常性はない。俺は木の陰だけを警戒しながらあとちょっとで牙が届く距離まで近付けていたのだ。だが、物事はいつだって思った通りにはならない。


『ヒュッ!』


 熱源、ではない。飛来した細長い何かが前を走るジモンの腹に突き刺さったのだ。悲鳴と鮮血を撒き散らしながら転倒するジモン。俺もそれには驚いたが、一応テレーゼァに教わった通り急ブレーキらしき急ブレーキは駆けずに身体の動きを止める。


『ヒヒィッ! ヒ、ヒヒィッ!』


 藻掻きながら何度も立とうとして脚を滑らせ転ぶジモンを余所よそに俺は感覚を研ぎ澄まして周りを探る。あの矢みたいな物が俺に向かってこないという保証は無いからだ。何故わざわざ俺が追いかけていた獲物を狙った? 何処だ? 何処にいやがる?


 なんて緊張感は何処吹く風。俺の獲物を横取りした相手は飄々ひょうひょうと隠れもせず俺に近付いてくるのだった。


 ほんの少しの間を超えた再会。そう、小ネズミである。


『ザッ、ザッ、ザッ、ザッ……。』


 小ネズミは俺の横を抜け、弱ったジモンの元へ向かう。そして、手際良く腹に刺さった剣身けんしんの様に平べったい棒を抜き、背にぶら下げた木箱に差し込む。なるほど、それは箱ではあっても矢筒って事なのか。


『○○○○、○○? ○○○○。』


 何か俺に伝えようとしているのだが、その内容は全くもってわからない。わかるのは敵意が一切無いという事だけ。小ネズミも俺に何も伝わってない事が理解出来たようだ。そこで、小ネズミは自分の顔に手を当てて俺と目を合わせる。


『ウィール。』


「……?」


 何だ? 今度はもっと明確に俺に何か伝えようとしている気がする。小ネズミは続けてまた自分の顔に手を当て直す。


『……ウィール。』


「(……もしかして、名前じゃない?)」

「! ウィール?」


『! ウィール!』


 俺はミィの推測を信じて小ネズミを指差し同じ言葉を言った。それに喜んで小ネズミも繰り返す辺り、何かが通じた……んだと思う。とりあえず、自己紹介をされたら俺もしなきゃな。という事で二本脚で立ち上がり自分の胸に手を当てる。


「……ぁー……ソーゴ。」


『……ァソーゴ!』


「違う違う。」


『チガウチガウ?』


 クロロかソーゴか悩んだせいで出た変な音も混ぜて覚えてしまうウィール。俺はもう一度自分の胸に手を当てる。しっかし、俺が立つと本当に小さく感じるなぁ。七〇センチくらい?


「ソーゴ。」


『ァソーゴ!』


「ちげぇってば。」

「(ふふふっ……。)」


 コントの様なやり取りにミィが耳元で笑みを漏らす。


『ァソーゴ! ァソーゴ!』


「ちげぇってのに。」


 俺の名前を連呼しながらウィールは既に息絶えたジモンの元へ跳んでいく。そして、木箱の下部に嵌めてあった白いナイフみたいな物を取り外した。どうやらジモンを解体するらしい。


『○○○○、○○○○○○○○○○。○○○、ァソーゴ!』


 もう完全にウィールの中では”ァソーゴ”で定着してしまったようだ。別に今更名前を間違えられて怒る気なんて起きないんだけどさ……。名前どころか身体すら変わっちまってすっかり元々あった物への執着が……。


『ァソーゴ! ん!』


「ん?」


 ウィールが俺に差し出してきたのは薄っすらと湯気を纏わせた赤く輝くジモンの心臓だった。


「……食べろってのか?」


 勿論その質問に返答はない。なので、俺はそれを手で掴みそっと口の中へ入れた。芳醇な血の香りが口いっぱいに広がる。心臓というのは血を体中に巡らせるポンプだ。だからこそ血の味が濃厚だし、心筋の噛みごたえも抜群である。先程死んだばかりという新鮮さもまた美味しさへの保証となっているのではないだろうか。まぁ、少なくともルウィア達が置いていった冷凍肉よりは美味い。多分。


『○○○! ○○○○!』


 美味しそうに食べていたのがお気に召したのか。何かを言ってキャッキャとはしゃぎながら肺らしき臓器を齧るウィール。


「なんか悪い奴じゃねえみたいだな。」


『○○○○○○?』


「うん。わかんねえけど。」


 空を見る。陽が少し傾いているな。後一匹くらいは狩りたい。この一匹だけでもいいんだが、欲張りを言えばもう少し……な。


「……取り敢えず、コイツだけ食ってくか。貰っていいか?」


『○○! ○○○○○○。 ○○○○○……。』


「ん? んん?」


 何を言っているのかさっぱりだが、ウィールは引き続きジモンのを解体をし始める。まさか残りは全部持ってく気か? なんて疑いもしたが、そんな事はないみたいだ。まず狩ったのは俺じゃないんだけどさ……。


 白いナイフを使って細かい肉を摘み食いしながらも上手く骨からこそぎ取っていくウィール。そして、その骨を木箱に畳み貼り付けていた革袋に詰めていく。


 お前の目的はその骨だったのか? 


『○○○○○○? ァソーゴ。』


 不思議そうに俺に大きい肉の塊を渡してくるウィール。


「え? 食べて良いのか?」


 都合の良い解釈をして質問するが、当然それにも返答はない。出来る事は実際に食べて反応を見る事だけ。という事で食らいついてみるが……ニコニコして満足そうにまた肉を切り骨を集め始めるウィール。そんでやっぱり肉はくれるのか。ジャーキーのお礼って事なのかな。


 そうして気付けばジモンは臓物とハギレの塊になり果てていた。大きい骨と毛皮はウィールが袋に詰め、肉は二人で食べ、小骨は俺が食べ切ってしまっている。残されたのは飛び散った血と千切れた毛皮と糞尿の詰まった臓器のみ。凄惨だなぁ。しっかり解体したらもう少しマトモな感じなんだろうけど。


「ありがとな。俺はそろそろ帰るわ。帰り道に何かいればまた捕まえようと思うけど。」


 伝わりもしない言葉を吐いてここに来たと思われる方向に歩き出す俺。


「(帰り道わかるの?)」

「(わかんないから頼んだ。)」

「(だと思った……帰り道は反対だよ。)」

「(……。)」


 俺は身をひるがえして帰り道を行く。するとウィールが横に付いてくる。


『○○○!』


「一緒に来るのか?」


『○○○○○○ァソーゴ、○○○。』


「よくわかんないけど、狩りの時は手伝ってくれよな。」


 会話は成り立っていない。しかし、お互い怒る理由も断る理由もなかった。今あるのは美味しい肉を交換しあった仲という事だけ。そのせいかちょっとした胡散臭さの様なものは完全に消えていたんだ。


 帰り道、獲物を探しながら帰るだけだったはずなのに。久々に童心に戻ったようにはしゃぎだす。切っ掛けはウィールが柔らかい雪面に頭から突っ込み、雪をモコモコと盛り上げながら雪の下を移動した事だ。俺はつい疼きを抑えられずに息吹でその雪を吹き飛ばしてしまう。その強風により雪ごと吹き飛びんでしまうウィール。衝撃で身体が硬直したのか、ひっくり返ってピクピクしている姿に吹き出しそうになるも、急にガバっと起き上がって魔法を使い周囲の雪を風で捲き上げ反撃をしてきた。それをモロに喰らい雪に埋まってしまう俺。


 どうにか藻掻いて頭を雪から出す。その直後、ズボッとウィールも頭を出す。雪から頭だけ出た俺を見てケラケラと笑うが、お前も同じ状態じゃねえか、なんて思うとつい俺も堪えきれなくなって笑ってしまう。


『○○○○○○……! ○○○? ○○!』


「うん?」


 突然ウィールが坂の下を示す。そこを確認すると茶色い粒……いや、アレはジモンか。なるほど、アレを狩ろうってんだな?


 ウィールは木箱に繋げて引き摺っていた革袋を切り離してその場に置く。流石にその大荷物で狩りをする気にはならないよな。


「ウィール、俺は、あの群れの、こう、反対に回って、ガオーッて追い掛けるから、お前はここに居て待ち伏せしてくれ。」


『○○○ァソーゴ? ○○○○○。○○○○○○○○○。』


「うん。そうそう。うん。」


 ジェスチャーと雪に爪で図を書くというアナログな手法でなんとか意思を伝える。多分全てとまではいかないが伝わってはいるはずだ。ウィールの態度も理解してる風だし……さぁ、どうなるかな?


 俺のよく知っている掌を向けた”待て”というジェスチャーや、頷いて”肯定”を伝えるというジェスチャーも全てウィールにはわからないはずだ。だが、どうにか伝わってほしい。俺はウィールに背を向けて群れの反対側に行くという表現をしてアイコンタクトを送った。それに対してウィールも小声で返事をする。


「(チガウチガウ!)」


 違う違う……? つ、伝わってんだよな? 


「(大丈夫だと思うよ。さっきクロロが”違う違う”って言ったのにまだァソーゴって呼んでるんだから。)」

「(だ、だよな。)」


 俺はそのまま群れを大きく迂回して反対側に回り込む。蜥蜴走りは余り音が立たないのが便利だなぁ。しかし、風向きが不安だ。臭いでバレる事があるし……いや、それよりも俺が傾斜の下、その上にジモン、更に上にウィール。と予定通り居てくれているかどうかだ。信じたいけど、最後の言葉が『チガウチガウ』じゃなぁ……。


……どうなるかな。

 

 




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